6章:望月白香は不器用な変態である

30桜間環は瀬谷藍と交換する

 かちゃり、とここ何日かは聞き慣れた金属音。

 それが、じゃらんと派手に固い音を立てて、床に落ちる。十日ほど私を拘束していた鎖は、鍵を外されあっけなく役目を終えた。

 久方ぶりに自由になった解放感で、足を上げ下げする。おお、軽い。身軽だー!


「ごめんね。長い間この可愛らしい足首を縛り付けてしまって」


 藍ちゃんは、いたわるように足首をすっと撫でた。

 鉄の枷で覆われていた箇所を、まんべんなくぐるりとさすってから。彼女の長い指は、ふくらはぎまで伸びる。



 …………。



 あの、藍ちゃん。

 手つきが、いやらしいです。



「とはいえ。ボクの心情としては、このままずっとボクの手元で繋いでおきたいんだけどね。

 そうだ、今度やるときは、肌に当たる部分がファーで覆われてる枷にしようか。それなら繋いでても痛くないよね」



 はい!

 はい、話題を変えましょう!!


 なまじ前科があるだけに、一切冗談に聞こえません!!

 てか数秒前と言ってること違いますけどー!!!

 今度は捕まったら、それこそもう二度と解放してもらえない気ィするぅー!!!!!



「ととと、ところで藍ちゃん!

 後で、蒼兄……というか、人狼の方の蒼兄に、怒られない?」



 穏便に解放されたのは、こちらとしては勿論ありがたい。

 だけど、そう易々と私を自由にしてしまって、藍ちゃんの立場がどうなるかは心配である。


 これは藍ちゃんの策謀ではあるけど、私を若林くんから遠ざけること自体は、人狼の蒼兄も賛同していたことなのだ。

 もう一人の『蒼夜様』がどうなのか、そもそも他の人狼の人たちがどういうスタンスでいるのか、藍ちゃんの立場が今後どうなるのか、人狼側の事情は正直、全く予想が付かない。


「心配には及ばないよ」


 だが藍ちゃんは、事も無げに、さらりと答える。



「ボクは蒼夜様の下僕だからね。多少、叱責はされるかもしれないけど。もし折檻されたとして、それはそれでご褒美だ」



 待って。



 待ってそれ。

 待って藍ちゃん。

 待って待って何ソレ藍ちゃん。


 ちょ……ちょっと聞き捨てなりませんよ……。

 えっちょっ、げぼ……。




 げぼく……。




 ……今は状況が状況だから言及してる暇がないけど、後でじっくりお聞きしましょうね!?




 唐突にぶっこまれたフレーズに、ちょっと思考回路が遠くへ逝きかけた、いや行きかけたのだけれども。

 突如ドガンと盛大に鳴り響いた音に、びくりとして私は我に返った。


 音が鳴ったのは、玄関の方だ。

 討ち入りにでも来たかという勢いで、ドアが叩かれた音だった。


 いや。

 多分、この威力は、足だな?

 足で思いっきり蹴ってるな?



 一体何事だろう。もしや、さっき暴れてた件の苦情か!?

 などと怖じ気づいていると。



「白香。無事か!?」



 馴染み深い、しかし今はちょっとばかり懐かしいテノールボイスが聞こえて、私は目を見開いた。半信半疑のまま藍ちゃんと視線を交わし、鍵を開けドアを開くと。

 瞬間、真正面から苦しいほどに抱きしめられて、身動きが取れなくなった。


「よかった。白香、悪い、遅くなった」


 そこに居たのは、非常に物々しい装いの環だった。


 見目麗しい装いはいつも通りだが、サマンサタバサのバッグからは、バールのようなものが覗いている。決して女子大生の可愛らしいバッグから……いや男子大生だろうが社会人だろうが、その手の業者以外のバッグからこんにちはしてていいシロモノではない。


 それだけではなかった。空いた手には東急ハンズの袋を下げており、ちらりと一瞥しただけで、そこにはノコギリやカナヅチがインしているのが分かる。



 環、職質されなかった……?

 大丈夫……?



