18メガネ男子と男装女子
「というわけで、能を観に行こう」
サークルの始まる直前。
私は安室くんから勧誘を受けていた。
安室くんは私の座る机の前から、ひょこりと顔を出し、息巻いたようすでばんばんと机を叩く。
机の上に彼が置いたのは、今週末に開催される能の公演のチラシだ。
昨日あの後。私は、安室くんとそこまで親しい仲じゃないという事実を憤りの前に忘れ、彼に着物と黒髪の親和性及び重要性から、萌というもの全般に至るまで、他の性癖も色々と引き合いに出しつつ、滾々と説教などをした。
一度に私の本性と性癖を目の当たりにし、安室くんはすっかり面食らってはいたが。
私がかつて能楽研究会に入るかどうか検討していた、という事実を知ると、気を取り直して勧誘する方向にシフトしたらしい。たくましいな。
「今度の日曜日、もし空いてたら。望月さん、バイトとかしてないでしょ」
「してないけど」
少々過保護なところのある母上の意向で、一年生のうちはバイトをせず学校生活を満喫するようにとのお達しなのだ。基本、暇人である。
その日は用事も特にないので、空いているは空いている。
「だったら来てくれよー。うち部員少ないんだよー。
とりあえずこの能を観に行くだけでもいいから! 動員も依頼されてんだよ」
「うーん、どうしようかな……」
確かに、春の時点では能楽研究会にそそられるものはあった。
だけど私はもう国際法研究会に入ってしまっている。掛け持ちとなると、さすがに躊躇するものがあった。
興味はあれど。観に行ったら、引っ込みがつかなくなってしまいそうだ。
自分の腕に半分、顔を埋めながら、安室くんは懇願する。
「頼むよー。見た上で断るならそれでもいいからさー」
「けど、バイトしてないからお金もそんなにないし。お高いんでしょう?」
「通常八千円のところ、新歓キャンペーンにつき、今ならタダ」
「行きましょう」
行く。
行こう。
私は冷静に損得の勘定が出来る変態である。
「本当に!? ありがとう! マジでありがとう! やった! よろしくね!」
私の淀みない返答に、安室くんはぱっと目を輝かせて顔を上げた。
あれだな。人のことは言えないけど、安室くんめっちゃ分かりやすいな。
属性としては、犬っぽい。普段、思い切り猫属性な環や奥村くんを相手にしているので、彼のようなタイプはなんだか新鮮である。
背後に、ぶんぶんと威勢良く振る尻尾が見える気がするぞ。
え? 若林くん。
そりゃ、天使属性でしょ。
「そういえば。今日はメガネなんだね」
ふと気になって、話題をふった。
いつも彼は裸眼だったが、今日は黒縁のメガネをかけている。コンタクトがなくなったりでもしたんだろうか。
私の言葉に、ああ、と安室くんは苦笑いを浮かべる。
「試しにね」
試し?
「あ、いや。昨日あれだけ言われたから。とりあえず分かりやすいところからやってみようかと思ってさ」
なるほど、そういうわけか。
言われてみれば昨日のレクチャーで、メガネ男子についても語った気がする。一般人に分かりやすいだろう属性だからってんで、結構な分量をメガネ男子について語った気がするな。
うん、自分の失敗を受け入れて、学ぶ姿勢は評価するぞ安室くん。
しかし、残念だったな少年。
「ごめん、実は私、メガネ男子は萌えない」
「嘘だろ!? 昨日アレだけ引き合いに出してたじゃねぇか!?」
「厳密に言うと、三次元のメガネ男子は萌えない」
「なんでだよッ!?」
「メガネ男子は二次元専門」
「なんでだよッ!?」
ごめん。私の説明が悪かった。世の中にはそういう人もいるんだ。
でも、萌えないものは萌えない。
******
本日のサークルは、にわかに色めき立っていた。
その理由は。
「法学部法律学科一年、桜間環です。
望月さんに勧誘されて入部しました」
新規メンバーが、うちのサークルに加入したからだった。
環を勧誘したのは嘘ではない……が、だいぶ前の話だ。
もちろん、環がサークルに入ったのは、私と若林くんたちの動向を見張るためである。
今後、木曜日に血の提供ができなくなる理由がこれだった。元々環と過ごしていた時間は言わずもがな、サークル後に時間を割くことも、環の目が光るのでできない。
ていうかサークル部屋を使うのがもう危険過ぎる。
環が来てくれて嬉しい気持ちと、これからの懸念の気持ちが入り混じり、なんとも複雑である。
「好きなものは、ラーメンと格ゲー。
嫌いなものは、血を吸うあのうっとおしい生き物です。
それと、声でお分かり頂けたと思いますが、性別は男です。ただし恋愛対象は女性なのでご承知おきください。
よろしくお願いします」
ごく真面目にそう言いきって、環は席についた。
うん、含みを感じたのは私だけじゃないよね?
完ッ全に喧嘩売ってるよね?
とはいえ今日は前の方の席に座っているので、後ろの席に座る若林くんと奥村くんの表情を窺うことはできない。
前の方にいたとしても怖くて確認できないけど!
