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 ルドヴィニアの願いをよそに、占領軍最高司令官アズワルドは、なんとか彼女をゾライユ帝国外へ逃がそうと考えたが、結局それはならなかった。

 城塞都市ズウェワから発された、皇帝エクスカリュウトの旗揚げ声明は、その下に集った騎馬遊牧民の疾風迅雷の機動力により拡散され、ゾライユ帝国民を女子供や老人に至るまで大きく奮い立たせていた。


 十になるやならずやの子供といえども、それが束になって投石のためのつぶてを持てば、恐ろしいまでの――しかも、相手に与える心的外傷は計り知れない――戦力となり得る。

 全ての帝国人を敵に回して、数と気力で劣る占領軍は、多数の駐屯地を放棄せざるを得なくなり、敗走の報ばかりが続々と届けられる中で、必ずルドヴィニアを護りおおせるという安全確実な逃走経路を、アズワルドは確保することができなかった。


 ゾライユ国内における占領軍の敗色は、もはや占領軍と呼んでよいものかどうか疑わしいくらいに濃厚であったが、さらによろしくないことに、ロジェンターの本国からの救援は、一切望めないという苦境にあった。


 先の戦で主戦場となったのは、二国の勢力圏がぶつかり合うところ。それはロジェンターの領土でも、ゾライユの皇帝領でもなく、ロジェンターの属国であり、ゾライユの土侯国であり、及びそれらの予備軍である。

 戦略上の要所として、あるいはただ、自陣とするための占有を目的として、両国に激しく取り合われた都市や集落は、めまぐるしく掲げる旗を取り換えさせられた挙句の果てに、焼き討ちを受けて崩壊するという悲惨な末路を辿っていた。


 戦勝国であるロジェンターには、それらの亡国から流れ込んだ難民問題が山積しており、さらに滅亡まではゆかぬまでも、国土を荒廃させられた属国からは深い恨みを買っていて、ロジェンター王ウォストラル三世は、足元の火の粉を振り払うのに忙しく、必要とされる人件に対して、限りなく実入りの少ないゾライユの扱いを、もはや持て余し気味にしていた。



 戦争で、ロジェンターは勝ち過ぎた。

 要人の身柄と引き換えに、取れるだけの身代金を毟り取り、金満な都市と肥沃な土地を割譲させて、ゾライユの国力を大きく削ぐだけで手を打っていれば良かったものを……。

 『餓狼皇帝』ケイラジウロを斃した勢いに乗じて、帝都アスハルフを陥落させたことで慢心し、ウォストラル三世は、ゾライユ全土を支配――つまり……、ロジェンターがもともと覇権を持つ西に、ゾライユが従えてきた東を合わせて、北方統一に限りなく近づけるという欲を出してしまった。


 ゾライユという帝国は、皇帝がいて初めて纏まる国だ。

 ケイラジウロの崩御によって、本営を失くしたゾライユ軍は、師団同士の連携に欠き急激に弱体化した。

 その時ゾライユでは、第二皇子による皇太子の弑逆しいぎゃくを発端に、母や妃の郷を後ろ盾にした異腹の皇子たちが、ロジェンターとの戦争そっちのけで帝位を争っていたという呆れた内情が、ロジェンター側に判明したのは戦後のことである。


 ウォストラル三世はその中から、帝位争いから早々に撥ねられて前線に送られ、半ば見殺しにされる形で補給を欠いて、終戦時にはロジェンターの捕虜となっていた、ケイラジウロの十何人目かの末子エクスカリュウトを選び傀儡に立てた。ただ、ルドヴィニアの胎を大きくさせ、ロジェンターにとって都合のいい皇太子を産ませる、皇帝という名の種馬とするために。


 そしてそのことが、今――。

 皮肉にも、一度は瓦解しかけていたゾライユを、一枚岩の帝国にしていた。


 何の後ろ盾も持たない、だから何のしがらみもない、それゆえに……、ロジェンターの間隙を縫い、危険を冒して懸命に働き掛けたエクスカリュウトの声は、部族や派閥の垣根を越えて、ロジェンターに反旗を翻すため、守り立ててゆく主君を欲していた、ゾライユ各地の土侯たちの胸に響いた。

 数年に渡る虜囚生活で腐らせることもなく、むしろ鋭く研ぎ澄まされてきたエクスカリュウトの不屈の精神は、その翳りを帯びた、きつく麗しい容貌と相まって、多くの者を魅了していた。



 その心根や功績を讃えて、あるいは畏怖や揶揄をして、ゾライユの民衆は皇帝に二つ名を贈る習わしである。

 ゾライユの国と誇りを取り戻すため、ロジェンターの鎖を切って立ち上がり、帝国民という群れを統率し、鼓舞するエクスカリュウトは、いつしか強き狼の心持つ皇帝、『狼心皇帝』と呼ばれるようになっていた。



*****



 ぴうぴうと木枯らしが吹き始め、ひたひたと冬将軍の足音が近づいてくる。

 あの思い出深い夜宴の日……、夫と初夜を迎えた日から二年を数えて、ルドヴィニアは十五歳になっていた。


 冬の間、戦は止まる。ゾライユやロジェンターのような北方においては、雪と寒さが敵味方共通の脅威となって、分け隔てなく双方に襲いかかってくるからだ。

 ゾライユの帝都アスハルフは、しかし、『氷の都』の異名のままに、雪と氷で固く閉ざされてしまうのを待たずして、今日明日にもいよいよ落ちようとしていた。


 もうすぐまみえるエクスカリュウトに温情を願い、ルドヴィニアの無事を祈りながらアズワルドは、占領軍の代表として、皇帝に差し出すための首を洗い、全軍に武装解除を命じて白旗を掲げさせた。

 ネモシリングを始めとして、最後の一兵卒まで抵抗をと、異議を唱える者は当然いたが、城壁の門も、皇宮の門も、そうして後宮の門までも、皇帝の帰還を待ち兼ねるアスハルフの民衆が、占領軍を押し退けて、内から外から開けてしまうのだ……。


 勝ち目はもはや、万に一つもあろうはずもなく、アズワルドは、非情な王に見放された哀れな兵士たちを、こんな異国で犬死にさせるよりも、家族や恋人の待つロジェンターに、一人でも多く生かして帰してやりたかった。


 アスハルフの皇宮は、ようやく還り来たるエクスカリュウトのための宮殿であるから、民衆は間違っても荒らしはしない。

 後宮の最奥にある皇妃の室に、最初に到達するのがエクスカリュウトであるならば、その場でルドヴィニアが害されてしまうことはないだろう。


 ――だってわたくし、エクスカリュウト陛下に、神かけて誓いを立ててしまいましたもの。ずっと陛下の妻でいますと。絶対に陛下をお待ちしておりますと。


 最後の最後に、アズワルドが縋ったのは、エクスカリュウトがルドヴィニアに立てさせた、あの誓いだった。

 この先ルドヴィニアに、どんな運命が待ち受けているのかわからない。それでも……。アズワルドは、祖国にいる孫娘の姿を重ねて見守り慈しんできた、純真な王女ルドヴィニアに、どうか強く生きて欲しかった。

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