24お人形

 それから私は、ぼんやりとしたまま、ずっと家の中で過ごした。



 あの日以来。私は、喋ることができない。

 何度も何度も声を出そうと試みたが、開いた口からはいっこうに意味のある音が出てくることはなかった。


 藍ちゃんはあの時、『暗示』と言っていた。

 人狼の末裔は、吸血鬼の末裔と同様、特殊な力を持っている者がいるという話だった。詳細は分からないけれども。多分、これが藍ちゃんの使う特技なんだろう。



 そしてもう一つの変化は、睡眠時間が異様に増えた。

 藍ちゃんに「お休み」と言われると、どんなに意識がはっきりしていても、電池が切れたみたいにすぐ寝落ちてしまうのだ。目が覚めたときには、既にお昼になっている。

 寝かせられるのは大抵、夜の九時十時なので、悠に半日以上は眠っていることになる。こんなに寝てて大丈夫なのか私。



 おそらく私は、彼女の言う暗示の力で、藍ちゃんの支配下に置かれている。

 恒常的に作用しているのは、言葉と睡眠の二つだ。しかしひとたび藍ちゃんが命じれば、その都度、体が勝手に従ってしまうようだった。一度、どうにか逃げ出そうと抵抗したことがあるが、「やめて?」の一言で私は動けなくなってしまった。

 どの程度、複雑な動作を指示できるのかは分からない。だが私は、完全に藍ちゃんの術中にいるようだった。




 そんな使い物にならない私のことは、藍ちゃんが全面的に面倒をみてくれていた。


 藍ちゃんは昼間は大学に行き、夕方になると私の家にやってきて世話を焼いた。食事を作ったり、掃除や洗濯をしたりと、こまめかつ丁寧な仕事ぶりで家の事をやってくれるので、むしろ以前よりもQOLは上昇している。ご飯美味しい。

 なお翌朝の冷蔵庫には、藍ちゃんがいない間の食事も用意されている。私はただそれを温めればよかった。ご飯美味しい。


 本当に、私がやることは何もない。まるでただのヒモである。



 暮らす上で、不便はない。

 ない、のだけれど。

 だけど。




 完ッ全に監禁じゃん……!




 どこの二次元だよ。

 さすがの白香さんもびっくりだわ……。




 三食昼寝つきの快適な生活が保証される一方。

 見間違いなどではもちろんなく、私の右足首にはしっかりと頑丈な足枷がはめられていた。



 繋がれた鎖は、絶妙な長さで調節されている。トイレには一人で行くことが出来たが、玄関とベランダには到達できない。

 鎖の先は、ベッドの足に繋がれている。パイプベッドだけど、横に通っているパイプ部分も一緒に通してはめられているので、下から抜き取ることはできない。


 鎖を破壊できそうな道具もなかった。元より工具の類は家になかったが、包丁など凶器となりうるものが全て、私の手の届かない位置に保管し直されている。


 そして声が封じられているので、近くにいる誰かに助けを求めることも出来ない。

 スマホやパソコンなど、外部と接触できるツールも没収されていたので、そこから助けを求めることも不可能だった。

 徹底しておられる。


 何か手段はないかと、藍ちゃんが不在の隙にあれこれ思案し、使えるものがないか探し回ってはみたものの。私が思いつくようなものは、全て事前に対策されていた。

 私はなすすべなく、あっという間に十日ほどが経過してしまっていた。






 この日も怠惰な一日が過ぎ、大学から藍ちゃんが帰ってくる。

 私は軽く手を振って彼女を出迎えた。


 藍ちゃんは私を監禁している張本人である。

 とはいえ、閉じこめられて反抗できないようにされている、という点を除けば、彼女は私を丁重に扱ってくれていた。むしろ上げ膳据え膳の、お姫様レベルのもてなしである。快適なのは否定しない。


 なので私はこれまでどおり、態度は変わらずに藍ちゃんと接していた。

 どのみち彼女には逆らえないのだ。下手に敵愾心をむき出しにするより、友好的にしていた方が、お互いに気持ちよく過ごせる。そもそも私は、誰かに敵意や憎悪を抱き続けることが苦手なのである。疲れてしまう。


 それに大人しくしていた方が、いざ突破口が見つかった時にも、油断してくれるかもしれないし。

 見つかる気配はないけどね!