先輩から、環に質問が飛ぶ。
「なんで女装してるの?」
「趣味と実益を兼ねてます!」
実益ってなんだよ、という野次と笑いが起こるが、実益は思い切りあるんです先輩。公言できない実益だけど……。
「あ、そういえば前、調子に乗ってロクシタンのサマーコフレ余分に買っちゃったんですけど、欲しい方いたら差し上げますー」
「あっあたし欲しい」
「私もー!」
女の先輩の嬉々とした声が飛ぶ。
趣味として楽しんでいてくれるようで私は嬉しいよ……ていうか私も欲しいぞ、それ先に声かけておくれ環さん……。
どういう顔をしたらよいか分からず、私は周りに合わせて曖昧に笑った。
サークルのどよめきはこれでは終わらなかった。
「法学部法律学科一年、
なんとも珍しいことに。
年度途中の中途半端なこの日、二人同時にサークル員が増えた。
なお二人は示し合わせたわけではなく、面識もなかったらしい。
「他の一年生の皆さんからも遅れをとってしまっていますが。足手まといにならないよう、桜間さんと一緒に頑張って追いつきたいと思います」
さらさらの黒髪に、優しさと気高さを兼ね備えた端正な面立ち。さながら少女漫画の王子様キャラだ。フルバの由希くんみを感じる。
おまけに、服装までロイヤルだった。
チェックのネクタイにスラックス。
そして白いシャツにグレーのベストである。
大事なことなのでもう一度言おう。
ベストである!
ベストである!!
ベストである!!!
ベストって最高だよね!!!!!
正直。ただの王子様キャラというだけなら、私はそこまで性癖ではない。正統派のキャラよりは、少し癖のあるタイプの方が好みなのだ。
しかしこの服装は反則である。
不覚にも大変にそそる。おっとよだれが。
そんなわけで溢れ出すときめきを抑えきれずにニヤニヤしながら、私は瀬谷くんの自己紹介を聞いていた。
見た目だけでいうなら完全に王子様キャラだ。はてさて中身はどんな人なのじゃろう興味深いな、などと煩悩まみれで判じていたら。
最後に、とんでもないものがぶち込まれた。
「それと。
こんな格好をしていますが、一応、女です」
へっ?
……。
…………。
ズギュウウウウウウン!!!!!
「ねぇ、望月さんどうしたの……」
「どうこうも、今日はずっとこんな調子だよ」
若林くんと奥村くんの呆れた声が聞こえる。
だけど仕方ない。
喜びに抗えないのである。
「シロがいつにも増して犬になってるな」
「しょうがないよ。だって」
我らが大天使・紅太は、私の様子に苦笑しつつも優しい表情を浮かべてくれる。
「念願の女子なんだから」
そうなのだ。
そうなのだ!
そうなのだ!!!
イケメンかと思ったら!
超絶麗しの男装女子だったのだ!!!
男装女子。
それは魅惑の存在である。
たとえば、宝塚の男役。
たとえば、歌舞伎の女形。
かの人々は、異性でありながら、本物の『男』『女』よりも、更なる美しさ、尊さを体現する存在である。
それはむしろ異性が演じるからこそ、異性の立場から見たその美を表現しうるからなのだ。
うん、えーと何言ってるか分かんないな?
つまり男装女子はかっこいいんだよ!
語彙がない?
そりゃないよ!
だって目の前にステキな男装女子がいるんだもん!!!
そんなわけで、私はサークル初日から、瀬谷藍くん、もとい藍ちゃんに、凄まじい勢いで懐いてデレデレしていた。
尻尾があったら全力でブンブンしていることだろう。安室くんのことを一つも言えない。
私は藍ちゃんの腕を掴んだまま、ほうっと息を漏らす。
はぁん素敵……カッコいい……。
本当かっこかわいい……尊い……。
「藍ちゃん分かんないことあったらなんでも聞いてね本当に来てくれてありがとう私めちゃくちゃ嬉しい」
「ボクも、こんなに歓迎してもらえるなんて嬉しいよ白香ちゃん」
しかも藍ちゃんはボクっ娘だったのだ!
まーじかー!
念願の女の同期、というだけでなく。
このキラキラ輝く尊き麗人である。
撃ち抜かれましたよ!?
白香さん、完全に藍ちゃんに撃ち抜かれましたよ!?!?!?
あーーーーー!!!
いろんな意味で来てくれて存在してくれてありがとうーーーーー!!!!!
緩みきった顔でニヘニヘしてたら、環にたしなめられる。
「藍ちゃん藍ちゃん藍ちゃん藍ちゃんうるせぇよ白香」
「そんなに言ってないよ!? 迷惑にならないよう控えてるよ環!?」
「全身から喜びのオーラが出ててうるせぇ」
「そんな殺生な!」
環に苦言を呈されむくれていると、藍ちゃんに背中から軽く抱きつかれた。
あ、いい匂い。
同じ生き物なのになんでこんないい匂いするの……?
「そんな顔してどうしたの、同期さん?
もしかしてボクに嫉妬してる?」
背の高い藍ちゃんの顔は私の頭の上にあるので、表情は見えない。だけどきっと、ちょっと挑発的でミステリアスな面持ちをしているのだろう。
あー麗しいな……。
「安心しなよセコムくん。ボクはレズビアンじゃないからさ。ボクはただのバイだから、心配しなくていいよ」
「お前、それのどの辺が安心材料になると思った?」
藍ちゃんの鮮烈な登場により、環は一時的に若林くんたちのことを忘れているようだった。
藍ちゃんのハスキーな声(良い)に酔いしれながら、私は環に呑気に言う。
「藍ちゃんの冗談でしょ環。本当だとしても、心配しすぎだよ」
「そうは言ってもベタつきすぎだろ」
「女子校だと女子の距離感ってこんなもんだよ。女ともだち……女ともだち嬉しい……」
私はパァンと両手で自分の頬を叩いた。
だけど、ダメだ。
だだ漏れの感情が、収まらない。
「おんなともだちうれしい……おんなともだちたのしい……」
「ダメだ白香の奴、女友だちに飢えすぎて正気を失ってる!」
「うふふ……」
嬉しい……。
おんなともだちうれしい……。
おんなともだちたのしい……。
結論。
瀬谷藍ちゃんは、フルバの由希くんじゃなく、月刊少女野崎くんの鹿島くんだった。
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