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「……何を言っているんだ……?」


 答えはあらぬ方向から返ってきた。

 先ほどから『あれ』だの『これ』だのと、物のように呼ばれ続けてきたヴェルヴィオイは、今ここで取り沙汰されている、自分と皇后との養子話に完全に面食らっていた。

 漏れ聞こえたヴェルヴィオイのつぶやきを、エクスカリュウトは無視しておこうとしたが、ルドヴィニアはさせなかった。


「――粗相があったようですわね。失礼を致しました、陛下」

「何の侘びか? ルドヴィニア」

「陛下の許可無く発言をした、ヴェルヴィオイに代わりましての侘びでございます。これの不調法を躾けるのは、養母となるわたくしの役目でございますから」

「母親か……」


 そつのない返答に、エクスカリュウトは口元を皮肉げに歪めた。夫である彼自身が孕ませてやらぬ限り、ルドヴィニアは嫡子を持つことができないのだから。

 代わりに愛玩するには、危険な香りが漂うヴェルヴィオイの姿をもう一度眺めやってから、その意志を確かめることもなく、突き放すような物言いでエクスカリュウトは承諾した。


「よかろう。だが、余の子はマルソフィリカだけだ。決して余の養子に迎えるわけではない。それを履き違えぬようにすることだ」


 マルソフィリカ。それはヘルガフィラが腹を痛めた、エクスカリュウトの第一子であり愛娘の名前だ。ヘルガフィラが左側妃へと昇格を果たしたのは、名目だけの正妻であるルドヴィニアに代わって、実質的な本妻の役割を務めてきたことに加え、エクスカリュウトに最初の子を抱かせた功労に報いたものである。


 マルソフィリカは今年十一歳。『狼心皇帝』エクスカリュウトの、目尻を緩く下げさせる愛くるしい皇女だが、ルドヴィニアにとっては、その名を耳にするだけでも辛いばかりの存在だ。

「承知しておりますわ。ありがとうございます、陛下」

 心に刺さった棘を抜き取りながら、ルドヴィニアは努めて穏やかに微笑んだ。


「!!」

「言いたいことがあるなら後で聞こう。無意味な抗いをせずに今は黙っておれ」

 勝手な取り決めに抗議をしかけたヴェルヴィオイは、ゼラルデに小声で諭されて口を閉ざした。これから自分が、何をどう訴えてみたところで、皇帝の決定は覆されぬものだと看取したのだ。


 当事者であるヴェルヴィオイを置き去りにして、皇帝夫妻の駆け引きは続けられてゆく。エクスカリュウトは勿体をつけるようにゆっくりと言い足した。

「但し、条件がある」

「条件?」

 仮面のように微笑を貼りつかせたまま、それは? とルドヴィニアは促す。


「これに付けたいという守役のことだ。そなたが挙げておる衛士ではいささか頼りない。それよりも、余の親衛隊の中に手頃な若者がおるのでな。代わりにそれを任ずるがよい」


 そう言うと、ルドヴィニアの返答を待つことなく、エクスカリュウトは脇に控えた親衛隊士の一人に命じた。

「アミスターゼを、ここへ」

「はっ」



「アミスターゼ……? 知らぬ名ですわ。何故その者を推挙なさるのです?」

 一礼をし、速やかに遣いに向かう親衛隊士を見送って、ルドヴィニアは夫に食い下がった。慎重に選んだ守役候補を、歯牙にも掛けず却下されてしまうのは、自分自身が軽んじられたようで大いに不服であった。


「そなたはこのような折でもないと、余の許に寄りつかぬからな……」

 皇后の地位にあるにも係わらず、皇帝を守護する親衛隊の顔触れを、まるで把握していないらしいルドヴィニアに、エクスカリュウトは苦笑しながら続けた。

「アミスターゼはタンディアの出で、ファルネンケルに縁の者だ。弟妹を多く持つ長子の生まれであるからな、子守りには適任であろう」


 異端のバリアシ教徒が正統派の迫害から逃れ来て、現地部族と交わり発展させたという、特異な歴史を持つ歓楽都市タンディアは、交易の要所であるズウェワと双璧を成す、ゾライユ帝国内で最も羽振りの良い土侯国の一つだ。

 前身はそのタンディアで、土侯の幕僚に名を連ねていたファルネンケルは、文武双方に携われるようにと皇帝参与の職を与えられ、『狼心皇帝』の治世を支えてきた、エクスカリュウトの懐刀である。


 エクスカリュウトの側近中の側近として、広く知られたこの参謀の名を、こうまであからさまに出されては、ルドヴィニアもはたと気付かざるを得ない。

 ヴェルヴィオイを養子にしたいならば、その傍近くに、自分の息が掛かった監視を置け――と、エクスカリュウトは述べているのである。



*****



 ややあって、同僚に連れられてきたアミスターゼは、皇帝夫妻を前にして丁重に畏まった。

「お召しに寄りまして、参上仕りました、陛下」

 年の頃は、二十歳に差し掛かったばかりであろうか。その声も姿も、ルドヴィニアの予想を超えて若い。武人というよりもむしろ駆け出しの文官のような、もの静かで怜悧な印象を与える細面の青年である。


