21諸悪(?)の根源あれこれ
もとい、
私の幼なじみであり。
私の初恋の人であり。
かつての私の、兄と呼ぶべき人だった。
衝撃の展開から、数十分。
あれこれ話したいことはあったが、その場では安室くんに制止され。ひとまず私たちは、夕食を兼ねてファミレスに移動していた。
私の隣に安室くん。
テーブルを挟んだ向かいに、謎の三人組が座る。
いや、謎でもなんでもないんだけど。
思いっきり、環と若林くんと緋人くんなんだけど。
いつもだったら、じっくり三人を観察していただろうけど、あいにくと今日はそんな余裕がなかった。誰かに話しかけられても、ちっとも頭に入ってこない。
だめだ、せっかくの環の男装ですら堪能できずにいる。隣の人のことが気になって、なんも集中できない。あっ、よく考えたら男装じゃなかった。
全員が注文を終え、ドリンクバーの飲み物を確保したところで、ようやく私は緊張しながら口を開く。
「ええと……安室くん」
「それで呼ぶの?」
そう言われましても!
なんと呼べばいいのか!!
分からないんですけども!!!
ここまで、焦れに焦れていた感情が弾け、私は高い声をあげる。
「だって、まだ混乱してるんだもん! 本当に、本当に、あお兄?」
「今更。それを疑うの?」
少し、寂しそうな色を浮かべた安室くんに。
しかし私は両手の拳を握って、ためこんでいた疑問を列挙する。
「名前が違ったじゃん! 苗字はともかく、名前までどうして!?」
「読み方なら簡単に変えられるんだよ。漢字は昔と変わってない」
「学年だって一個上だったよね!?」
「うん、もう十九だよ。だけど俺は一浪してるから」
「いつから私のこと気付いてたの!?」
「最初からだよ」
最後の回答に、私は盛大にむくれた。
「だったら。もっと早く言ってくれればよかったのに」
「悩んではいたんだよ」
前のめり気味な私をなだめつつ、安室くんは苦笑いを浮かべた。
「だけど。しぃちゃんは、あんまり思い出したくないかもしれないと思って」
「そんなことない。あお兄のことは別だよ」
頭の片隅に根強く居座る、嫌な記憶もあったけれど。基本的にあの頃のことは、私の人生の中でもとりわけ幸せだった記憶なのだ。
もっとも、だからこそ。
つい最近まで私は、極力それを思い出すまいとしていたのだけれど。
それにしても。
改めて私は、隣の安室くんをまじまじと見つめた。
そうと知って見れば。確かに彼には、あの頃の面影があった。どこかぼんやりした面持ちや、人懐こそうな目元は、今でも変わっていない。
だけど、十年だ。最後に会ったのは私が小学一年生の時だから、厳密に言えば十一年。二次性徴どころか、まだ幼児の面影を引きずっていた男の子は、あまりにがらりと変わりすぎていた。
低かった身長は、百五十五センチの私より頭一つ以上高く。
病弱そうだった折れそうに細い体格は、肉付きよい筋肉質に。
メガネだったのが、多分コンタクトか何かに。
さらさらの黒髪は、ぼさぼさとした明るい茶髪に。
そして物静かで大人しかったはずの彼は、私より遙かに社交的になっていた。
要素だけならまるで別人だ。これで名前まで当時の記憶と違っていては、とても気付きようがないということは分かって欲しい。
私の記憶の中では、安室くんは、あお兄は、愛らしいショタっ子のままで止まっている。
まあ安室くんの方だって、私がこんな変態になっていたとは微塵も思わなかっただろうけど!
うん。私は名前が同じだったとはいえ、よく分かったね!?