 藍ちゃんは微笑を浮かべながら、私の前に座り込んだ。


「いい子に待っててくれてありがとう。

 今日の君も一段と可愛いね? その服もよく似合ってるよお姫様」


 そう言って、挨拶とばかりに私の手の甲にちゅーをする。


 王子めー!

 さらっとやりおるなー!!

 それで何人の女の子を泣かせてきたのか教えてごらん?




 ところで余談なんですけれども。

 脱出に使えそうなもの、危険なものは没収されていたが、テレビや教科書なんかの暇つぶしに使えるものや、その他害のなさそうなものなら、基本そのままにされていた。


 ただし。

 何故か服だけは、忽然と姿を消していた。

 ユニクロやGUを中心とした私のワードローブは、元来そこにあったはずのクローゼットからごっそり姿を消し。その代わり、主にフリル、主に花柄、主にワンピースの、大変可愛らしいフェミニンなラインナップの洋服に変容していた。


 というわけで私は現在、藍ちゃんチョイスの、主にひらひら、主にふんわり、主に乙女な、可愛いお洋服の着用を余儀なくされている。




 なんでだよ!?




 いやね、この状況自体、根本的になんでだよ状態なのは重々承知の上なんですけれども。




 なんでだよ!!!!!




 

 なお下着までもが、チュチュアンナからトリンプの天使のやつにちょっとランクアップしている。徹底してるな?


 そのまんまにしていても全く問題がなさそうなのに撤去されてしまった、衣類チェンジの理由については。



「ボクの趣味だよ」



 ということらしかった。




 …………。




 どう!

 いう!!

 ことだよ!!!




「可愛い女の子に、似合う洋服を選んで着せてあげるのが好きなんだ」



 今の私は喋れないけれども、筆談はできる。

 なので何度か筆談を試みてはいたのだが、何を尋ねても、藍ちゃんは笑顔でスルーし何も教えてくれない。

 だが、この時ばかりは饒舌に語ってくれた。



「骨格診断って知ってる? その人の骨格によって、似合う服の素材や形も変わってくるんだよ。

 ボクの見立てだと。白香ちゃんの場合、ショートパンツもいいけど、こういうふわふわしたワンピースとか、いかにも女の子って感じの服が凄く似合うんだ。

 だけどクローゼットの中にはあまりなかったから、どうしても着せてみたくってね。

 本当は髪もいじりたいんだけど、肩までのボブじゃあんまりいじりようがないからなぁ。もっと伸ばすといいよ。そしたらボクが、もっといろいろやってあげる」



 ということらしかった。

 この後に話してくれた細かい話も、割と面白くて真剣に聞いてしまったのは秘密である。



 しかし藍ちゃんの見立ててくれた服は、最初は自分にはあまりに可愛すぎるのではと気後れしていたものの。着てみれば思いの外、悪くないなと思える感じだったので、正直なところ、まんざらではない。


 だけどね。藍ちゃんが調達してくる服、庶民の大学生としては、ちょっとばかし勇気いる値段帯のブランドのものが多くてね。

 そんなものがごそっと準備されていたので、マジでどういうことなの状態ではある。しかもこれがプレゼントだというのだから本当に意味が分からない。

 うーん普段の数着分のお値段だわ……これまで雑誌でしか見たことなかったわ。

 コスメより先にお洋服でジルスチュアートを手に入れてしまった……。

 やぶさかではないですけれども……。


 実はちょっとテンションがあがっているのは秘密だ。

 だってそこはほら、一応私も女子ですから……。




 そんなこんなで本日の私も、裾に刺繍・ウエストにリボン・パフスリーブ、という乙女三拍子の盛り込まれた、レッセパッセの可愛いワンピースである。

 藍ちゃんもご満悦で、私も満足している。大変に平和である。

 監禁されてるけど。




 藍ちゃんはバッグの中からファイルを取り出し、数枚のルーズリーフとプリントを私に手渡した。


「これ、今日の分だよ」


 藍ちゃんは、私のとっている授業へ代わりに出席して、授業のノートをしっかり提供してくれていた。至れり尽くせりである。

 いや、監禁されてるんだけどね?


