1-5-7
皇妃の居室は、七つの続き間からなっている。まずは最初に踏み込んだ宮女の控えの間、その奥に食事の間、左手に寝所と化粧室、右手に客人の間、そしてその先に書斎と音楽室。
その一通りをざっと見て回り、そうしてからエクスカリュウトは、おそらくゼラルデは、自身から遠く離したような場所に、ルドヴィニアを隠すことはないだろう、という推測を立てた。
となればおそらく、入ってすぐの宮女の控えの間。その中で人が一人潜めそうな場所といえば……。エクスカリュウトが、スタイレインと共に宮女の控えの間に戻ってみると、ちょうど怪しいと睨んだ大きな長櫃の蓋を、ロゥギがひょいと持ち上げているところだった。
「おんやあ」
不自然な形に膨らむ毛皮をめくり上げ、ロゥギはにやりと笑った。
「こんなところに、ちんまいのが」
「やあっ……!」
燃え立つ赤毛の大きな男に、左腕をねじ上げられてルドヴィニアは叫んだ。聞き覚えのある声に反応し、エクスカリュウトは、ロゥギが覗き込む長櫃の中に、怯えきった妻の強張った姿を捜し当てた。
「ロゥギ」
「何すか? 陛下?」
「それはやらんよ。私の奥だ」
「これはこれは、こちらが陛下の奥方様で。へえ――」
ぎらぎらとしたロゥギの目は、ルドヴィニアの身体の上を無遠慮に嬲った。特に、抱きすくめれば簡単に折れてしまいそうな細腰を執拗に。卑猥な何事かを想像しているようなそれは、皇妃に向けられてよい視線ではなかった。
「こんな細っこい奥方を、よくもまあ壊さずにきましたねえ。ちょいと苛めたくなるような、幼妻じゃござんせんか」
「ルドヴィニア様っ!!」
ゼラルデが決死の体当たりで、にっくきロゥギを突き飛ばそうとするが、頑健なロゥギを相手にそれが成る筈もない。逆に煩そうに、片手一本で跳ね除けられてしまった。
「ロゥギ、手が空いているならそこな乳母を押さえておれ」
「俺、婆様はいりません」
「誰も取れとは言っておらん。いらぬなら絞めて落としてしまえ」
「へいへいっと」
恨めしそうにルドヴィニアから手を放し、呻くゼラルデの首にがっちりと腕を巻き付けて、そのまま失神させるロゥギの傍らで、エクスカリュウトは長櫃の縁に片手をつき、軽く腰を屈めながら、その中にぺたりと座り込んで、ずきずきと痛む左の腕から肩を繰り返しさすりつつ、涙目になっているルドヴィニアの頬をもたげた。
「ルドヴィニア、ゾライユでは何故、女が奥に隠されるかわかるか?」
「い、いえ……」
「それは、女が、略奪されるものだからだ――」
追い回される宮女たちの金切り声が響く。やめて。許して。放して。助けて――。
けれどもそれが、聞き届けられる筈もなく、捕えられたロジェンター人の宮女たちは、一人、そしてまた一人と、男たちの肩に担ぎ上げられ、あるいは小脇に抱えられて、いずことも知れぬ場所へ運ばれてゆく。
「そん……な……」
足腰が萎え、がくがくと震えるばかりのルドヴィニアの瞳は、鬼畜の首魁のような夫のその向こうに、今にも連れ去られようとしている乳姉妹の姿を捉えた。
「メッ、メラニーアンッ……!!」
「ルディ、様あっ……!!」
泣き喚いて手を延ばすメラニーアンの頭から、宮女の頭巾が乱暴に剥ぎ取られる。取った男は指先でくるくると、頭巾を振り回して口笛を吹いた。
「やった! 金髪じゃねえか!!」
「うへっ、まじかよ! 俺らの獲物は当たりだな!」
メラニーアンを担いだ同族の男も嬉しげに彼女を振り返る。ロジェンター人が
「いやあっ!!」
男は嬉々としながら、半狂乱になって髪を隠そうとするメラニーアンの口に、裂いた頭巾の切れ端を押し込んで、残りで彼女の手首を縛り上げた。