私があらかた落ち着くまでのタイミングを見計らってくれたのか。
こちらの様子を窺って黙っていた三人の中から、代表して緋人くんが穏やかに尋ねてくる。
「十年ぶりの再会に水を指して悪いけど。できたら、僕たちにも説明してくれるとありがたいんだけどな。
つまり、親の離婚で離ればなれになった兄妹ってこと?」
猫かぶりバージョンの緋人氏の問いに、安室くんはすぐには答えず。
横目で視線を送り、私に確認をとる。
「しぃ。どこまで話していい?」
「この三人なら。全部、大丈夫だよ。別に隠してるわけじゃないから」
ただ、積極的に人には話していないだけなのだ。不用意に話をしてしまうと、きっと驚くだろうから。
何も、隠すようなことはない。
だけど。
「私が話そうか?」
「いや、いいよ。俺が話す。しぃに話させる内容じゃない」
微笑みを浮かべてみせてから、安室くんは三人へ視線を戻す。
「昔、兄妹だったのは、俺たちの中では本当のことだ。だけど、世間的にそれは通用しないだろうな。
しぃと俺とは、事実上は赤の他人だよ。血縁上も戸籍上もね」
緋人くんは首をひねる。
「じゃあ。親の再婚で一緒になった兄妹ってことか? それでまた離婚したと。
だけど戸籍も違うってことは。事実婚だったってこと?」
「だいたい合ってるけど。他の家族と比べたらちょっと特殊な状況でね。俺たちの親は、出したくても婚姻届を出せなかったんだ。
俺たちは、母親同士が一緒になったから」
さらりと告げられた事実に、三人は唖然として目を見開いた。
何食わぬようすで、そのまま安室くんは続ける。
「お互いに男で……父親で苦労したみたいでね。『もう男は懲りた』って意気投合した母親たちが、一緒に暮らすようになったんだよ。
だけど女同士だから当然、婚姻届は出せない。だから戸籍上も俺たちは赤の他人ってわけ」
「じゃあ、逆にどうして苗字は同じなんだよ」
「たまたま同じだったんだ。それは本当に偶然ね。
だから、兄妹を名乗りやすかった。母親たちが一緒になったのは、それもあったんだと思うよ。俺たちが変な苦労をしないようにさ。
小学校低学年の頃。確かに俺たちは、二人の母親と、俺としぃとの四人家族だった。たったの一年半くらいだったけどね」
簡単な説明だったけれど。
その事実が口にされただけで、懐かしさに震えてしまいそうだった。
本当に、楽しい日々だったのだ。
だからこそ。
喪失に耐えきれず、思い出したくなくて。
今まで、ずっと封じ込めてきたのだった。
「俺たちの生活は平和だったけど。しばらく経ったところで、俺の父親に居場所がバレたんだ。
俺の父親は、いわゆる暴力を振るう人間でさ。俺と母さんはそれで父親から逃げてたんだよ。
仮にしぃの親が男の人だったとしても、母さんは父親と離婚出来てなかったから、どのみち結婚はできなかっただろうな」
重みと痛みの伴う話を、淡々と語ってのけた。
意外に思って、私は驚く。
いつのまに。
いつのまに、あお兄は、こんなに平然と話せるようになったんだろうか。
だけど、よく考えれば、十年以上が経っているのだ。
今や、あお兄のことを知らない時間の方が、ずっと長い。
「このままじゃ、しぃやしぃの母さんに危害が及ぶ可能性があるから、俺は母さんと遠くに逃げた。
それで、しぃとは離れ離れになった。それから今まで、一切会わなかったんだ。下手に繋がりを持つと、危ないから。
だから俺たちは家族の不仲で別れたわけじゃない。そのぶん余計に、辛かった。ずっと俺は、しぃのことが心配で、心残りで。片時も忘れたことなんてなかったんだ。
なのに」
安室くんは、わざとらしく悲痛に歪めた顔をこちらに向けた。
「生き別れの妹と十年ぶりの再会だっていうのに、しぃちゃんはちっとも俺に気付いてくれないし」
急に話が振られて、私の肩がびくりと跳ねる。
「だって! あの頃と、全然違ってるんだもん!」
「俺はすぐに、しぃだって分かったのになぁ」
「私は名前が変わってないからでしょ!」
「気付いてくれたらなと思って、メガネをかけたり方言だしたり、昔に繋がるヒントをちりばめといたのに。本当に俺のことを無視してるのかと思って、お兄ちゃんは悲しかったぞ」
「分かんないよー!
