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密旨を受けてから数日後、自分が不在中の職務は皇帝付きの次席侍従に任せて、商家の若旦那風を装ったスタイレインは、従者に扮した『番犬』と連れ立ち、顔も正確な数も知らない『犬』たちに護衛されながら、アスハルフ西街の花街をぶらついていた。
宮廷人も多く出入りする、富裕層向けの東街の花街と比べて、庶民向けの西街の花街の街並みは、うんと雑多でせせこましい作りである。民草に溶け込む隠密である『犬』たちは、花街の内だけでなく外にも散らばり、ミレーヌ
ヴェルヴィオイの実家であるという、『小夜啼鳥の館』はすぐに見つかった。場末にありながらなかなか立派な店構えで、様々な職の男たちを集め、夜な夜な淫靡な賑わいを見せる娼館であった。
そこを訪れさえすれば、容易く叶うだろうと思われていたミレーヌとの面会は、しかしいきなり頓挫することになる。
『小夜啼鳥の館』の女主人ミレーヌは、ミレーヌであってミレーヌではなかった。スタイレインを上客と踏み、にこやかに迎えてくれた女主人は、あだっぽい年増であったがありふれた赤毛で、クリスティナとは似ても似つかず、スタイレインを良かったような悪かったような複雑な気持ちにさせた。
しかし、「髪と瞳の色が自分と似ている」という、エスメルタの口述と食い違うことが腑に落ちず、『番犬』を介して『犬』たちに、ミレーヌの身辺を嗅ぎ付けさせ続けたところ、現在の女主人ミレーヌは、年季を務め上げた古参の娼婦で、先代から名も継いだ二代目だと知れた。
それがようやく判明したのは、せめてヴェルヴィオイに関する話でも持ち帰ろうと、スタイレインが『小夜啼鳥の館』に通いつめて半月も経った後のことであった。聞き込みが目的なので馴染みを作らず、その日の気分で日替わりに、娼婦を買いながら気付いたことがある。
とかく情報の入りが悪いのだ。どの娼婦にも、小部屋に籠ると早々に寝台遊戯に持ち込まれ、心付けを弾んだ分だけ気前よく身体を開いてもらえても、口を割らせられないのはスタイレインの不徳の致すところだが、『犬』たちが不審を感じるほど不自然に、先代ミレーヌとその息子はいなかったことにされているらしい。
わざわざ話題に上げるほどもない、取るに足らない女だったのかと思いきや、『犬』の一人が酒場でくだを巻いていた、肥りじしの男を酔い潰し、表通りの家に送ってやりがてらに根気よく愚痴を聞いてやったところによると、数多の男を惑わせる、伝説的な
『小夜啼鳥の館』ではさんざん散財させられたのに、自分は手すら握らせてもらえなかった、どこに消えたんだミレーヌ! というのが、その男の嘆きであったそうな。
それでも一旦花街から離れ、街の外から『小夜啼鳥の館』に通う顧客をつつけば、そうして細々とながら噂を漏れ聞けるミレーヌに対して、ヴェルヴィオイに関しては全くといってよいほど収穫が無かった。
皇帝にそっくりだという驚きは下々の者には無かったにしても、後宮の宮女たちをそわそわとさせている、黙っていればという注釈付きだが白皙の美少年が、誰の記憶にも留められていないのは、どうにも奇妙なことであった。
やがて『犬』は、先代ミレーヌ――以後単にミレーヌとする――が、怪しい女客を迎えて間もなく、人前から姿を晦ましたことを突き止め、それは偶然か必然か、宮女長に届け出の義務がある、ゼラルデの外出記録と一致した。
その女客の正体までは定かではないが、ヴェルヴィオイを売り飛ばした――とヴェルヴィオイ本人は発言している――ことはミレーヌにとって、自分と息子の足跡を消し、急ぎ替え玉を仕立て上げて、身を隠す必要を感じるだけの出来事であったと推測される。
いや確かに、こうしてミレーヌの行方を捜しているのが、皇帝の命を受けた自分たちでなく、例えばズウェワの手の者であればどうなるか……と、スタイレインも焦らなくはない。また、とんだ伏兵であるエスメルタの口から、突発的にミレーヌの名や、ヴェルヴィオイとの関係等々が明かされてしまったことを受けて、皇后陣営はどう動くだろう?
真実に至る鍵を握るミレーヌを、自分たちに先駆けて保護しようとするのか? 最初からどこかで監禁しているのか? 或いはその、真逆に――?