「うん。私は大丈夫、だけど。環、どうして?」



 環からは頻繁に連絡は来ていた。けど私の記憶にある限りじゃ、昨日の段階でも環は特に疑っていなかったはずだ。

 それに、環は私の家の場所を知らない。サークル名簿には住所が載っているけど、途中入会の環にはまだ渡されていないはずだ。


 環は、ひとまず私が無事であることをひとしきり確認した後で。

 私の質問に低い声で答える。


「若林に言われたんだよ。お前を助けに行ってくれって。瀬谷に監禁されてるからって」


 どこか悔しそうな表情で、環は前髪をかきあげる。


「何が親友だ。俺は、お前の異変に気づけなかった」

「だけど、それは」


 環を含め、藍ちゃんは私のところに来た連絡に全てきっちり返信している。その文面は、驚くほど私の特徴を巧妙に真似ていた。文面だけじゃ気付きようがなかっただろう。

 いくら環だって、無理はない。


 けれど、続けようと思った「仕方ないよ」という言葉は、環の唸るようなに声にかき消される。



「誰も疑ってやしなかった。奥村すら、返ってきた内容に納得して、問題ないだろうとの判断を下していたんだ。

 だけど、たった一人。たった一人だ。

 若林だけが、気付いた」



 その言葉に、私は開きかけていた口を、再び閉ざした。



「おかしいと思ったあいつは、今日サークルをサボってここに確かめに来て、瀬谷に捕まってるお前を発見した。それから奥村と俺に連絡を寄越したんだ」

「どうして」


 うわごとのように呟いて。

 そして、今更ながらに思い出した。



 さっき。若林くんは、一人だけで。

 確証がないままに、私を案じてここに来てくれたのだ。



 その事実に、何故か胸が締め付けられる思いがして。

 私は、自分の手首をそっと握りしめた。



「けど、なんだ。俺は、瀬谷をぶっ飛ばすことも辞さない覚悟で来たんだが。

 これは、どういう状況なんだよ」


 ようやく私を解放すると、環は困惑した様子で、私と後ろの藍ちゃんを見比べた。

 それはそうだろう。藍ちゃんが止める様子がないのは元より、私が普通にドアを開けたという状況そのものが、まず前提と違っているのだ。


「見たとおりだよ」


 藍ちゃんは肩をすくめる。


「君たちと同じように。ボクも白香ちゃんにほだされてしまった。

 ひとまず、ボクの目論見は保留にすることにする。ちょうど彼女を解放したところだ」


 しかし環は、油断せずに凄む。


「また何か企んでるんじゃねぇだろうな」

「だったらもっと今、ボクが全面に出て会話をかき乱してるよ。ボクはもう手を引いたんだ」

「信じられるか。この期に及んで何を言ってやがんだよ」


 やはり環は警戒したまま言った。

 と、藍ちゃんはおもむろに私の背後から抱きつき、頬ずりしてくる。


「心外だな。ボクはただ、可愛い白香ちゃんの望みを叶えてあげたいだけなのに」


 胴に回された手が、するりと腰を撫で、胸のぎりぎり下、あばら骨の辺りに触れる。


 あの、藍ちゃん。

 手つきが、いやらしいです。


「ああ。手を引いたってのは、若林に対してのことで、白香ちゃん個人に対しては手を引くつもりはないんだけどね?」


 そんなこと、言いそうな気がしてたぁー!

 だんだん藍ちゃんのこと分かってきたぞ-!!!



