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「それにしてもマルタ、皇帝陛下のお妾さんになっているだなんて、大層な出世をしたもんだね。どうやって見初められたの?」


 皇帝の寵姫エスメルタを、マルタ、マルタと親しげに呼び捨てながら、ヴェルヴィオイは話を続けてゆく。もっとも、代名詞にかえたところで『あんた』なので、それもどうかという状況ではある。


「出逢いはごくごくありきたりよ。タンディアで遊女をしてきて、御店おたなの看板歌姫になったものだから、皇宮の宴席で歌わせてもらえることになってね。それから、そう……、エクスカリュウト陛下とは、今にして考えれば、ヴィーに取り持ってもらった御縁と言えなくもないのよね」


「俺? どゆこと?」


 ヴェルヴィオイはまるで意味不明といった顔つきをしているが、それはその宴席でエクスカリュウトの警護に就いていた、アミスターゼにも初耳であった。当然キルシも驚き顔で、主人らの邪魔をせぬよう静かに控えながらも、興味津々といった風情で、全身を耳にしているのが見てとれる。


「歌い終わった後に、皇帝陛下のお酌につくことになって、その時に、心の底から思ったものだから、そのまま陛下に申し上げたのよ。『何だかとてもお懐かしい気がします』って……。

 そのままタンディアに帰されることなく、陛下に落籍をして頂いて、後宮にこの御部屋を賜って、御部屋様なんて呼ばれるようになって今に至るわ。陛下の妾になって、初めてお召しを頂いた時に、あたくしを身請けして下さった理由をお伺いしたら、ね、あたくしのお酌を受けながら、陛下ご自身が感じてらっしゃったことと、同じようなことを告げられたから――、と」


「うわ、あの皇帝そうやって口説くんだ。二人出逢ったのは運命なんだ、みたいな」


「そういうこと、言わないの。陛下は男振りの良い御方だし、何といっても皇帝陛下ですもの、物語の主人公にでもなったみたいな気持ちになって、あたくしとてもどきどきしたんだから」


 茶化すヴェルヴィオイを、エスメルタは窘めた。こうして惚気話にしてしまえば、陳腐に響くかもしれないが、その夜のエクスカリュウトとの寝物語は夢のように甘かった。


「存じ上げるはずもない雲の上の御方を、どうして懐かしいなんて感じたのか、自分でもずっと不思議だったのだけれど、今日ヴィーを見た時に、一息に謎が解けたわ。あたくしの思い出の中にいた、小さな男の子の面影と、陛下のお顔が重なっていたんだわって。

 皇后陛下のご養子君のことは、最初から気になっていたのよ。ヴェルヴィオイなんて珍しい名前だし、歳だって確かそのくらい。ひょっとしてあたくしの知っているヴィーじゃないの? ヴィーじゃないの? って」


「そっか。おかしな縁があったもんだね。あんたの立身には役立ったみたいだけど、その皇帝に似てる似てるって言われまくる顔のせいで、俺は今、こうしておもちゃにされてるんだよね。皇后陛下の生き人形って」


 それが、大方の人間の見方であるのだと、ヴェルヴィオイにはよくわかっていた。自分の最も知りたいことはあやふやにされたまま、それ以外の何になれというのかとも思う。


「あなたの噂は、色々と耳に入ってきていてよ。皇后陛下が所有なさるにしては、ずいぶんと危ないお人形よね」


「それ、皇后に言ってやってよ」


「言えるわけがないでしょう? あたくしが視界の真ん中に収まっていても、きれいさっぱりと無視してのけて下さるような方よ」


 夫の愛妾などという汚らしいものは、たとえ瞳に映っていたとしても見はしない。非常にきっぱりとしたルドヴィニアの態度だった。

 後宮入りの挨拶のための目通りだけは許されたものの、ルドヴィニアとの会話は全てゼラルデと宮女長を介して行われ、エスメルタはルドヴィニアからただ一度、億劫そうに頷かれただけである。


「それだけ皇后にしたら、マルタの存在が目障りだってことじゃないの? 競争相手は他にも大勢いるんでしょ? 御正室に完全無視されちゃうくらい、皇帝に可愛がられているならそれでいいじゃない」


