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「あっ、おいでです! あそこに」

 興奮した宮女が、窓を開けて指差した。

「御部屋様、御部屋様、ほらあそこに――、お庭を歩いておられますよ!」


 御部屋様、と呼ばれた白金髪の美女は、年下の宮女の声に誘われて窓辺に寄ると、その先にいた人物を目に入れて驚嘆の声を上げた。

「まあっ……!」


「そっくりですよね、皇帝陛下に、本当に。左側妃殿下が癇癪を起して広めてしまわれるまで、お顔を隠しておられたのも、すっごく綺麗、可愛いって、宮女仲間がきゃーきゃー騒いでいるのもわかります。

 ああだけど、あたしはやっぱりアミスターゼ様派です。お会いしたって、業務上のお話をさせてもらうのが関の山ですけれど、皇帝陛下の親衛隊を外れられて、お近づきの機会もなくなってしまったのが残念で」


「じゃあ、キルシ、こちらからあの二人に会いにゆかない? あたくし皇后陛下のご養子君とお話をしてみたいわ」


 窓枠を掴み、半ば身を乗り出すようにして、アミスターゼと並んで歩くヴェルヴィオイの姿を眺めていた美女は、その言葉通りにその場をさっさと後にしながらにっこりと笑った。


「それって冗談……じゃないんですね? 皇后陛下や左側妃殿下のご不興を買っても知りませんよ! 御部屋様ーっ」

「あら、あの方々にはあたくし、とうに嫌われているんだから、どうということはないのでなくて?」


 そんなものは、今さら気にしたところで始まらないとして、いそいそと扉へと向かう肝っ玉の据わった主人の背を、キルシは慌てて追いかけた。



*****



 そんなことは、露知らず。

 天文学の教師から課せられた、天体観測のための資料を抱えて、図書室帰りのヴェルヴィオイは、近道をして後宮の庭園を突っ切りながら膨れ面をしていた。


「何で時間外にまで、オベンキョウしないといけないのかな。夜っていうのはぐうぐう寝たり、いいことしたりする時間だっつーの」

「あなたが授業に集中なさらずに、しょうもない悪戯書きなどをなさっていたからですよ。逐一付き合わされる私の身にもなって欲しいところです」


 重い図鑑を運んでやりながら、こちらもまた不満げに、アミスターゼは文句を言った。自業自得というのはわかっているが、ヴェルヴィオイにも言い分がある。


「俺の悪戯書きを見て、アスターが噴き出しちゃうからばれたんじゃないか。あんたこそ気を引き締めてオシゴトしなよ」

「させて下さらないのはあなたでしょうに。一つ前の歴史の授業では、やる気を見せていらっしゃったので、天文学でもそうなのかと期待をしたら大外れで」


 机に立てた教科書で隠された、ヴェルヴィオイの帳面には、天文学の教師のへたうまな似顔絵が、夏至の日の太陽の軌道を描いてぺかりと光り輝いていた。本人が気にするほどに、教師の額が後退していなければ、おそらくは出されることのなかった課題だろう。



「そうでもしながらじゃないと、居眠りしそうだったんだよ、天文学は。それに比べて、今日の歴史は面白かったな。授業が全部あんなんだったら、もっと真面目に受けてやるのにさ」


「今日の歴史……、タンディア土侯国の成り立ちですか? 古来湯治場として発祥し、傷病人が多く訪れる中で薬種栽培と製薬が盛んになり、そうしてまた湯治客の世話をしていた湯女ゆなが、その徒然を慰むために春をひさぎ芸を披露するようになって、やがて名立たる歓楽都市が形成された――という」


 復習がてらにアミスターゼが、授業内容を簡単に反復すると、ヴェルヴィオイは大きく頷いた。


「そう! 特に、百七十年だかって昔に、アヤシイ秘薬や道具なんかを手土産に、西側から落ち延びてきたバリアシ教徒の話。あんたの故郷のタンディアじゃあ、お大尽のおっさんは、両刀遣いで当たり前っていうのは聞いたことあったけど、それが異端のバリアシ教徒が持ち込んだ、あっちの文化だったっていうのには驚いた。

 正統派バリアシ教徒の、『神は快楽を伴う生殖を禁じておられる』で終わっちゃう戒律も、何でそんなの禁じるわけ? それで人生楽しいの? って思うけど、だからって、『但し、生殖を伴わない快楽はお禁じでない』って、解釈を足しちゃうなんてぶっとんでる。革新派なんて名乗ってるけど、やっちゃったことは過激派だよね、そりゃあ破門されるって」


 歴史の授業中、ヴェルヴィオイが今同様に、やけに瞳をきらきらとさせていたその訳に、アミスターゼは深く得心した。


「ああ、結局お好きなのはその手の話ですか」

「まあねー。堅物ばっかだと思ってたバリアシ教徒にも、とんだ好き者がいたってわけだ」


「もともと盛んであった遊女文化と融合して、今現在タンディアの若衆遊びはすっかりと商業化されておりますが、その基底となった革新派バリアシ教徒の義兄弟の契りは、寺院傘下の騎士団という、女人禁制の男社会が生んだ濃密な友愛の延長にあるものでございますよ。今のタンディアに蔓延する、相手も手段も一切問わない、快楽至上主義とは質が違います」


