19方言はエリアによる
「怪しすぎるだろ」
緋人くんは、渋い表情で言い切った。
金曜日の夕方。私たち三人は、二週連続で若林くんの家に来ていた。結局、今週は環に邪魔されたり都合が合わなかったりで、学校で血を提供することはできなかったからだ。
学校よりは誰かの家の方が安全ではあるし、授業終了後の夕方なら週のどこかで都合は合わせられる。そこまで家は遠くないし、さほどの負担ではない。
だけど、自宅の利用にはかなりリスクがあった。家がバレてしまったら、それこそもう逃げ場がない。来週はどうするか、環の隙をつける時間帯を考えなくては。
ともあれ本日は無事に血の提供を終えたところで。おもむろに緋人くんは先ほどの懸念を私たちに告げたのだった。
血を摂取し、どことなくツヤツヤした若林くん(可愛い)は、小首を傾げて緋人くんに聞き返す。
「突然なに、緋人? 怪しいって」
「瀬谷藍に決まってるでしょ」
不満げな表情で、緋人くんはテーブルへ頬杖をつく。
「この半端な時期に、桜間と同時にサークルに入ってくるなんて。タイミングがいいにも程がある。怪しすぎる」
「だけど藍ちゃん、環とは初対面だって言ってたよ」
「裏で手を組んでることをバカ正直に申告する奴がいるかよ。馬鹿?」
緋人くんは、いつもより辛辣な口調で、私へじろりと目を向けた。
うん、何も言えない。その通りだと思いますわん。
環は先週、誰かのタレ込みを受けてサークル部屋に潜んでいた、と言っていた。ダメもとで環に聞いてはみたけれど、誰からの情報なのかはやはり教えてくれなかった。サークル内にいるだろう協力者の存在は、謎のままだ。
若林くんは、ポカリの入ったコップを両手で持って、こくこくと水分補給をしながら(可愛い)、首をひねる。
「だけどさ緋人。それにしちゃ、いくらなんでもあからさまじゃない? 潜入するなら、もっと上手くやるでしょ」
「確かに。紅太の言うとおりなんだよな」
緋人くんは口元に手を当てて考え込んだ。
「あいつらの手口としちゃ、詰めが甘い。逆にそれで裏をかこうって手だとしても、どうしたって俺たちが警戒するのは向こうだって分かってるだろ。悪手だ。
そう考えるとな。タイミングが異様に合っただけで、瀬谷は本当に無関係なのかもしれない。けど」
緋人くんは目線だけ、ちらりとこちらに向けた。
「それにしちゃ、初日からシロに絡みすぎてる」
ごめんそれはむしろ私が積極的に絡みに行った所為かもしれない。
でも。距離の詰め方はともかく、互いにそこそこ気が合うと分かれば、そこからは、まあ。
「仲良くなれば、くっつき具合とかは、女子校だとあんなもんだよ? 藍ちゃんも高校まで女子校だったって言ってたし」
「そう言われると、僕からは何も言えないんだけどね。
まあいい。今の段階じゃ、どのみち瀬谷には白黒つけられない」
はあ、と物憂げに息を吐き出して、緋人くんは首を横に振る。
「とにかく気をつけろよ。仲良くするなとまでは言わないけど、警戒は怠らないでね。瀬谷は不確定要素が多すぎる。
あいつらの仲間だとしても、シロには滅多なことはしないと思うけど。不審なことがあったらすぐ報告しろよ」
普段は悠然と笑みを宿している人物が、その穏やかな面持ちに憂いを湛えている様は、大変に絵になるものがあった。美術館に寄贈したい。
だけど状況が状況だけに、私はポーカーフェイスを装いながら、至極真面目に尋ねる。
「ねえ緋人くん。『あいつら』って、どういう人のことなの?」
「そうだな。そろそろシロにも話しておくべきか」
緋人くんは若林くんと一瞬、視線を交わしてから、静かに続ける。
「前にも話したけど。俺たち吸血鬼の末裔には、一定数の敵がいる。
その中でも。とりわけ俺らへ執拗に絡んでくる種族がいるんだ」
「種族」
「お前も多分、聞いたことくらいあるだろ。
――人狼だよ」
人狼。
吸血鬼と同じくらいにネームバリューのあるだろうその存在のことは、もちろん知っていた。
そういえば、初めて若林くんの事情を知った日。私は、まさに彼へそれについて尋ねていたなと思い出す。
「狼に変身する人のことだよね。若林くんみたいに、満月の日に」
「そうだ。だけどあいつらも俺たちと同じように、末裔だ。オリジナルより力は劣るし、一般に知られてる伝承は全てが真実じゃない」
頷いてから、緋人くんは補足した。
「今じゃ、完全な狼の姿に変身できる奴は稀だって聞くし、中には満月じゃなくても化ける奴がいる。
それから、俺が痛みを麻痺させたり、紅太が傷を治せるみたいに。あいつらもだいたい特殊な能力をもっていることが多い。個体差が大きいけどな。力の出方はまちまちだ。そこは俺たちと同じだな。
あいつらも人に混じって、普段は人間として生活している。だから奴らのことは一見、人とは見分けがつかない」
つまり。吸血鬼の末裔の、変身する人バージョンだとざっくり理解すれば良さそうだ。
だけど変身ってなると難儀だな! 周りから隠すの大変そうだな!
