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「何、だって――!?」

 それまで頭上で交わされる計り知れない会話に、じっと耳を傾けながら大人しく控えていたヴェルヴィオイであったが、ゼラルデの発言の中に、聞き捨てならない言葉を拾い上げて、血相を変えてがばと立ち上がった。


「何をしておる! 控えよ!!」

 即座にゼラルデが叱責するが、ヴェルヴィオイはびくともしない。それどころか、


「いっちいち煩い婆さんだなあ。母親に売られた子供が、衝撃のあまりにいたく傷ついてるんだからさ、ちょっとくらいは大目に見てくれたっていいじゃないか――、ねえ」

 とてもそうは見えないふてぶてしさで主張して、その時だけは実に愛嬌のある眼差しを投げて寄越しながら、ルドヴィニアに同意を求めた。


 大国の王女として生まれ育ち、嫁して一国の皇后へと登り詰めたルドヴィニアに、未だかつてこのように、気安く話し掛けられた経験はない。あまりのことに唖然として、とっさに返す言葉も見つけられなかった。


「ミレーヌなら、そのくらい平気でやるって知ってるけどさ。くっそっ、やられたっ。なんて酷い母親なんだっ……!」


 蝋のような顔色で、扇を握り締めているルドヴィニアをよそに、ヴェルヴィオイは口惜しげに嘆き続けている。呆れ果てながらゼラルデはヴェルヴィオイに問うた。

「酷いと言ったか? ミレーヌはお前の為に、最善の道を選んだのだぞ」


 ゼラルデが思うところの母の愛に対する、ヴェルヴィオイの回答は、至って冷ややかなものであった。


「知るかよ、そんなの。そうだとしても勝手過ぎるね。何の説明もなしで、いきなり気絶させられて、こんな所に連れて来られることが最善だっていうんなら、俺の最悪っていうのはどれだけ悲惨なんだよ」


「そうだな――、誰何すいかの声も上げられぬまま、闇に葬られることくらいは覚悟しておいて貰おうか」


 半ば脅しつけるようにゼラルデは言った。実際その懸念が無いとは言えないのだ。いつどんな理由で、誰から目を付けられてもおかしくはない容貌の少年だ。皇后の養子に迎えることを皇帝が承認すれば、さらにその身に迫る危険は増すだろう。


「何で俺が……、そんなこと、覚悟しなくちゃならないのさ!?」

 肝心要の事実を知らないヴェルヴィオイには、そこのところがまるでわからない。ゼラルデはにべも無く言った。

「知る必要はない。それよりも口を慎むのだな。皇后陛下の御前であるぞ!」

「皇后陛下? ああ――」


 改めて、ゾライユで最も高貴な女性を前にしているのだと宣告されても、ヴェルヴィオイの顔色は変わらなかった。

 それまでゼラルデを睨みつけていたきつい水色の瞳が、思い出したようにルドヴィニアへ流されたかと思うと、品定めでもするように、その全身を上から下まで一撫でした。


「へえ、声と同じで、ずいぶん若くて可愛いらしい人なんだね。皇后陛下なんてくっそ偉そうな肩書きだから、一体どんな高慢ちきで、嫌味なばばあなんだろうって想像してたんだけど」


 感じたままを極々素直に述べたものらしく、ヴェルヴィオイはルドヴィニアに向けて、聞きようによっては侮辱にも、口説き文句にも取れるような軽口を叩いた。

 分をわきまえぬ不遜さに、ゼラルデは開いた口が塞がらなかった。主君の様子を窺ってみれば、倍近くも年下の少年に可愛いらしいなどと評されて、ルドヴィニアはあらゆる感情を通り越して、卒倒寸前の風情である。


「皇后陛下に対し、なんたる無礼な物言いをする!」

「褒めたつもりなんだけどなあ。気に入らなかった?」

 激昂するゼラルデとは対照的に、ヴェルヴィオイは飄々としている。


「……お下げなさい」

 ぶるぶると手指を震わせながら、ルドヴィニアは閉じた扇の先で、高飛車にヴェルヴィオイを指した。


「この者を、即刻ここからお下げなさい! 気分が良くありません。わたくしはしばらく休みます!」

 有無を言わさぬ口調で命じると、ルドヴィニアはヴェルヴィオイが視界に入るのを遮断するように、ぱらりと扇を広げ表情を隠した。


「畏まりました」

 恭しくゼラルデは答え、ヴェルヴィオイをせっついて扉に向かわせた。厳しく人払いを言い付けてあるので、部屋の中から呼び鈴を鳴らす程度では宮女たちはやってこない。

 控えの間を通り越し、廊下に待機させていた宮女を呼んで、ヴェルヴィオイの監視と世話を任せると、ゼラルデは一人、皇后の客人の間へと踵を返した。



*****



「……あれをわたくしの養子にしろとそなたは言うのですか?」


 戻ってきたゼラルデに、ルドヴィニアは非難めいた眼差しを向けた。真実エクスカリュウトの血を引いていようとも、問題はその育ち方だ。

 市井の、それも、よりにもよって娼婦の息子とは――。左側妃ヘルガフィラを始めとした、後宮の数ある女たちの嘲笑が聞こえるようだ。


「母親の育て方が至らなかっただけでございます。磨けば光る珠となりましょう」

 ゼラルデは頑として譲らない。ルドヴィニアは頭痛を覚えてこめかみを押さえた。

「……だといいのですけれど……」


 ゼラルデが言うことにも、確かに一理あるかもしれない。生意気で口が減らない少年であったが、佇まいは決して悪くはなかった。そして何といってもあの顔だ。少年時代のエクスカリュウトに生き写しな――。黙っていれば卑賤の育ちとは、わからないかもしれない。


「案ずることはございません。皇宮にありながら萎縮せず、卑屈さの影は微塵も見せず、物怖じせぬ気性はむしろ頼もしくありましょう。一流の師を揃え、最高の教育を施す手筈は既に整えてございます」

「……」

「後は、守役となる衛士の選定をなさって下さいませ、ルドヴィニア様。こればかりはわたくしの管轄外でございますれば」


 ゼラルデはどうあっても、ヴェルヴィオイを本物の公達きんだちに化けさせるつもりのようである。そんなことは、ゼラルデとネモシリングとで決定してくれればいいとルドヴィニアは思うのだが、水と油のような二人は相変わらずの険悪さで、皇后付き筆頭衛士である己にすら、ヴェルヴィオイの素性を明かせないというゼラルデに、ネモシリングは非常に腹を立てている。


「ネモとよく相談をしなければね。優秀でなおかつ、陛下のご了承を得られるような人選を……。守役以前に、あれをわたくしの養子としてお認め頂けるものかどうか、大いに疑問ですけれど」

 そう答えて、ルドヴィニアは青色の吐息を漏らした。


 エクスカリュウトは、後宮の女たちのわがままに対して寛容である。けれどもそれは、取るに足ら無いと判断した場合に限ってのことだ。

 ルドヴィニアが養子を取りたいと申し入れた件に関して、エクスカリュウトは返事を保留にしている。当然といえば当然のことだが、あくまでも候補の子供をその目で確かめてからだというのだ。


 自分にそっくりなヴェルヴィオイを目の当たりにした時、夫は果たしてどのような反応を示すのだろう? その年齢と母譲りの瞳は、エクスカリュウトに何を訴えかけるのだろうか――?


 悪い予想を始めると際限がなくなった。

 暗い気持ちでルドヴィニアは、その裁きの時が訪れるのを待っているしかなかった。

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