29やるより見る方が楽しい
人間を、吸血鬼に変える。
およそ現実のものとは思えないその事象に。一月半ほど前、あれこれ文献を読みあさった中で、複数の本に書かれていたことを思い出す。
『吸血鬼は、生き血を吸った人間を吸血鬼にする』。
それは吸血鬼について調べる前から、なんとなく私もお伽噺の範疇の知識として、ぼんやりと知っていたことだった。
だけどそれは、あくまで物語の中の話だ。
現代に生きる吸血鬼の末裔には、そんな力はないと。
一般人のよく知る吸血鬼の特徴は、過去か架空のものなのだと。
そう、認識していた。
そう、聞かされていた。
まだ自分の中で咀嚼しきれないままに、尋ねる。
「どうして若林くんは、その人を吸血鬼にしたの?」
「理由なんか知らないよ」
藍ちゃんは顔をしかめた。
「それに理由はどうだっていい。ただ、若林があいつを吸血鬼にしたことは紛れもない事実だ。それは人狼側だけじゃなく、吸血鬼側だって認めている」
私はまた、「人狼は嘘吐きだ」という言葉を、半分くらいはすがるように思い浮かべたけれど。
今の彼女が嘘を吐いているようには、見えない。
少なくとも、彼女はそれを事実だと認識しているのだろう。
「若林が、あいつのことを吸血鬼になんてしなければ。
円佳はボクの前からいなくならずに済んだんだ」
そして少なくとも。
彼女の中では、若林紅太は、円佳さんの仇の一人なのだ。
ただ確定事項として藍ちゃんが告げた、そのことに。
私の中で思い浮かんだのは、銀と赤。
満月の日に変貌する、若林くんの髪色と目だった。
若林紅太は、血に餓える満月の日に、髪は銀に、瞳は
私はそう、聞いていた。
今まで疑うことなく、そうと信じていたのだ。
けれども、そうだ。
状況が状況だったから、すっかり頭から抜けていたけど。
先ほど私の目の前で、彼の髪と目は、銀と赤に変わった。
まだ満月までは、かなりの日数があるにも関わらず、だ。
気になったのは、それだけじゃない。
私は、割れたガラスに目をやる。
さっき若林くんは、このベランダのガラスを蹴破った。道具を使わず、ただ足の力だけでだ。
だけど。
そう簡単に、ガラスは割れるものだろうか?
昔の窓ならまだしも、最近はカナヅチでもすぐには割れないような、強化ガラスで作られているものが多いと聞く。
確か、うちのアパートもそうだったはずだ。女の一人暮らしだからと、お母さんの希望で、防犯のためにそういうアパートを選んだのだ。
道具を使っても、そう簡単に割れない強化ガラス。
いくら力のある男性だとしても、思い切り蹴りを入れたからって、易々と破壊できるだろうか?
少しだけ、肌が粟立つ。
どういうものかは、分からない。
けれど。
若林くんには、私の知らない、なにかがある。
ただ。
私は無意識にさすっていた二の腕から手を離し、顔を上げる。
不可解な点を、不明瞭な点を、数ある不審な点を直視したとしても、私は。
若林くんのことを。
「だからって。若林くんが悪いってことにはならない」
呆れたように藍ちゃんは前髪をかきあげ、息を吐き出した。
「強情だねぇ君も。だいぶあいつらに懐柔されたと見えるよ」
「違う。若林くんが、そういう人なんだもん。
吸血鬼にしたのが事実だとしても、きっと何か理由があったんだと思う」
あると、信じている。
信じていたい。
そして、私に隠している、何かについても。
きっと、理由はあるのだ。
と、思った。
私は彼らの過去を知らない。
私は彼らの生態を知らない。
私は彼らの理由を、事情を、全てを、知らない。
きっと。きっと、何か話せないわけがあったのだろう。環の一件の時に、緋人くんが人狼についての詳細を伏せていたように、知らない方がいいと判断して情報をシャットアウトしてくれていたのかもしれないし、外部に漏らせない機密なのかもしれないし、単純に話すタイミングがなかっただけかもしれない。
それでなくたって、そもそも。
部外者であるところの私に、話す義理だってないのかもしれない。
今回は、たまたま若林くんの被血者になって、たまたま若林くんの近くにいたから、たまたま巻き込まれただけで。
本来、私は部外者もいいところなのだ。
そうだ。
認めたくなくても、紛れもない事実だ。
若林くんも。
緋人くんも。
蒼兄も。
藍ちゃんも。
環だって。
親しいと思っていた彼らの事情について。私は、何も、知らない。
悔しいことに――私は、徹底的に部外者だった。
「ごめんね。無関係な君を巻き込むつもりはなかったんだ。だけど渦中にいたものだから、どうしたって君の動きは押さえておかないといけなかった」
「無関係じゃ、ない」
その言葉は。
