11テンプレ吸血鬼みたいな

 それにしても。


 広げた書類や本をまとめながら、私はまたしても奥村くんを盗み見る。でも今度はいかがわしい理由じゃないから許して欲しい。



 今日の感じからすれば。

 奥村くんの中で、私は『敵』というカテゴリからは除外されているようだった。

 その代わり、彼に支配という名の首輪をつけられてるようなものなんだけど。もはやペットよろしい立場な今、脅威の対象じゃないからなのかもしれないけど。


 だけど。

 この人は当初。私をエスカレーターから突き落としてまで、若林くんから遠ざけようとしていたのだ。


 今の私だって、各種SNSアカウントを盾に弱みを握られてはいるとはいえ、それでも先週のソレとは、だいぶ度合いが違う。

 あれは紛れもない、直接の加害だ。下手をすれば、それこそ死んでいたかもしれないのだ。

 私の背を蹴り飛ばした彼に、躊躇はなかった。さっき奥村くんが言ったみたいに、表向きは穏便に付き合っていこうとしている人のとる行動じゃない。


 だから、最初がそれだっただけに。

 いくら若林くんに説得されたからって、そう簡単に彼が引き下がるように思えなかったのだ。


 まして奥村くんの行動が、若林くんへの執着が由来なのだとしたら尚更だ。若林くんと私の間の状況は、何一つ変わってはいない。

 私は今なお、彼の被血者であり続けているし、まさに今日もこの後に血をあげる約束をしている。だけどそれに関して、奥村くんからは何も言われていなかった。


 そもそも奥村くんは、他の被血者を見つけることに否定的だという話だった。それがどうして、私というイレギュラーを許す流れになったのかも不明だ。

 二人の間でどういう会話が交わされたのか、二人の関係がどういうものなのか分からない以上、結論は出ないんだけど。


 どういう関係なのかは分からないけど。

 どういう……関係なのか……計り知れないけど……。


「なに? また変なことでも考えてた?」


 目を細めた奥村くんから、鋭い視線が飛んできた。

 いかん。邪念が入ったからか悟られた。

 っていうか本当になんだこの人、テレパシーでも取得してるの!? それとも私がだだ漏れなの!? 後者だと今後の日常生活にも支障をきたすんだけど、どっち!?


 ともあれ。

 いい機会ではあったので、私は恐る恐る尋ねる。


「ちょっと、気になって。

 私を突き落とした割には。案外あっさりと、若林くんの被血者になることを許してくれたなって思ってさ。奥村くんは、他の被血者を作ることも反対だったんでしょ」

「お前はただの変態だったからな」


 スパンとはっきりした返答がきた。

 否定はできない。

 むしろ肯定しか出来ない。


 私の話を受けてスマホをいじっていた手を止めると、奥村くんは後ろ手をついて机に腰掛ける。


「まだ懸念はある。けど一番の厄介な可能性は消えた。だから現状はお前への牽制だけで足りると判断したんだ。それだけだよ」

「懸念、って」

「お前は知らなくていい。俺たちには俺たちの事情があるんだ。

 シロは単なる妄想癖のある阿呆だったからよかったものの。そう簡単に、身元の不確かな被血者を引き入れるわけにはいかないんだよ」

「なんで?」

「だからお前に言うわけないだろ。馬鹿?」


 ですよね、あなたはそういう方でしたよね! 愚問でしたね!

 だけどその蔑むような目線は結構好きですありがとうございます!


 私から目を反らし、奥村くんは思案するように窓を見つめると。

 言葉を選びながら続ける。


「紅太に血を飲ませるのは、癪だが必要なことではあるからな。どうにかしないとと思ってはいた。だからひとまず、少なくともお前を受け入れたんだ。

 けど。これは、俺たちの問題だ。口は出さないでくれ」


 そこまで話して、彼は口を閉ざした。その先は教えてはくれないらしい。

 当たり前だ。私はあくまで、血の提供者に過ぎない。必要以上に踏み込まれたくないのだろう。

 彼からしてみたら、若林くんの血を得るために渋々受け入れはしたものの、私はただの邪魔者に過ぎないのかもしれない。

 それ以上の言及は諦めて、私は片付けを再開した。




 バッグに荷物を詰め終えたところで、おもむろに奥村くんが告げる。


「ねえ。俺にもちょうだいよ、お前の血」


 振り返ると、彼は自分の膝の上で頬杖をつきながら、小首を傾げていた。

 なんだそのあざといポーズ。あなたの場合、素なのか演技なのか分からんな!


