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「皇妃付きの宮女を務めていた女が、今では娼館の女主人というわけか。落ちぶれたものよな、クリスティナ」
薄暗い部屋の大部分を占めている、大きな寝台を汚らわしげに眺めながら、女は閉じた扉を背にして吐き棄てるようにそう言った。
「そうはおっしゃいますけどね、未婚の娘が子を抱えて生きるのは、あなたが考えておられるよりも、ずっと大変なことでしたのよ」
造りつけの棚の鍵を開け、酒瓶と二つの杯を取り出して、ミレーヌは火酒を注いで女に勧めた。
「わたくしが世話してやった婿はどうした?」
渡された酒の香を胡散臭げに嗅ぎつつ、女が発した問いかけに、ミレーヌは耳障りな声を上げて笑った。
「どうしたもこうしたも、すべてご存知の上で今日こちらへいらしたのでしょう? あなたのお知り合いのお知り合いだったか、遠縁だったかのお坊ちゃまには、貴人に胤を蒔かれた身重の女を、引き受けるだけの度量がなかった、それだけですわ」
「お前は一度ロジェンターへ帰ったはずだ。何故またアスハルフにいる?」
「木の葉を隠すなら森へ――と、申しますでしょう」
強い火酒で唇を湿し、ミレーヌは寝台に腰掛けると、長い脚を組んだ。
「あの子の血のような赤い髪は、かの国では目立ち過ぎてしまいますもの」
「あの子、か」
「父親そっくりに育ちましてよ。乳母様の、ご注文通りかしらね」
女の思惑などお見通しだと言わんばかりに、ミレーヌは女を流し見た。
「お可哀想なルドヴィニア様。あの方の御子を、まだお授かりになっておられないのでしょう? 下々の者にまで、とうに噂は流れ着いておりますのよ。あの方はルドヴィニア様を、もう何年もご寝所にお渡しになっていらっしゃらないって。あの愚鈍なルドヴィニア様では、あの方を惹き付けることなど、この先もきっと、ご無理でしょうけれど」
「わたくしのルドヴィニア様を、馬鹿にするでない!」
「おお怖いこと! あなたは少しもお変わりにならないのね」
ミレーヌは大仰に怯えたふりをして見せた。女は侮蔑するような眼差しをミレーヌに向けた。
「お前はずいぶんと変わってしまったな。昔は清く賢しい娘だったのに」
「あたくしをこのような女にしたのは、あなたですわよ、乳母様」
ことりと杯を脇机に置き、ミレーヌは娼婦の仮面を取り払って冷やかに女を見つめた。
「幼かったルドヴィニア様の身代わりに、あたくしをあの方に差し出したのはあなた。あの方のお傍から、あたくしを引き離したのもあなた。あたくしの人生を狂わせたのはあなたですわ」
「全てはルドヴィニア様の為。悔いはしていない」
「そう。ルドヴィニア様を、何も知らず何もできぬ姫様にお育てなさったのはあなたでしたわね」
「笑止な。ルドヴィニア様はあらゆる教養を身に着けた、完璧な淑女でいらっしゃる。娼婦に落ちたお前などが、何を言ったところで負け惜しみにしか聞こえぬよ」
「本当に、お可哀想なルドヴィニア様……」
ミレーヌは心の底から哀れむようにそう言った。
「御託はもう、結構ですわ。ご清潔な乳母様が、このようなところへいらした理由をそろそろ教えては下さいませんこと? あたくしは多忙ですの。あたくしに逢いにいらっしゃる殿方が、列を成してお待ちですから」
「この淫婦が」
「商談は冷静にするものですわよ、乳母様」
女の罵りに堪えた風もなく、ミレーヌは組んだ膝の上に頬杖をついて煽るように言った。
「欲しいものがあるなら、はっきりとお言いなさいな」
女は忌々しげにミレーヌを睨んだ。
「お前は息子を、一体どこに隠匿している?」
「隠匿、などと、人聞きの悪いことを」
愛しい一人息子の姿を心に思い描いて、ミレーヌは瞳を得意げに輝かせた。
「あの子はもう十五ですのよ。自分の頭で考え、自分の意思で行動できる年齢です。今ここにいないのは、他にもっといたい場所があるからでしょう」
「クリスティナ、わたくしはお前の息子を迎えに来たのだよ。ルドヴィニア様が養子とされる男子を捜しておられるのだ、悪い話ではないだろう?」
「偉そうに、何をおっしゃるやら」
杯に残った酒を、ばしゃりと女の顔にかけて、ミレーヌは昂然と細い眉を吊り上げた。
「お前の息子、ですって? あの子は、あたくしの可愛いヴィーは、この国の皇帝陛下の唯一人の皇子ですのよ、お分かりかしら乳母様?」
「――その可愛い皇子を、皇帝陛下に会わせてやりたくはないか?」
白髪混じりの髪から、酒の雫をぽたぽたと滴らせながら、女は薄気味悪い猫撫で声で囁いた。
「その尊い血に相応しい地位につけ、栄華を与えてやりたくはないか?」
「……」
「ルドヴィニア様ならそれがお出来になる。皇子の行く末を案じるならば良く考えるがいい」
ミレーヌはしばらく大人しく聞いていたが、口元に手の甲を当てて高らかに笑った。
「何が可笑しい?」
「ずいぶんと恩着せがましくおっしゃること、ルドヴィニア様のお立場は、今やそれほど危うくていらっしゃるのね、いい気味ですわ」
「クリスティナ!」
「あたくしは、ミレーヌですわ、乳母様」
同性から見てもぞっとするような、艶めかしい眼差しを女に投げかけて、ミレーヌは高圧的に言葉を継いだ。
「ヴィーが欲しいんですのね、よろしくてよ。あの子もそろそろ自分の出生を知っても良い頃でしょうから。もしもあの子自身が、玉座を望むというのなら、連れてゆかれるがいいわ」
「皇子はどこにいる?」
「そうですわね、この花街のいずれかにおりますわ。故国でとうの昔に死んだはずの、あたくしの居所を訪ね当てたのですから、さぞかし鼻の利く犬を飼っておいでなのでしょう? ご自分の足でお捜しなさいませ」
「もはや後戻りはできぬぞ。お前は二度と皇子に会えぬかもしれぬ。後悔はないな?」
脅すように女は念を押した。
「もちろんですわ、乳母様」
答えるミレーヌの目に迷いは無かった。若き日の『狼心皇帝』を、虜にしていた異国の美女は、落とし胤の皇子の先行きにうっとりと思いを馳せた。
「ヴィーには帝王の相があるのですもの。飾り物のような皇后のご威光など、あの子の踏み台にしかなりませんけれど、無いよりはましですものね」
「本当に見下げた女に成り果てたものだな」
「真実を申し上げたまでですわ、乳母様。ルドヴィニア様に、せいぜいご忠告なさいませ」
ミレーヌは勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。
「ヴェルヴィオイに、喰らわれてしまわれませぬようにと――」
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