終章:君の血の味は少しうるさい

34:望月白香の反省

 それから。

 なんと私は、うっかり気を失ってしまい、次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。


 どうやら貧血で倒れたということにして、病院に運んでくれたらしい。いや、事実として貧血だったんだけど。私が思ったよりも、派手に失血していたようだった。


 点滴に繋がれた状態で意識を取り戻したとき、傍らには若林くんがいて。

 ほっとしたような表情をした後に、


「ばか」


 と、口の動きだけで、またそう言われた。






 あの後。

 環には、とんでもなく怒られた。


「バッカ野郎!」

「野郎じゃないです、一応女子ですう……」

「ベタな揚げ足取ってんじゃねぇぇぇ!」


 腰に手を当て、環は相変わらずの美貌で凄む。

 バールのようなもの入りのバッグを持っているもんだから、余計怖い。職質平気だった?

 因みに藍ちゃんと服をチェンジしたはずの環は、残念ながら既にまた着替えてしまった後で、いつもの見慣れたタイトスカートの装いだった。

 こっちはこっちで眼福だけどね!


「行く前に、俺が言ったこと覚えてるか?

 俺は『無茶するな』って言ったよな?」

「む、無茶じゃないよ! こう、緻密な計算に基づいた作戦でですね」

「緻密な計算をしてる奴ァ失血して病院送りにならねぇよこの行き当たりばったり野郎!」

「いひゃいいひゃい!」


 びろん、と思い切り頬を引っ張られる。口調は厳しかったし、つねる手の強さもいつも以上に容赦がなかった。

 けれど。


 そんな環の目は、赤かった。




 私が家を出てから。環は、藍ちゃんに全ての顛末を聞いたらしい。

 円佳さんの、最期も含めて。


「正直。まだ、整理はつかないよ」


 なんて言ったらいいか分からず、黙って環の背に手をやる。

 環は、もう片方の空いている私の手をすがるように握ると。化粧でも隠しきれない腫れぼったい瞼で、無理矢理に笑ってみせた。


「その可能性は、考えないでもなかった。だけど、信じたくない気持ちが混在してる。飲み込むまでには時間がかかると思う。

 でもな。ひとまず、前に白香に言ったこと、一つ返上するよ」


 円佳さんのことについて、あまり多くを語ることはなく。

 環は悩みながらも、どこか吹っ切れたようすで言う。


「円佳を連れて行った野郎を恨む気持ちは変わらない。奴が死んだ今でもだ。

 だけど、たとえ吸血鬼だからって。

 たとえ、あの野郎を吸血鬼にした張本人だからって。

 あいつは、……悪い奴じゃない」


 あいつ、というのは。

 確認するまでもなく、若林くんのことだろう。


 以前は、吸血鬼というだけで、敵愾心をむき出しにしていたけれど。

 どうやら私が知らないところで、環と若林くんたちの間では、一定の和解のようなものが成り立っているようだった。


 そういえば、銀座に能を観に行った時は、三人が一緒になって私と蒼兄の後をつけていた。あの時も何事かとびっくりしたけど、その後すぐ藍ちゃんに監禁されていたので、聞けずじまいだったのだ。

 諸々含めて気にはなったけど。おいおい、そこは聞けばいいだろう。


 だって。

 私たちには、これからも、一緒に過ごせる時間があるのだ。


「ただ、一つだけ。一つだけ、頼む」


 環は、握りしめた手に力を込める。


「お前が何を選んで、何を好きになったって構わない。……いや正確には構うんだけど、それはひとまず置いておく。

 ただ、だけどな」


 形のいい眉を下げて。

 環は、懇願するように言った。


「お前まで、この世界から、いなくならないでくれ」






 藍ちゃんには、たしなめられながらもどこか納得された。


「君は、そういうことをする気がしたよ」


 その口振りからして、藍ちゃんも蒼兄が血に弱いことを知っていて、私がこの手段をとることを察していたのかと思ったけど。


「いいや。蒼夜様に弱点があるってことの方が驚きだよ。ただ、白香ちゃんは、めちゃくちゃな手段で、ごり押しでもどうにかするんじゃないかと思っただけだ。

 円佳なら。そうするかなって思ったから」


 ぽつりと、昔を懐かしむように藍ちゃんは最後に付け加えた。

 だけどすぐに切り替えると、藍ちゃんは私の腰に手を回して、私の唇に人差し指を当てる。


「だけど肝に銘じておきなよ。ボク以外からも散々、似たようなことを言われただろうけど。次にこんな無謀なことをしたら、二度と危ないことができないよう、今度こそボクの手元にずっと閉じこめちゃうからね?