「俺だって吸血鬼の末裔なんだ。紅太としてるだけじゃ、飽きるんだよ。

 それに変な血を毎週毎週あいつに与えられても困るからさ。俺も味見しておきたいんだ」


 テイスティングですか?

 しかしこの人、バスローブを来てワイングラスに血を並々注いで飲んでるのが似合いそうだから困る。


 若林くんに血の味をああ評されている身としては、味見と言われると身構えてしまうんだけど。

 とはいえ、恥ずかしいという以外に断る理由は別にない。

 断れる気もない。

 わん。


「大丈夫だよ。でも私、刃物とか持ってないからなあ。そろそろ若林くんが来ることになってるから、もう少ししたら」

「必要ないよ」


 机からぴょんと飛び降り、彼は数歩で私の目の前にやって来ると。

 私の髪をそっと横にかき分け、首と肩の間の辺りに、にわかに噛み付いた。


 ええと。

 うん待って。



 普通にえろい。



 そしてアレだな!

 まさに吸血鬼だなー!!

 うわー新鮮だーーー!!!



 昔から思い描いていた吸血鬼像と違わぬその姿に、変な方向に感動してテンションが上っていたが。

 ふと、違和感に気付いて別の意味で驚愕する。

 今、遠慮なしに奥村くんから思い切り牙を立てられたはずのそこは。


「痛くない……」

「俺の特技だからね」


 ぷは、と私の首元から口を外し、奥村くんは口を拭った。

 彼の口から、ちらりと鋭い犬歯が覗く。


「紅太は傷を治せるだろ。俺の場合は、感覚を麻痺させて、相手へ痛みを感じさせないようにできるんだ。牙が麻酔の役割を果たしてると思ってくれればいいよ。

 だけど今のは、まだ血は吸ってない。もう一つの特技が」


 彼は、右手の指先で私の首筋に触れ。

 指の腹で、すっと撫でた。

 けれど牙の麻酔が聞いているためか、ほとんど感覚がない。


「意図してやれば。俺は、この爪だけで簡単に皮膚を切り裂ける」


 前に首筋へ爪を立てられた時に感じた恐怖、私の直感は間違ってなかった!

 油断したら頸動脈とかを切り裂かれて死ぬ!!

 いやぁーゾクゾクする!!!


「だから、相手に痛みを感じさせることなく、失血死させることだってできるよ」

 

 怖い怖い怖い怖い怖い!

 そしてこの人、本気でやりかねないから怖い!!!

 っていうかむしろ既に前科がありそうで怖いよー!!!!!


 慄いた私の反応に、満足げに笑みを浮かべると。

 奥村くんは、首筋へ爪を立てた。

 痛みは、ない。


「じゃあ、もらうね」


 私からは見えないが、既に血は流れ出しているのだろう。一言、断りを入れると。

 奥村くんは、先ほど牙を立てた時と同様、首に唇を這わせ、血を吸い始める。




 うん。




 位置な???




 慣れた、とまではいかないけど。何度か血をあげて、場数は多少踏んでる。

 だけど若林くんの時は、いつも手や腕だ。


 首て。

 首筋て。


 感覚はないから、こそばゆさとかもないんだけど。

 首て。


 首筋にこそ感覚はないが、他の場所はいつもどおりだ。顔に当たる奥村くんのふわふわした髪の毛がくすぐったくて、同時にとてつもない背徳感を覚えて、目を反らした。

 けれども目を反らした先、全面がガラス張りになった窓には、私たちの姿がうっすらと映っていて、かえって度肝を抜かれてしまう。第三者視点で見せないでくれ!