 環は、ひくりと口を引きつらせた。


「おい。どさくさに紛れてなにしてやがる」

「なにって、ボクの愛情表現だよ。こうすれば疑心暗鬼にまみれた桜間も、ボクの愛を信じてくれるかなと思ってさ」

「分かった。言いたいことはよく分かったから白香から離れろこの色魔」

「嫉妬は見苦しいねぇ桜間。ただのスキンシップなのに」


 数日前にはその通りだと頷けたけど、今は肯定できない。スキンシップ以上の何かをされるような気配がして、大変に怪しい。


 ともあれ、本題である。


「そういうことなの。だから、今から二人を止めに行こうとしてて」

「止めに、って」

「若林くんと蒼兄だよ。このままじゃ、二人とも危ない。詳しくは途中で話すよ。とにかく、早く行かなきゃ」


 私は環の手を引いた。

 が、難しい表情を浮かべて環はその場から動かない。


「どうしたもんかな」


 やがて、環はぽつりと言う。


「通報したんだ」

「通報って?」

「警察にだよ」

「警察!?」


 度肝を抜かれて私は裏返った声を上げた。

 環は気まずそうに頬をかく。


「さっき警察に『家に帰ったら窓ガラスが割られて部屋が荒らされてた』って通報したんだ。俺はただの人間だからな。正攻法な対抗手段を使わせてもらおうと思ってね。

 で、瀬谷に『白香を解放しなきゃ、今まで監禁してた事実をバラして、ついでに傷害もくっつけて突き出す』って脅すつもりだったんだ。

 ともあれ、どのみち警察は現場検証にもうすぐ来る」

「なんやて……」


 思わずエセ関西弁がでてしまう。

 しかし環の対応は至極まっとうなものだ。多分、立場が逆だとしても、私だって警察を呼ぶだろう。


 これから警察が来ること自体は、そこまで恐れることじゃない。窓ガラスが割れていることは事実なので、無難に対応はできるだろう。架空の泥棒のせいにしてしまうなら、アパート側にガラスの件を報告する時、もっともらしい理由ができる。

 だけど現場検証となると、間違いなく時間をとられてしまう。そんなことをしているうちに、手遅れになってしまうかもしれない。事情聴取を受けている暇なんてない。


「じゃあ。ボクが家主ってことにして、白香ちゃんの代わりに対応すればいいんじゃないかな」


 私と環が悶々と悩んでいると、涼しい声で藍ちゃんが名乗り出た。


「ボクは蒼夜様に、来るなときつく止められてるからね。同行しても火に油を注ぐだけだ。

 だったらボクが残って、白香ちゃんになりすますよ。そういうのは得意だからね」


 大変。

 望月白香がとんだイケメンになってしまう。


 いや、戯れ言はさておきですよ。


 その進言はありがたいけれども。

 警察に身分を騙るってのは、さすがにヤバいのではあるまいか。


「大丈夫だよ、白香ちゃん。ボクを誰だと思ってるの?」


 私の懸念を見越してか、藍ちゃんは怪しげな笑みを口元に浮かべてみせた。


「人を惑わすのは得意なんだ。君自身が身にしみて分かってるだろう? それくらいは簡単に騙ってみせるさ。

 警察側には記録が残らないよう、あやふやに誤魔化して、適当に煙に巻いておくよ」


 そう言ってから藍ちゃんは、今度は環に目を向ける。


「君もここに残るんだよ、桜間」

「はあ? どうして俺まで」


 あからさまに嫌そうな顔をして、環は不満の声を上げる。

 藍ちゃんはそんな環の腕を、がしりと掴んだ。


「通報したのは桜間だろう。私の声じゃ、通報したと言い張るには無理がある。私に代わって、代理で電話した彼氏って体にすれば、自然じゃないか」

「それこそ、お前のお得意の技でどうとでもすりゃいいだろ。俺は白香に着いていく」


 しかし藍ちゃんは環の腕を掴んだまま離さず、首を横に振った。


「駄目だよ。相手に不自然さを感じさせる要素があれば、ボクの暗示は途端に効かなくなってしまう。脆くて危うい、不確かなものなんだ。

 その不自然さをなくして上手く丸め込めれば、それは強固なものになるけれど。

 今回の場合は、君がいなければ、白香ちゃんの立場が危うくなる可能性が高くなるよ」

「理屈は分かったけどな」


 環は親指を立てて、自分の胸に突き立てた。


「この格好で彼氏だって主張する方が、よっぽど不審がられるだろうが。それこそ不自然極まりないだろ」

「ボクと君が服を交換すればいいだろう。背丈も体格も似てるから、どうにか着られると思うよ」


 なにそのサービス展開。

 あとで写真に撮って送ってください。


 環は、またもや口を引きつらせる。


「お前と服を交換……」

「不満?」

「不満以外の何があるんだよ……ちっくしょ……。

 分かったよ、やりゃいいんだろ、やりゃあ!」


 口では承諾したが、表情はすこぶる不服そうだった。

 満足げに頷いてから、藍ちゃんはぼそりと呟く。


「桜間には、折り入って話さなければならないこともあるからね。ちょうどいい機会なのかもしれない」


 その言葉に、環は怪訝な色を浮かべる。私も、はっとして顔を上げるが。

 彼女は先を続けず、どこか清々しいようすで私に告げる。


「行ってよ、白香ちゃん。こんなことをしておいて、図々しいのは百も承知だけど。

 バカなボクの間違いを、止めてはくれないか」


 続けて、環もため息混じりに、背中をとんと押してくれる。


「行け、白香。どうせお前は、止めても無駄だろうからな。

 後始末はこっちに任せろ。無茶だけはしてくれるなよ」



 黙って頷き。

 私は、すっかり日が落ちて暗くなった街へ、走り出した。

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