 切り口がどうあろうとも、勉学に興味を示してくれるのは良いことだ。その手の歴史雑学を、追加で語って聞かせるアミスターゼに、ヴェルヴィオイは思う壺で食い付いてきた。


「友愛? ええーっ!? それじゃ、親友同士でできてたってこと? てか、そういう関係なんだったら、もう恋人でもいいんじゃないの?」


「その境界がどうであったかは存じませんが、むしろ兄弟分であるから致す、ですね。異時代の異教徒の、しかも異端者による完全なる異文化でございますから、言ってしまえば根本的な感覚が我々とはまるで異なるのですよ。

 革新派の提唱者、初代光輝騎士団総長エウレンカーグは、騎士団の強化と団結を図るために、心身で結び合う友愛を肯定し推奨したのだと言われております。さて、ヴィー、ここで質問です、光輝騎士団というのは、何であったか覚えてらっしゃいますか?」


「んーと……、まだ遊牧してた頃のゾライユ族だとか、その他諸々のレダの民を敵に回して、バリアシ教徒と奴らの都市を防衛してた戦う坊さん集団」


 珍しく熱心に耳を傾けた授業を思い返しながら、アミスターゼの設問にヴェルヴィオイは解答した。

 レダの民、というのは、『人は宿縁を負って現世を生き、輪廻転生をする』という死生観を持って、双面の女神アウロウラ・レダ・デシルシタを信望する人々の総称だ。赤毛の民族の大部分がそうであり、現在においてはゾライユ帝国民とほぼ等しい。


「あなたにしては上出来ですね、及第点をあげましょう。光輝騎士団を語る上で、その母体は浄財で肥え太った寺院であり、団員は武装した僧と雛僧すうそうであったという点を外してはなりません。

 エウレンカーグが唱えたのは、命を預け合う兄弟分と、絆をより深めるために肉も交えよという考えであり、バリアシ教徒の男女の結婚さながらに、契りを交わした義兄弟は相手に対する貞節を求められます。

 戦場において互いを守り、雄姿を見せ合うために団員たちは奮闘する。そして万が一にも義兄弟を殺された場合には、弔い合戦に力が入ったことでしょう。ごく単純に女犯にょぼんを防ぐ作用もあったでしょうし、二人一組として連帯責任を持たせることの有用性も高い。正に革新的な思想の下、信徒を募り士気を煽って、団員に戒律と軍規を守らせていたものと想像されます。

 そうすることで強兵を誇り、バリアシ教圏の東端という前線で、信者の保全に努めてきた騎士団でありましたのに……。総本山を凌ぎかねない一大勢力となってしまったがゆえに、教皇から妬まれて、バリアシ教国の宗主権を握るロジェンター王からも疎まれて、異端審問にかけられ解体と破門、そして追放の憂き目にあったのは、なんとも皮肉な話だと思いますね」



「やけに詳しいね、あんた」

 せっついたのは自分だが、特殊な男色関連のうんちくを長々と語られて、ヴェルヴィオイはちょっと引いた。アミスターゼはすまして答えた。


「私の家系が、元光輝騎士団幹部の流れを汲みますもので。私は見た目だけではなく、アミスターゼという名もあちら風でございましょう? バリアシの光神信仰こそ受け継いでおりませんが、『義兄弟を得たならば、決して裏切ることなかれ、身命を賭して尽くせ』というのが我が家の家訓です」


「何だかもやもやするなあ。あんたみたいな子孫がいるってことは、光輝騎士団にいたっていうアスターの御先祖は、女ともやっちゃったような生臭坊主で、義兄弟を裏切ってるってことじゃないの?」


「破門された時点で、先祖は坊主でなくなっておりますよ。それから義兄弟は義兄弟、妻妾は妻妾でございます。新天地で地縁を築くのに、現地女性をもらうほど早道なことはなく、それは義兄弟にも同様でしたはず。肉以前に心で繋がれていることが肝要なのですし、友であるがゆえの割り切りでしょう」


「調子いいよね。ま、男同士でドロドロしちゃうよりいいと思うけどさ。で、アスターはその家訓ってやつを、ちゃあんと守ってるわけ?」

「まさか。身命を賭しても惜しくないほど惚れ込める御方と、巡り会えてもおりませんのに守りようがございませんよ」

「何だ。つまんないの」


 全くの他人事と、そこで関心を失くしたらしいヴェルヴィオイに、アミスターゼはぼそりと続けた。


「今仕えております御主君が、それだけの逸材であってくれれば幸福なのですけれどね」

「えー、そういう風に尽くされちゃっても重いし御免だし、いかにも物足りませんって顔して俺を見んのやめてくんない?」

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