「こなたに我が后がおる。拝顔の栄に浴するのは初めてであろう、アミスターゼ。まずは挨拶をするのだな」

「はい」


 大陸北西のバリアシ教圏から移住した異端者の、先祖返りの血が色濃く表れているのだろう。癖のない亜麻色の髪と、銀がかった灰色の瞳を持つうら若い親衛隊士は、皇帝からの突然の呼び出しに臆することもなく、片膝を付いていた身体を起こすと、ルドヴィニアに向けて流麗な仕草でお辞儀をしてみせた。


「お初に拝眉致します。アミスターゼと申します。お見知りおきを皇后陛下」

「我が声を聞き、我が目に触れることを許しましょう。よきに計らいなさい、アミスターゼ」

「恭悦至極に存じます」


 気負うことも無く控え目に答えるアミスターゼを、ルドヴィニアは注意深く観察した。そこへ、

「いかがかな? 我が奥方お好みの、瀟洒な美形であろう」

 と、揶揄するような口振りで、エクスカリュウトが感想を求めてくる。


「品の無い仰りようですこと……」

 夫にそうは答えたものの、アミスターゼは確かに、ルドヴィニアの趣味に適合していた。

 ゾライユの武人にありがちな、武勇や豪腕を誇る騒々しさが無く、一挙手一投足がしなやかに優美である。それでいて毅然とした表情からは、優男という侮りを寄せ付けぬような、芯の強さも感じられた。


「気に食わぬか? もしそうであれば、他の者に替えてやっても良いのだぞ」

 誰にすげ替えられようと、皇帝の犬であるという、但し書きはつくだろう――。

 ならばできるだけ目や耳に、邪魔にならない方がよい。夫の問いかけに答えて、ルドヴィニアはゆるりとかぶりを振った。


「いいえ、陛下ご推薦の若者ですもの、よい働きをすることと期待しておりますわ」

「では、アミスターゼで構わぬというのだな?」

 鷹揚に見せながらも、強制するような目つきをしてエクスカリュウトは念を押した。

「勿論ですわ。偉大な陛下のお心遣いを、妻であるわたくしが疑う道理はございませんもの」


 国家君主の警護に当たるのだ、皇帝の親衛隊には傑出した武人が数多く揃っている。ヴェルヴィオイの守役の適任者として、その中からアミスターゼを推挙してくれたのは夫の厚意である――。

 本心からは思ってもいなくとも、ルドヴィニアは表面上、そう受け止めておかねばならない。


「その通りだ。我が奥方は御身のお立場を、よく理解しておいでのようだ」

 エクスカリュウトはルドヴィニアを、ゾライユの皇后である以前に、未だロジェンターの王女であるとみなしている。表向きは友好を保っていても、エクスカリュウトにとってロジェンターは、憎悪を燃やし復讐を誓った潜在的な敵国なのだ。ちょっとやそっとのことでは消せない根深い猜疑心を、簡単に捨て去ることはできなかった。

 口元だけでルドヴィニアに笑みかけてから、エクスカリュウトはアミスターゼに視線を流した。


「アミスターゼ」

「はい」

「余の親衛隊の任を解き、そちに新しい主君を与えよう。ヴェルヴィオイ、来よ」

「え――? 俺?」


 エクスカリュウトに突然名を呼ばれ、ヴェルヴィオイは困惑した。

 アミスターゼは、それまで気にも留めていなかった、赤い髪の少年を眺めやり、ゾライユ宮廷人の例に漏れずその見目に驚いたが、皇帝夫妻を前にしてぐっと口をつぐんだ。


「そなたの名であろう。もう一度呼ばわねばわからぬか?」

「聞こえたから、いいよ。その人の隣でいいの?」

「構わぬ。参れ」


 ヴェルヴィオイの不敬な言い様に、周囲はみな冷や冷やとしたが、エクスカリュウトはむしろ面白がる風であった。

 故意の侮辱に対しては敏感で、時に苛烈ですらある皇帝だが、礼節を知らない子供の言葉遣いに、いちいち目くじらを立てるほど狭量ではないのだ。


 人々の視線を一身に浴びながら、ヴェルヴィオイはエクスカリュウトの前に進み出た。奇妙なものを眺める目つきで、自分を窺っているアミスターゼの隣に並ぶと、ヴェルヴィオイはその顔を見上げ、ひょいと肩をすくめた。

「お互い酷い災難だよね」

 この言動に、ルドヴィニアを始めゼラルデも、宮女や衛士や侍従たちも肝を冷やしたが、エクスカリュウトは珍しく声をあげて笑った。


「陛下、失礼を承知でお伺い致しますが、この方は――?」

 アミスターゼは唖然として、肩を揺すって笑い転げる皇帝と、不機嫌に眉を寄せている、皇帝に似た少年とを見比べた。


「これの名を、ヴェルヴィオイという。この度皇后が養子に迎えることになったのだが、かような通りの無作法者で難儀をさせられておるようだ。そこでアミスターゼ、そちをこれの守役に任命する。師のように兄の如くに、これを守りこれを導いて、一人前の男子と成す手助けをするように」

「左様でございますか」


 笑い止んだエクスカリュウトの瞳は、深遠な輝きを放っていた。語られることのない言葉の狭間から、アミスターゼは皇帝の真意を汲み取った。

「他ならぬ皇帝陛下のご命とあらば、このアミスターゼ、至らぬ身ではございますが、お志に適いますよう誠心誠意お仕え申し上げましょう」


「……あんたよくそんなの、真面目に引き受ける気になれるよねえ……」

 厳かに請け負うアミスターゼに、ヴェルヴィオイは深く呆れながら、うろんげな眼差しを投げかけた。

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