いや若林くんも満月の日には外見が変わっちゃうけどさ。
「だから文字通り。奴らが尻尾を出さないと、外からじゃそう見抜けない。
けどあいつらは、往々にして嘘吐きで、惑わすのが上手い。もしお前へ、俺たちのことや何かそれに関係することを、まことしやかに吹き込んでくる奴がいたら用心しろよ。
だっていうのに。こんな時に、暢気にシロはデートかよ」
デート、と言われて、何のことかと首を傾げる。
が、すぐにそれが何か思い当たった。安室くんと能を観に行く旨も、先ほど一応、報告していたのだ。
「デートじゃないよ。勧誘だもん」
「あのさ。先週、俺が言ったこと覚えてる?」
呆れ顔で緋人くんは、私の眼前に人差し指を突きつけた。
「俺は、サークル内に敵がいるって言ったよな?
確かに瀬谷は怪しい。だけど桜間を手引きしたのは、少なくとも先週の時点で既にサークル員だった奴だ。それは安室の可能性だって十二分にありえるんだよ」
緋人くんの言うことはもっともだ。私だって警戒心は持つようにしているからこそ、日曜日に能を観に行く件を二人に報告したのである。
だけど私があの日、安室くんのいる和室を訪れたのは偶然だ。環に追いかけられていなければ和室には入らなかったし、近寄ることもなかっただろう。
仮に環が安室くんと手を組んで、あえて私を追いかけていたのだとしても。そもそも階を勘違いさえしなければ、私は四階に行こうとしていたのだ。五階の和室に私を誘い込む手段としては、無理がある。こんな回りくどい真似をするとは思えない。
「状況からは考えにくいよ。サークル員の数が少なくて、部員が欲しいのは本当みたいだしさ。それに」
「それに?」
「本来一万円近くする公演がタダで観られるチャンスなのに、行かないとかもったいな」
「シロ。ステイ」
緋人くんの号令に、思わず姿勢を正して口を閉ざす。
いけない。条件反射になっている……!
含みある笑みを張り付けて、緋人くんは私の頬肉をつかんだ。
「シロな。お前な。理由な」
「らって、きにはなってるんらもん!」
「こっちが深刻に考えてるっていうのにお前ときたら……。
あとさっき僕を見て、またいかがわしいことでも考えてただろ」
「なぜばれたし」
「そろそろ本格的にお仕置きが必要みたいだなシロ。そのだらしない口に煮えたぎった重湯でも流し込んでやろうか」
「いひゃいいひゃいいひゃい!」
「緋人、やめろ」
若林くんは緋人くんをたしなめて、私から引きはがしてくれた。
優しい……!
大天使……!
うん、知ってた!! ありがとう私の推し!!!
「疑心暗鬼になっても仕方ないよ。それに望月さんだって、安室の可能性を案じたから、俺たちに日曜のことを話してくれたんだろ」
「……そうだな。安室が敵なら、俺たちにこの情報が流れることも織り込み済みだろ。だったらこっちも、そのつもりで動くだけだ」
若林くんの言葉に、緋人くんは素直に退いた。
よかった。また調教が進んでしまうところだった。
「あぁ、もう。むしゃくしゃするなぁ」
けれど緋人くんはそう言うなり。突然、私の腕に噛みついた。
お願い、予告して。びっくりする。
「唐突がすぎませんかね緋人くんや」
「うるさい。お前は俺の非常食だろ」
牙を抜き、緋人くんは、ぺろりと唇の端を舐めた。
そういういやらしい仕草をするから、私みたいな変態にエサを与えてしまうのだということを、
言えないけど!
「今日は俺にも飲ませろよ。ちょっと奴らとの対峙に備えて、鋭気を養う必要がある」
「そういうもんなの?」
「人間だって、気合い入れる時にはリポDやモンエナを飲むだろ」
吸血鬼にとって、血って栄養ドリンクなの!?
でもなんかちょっと分かりやすいぞ!?
例によって腕に傷を作りながら、緋人くんはまたもや不満げに告げる。
「今回は今更だから仕方ない。だけど、どんな企みがあるかも分からない誘いに、そうほいほいとのるんじゃねぇよ。
シロはシロらしく、俺だけに尻尾を振ってりゃいいんだからね」
「シロらしくとは……尻尾とは……」
「返事」
「わん」
間違えた。
若林くんは、どこか冷たい眼差しでこちらを眺めていた。
そういえば今のやりとり、若林くんの前でやるのは初めてだ。やだ、引かれたかもしれない! だけど素直に従っとかないと、後々怖そうなんだもの緋人くん!!
