23大丈夫、健全健全

 突きつけられた言葉に、少なからず動揺した自分がいた。

 その事実に、何よりも私は最高に苛立つ。


 整然と提示された、藍ちゃんの理屈に。

 否と即答できない自分がいるのが、心底嫌だった。



「そんなこと、ないよ」



 やっとのことで絞り出した自分の声は、あまりに頼りなかった。

 不甲斐なさに、布団をぎりりと握る。



 どうしよう。

 信じたい、信じたいのに。


 心のどこかで、それを無視できない自分がいる。


 疑いたくなんかないのに。

 そんなこと、思いたくないのに。



 混乱したまま、私はそれ以上のことは何も考えられずにいた。



「ねぇ。もうこんなことやめよう、白香ちゃん」



 藍ちゃんは、私へ言い聞かせるように穏やかな声で告げる。


「冷静に考えてみて欲しい。その行為に。一体、君に何のメリットがある? 今や、君は若林と奥村という、二人の吸血鬼の体のいいエサになっている」

「メリットとか、そういうんじゃないもの。だって、私たちは」



 友だちだから。



 そう、後に続けようとした。

 続けようとしたのだ。


 けれども、言葉が出てこなかった。

 喉のところで何かに邪魔されて、引っかかってでもいるかのようだった。


 何故、とは思ったが、深くは考えず。もどかしさに歯噛みして、今度は体が動く。布団をはねのけ、私はベッドから滑り降りた。

 聞き慣れない、しゃらん、という金属音がするが、気に留めずに私はクローゼットのある方へ向かう。体が怠いせいか、足が妙に重い。


「行ってくる」

「どこへ?」

「若林くんのところに。ここで話していても、分かんないもん。直接、確認する。何があったのか、何が起きたのか!」


 威勢良く、そう告げたが。

 何かで足がもつれてつんのめり、クローゼットのドアに激突した。


 痛みに顔をしかめて体勢を戻すと、また足下から、しゃりん、と金属音が鳴る。

 そこでようやく、私は気が付いた。




「何、これ……」




 私の足首は。

 鎖で、繋がれていた。




 足首には鈍色の足枷がはまり、そこから伸びた鎖がベッドの足にしっかりとくくりつけられている。

 鎖は太く、それなりに重量がある。歩く分にはどうにかなるが、手で壊そうとするのは到底不可能だろうと思える重みがあった。先ほど感じた足の違和感の正体は、これだったようだ。



 不意に、緋人くんの台詞が蘇る。




 ――人狼あいつらは、嘘吐きで、惑わすのが上手い。




「あは。……あはははははは!」


 突然、藍ちゃんは高らかな哄笑をあげ。

 彼女は心底、楽しそうに目尻を拭った。


「あーあ。もうバレちゃった。さすがだね。ボクの期待と懸念のとおりだった。一筋縄じゃいかなそうだ」


 何が起きたのか理解できぬまま。

 呆然と私は、自分の足に巻き付いた鎖を指さす。


「藍ちゃん。これ、何なの!?」

「見たとおり、鎖だよ。事が終わるまで、お姫様には大人しくしてもらわないといけないからね」


 藍ちゃんは自分も立ち上がり、私の側までやってくると。

 私の腰に手をまわし、ぐいと強い力で引き寄せた。


「やっぱり君は騙せなかったね、白香ちゃん。ボクみたいに薄汚れた人間の甘言になんて、そう簡単にひっかかりはしなかった。

 その名のとおり、白く汚れなき花の香り立つ乙女だ。だけどね」


 藍ちゃんは、その長い指で、私の顎をくいと引く。


「ちょっとだけなら心に隙を作れた。それだけでボクには充分だ。おかげで、ボクの舞台は整った」



 顔をとらえたまま、藍ちゃんは顔を近づける。

 そしてそのまま、私の唇に口付けた。


 想像していたよりも、あまりに柔らかいその感触に、動揺し。目を見開いたまま、私は硬直した。

 唐突だったので、抵抗することすら忘れてしまった。


 さほど長くはないキスの後で、ちゅっと小さく音を立てて唇を離すと。

 藍ちゃんは私を抱きしめながら、耳元で甘い声で囁く。



「可愛い可愛い無垢な白香ちゃん。でもね。君の清らかなその真っ直ぐさは、時に自分をも貫く諸刃の剣になってしまう。

 知っているかい? 素直ないい子であればあるほど、暗示の類ってかかりやすいんだ。

 本当は君みたいな子に使いたくはなかったんだけど。正攻法で惑わせなかった以上は仕方ない。ボクの奥の手を使わせてもらうよ」



 嫌な予感がして、私はどういうことかと彼女に問いかけようとした。

 が。


 喋れない。


 口を開いて、声を上げたつもりでも、肝心の音はいっこうに喉から外に出てこなかった。

 叫ぼうとしても、囁こうとしても。

 本当に、何一つ喋ることができない。



 まもなく。次は、眠気が襲ってきた。

 急激な睡魔に立っていることが出来なくなり、膝をついて、カーペットの上に力なく沈み込む。


「ボクの毒はゆっくりと回る。遅効性の毒だ。だからボクの毒に全身を侵されるまで、静かにお休みお姫様」


 私の膝裏に手を回し、お姫様だっこで抱えてベッドに戻す。

 その拍子に鎖が、しゃりん、と澄んだ音を立てた。


「君は。本当にあの子にそっくりだね、白香」


 私をベッドに横たえ、布団を掛けると。

 藍ちゃんは、そっと私の髪を撫でた。



「だからきっと、君も同じ道を辿ってしまうだろう。

 でも、安心していい。ボクがそうはさせないよ。君はなんにも心配しなくていいんだ。君のことはご主人様に代えて、全部、全部、ボクが守ってあげる。

 ねぇ、そうだろう……円佳まどか



 自分の意志とは裏腹に、否応なしに薄れゆく意識の中。



 ……円佳って、誰だろう。



 ぼんやりと、そう思い。

 私は、意識を手放した。




******




「ねえ、しぃ。もう一度聞くよ。

 本当に、?」


 闇の中で。

 ひときわ強く輝く、金色の目があった。


 空に浮かぶ三日月のように細められた、鋭い目。

 人のものではない。

 まるで獣のような、目。



「忘れているはずだ。忘れさせたんだから。

 だから思い出して。俺の本当の姿のことを」



 知らない。

 私は、この目のことを、知らない。


 本当に?

 本当に、知らない?



「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを。

 まさに君のことだね、しぃ。だけどその羽衣は、あいつらに奪われてしまった。

 だから、俺が必ず、しぃを解放してあげるよ」



 くらくらする。

 必死に考えようとしているのに、何故だか頭も身体もふらついて、そのゆとりはない。

 立っていられなくなり、ぐらりと傾いだけれども、倒れそうになった身体は蒼兄が受け止めてくれた。

 私を片腕で支えたまま、蒼兄はもう片方の手でスマホを取り出す。



「望月白香を保護した。手筈通りに所定の場所へ向かえ。

 余分なことをするな。食い殺すぞ」



 冴えた金の目が、くっと歪む。

 感情を宿さない彼の表情は、ひどく冷ややかだ。




 私は、この人のことを、知らない。


 安室蒼夜でもない。

 望月蒼夜でもない。


 もう一つの、彼の顔。




 通話を終えると。

 彼は私の知る蒼兄の微笑みで、優しく告げる。




「何も心配しなくていい。ただ、ゆっくりお休み。

 しぃのことは、俺が守るから」

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