むきになって言い返していると。
からかいの笑みを口元に浮かべた蒼兄に、おでこを人差し指でぐりぐりされた。
軽くあしらわれている感。
ぐぬぅ……!
十数年ぶりの、小憎らしいこの感じ……!
「昔はあんなに可愛かったのに。今じゃ萌えないだのなんだの、散々いちゃもんをつけてくるし。あの頃は、俺のことが大好きだって言ってくれてたのになぁ」
机を軽くばんばん叩きながら、私は勢いに任せてまくしたてる。
「違うもんー! だって私が好きだったのは、茶髪でリア充オーラ出してた人じゃないもん!
私が好きだった
あ。
……しまった。
にやにや笑みを浮かべながら、安室くんは頬杖を付く。
「そうだよねぇ。基本、しぃの好みの性癖の根源は、全部昔の俺だもんね」
「お兄ちゃんのバカーーー!!!」
思わず叫んで、赤面した私はテーブルに突っ伏した。
墓穴を掘った。
墓穴を!
掘った!!!
これでは認めているようなものだ!!!!!
いや……事実なんだけど……。
大好きだった蒼兄と離ればなれになった幼少の私は、それはもう盛大に泣き暮らした。
だけど、いくら泣いてもわめいても、蒼兄もあの日々も二度と戻ってこないことを悟ると。
私はあの頃の記憶を、徹底的に封印したのだ。
二度と会えないだろう人のことを思い出しても、辛いだけだから。
その時のことが。
突然現れた蒼兄の父親への恐怖心や、理不尽に引き離された悔しさや、蒼兄を守れなかったふがいなさや、子どもではどうにもならない諸々のことが……幼少ながら、本当にしんどくて。
それから私は、当時の思い出を忘れようと努めたのみならず。恋愛そのものから、一歩引いて過ごすようになってしまっていたのだ。
そして後々、二次元の世界に楽しみを見いだすようになった私の好みの行き着いた先は。
まあ。そういう。ことである。
だけど。
ふてくされながら起き上がり、彼の茶髪をじろりと睨む。
「成長した蒼兄がこんなのだなんて聞いてない」
「こんなの言うな」
あ痛っ。
おでこを指ではじかれた。
「そういうのが一切似合わない見てくれに育っちまったんだから仕方ないだろ。
それに。俺はあの頃と、徹底的に変わらなくちゃいけなかったんだ」
「変わらないといけなかった?」
「弱っちい蒼兄のままじゃ、いられなかったんだよ」
そうとだけ答えると。蒼兄はようやく、氷の溶けかけたアイスコーヒーに手を伸ばした。
つられて私も、メロンソーダのストローを口に含む。せっかくなのでアイスを乗せて、勝手にクリームソーダにしていたが、話し込んでいたため既にアイスは溶けかけていた。早く食べなくては。
「ところで、しぃ。あの約束は、まだ有効?」
「あの約束?」
「大人になったら蒼兄のお嫁さんになるって約束」
「ゴファッ」
冗談みたいな音を立てて、盛大にむせかえった。
ぐあ、苦しい苦しい! 器官に入った!!
炭酸が器官に入るとやばい!!!
前にもこんなことがあった気がする……ッ!
蒼兄、わざとだな?
絶対にわざとやったな???
「おい安室」
咳込んで私が答えられずにいる間に。これまで黙って話を聞いていた環が、据わった目でドスのきいた声を出す。
環さんそんな低い声出たんですね?
ロッカーの中から出てきたときよりも怖いよ???