 冗談だけど」


 冗談に!

 聞こえない!!

 なにしろ前科がある!!!


 あと多分、藍ちゃん以外は監禁しないと思う!!!!!




 なお。事情聴取は、藍ちゃんの手腕により、何事もなく終わったらしい。警察の人たちは、何を記録するでもなく、お茶して談笑して帰っていったとか。

 どういう状況だったのか、すんごい気になるぞ。二人の衣装チェンジも含めてカメラでも設置しておけばよかった。しまった。


 だけど。

 一番、心配だったのは、警察のことじゃない。


 今回の件で、藍ちゃんはいわば黒幕だった。

 蒼兄はともかく、蒼夜様というのがどういう人なのか、私は今一つ分からない。だから一部始終を知ったときに、彼がどんな動きをするのか予想がつかないのだ。

 藍ちゃんは平気だと言っていたけど、本当に大丈夫だろうか。


 それを聞くと、藍ちゃんは何故か苦笑いする。


「本当、困るなぁ。そういうところだよ」

「何が?」

「まるで、……円佳みたいだ」


 その言葉に、目を瞬かせる。

 そういえば。前にも藍ちゃんから、そんなことを言われた気がする。


 私の知らない、今回の因果の大本にいる女の子。


 環の妹で、藍ちゃんの友だちで、蒼兄が追いつめて。

 若林くんの友だちに眷属にされた、円佳さん。


「私って。円佳さんに、似てるの?」

「そう正面きって聞かれるとなぁ。

 似てると言えば似てるけど、ぱっと見の雰囲気は全然違う。どっちかっていうと可愛いよりは綺麗寄りだから。兄貴の方の桜間には似てないけどね。

 だけど。今回みたいなとんでもない行動とか、純粋さを煮詰めたようなところとか」


 悪戯っぽい笑みを浮かべ。

 藍ちゃんは、私の頬に手を当てた。


「そういうところが。君たちは、本当にそっくりなんだ」






 緋人くんには、顔を合わせるなり顔面を鷲掴みにされた。


「誰が、血を流した状態で全力疾走しろって言った?」


 にっこりと、緋人くんは多くの人を魅了するその笑みを浮かべる。

 同時に、顔へは五本の指がぐにゅりと食い込んだ。


 顔が!

 顔が潰れる!!

 ヒエェェェェェ!!!


 それはそれとして、男の人の手のひら大きいー!

 萌え!!!


「そしてこんな時にまた変なことを考えてるね?」

「考えてますん! ごめんなさい!」


 ぎりり、と更に緋人くんの手に力が加わった。


 顔が!

 顔が縮む!

 しわくちゃになる!!!

 いや、マジで、容赦ないなこの強さ!?



 カエルの潰れたような声を上げると、ようやく緋人くんは顔から手を離してくれたが、代わりに人差し指で額をぐりぐりされる。

 傷は塞がっているはずだけど、その爪でまた皮膚を切り裂かれそうな気がして、ぞくりとする。ウヒャア。


「俺が責任を問われると分かった上でのその行動だろう?

 ……本ッ当、シロのくせにいい度胸じゃないか」

「滅相も御座いません!!!」

「瀬谷みたいに外部と遮断してじっくり調教しないと理解できないのかなこの駄犬は?」


 あっ、前言撤回。

 監禁しそうな人、もう一人いたわ。

 黒い笑みを浮かべながら言う緋人くんを、私は怖々見上げた。




 今はもう、緋人くんはしっかり二本の足で立ち上がっている。

 私が気を失っている間に、足の怪我は若林くんの能力でつつがなく治してもらったらしい。


 この件に関しては、色々と思うところがあった。

 だって、そうでしょう。いくら状況が状況だったとはいえ、さすがにどうかとは、思う。


 けど、それについては言及しないことにした。

 私が部外者だからとか、そういうことじゃなく。二人の関係性とか、かなり個人的なものが関わるものだろうから。

 きっと、踏み込んじゃ、いけないものだ。


「何を考えてるのか、見当がつくけど。肝に命じておいてよ」


 緋人くんは、すっと目を細め、私の首に手を這わせると。

 耳元へ口を近づけて、低い声で告げる。


「変に気をまわして、フェードアウトしたりなんかしたら承知しない。

 シロはシロらしく、ここでニヤニヤ笑ってればいいんだよ。

 勝手に俺たちの前から消えたりしたら、地獄の底まで追っていくからな」






 そして。各所に怒られ、各所に謝罪した私は。

 十数年ぶりに、蒼兄とゆっくり話をした。

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