「何ていうか……、実に前向きな考え方ね」

「皇帝陛下のお妾さんなんてさ、それくらいの意気でなきゃつとまんないって」

「御立派な皇后陛下の、ご養子君のお言葉とはまるで思えないわね」


「でしょ。こんな場違いな檻の中で、俺を飼い馴らそうっていうのがそもそもの間違いなんだよ。馬鹿も休み休み言えってね」


 主君の傲岸不遜な暴言に、アミスターゼがその背後で、そっと額を押さえている。勅命によりヴェルヴィオイの守役へ就かされた彼の、日頃の苦労が忍ばれる姿であった。



「相変わらず、口の減らない子ねえ……。もう二度と家には帰れないのでしょう? ミレーヌは元気にしているの? あなたのことを心配しているのではなくて?」


「さあね。しばらく会ってなかったし、別れも言ってきてないし、わっかんないや」


 親身になるエスメルタに、ヴェルヴィオイはそっけなく答えた。己もまた諸事情により、まだ雛の年頃で親元を離れざるを得なかったアミスターゼには、思春期の少年らしい強がりにも聞こえた。


「冷たい言い種ね。ミレーヌはヴィーの、たった一人の身内なのでしょう?」


 ヴェルヴィオイが後にしてきた、家族構成を暴くエスメルタのその問いかけに、ヴェルヴィオイが何気なく膝に置いていた両手をぐっと握り締めるのを、アミスターゼの双眸は注意深く捉えていた。


 たった一人の身内。

 たった一人の母親。


 ルドヴィニアの養子とされていようとも、ヴェルヴィオイの瞼に浮かぶ母親は、この世にミレーヌ一人きりだ。

 父親はいない。いたことがない。かもしれない男は、ヴェルヴィオイを前にして、自分の子はマルソフィリカだけだと言い切った――。


「そうなんだけどね、俺がこうしてここで暮らすことには、ちゃあんとミレーヌも同意しているらしいんだよ。俺がふらふら家出してる間に、大人の話が纏まっちゃってたみたいでさ、街中からいきなり連れてこられるんだから笑っちゃうよね。俺は皇后に、一体いくらで売り飛ばされたんだろうって思うよ」


 指先の力みを抜きながら、ヴェルヴィオイは悲愴な身の上話を明るく語った。暗い顔を見せられるよりも悲しくなって、エスメルタは感情的に否定した。


「まさか。お金は積まれたのかもしれないけれど、お偉い様には逆らえなくて、ミレーヌは泣く泣くヴィーを手放したに決まっているわ」


「さあどうだかね、ミレーヌは割に合わない商談はしない女だよ。マルタはさ、自分がどうして、タンディアの遊女になったんだか、忘れた?」


「そう言われればそんな気もしてくるわねえ……」


「俺は一応、跡取り息子だったからね。女の相場なら目星がつくんだけどさ、男の値段まではさすがに知らないなあ」


「あなたみたいな子供が、一端の女衒ぜげんみたいな口利くなんて世も末よねえ」


「女衒!?」

 それまで無言で、情報収集に徹していたアミスターゼであったが、ここに至って堪え切れずに驚愕の声を漏らしてしまった。



「先ほどから、まるで話が見えないのですが、あなたは一体何の跡取りです?」

「そんな人様に、自慢できるような家業じゃないから」


「へらへらなさって、謙遜ではなく根性悪で、口を噤んでらっしゃるでしょう? ヴェルヴィオイ様」


「あらアミスターゼ、あなたそんなことも知らないで、ヴィーのお守りをしていたの? お気の毒様」


 長椅子の背を掴み、そこから身を乗り出して、ヴェルヴィオイに詰め寄るアミスターゼを同情的に眺めやり、それからエスメルタはヴェルヴィオイに向き直った。


「どうして教えてあげなかったの? あなたのおうちの生業を、知っているのといないのでは、アミスターゼもずいぶん心構えが違ってくると思うわ」


「うーん、だけどさ、ばれたらばれたでしょうがないよねーとは思うけど、皇后が皇帝に内緒にしたことを、俺の口からばらしちゃうのはさすがに不味いかなーって」


「それもそうねえ。あの厳格な、皇后陛下のご養子君が、ねえ……」

 エスメルタは、複雑怪奇な顰め面をした。


「あたくしも、何も知らないふりをしていた方が良さそうね。あなたのとんでもない出自を、言いふらしたように思われるのは御免だわ」


「今さら言う? 公衆の面前で、あれだけ目立つ再会をしててさ。後宮の女の人たちって暇そうだし、きっともう色々詮索されてると思うよ」


「あらやだ! あたくし派手にやっちゃったかしら?」


 焦るエスメルタを尻目に長椅子から立ち上がり、傍らに投げ出していた天文学の資料を小脇に抱えて、ヴェルヴィオイは身勝手に帰り支度をしてからひらひらと手を振った。


「アスターと、そこにいる宮女のお姉さんには、ばっちり聞かせちゃったしね。皇帝陛下からそのうちに、直々にお調べってやつはあるんじゃない? ねえ、マルタ、愉しい夜になるといいね。じゃ、またね」

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