「あと半分だよ。もう少しだけ我慢してね、白香ちゃん」


 藍ちゃんの言葉に、私は頷いた。




 さっきも言ったように、言葉は喋れないが筆談はできる。

 たびたび筆談でいろいろと尋ねたものの、ほとんどの事柄に彼女は答えてくれなかった。

 けれど、一つだけはっきりと与えられた情報がある。



 それは、『この監禁は三週間で終了する』ということだった。



 私が部屋に閉じこめられたのは、蒼兄と能を観に行った翌日だ。テレビで日付を確認したので、それは間違いない。

 そこから、三週間後に何があるかといえば。




 次の次の日曜日、今日から十日後のその日は――満月だった。




 前回のことで反省して、事前にその日を調べていたのではっきり覚えている。間違いない。


 今、自分が置かれている状況は、ほとんど分からないことだらけだ。だから、あくまで推測に過ぎない。

 だけど、先日の藍ちゃんの発言をふまえて考えると。

 おそらく彼女の目的は、若林くんに私の血を飲ませないことだ。


 私の他には緋人くんしか血をあげる相手がいない。

 そして、緋人くんの血だけじゃ、満月の日には足りないのだ。

 私さえ血をあげなければ、若林くんは簡単に枯渇する。


 だから私が接触しないよう、家に閉じこめているのだろう。

 地元に戻れば、他にも血をもらえる相手がいるかもしれないけど、もしかしたらそちらも既に対策しているのかもしれない。



 そして血が足りなくなり、理性の危うくなる満月の日に、若林くんへ何かを仕掛けようとしている。

 具体的に、どうするつもりなのかまでは分からないけど。



 ――ボクはね、あいつを排除するために来たんだ。



 藍ちゃんの言いぐさからは、不穏な空気が漂っていた。きっと若林くんに危険が及ぶ可能性が高い。

 証拠はないけど、状況からして、私の推測はそう間違ってはいないはずだ。

 どうにかこのことを、若林くんか、それが無理なら緋人くんに伝えないといけない。



 だけど。



「今日も、連絡はなかったよ」



 藍ちゃんは、したり顔で私のスマホを掲げてみせた。


 現時点で、既に私は一週間以上監禁されている。

 しかし、私の異変に気付く人は誰もいなかった。


 何故なら、スマホにきたメールやLINEは、藍ちゃんが滞りなく返信しているからだ。語学の授業やサークルの先輩には、事前に休みの連絡をきちんと入れている。私は風邪をこじらせて、寝込んでいることになっていた。

 そういった人たちから心配の連絡が入っていることは、藍ちゃんから伝えられている。


 けれど。



「もう十日経ったというのに薄情だねぇ。元はといえば、あいつらが悪いのに。ボクらにかぎつかれたから、白香ちゃんのことは切り捨てちゃったのかな? ひどい奴らだよ」



 若林くんと緋人くんからは、一度も連絡はなかった。

 同じサークルなのだから、私が休んでいることは承知しているはずだ。だけど、あの日以来大学を休んでいることについても、血の提供についても、一切連絡がない。


 とはいえ。藍ちゃんが、嘘を吐いている可能性は高い。

 実際に連絡がきているかどうか、私にそれを確認するすべはなかった。全ては藍ちゃんの手の中にあるのだ。

 更新されていないスマホの画面を見せられはしたけど、来たメッセージを削除してしまえばそれまでだ。


 それは分かっている。

 それは分かっているのに。


 十日前から止まったままの画面をみると、ちくりと胸が痛んだ。






 ひととおり、今日の授業の伝達が終わると、藍ちゃんは買い物に出掛けた。

 夕飯は私の希望でビーフストロガノフにしてくれるらしい。季節外れの面倒なリクエストにも、藍ちゃんは律儀に答えてくれる。これくらいしか楽しみがないのだから、多少のわがままは許してほしい。楽しみぃ……。


 留守番している間、手持ちぶさたに今日の講義のノートを眺めていると、玄関のチャイムが鳴ってびくりとする。

 新聞の勧誘かなにかだろうか。だけどどちらにせよ、私は出ることができない。


 居留守とバレるといやだなあ、と物音を立てないよう縮こまっていると。しばらくして、またチャイムが鳴らされた。

 続けて今度は、コンコンとノックの音も響く。




「望月さん。いるの?」




 おずおずと遠慮がちにかけられた声に、どきりと心臓が跳ねる。



 この声は。




 若林くんだ……!

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