今の私にとって、ひどく、突き刺さる言葉だった。
多分。
藍ちゃんに監禁されて始めてから、初めて、私は声を荒げた。
「私は。若林くんの、奥村くんの、被血者だもの。
環の親友だもの。
それに、蒼兄の妹だったんだもの。
私は、無関係じゃない。
無関係なんて、言わせない」
膝の上に置いた手を、握りしめる。
自分でも、馬鹿馬鹿しい、と思う。
藍ちゃんに八つ当たりしたところで、その事実は変わらない。けれど。
ひたすらに部外者で、無力な自分が、腹立たしくてしようがなかった。
「それは、そうだけどさ」
私の言葉に気圧されたように、藍ちゃんはたじろぐ。
その隙に、私は勢いづいたまま、藍ちゃんのシャツの袖を掴んだ。
「藍ちゃん。連れてって、蒼兄が行った先に。若林くんのところに」
「本気で言ってるの、白香ちゃん?」
ひどく困惑したようすで、藍ちゃんは首を傾げる。
「ボクは。君をここに閉じこめて、十日以上も監禁した張本人だよ? ボクの宿願を邪魔されるかもしれないってのに、連れて行くとでも思ってるの?」
「だけど、今の藍ちゃんはそれを望んでいないでしょう」
一瞬、息を呑んで。
しかしすぐに表情を取り繕うと、藍ちゃんは落ち着いた声音で答える。
「どうしてそう思うのかな。ボクは、この望みを叶えるために今まで動いてきたっていうのに」
「じゃあ、なんで泣いてるの?」
「それは」
今度こそ、藍ちゃんは目を伏せて口ごもった。
私は、彼女が目を反らして逃げられないように、その陶器のように滑らかな彼女の頬を両手で挟み込んだ。
「迷いのない人は、そんなふうに涙は出ない」
滑らかな彼女の頬に伝った涙の跡を、指の腹で拭う。
そもそも。本当に心から望んでいるのなら、この大事な最終局面で、気なんか抜かないはずだ。最後まで油断せず、術が解けるようなヘマもしないはずだし、今の話を私に話してくれることもなかっただろう。
それも、まるでなにかの懺悔のように。
「涙のわけは、私にだって分からないよ。私は、藍ちゃんのことだって、何も知らないんだから。
だけど、迷いがあるのに自分を無視して、取り返しのつかないところに突き進んじゃだめだ。
それがなにかを確かめないと、向き合わないと、絶対後悔する」
それはきっと。
見なかったことにした、昔の私にも言えることだ。
だから。
私もこれから、向き合いに行かないと、いけない。
「今は、安室蒼夜のことが、若林紅太のことが、許せなくてもいい。
だけど、分からないままに殺しちゃだめだ。藍ちゃんの心を殺しちゃだめだ。泣いてる藍ちゃんの気持ちを、ないがしろにしちゃだめだ。
血迷った友達の行動を、みすみす見過ごすことなんてできない」
思うことを一息に言ってしまい、私は藍ちゃんから手を離した。
しばらく藍ちゃんは、きょとんとした様子だったけど。
ややあって、彼女は小首を傾げてみせる。
「こんなボクのことを、君は友達と呼ぶの」
「えっ」
えっ待って。
ちょっ待って、私だけそう思ってたパターン?
やだー! めっちゃ恥ずかしいというか、めっちゃ凹むんですけど!?
一人で泡を食っていると、しかし藍ちゃんはゆるゆると首を横に振った。
「君は、本当に不思議な人だな。あいつらが骨抜きにされているのも、分かる気がする。
それだけに。野放しにしておくのは、由々しき事態だ」
深刻な面持ちで、独り言のように藍ちゃんは言った。私は、てっきりまた何かされるのかと思って、ドキリとしたんだけれども。
ももも。
そのすぐ後に、藍ちゃんは笑みを浮かべて、さらりと告げる。
「白香ちゃん、ボクと付き合わない?」
「ごめん、百合はやるより見てる方が楽しい」
脊髄反射で丁重にお断りする。
そっちかーい!
そっちの話かーい!!!
だから! 私は!! 傍観者なの!!!
藍ちゃんはいいけど、私みたいな平凡な変態が百合百合しても、美しくないの!!!!!
百合をやるなら是非、環みたいに麗しい子とどうぞ!
あっ、ソレ百合じゃなかった。
「今のボクが趣味じゃない? 白香ちゃんが望むなら、ボクはどういうスタイルにも応じるけどな」
「残念ながらそういう問題じゃないんだよなぁー!」
「ヤッてみたら、案外楽しいかもしれないよ?」
「なにをヤるの!?
はい! 友達で!! 友達ということでお願いします!!!」
「ボクはネコでもタチでも両方いけるよ?」
「人の話を聞こう!?」
こうして、私は。
瀬谷藍と、友達になった。
「友達以上の関係の方が、楽しいことが色々できるんだけどな」
「人の話を聞こう!?」
さておき。
二人を、止めないと。
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