ロジェンターの女にとって、人前で髪を剥き出しにされるなど、下着をそうされたにも等しいような恥辱だ。大切に守ってきたものを暴かれた衝撃と悲しみで、メラニーアンの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「なあ可愛い嬢ちゃんよ、あんたこの頭だけじゃなくて、どこもかしこも金髪か、俺らでしっかり拝んでやるよ、なあ」
白いうなじを出して小さく結われた、メラニーアンの髷を掴んで、彼女の灰がかった金髪を乱しながら、そこにひくつかせた鼻先を押し付けて、男はくぐもる声でそう言った。
その柔らかな色味の髪、朱の走る細い首筋と、身を縮めて嫌々をするしかできないメラニーアンの純情可憐な泣き顔に、伴侶とする女を物色中であったカザンヤが食い付いた。
「俺その子欲しい! 今やる用じゃなくて妻に欲しい! つーか今からやるこたやるけど! なあ頼むわ、うちの馬でも姉ちゃんでも代わりにやるから、その子俺に譲ってくれよー」
「は? お前のがっかりな御面相を見た後で、お前の姉ちゃんに一体何を期待しろと?」
「顔はちょっとあれっちゃあれだが、俺の姉ちゃん乳と尻は凄えから」
「うーん、今すぐ食える金髪の生娘か、当分お預けの乳と尻か……。あーでも、カザンヤの馬はいい馬だよなあ。あれって、同じように脚の強い兄弟馬もいるんだっけか?」
「いるいる。どいつもこいつも父親似の健脚だ。いい
「どーすっかなあ。馬の種付けは大事だが、俺だってこの堪らねえ匂いがする、金髪のロジェンター娘に種付けしてぇしなあ」
ルドヴィニアからすれば、恐怖以外の何ものでもない明るさと軽さで、女と馬とを同等に並べた交渉をしながら、男たちはメラニーアンを――そして、その他の宮女たちを奪ってゆく。
宮女たちはこれから、どうなるのだろう……?
その想像がつかぬほど、ルドヴィニアも子供ではない。かつて自分が、夫に無理やりされたようなことを、あるいはもっとひどいことを、宮女たちは数人がかりで、あのむくつけき男たちにされるのだ。
……まともでいられるものだろうか?
「メ……、ラ、ニー……」
本当の姉妹よりも心近く、優しい笑顔で仕えてくれてきたメラニーアンに、また会うことができるだろうか?
悲愴な顔つきでごくりと息を飲む、ルドヴィニアの喉の動きを眺めた後に、エクスカリュウトは彼女の頬から手を放し、妻からまるで興味を無くしたように背を伸ばした。
そうしてそのまま踵を返してゆこうとする。
「どこへ……行くのですか?」
かそけき声で引き止めるルドヴィニアを肩越しに見下ろし、エクスカリュウトは冷たく言った。
「どこへも何も、私は私の室に帰って休む。それだけだ」
「わ……たくしを、置いて……?」
「置いて? 妙なことを言う。ここがそなたの室だろう? 乳母は残して行ってやる。誰も取らぬであろうからな」
その頼りの乳母は、絞め落とされて床に倒れている。呼吸があるのかと不安になるほど、死んだように動かない。
「嫌です、怖い……!」
腕に、見ず知らずの男に捻られた感触がまだ残っていた。ルドヴィニアの代わりに、
「では、共に来るか?」
言いながら、エクスカリュウトはルドヴィニアに手を伸べた。そこに喜んで、飛びつきたくなるような甘さなど微塵も無く、濃藍色のきつい双眸が、燃えたぎるような怨讐で血走りルドヴィニアを竦ませる。
「共に来るならこの手を取れ。言っておくが、私は今とんでもなく気が昂ぶっておるぞ。わかるだろう? ルドヴィニア。幾多もの、苦汁を嘗めさせてくれたロジェンターの王女よ。そなたなればこそ容赦はできぬ、完膚無きまでに屈服させねば気が治まらぬと――。このままここにおるよりも、私と来る方がよほど怖いかも知れぬぞ」
「それでも陛下のつっ、妻ですものっ……! 怖い目に遭わされることに変わりがないのなら、陛下がよろしゅうございますっ……!」