あの時は麗しい美女だったけど、今はヴィジュアル系のバンドにいそうな恰好のお兄さんなので、迫力が増し増しである。
「子どもの頃にたかが一、二年一緒に暮らしてたからって、ドヤってんじゃねぇよ。今の白香のことをよく知ってるのは、俺の方だ」
「そうだな。桜間の言うとおりだ」
分かりやすくマウントをとろうとした環を、しかし蒼兄は笑って受け流す。
「俺が知ってるのは、せいぜい、しぃの右の肩甲骨のところにホクロがあることくらいだ」
「言うなバカー!」
つい蒼兄に向けて手がでるが、片手で受け止めてあしらわれた。
くっそおぉぉぉぉぉ!!!
「なぁに? 俺のことが好きすぎて、遠足にまで着いてこようとしたけど、バスに徒歩では追いつけなくて、迷子になって皆に大捜索された話もする?」
「言うな! 話すな!! お兄ちゃんのバカあああああ!!!」
私の好きだった蒼兄はこんな人じゃない、と言いたいところだけれども。
残念ながら、こういう部分も含めて、この人は私の大好きだった蒼兄なのである……。
どうにもならない……。
見てくれはともかく、今ここで出している中身は、だいぶ当時のまんまだからなまじタチが悪い……。
顔が熱い。
きっと今、茹でダコのようになっているのだろう。
この原因が。
ちょっとまだ、分からない。
身内でのやりとりに苛立たせてしまったのか。
環をはじめ、緋人くんと、若林くんまでもが口を開く。
「お兄ちゃんは黙ってろよ」
「お兄ちゃんはどっか行けよ」
「お兄ちゃんはすっこんでろよ」
「お前らの兄になった覚えはねぇよ……」
三人の輪唱のような抗議に、蒼兄は気圧されて黙った。
これはあれだな。この数ヶ月見慣れた安室くんのキャラだな。
今の隙にと、私はすかさず話題を逸らす。
「だけど、すごい偶然だね。まさか大学が一緒で、サークルまで同じなんて」
「偶然じゃないよ。世の中に都合のいい偶然はそう転がってない」
え、と思って顔を上げると。
蒼兄は、優しい笑みを浮かべて言う。
「しぃちゃんがこのサークルに入るのを知って、俺も入ったんだ」
だったらなおさら早く言ってよー!
と思って、再び抗議をしようとしたが。私より早く、若林くんが尋ねてくれる。
「なら。どうして今になって名乗り出たんだよ」
「本当は。名乗り出ないつもりだったんだ。さっきも言ったように、俺のことを思い出したくないかもしれないと思ったからね。俺はただ、近くで見守れれば良かったんだ。
だけど、ここにきて。我慢できなくなってね」
手にしていたコップをテーブルに置くと。
蒼兄は目を細め、三人を順繰りに見つめる。
「どうやら最近うちの可愛い妹に、随分と面倒くさそうな虫が三匹もまとわりついているみたいだから。ちょっと、黙っていられなくなったんだ」
ああ。
これは、こっちは……。
昔の私がよく知っている、望月蒼夜の方だ。
「今日は、お前らが着いてくるだろうことも全部見越して、分かりやすく牽制しに来てあげたんだよ。本当にしぃと二人だけで過ごしたいなら、あんな分かりやすくサークルで話したりなんかしない。
どうして今、お前らに込み入った家庭環境の話までしたと思う?
血縁的にも戸籍的にも、俺としぃには全く問題ないってことを言いたかったからだよ。
別に、何をどうしろとは言わないよ? ただね。俺という面倒くさい兄貴がいるということを、三人にはしっかりと認識してもらえたらと思ってね」
三人に口を挟む隙きを与えることなく畳み掛けると。
安室蒼夜は、にこりと微笑んだ。
うん、怖い。
相変わらず、お兄ちゃんのそれは、怖い……!
こうして、私は。
生き別れた兄である、
……だけの、はずだった。
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