店を挙げてミレーヌを庇っているらしい、『小夜啼鳥の館』に留まっていると、手掛かりを得るのはかえって難しいと考えて、やがてスタイレインは、他の娼館や酒場にも足を運ぶようになっていた。
その日スタイレインが買ったのは、しぶとい客引きに引っ張られて入った酒場の、ダニエラという酌婦である。
店の一番人気であるというダニエラは、本格美人というより雰囲気美人だが、だからこそ触れなば落ちんと手を伸ばしたくなる、きめ細やかでふっくらとした玉肌の、垂れ気味の目をした色気のある娘である。
娼婦ではないために、買うのは難しいかと思われたダニエラであったが、スタイレインが持ち掛けた夜の交渉に、二つ返事で了承してくれた。
*****
酒場の上の宿で二人きりになると、寝台に並んで掛けたスタイレインに、媚びた上目遣いを向けながらダニエラはこう尋ねた。
「あたしさ、名前呼べない人と寝るのって好きじゃないの。あだ名でも何でもいいから、旦那の名前教えてくれる?」
「それじゃあ、まあ、スイ、とでも」
本名を適当に縮めて、スタイレインは短く名乗った。その場限りの偽名といえど、これから一夜妻にしようとしている娘に、実名とかけ離れた名で呼ばせるのはつまらない。
「そっか、スイさんね。ねえスイさん、それでどうする? 着たままする? 脱がせてくれる? それともあたし自分で脱いだ方がいい?」
「ゆっくりと脱いでいくところを、じっくりと見せて欲しいね。だけど、そういう愉しいことはもう少し後にして、まずは君と話がしたい」
「話? 変わってるね、スイさん。お話なら、もう酒場でいっぱいしてきたでしょ? いい感じにお酒が入って、ムラムラしてきたから、あたしを誘って
「もちろんそういった助平心もあるけれど、酒場ではしづらい込み入った話がしたいんだよ。ダニエラは、床の相手をするのじゃなくて、話し相手をしてくれるのが本業なのだろう? もうしばらく付き合ってくれると嬉しいなあ」
「そうだけど……。なあに、スイさん、あたしのこと抱く前に、恋人みたく口説いてくれようっての?」
きゃらきゃらと笑ってダニエラは、スタイレインの首に齧り付いた。おおっと声を上げながら、まんざらでもなくスタイレインは抱き止める。自然に触れる形になった髪や背を撫で、若い娘の香りを堪能するスタイレインの耳元で、ダニエラは囁きかけた。
「ねえ、スイさん、あんた噂になってるよ。どこの若旦那だか知らないけど、普通だったら東街に行くようないいとこの兄さんが、ずっしり重いお財布持って、あっちこっちの店で、目ぼしい女を買って回っているよって。めんどくさいこと聞かれるけど、上手くあしらえばいいカモだって」
「いいカモかあ……、自分でもなんとなく、そんな気はしていたんだけれどね」
悪目立ちはせぬように心掛けてきたつもりだが、なにぶんスタイレインは皇帝の乳兄弟なのである。毛先爪先まで手入れを行き届かせた上質感の漂う風采に、すっと伸びる背筋と整然とした物腰は、下町のさらに花街の中では異質であったのだろう。
「気になることがあれば、とことん追求しないと済まない
白金髪だと聞いてきたのに普通に赤毛で、いい女だけれどそこそこで、話が違うと思っていたら、名前ごと代替わりしているって言うじゃないか。じゃあ先代はどうしてるんだって――それを聞かれるのは、そんなに面倒なことなのかな?」
「うーん、めんどくさいって言うか、こーんな若くて綺麗なあたしを目の前にして、他の女を褒めるなんて感じ悪ぅい」
「ああ、ごめんごめん。まだ見ぬ年増の女将より、ダニエラの方がきっと美人だし可愛いよ。そう思ったから今夜は君にしたんだ。人の話なんてたいていは、尾びれ背びれが付けられているものだしね」
「調子いいのね、スイさん。だけど、そうねえ……、ミレーヌだったらしょうがないかな」
このダニエラの反応に、スタイレインはおや? と思った。他者にははぐらかされたり、口を噤まれたり、困ったようにされるばかりで、ミレーヌについての質問に、まともに受け答えてもらったのは初めてだ。
「君はミレーヌを知っているのか?」
「知ってるわよ、ミレーヌのことは、この街の人間なら誰だって知ってるわ。知らなきゃ潜りの女帝様だもの。ミレーヌの居場所もみんな知ってて、だけど彼女はね、誰もが口にできないところにいるの。だからスイさん、ミレーヌのことは、どんだけ捜し回ったって無駄よ」
「どうして君は、そんなことを教えてくれるんだ?」
あまりにもあっさりと、しかし内緒話だと言わんばかりに耳打ちされたものだから、スタイレインは逆に警戒した。ダニエラはスタイレインの首に両手を掛けたまま、上体を軽く離してその瞳を覗き込んだ。
「それはね、スイさんと取引をしたいから」
「取引?」
「そう。あたしはスイさんに、ミレーヌのことを教えてあげた。だからスイさん、どうかあたしに教えて頂戴。ヴィーは今どこにいるの?」
「ヴィー?」
「そうよ、ヴィー、あたしのヴィー、ヴェルヴィオイ。あの子どこに連れて行かれたの?」
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