うわーん、変態なのは今更隠しようがないけど、どうか嫌わないでね……!
それにしても。多方面に神経を配ってぴりぴりしているせいなんだろうけど、緋人くんの飲みっぷりが容赦ない。
うーん。今日もまた貧血かもしれない。
******
日曜日の午後。私は安室くんとの待ち合わせ場所である、有楽町駅に来ていた。
本日の私は、白のブラウスにミントグリーンの膝丈フレアスカートという、少々お嬢様めいた装いだ。
能楽鑑賞、ということで、私が悩んだのは服装についてだった。安室くんからは、そこまで気にしなくて良いと言われたけど、やっぱりあまりラフな恰好では気がひける。
なので今日は、念のため大人しめの恰好にしたのだ。前に環に見つくろってもらった一式である。環さまさまだ。
しかし服装がいつもと違うせいか、まるで気合いを入れてデートに望んででもいるみたいだ。
断じて違うぞ。私は本日、至って文化的な教養のために来ているのだ。割と楽しみでオペラグラスまで持参していた。そういう意味では気合いは入れている。
待ち合わせ場所に着くと、ほとんど時間差なしに安室くんと合流できた。彼はぱりっとした白いシャツに紺のジャケットとスラックスという、やはり落ち着いた装いだ。
それ自体に文句はないし、むしろ好みの服の系統ですらある。
だが。
しかし。
「何故、髪を黒く染めないィ……!」
「洋服でもいちゃもん!? いきなりなんなん!?」
「ノーブルな服装にも黒髪が似合うんだよ! 君は藍ちゃんを見習いたまえ!!」
「あいつは女だろ」
挨拶もそこそこに、私はまたもや絡んだ。
ほんとにもー! お前はもー!
タダで連れてきてもらう手前、ありがたい気持ちはいっぱいだったが、我慢できないものはしょうがないよね!
本当、私が黒く染めてやろうか……なんだかここまできたら無性に黒く染めてやりたいぞ……。
「ともあれ。入れ替えの時にもたついてもなんだから、さっさと行くべ」
幾度目か分からない私の説教を程よく流し、安室くんは慣れたようすで歩き出した。
車通りも人通りも多い、整然と建物のそびえる銀座の街を、私は物珍しく見回して後を着いていく。
道すがら、安室くんは軽く説明してくれた。
「チラシにも書いてあったと思うけど。今日は昼前から、いくつか能が上演されてるんさ。だけど最初から最後まで全部だと何時間もかかって疲れちゃうから、今日観るのはそのうちの一つだけ。
俺らが観るのは『羽衣 和合之舞』ってやつだ。俺がこの前やってた仕舞……舞の含まれてる能だ。
『和合之舞』ってのは、通常の『羽衣』よりちょっとだけ舞のバージョンが変わってるんさ。だけどとりあえず今日は深いことは気にしなくていいよ」
ふんふんと頷きながらも、何かに引っかかって、内心でそれに気を取られる。
やがてその原因に気がつき、私は手を打った。
そうか。語尾が、喋り方が、ちょっと違うんだ。
これは、あれだな。
方言だな?
「ところで安室くん。それって群馬弁?」
「……そうだよ」
どこか気まずそうに、安室くんはくぐもった声で答えた。
ほほう。あれかな。
先日、メガネ男子と共に『方言は萌える』という話をしたからですかな?
うむ。前向きな君の取り組みには非常に感銘を受ける。
しかし、惜しい。
「郷里の方言を喋られても萌えない」
「なんでだよッ!?」
なんでもなにも、群馬出身の私にとってただただ日常だったからな!
老若男女問わずにその辺に転がってた喋り方だから、萌えも何もないですがな!!!
「方言は確かにイイけどねー。エリアによるよねー。
私の好みで言うと。できれば、やる気のなさそうな気怠い京言葉で話していただきたい」
「なんだよその具体的な注文ッ!?」
うーん。安室くんはいい人なんだけど、なんか残念なんだよなぁ。
声は、短刀を擬人化した某イケショタみたいな低音ボイスでいい感じなんだけど。
いじられキャラでどっか抜けてるイメージだったけど、見事にそのまんまだな。
残念ワンコ系男子だな。
でも。
話すようになったのはここ数日だけど、安室くんはなんだかとても話しやすい。
男子との会話はまだちょっと構えてしまう私だけど、安室くんとは気負わずに話せるし、妙な安心感があった。
きっと、そのおかげなのだろう。
私が、今この状態でも、自然体でいられるのは。
だから、私は。
背後から突き刺さる、三人分と思しき鋭い視線には、一切合切まったくもって気が付いていないふりをすることに致します。
そんな気はしてた。
でもなんで三人なの。環どうしたの。どんな宗旨替えがあったの。何故その二人と組んでるの!?
私は!
なにも!!
気が付いておりません!!!
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