ルドヴィニアは、今の自分の心の内を懸命に吐き出した。たとえあの夜のように犯されるのだとしても、はたまた殺されることになってしまうのだとしても……、手を下されるのは夫からでなくては絶対に嫌だった。
「よう言った」
指先と指先とが軽く触れ合ったかと思うと、ぐいとエクスカリュウトに手首を引かれ、逆側の脇を掴まれて、ルドヴィニアもまた荷物のように担ぎ上げられていた。床から大きく離された足が、靴の片方を落としつつ頼りなく空を蹴る。
裾の乱れや、大腿を抱える腕の感触を恥ずかしがる暇もなく、高くて怖くてしがみ付いたのは、広く逞しい夫の背中。むせかえるような血の臭いと、こびり付いた死の臭いと、強烈な臭気の漂うその向こうに、焦がれ続けた夫の匂いがする。
「ロゥギ」
「はい」
「その乳母は、ロジェンターの要人だ。多少手荒にしても構わぬが、必ず生かしておけ」
それはルドヴィニアが、大きな不安の只中にも、小さな救いを感じられるような命であった。ゼラルデがいてくれれば、自分はまだ、独りじゃない。宮女たちが、メラニーアンが略奪されてしまっても、ルドヴィニアは独りにはならない。
「承知しました。まー起き抜けに罵倒されるのはご免なんで、猿轡かまして、手足も縛って、気道だけはちゃーんと確保して、適当な場所に放り込んでおきますよ。こっちはこっちでよろしくやっときますんで、陛下も奥方を存分に小突き回してきて下さい」
「ああ」
「でもって、とっとと飽いて下げ渡して下さいよ。ぴっかぴかの幼妻のうちに!」
何も言わずとも付いて来るスタイレインを連れて、立ち去りかけていたエクスカリュウトは、聞き捨てならない送り出しの言葉に思わず足を止めた。
「ロゥギ、お前といい、ファルネンケルといい、若くして上に立つような連中には、どうしてこうも特殊な嗜好があるのだか」
呆れて尋ねるエクスカリュウトに、ロゥギは、げ、という顔つきをした。
「あんなやばいのと一緒くたにせんで下さいよ! 俺は熟れてぐずぐずになった果実より、固くて青い実が好きなだけです。ついでに言わせてもらいますと、固すぎるのにも食指は動きません。
ファルネンケル、奴は今頃、アズワルドの爺さんはほったらかしにして、ちょっと見れた容姿の若い副官を、ネチネチネチネチいたぶってんじゃないですか? 器具や薬は持ち出さないで、言葉でいびるだけで済んでりゃいいんですがね。がっちがちのバリアシ教徒が、歓楽都市タンディアが生んじまった変態の、快楽拷問に付き合わされたら、一夜で精神崩壊もんですよ。
――てか、上に立つ連中がどうこうっていうんなら、陛下御自身はどうなんですかい?」
「私か? 私は来る者は一切拒まんよ」
「それはそれで病気ですって」
「拒んでいられない――というのが、正しいのかもしれないが」
エクスカリュウトが来る者を拒まないのは、病気というよりも保身である。皇帝というのは、床の相手に困ることはないが意外に不自由だ。
「どっちだって構いやしませんけど、誰でもいいっていうんなら、なおさら早く奥方を下賜して下さいよ。この浮世離れした奥方なら、賞味期間が長持ちしそうだ」
涎を垂らしそうなロゥギの発言にびくりとして、エクスカリュウトの服を掴むルドヴィニアの力が強まる。その身体を軽く担ぎ直して、エクスカリュウトはふっと笑った。
「飽いてもやらんよ。それに誰でもいいということもない。これは生涯私の奥だ。そう誓わせておるからな」
そこにきっと、愛情はない。
ルドヴィニアとエクスカリュウトを繋ぐ絆は、きっともっと残酷で、そうして遥かに強いものだ。
けれどもそれに縋っても、ルドヴィニアは他の誰でもなく、エクスカリュウトの妻であり続けたかった。それが恋なのか意地なのか執着なのか、わからなくなりかけてしまっていても……。
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