28古い記憶と古い血脈
さらりと語られた、藍ちゃんの仄暗い願いと。
蒼兄の背負った業と秘密。
それらを突きつけられて、身がすくむ。
今はもう術にかかっている訳ではないのに、私は声を出すことが出来ない。
けれども。
パニックに陥りそうな思考のどこかで、何故か妙にすっきりしている自分がいた。
長らく見つけられずにいたパズルのピースを、ようやく見つけられたような。
次の瞬間。
私は、途端に理解した。
ようやく、思い出した。
私がこれまで忘れていたこと。
いや。
私がこれまで、蒼兄のことを忘れようと努めた、最大の理由を。
******
『やめて! あお兄のこと、いじめないで!』
両手を広げて、幼い私が立ちふさがる。
目の前にいたのは、蒼兄の父親だった人物だ。幼児の視点からみたその男は、自分より遙かに大きい。とても敵うはずがないことは、一目で分かる。
男は私の上げた声で、初めて私の存在に気付いたように、こちらへ視線を向けた。
本当は、怖かった。
とてつもなく、怖かった。
すぐにでも、逃げ出してしまいたかった。
だけど。
当時の私にとって、蒼兄がいじめられることは、その何倍も、ずっとずっと怖かったのだ。
『お前は関係ねぇだろ』
男に睨まれ、足がすくむ。
けれど果敢に私は声を張り上げた。
『関係あるもん! お兄ちゃんだもん!』
『このクソガキが、お兄ちゃんね』
せせら笑うようにそう言うと、男は私と目線を合わせるように座り込んだ。
『勘違いしてるかもしれねぇが。俺は被害者なんだ』
男の言う言葉の意味が、当時の私には分からなかった。
きょとんとした顔をした私に、男はかみ砕くように言う。
『俺は嘘を吐かれたんだよ、こいつらに。
この、バケモノに』
そうだ。
この男は、唾棄したように、そう言い捨てたのだ。
『ちがうもん!』
その言葉に、私は激高し。
深呼吸をして、精一杯に姿勢を伸ばし、腕に力を込める。
『あお兄は、あたしが守る』
蒼兄を守ろうと、小さな身体で精一杯、虚勢をはったつもりだった。
だけど。
『しぃに、手を出すな』
背後から響いたのは。
聞き覚えのある、馴染みのない声。
それに私は驚いて、見据えていた男から視線を外した。
てっきり、蒼兄の声によく似た、他の誰かがいきなり現れでもしたのか、と思ったのだ。
そうして振り向いた私は、いよいよ混乱する。
蒼兄の姿は、私のよく知るそれから、ひどく変容していた。
頭の上から生えた、三角の耳。
指先から伸びた、鋭い爪。
私とさして変わらない大きさの小柄な身体は、灰色の固い毛で覆われている。
その中でもひときわ印象に残ったのは、強い光を宿した彼の瞳だった。
空に浮かぶ三日月のように細められた、金色の鋭い目。
人のものではない、まるで獣のような、目。
『しぃに手を出したら、喰い殺してやる』
小学生のものと思えない、低い唸り声で凄み、喉を鳴らす。
男は蒼兄の姿に、少しだけたじろぎながらも。大人の矜持か、どうにか踏みとどまったらしく、軽く舌打ちする。
『本性を出したな、バケモノめ』
男は、同意を求めるように私を見つめた。
『ほらな、言っただろ。こいつはバケモノだ。お前もこんな奴と一緒にいたら、いつか喰われちまうぞ』
『やめて!』
しかし私は、一顧だにせず。
それどころか、男に飛びかかったのだ。
『あお兄は、あお兄だもん!
バケモノなんかじゃ、ないもん!』
威勢だけはいいものの。小学生女児と成人男性とでは、力の差を比べることすら、ばからしい。
当然のようにその叫びは虚しく、先程から動揺していた男に咄嗟に払いのけられた。
多分、男もそこまでやるつもりではなかったのだろう。つい力んで、勢いづいてしまったのだと思う。
ともあれ。
結果として私は、勢いよく壁に叩きつけられた。
『てめぇ』
だけど、状況はどうあれ、それが。
蒼兄の、スイッチを入れてしまったのだ。
『決めた。お前は、かたわれの今後のためにも消す』
そして。
それから、蒼兄は――。
******
「だから私は。安室蒼夜を若林紅太にぶつけることで、彼を消し去ることにしたんだ」
藍ちゃんの言葉に、我に返った。
彼女は私の様子には気付かないまま、続ける。
「今は、元々の人格である安室蒼夜の方が強い。だけど人狼としての部分は、ほとんど蒼夜様が持っている。
今まではぎりぎりそのバランスを保ってきたけど。安室蒼夜では、そこに存在することが耐えられない状況にまで追い込んでしまえば、安室蒼夜と蒼夜様の力関係は覆る。
諸悪の根元である若林紅太と安室蒼夜は相討ちとなり、後にはボクのご主人様である蒼夜様だけが残るんだ」
半分くらいはぼうっとしたまま話を聞いていた私だったが、看過できないその話に、一気に現実に引き戻される。
「待ってよ。言いたいことは、藍ちゃんがやりたいことは、分かった。
だけど、どうしてそこで若林くんが出てくるの。なんの関係があるの?」
動揺しながらも、どうにか紡いだ言葉に。しかし藍ちゃんは、いとも簡単に答えてみせる。
「若林紅太はね。滅びかけている、古来の吸血鬼の血を保持している」
「古来?」
「きっと。君は、奴らから吸血鬼の末裔だと聞かされたんだろう?」
こくりと、頷く。
けど。聞かされたも何も、それは事実のはずだ。
彼らは、物語に出てくるような恐ろしい吸血鬼じゃない。私たちと同じような日常生活を送る、人間とほとんど変わらない、末代の存在だ。
しかし藍ちゃんは、首を緩やかに横に振った。
「確かに普通の吸血鬼は、あいつらが説明したとおり大した力は持ち合わせちゃいない。末裔のあいつらに、さしたる害はないさ。
だけど、若林紅太は違う。あいつは。伝承されてきたそれに近しい、吸血鬼の力を持っている」
「だけど。日の光だって、ニンニクだって、若林くんは大丈夫だよ」
「そういう祖先の苦手は、他の末裔同様に克服した上で、あいつは吸血鬼古来の能力を有してるのさ。全くタチが悪いったらないよ」
空を睨み。
藍ちゃんは、自分の手を強く握り込んだ。
「あいつはね。人を眷属にするどころか。
かつて混じりけない人間だったはずの男を、吸血鬼にしてしまったんだ」
「人を、吸血鬼に……?」
間抜けに反芻した私の言葉に、藍ちゃんは口を歪め。
この上ない憎しみと忌々しさを込めた眼差しで、若林くんが蹴破ったベランダのガラスを睨んだ。
「あいつを。円佳を拐かした張本人、あの忌まわしい男を、吸血鬼にしてしまったのは。
他ならぬ、若林紅太だ」
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