 仕方なしに私は、やっぱり天井を仰ぐしかなかった。


 ありがとう天井。

 ありがとうシーリング。






 やがて満足したらしい奥村くんは顔を上げた。

 口元には、赤い私の血が付着している。雫になったその一筋が、つ、と顎まで垂れた。


 やべぇ……テンション上がる……。

 口元が血まみれの漆黒な笑顔の貴公子ヤッベ……絵になりすぎる似合いすぎる……。

 すっごい写真に撮りたい撮ったらめちゃくちゃ怒られるから絶対やれないけど脳内に超記憶しとこう……。


「あぁ。これは、そうか。なるほど」


 口についた血を拭い(残念)、納得したように奥村くんは頷く。


「紅太の言ってた意味が分かったよ」

「言ってた?」

「あんたの血は『うるさい』って。確かに本人と同じように、だいぶうるさいな」


 ごめんなさい!

 味のごった煮でごめんなさいね!


 覚悟はしていたが、やはりいたたまれなくなって小さくなる私を、不思議そうに奥村くんは眺めて。


「癪だなぁ」


 何故か、軽く睨み悔しげに呟いた。

 なんですかその反応!? 怖いんですけどぉ!?


「お前は知らなくていいよ。シロには教えない」


 どういうことなの!?


 意味深な奥村くんの態度に、懲りずに聞き返そうとしたら。かちゃりと音を立てて、サークル部屋のドアが開いた。

 入って来たのは若林くんだ。時計を見れば、いつの間にか約束の時間の十分前になっていた。

 私は手を振って声をかけようとしたが。彼は固い面持ちでこちらを凝視していたので、上げかけた手を止めた。


「緋人。何、してるんだよ」

「見てのとおりだよ。彼女から、血をもらってた」

「血を! 止めろって!」


 言われてようやく気がついた。まだ私の首からは、血がにじみ出ている。そこまでの勢いではないが、放っておけば服が汚れてしまいそうだ。

 若林くんは机にバッグを放り出し、足早に私の前までやってくる。


「ごめん、止めるよ」

「お願いします」


 このまま若林くんも飲めばいいのでは? と思ったけど、それを言い出せる剣幕ではなかった。

 それにこのまま飲んだら、奥村くんとの間接キスになってしまう。

 いや待て、舐めて血を止めるんだから、どのみち間接キスだな?


 えっ待って。私すごくない……?

 推しとその相手役との、間接キスの媒体になれたよ……?



 しょうもないことを考えている間に、若林くんは血のあふれる首筋をぺろりと舐める。

 私は感情を無にして、またしても天井を仰いだ。ありがとうシーリング。

 そうこうしているうち、瞬く間に血は止まった。

 いやぁ。若林くんのこれ、本当に便利だ。


 お礼を言おうと口を開きかけるが、しかしそれより前に若林くんは、険しい表情で奥村くんを睨む。


「何をしてんだよ、緋人」

「俺は味見をしただけだ。シロに許可は取ってる」

「どうだかな。そもそも、考えなしに血を吸うなって言ってるんだよ。お前は加減を知らないんだ。もう少し傷を小さくするとか、あるだろ」

「つい、いつもの癖でさ」

「ふざけんな。俺が来なかったら、どうするつもりだったんだよ」


 珍しく、声を荒げて言い募る若林くんに。

 奥村くんは、らしくなく、少し気圧されているようだった。


「久しぶりに、紅太に怒られたな」


 ぼそりと小声で言うと。

 奥村くんは机に置いてあったバッグを掴み、背を向けた。


「今日は帰るよ。じゃあね紅太、シロ。また来週」

「待って!」


 思わず、反射的に呼び止めた。



 よくない。

 これは、よくない。


 傍からは、もしかして血を強要したように見えるかもしれないけど。これは、私もちゃんと同意していることだ。

 傷口が大きかったのだって、奥村くんのただの過失だ。悪意はない。そもそも止血を忘れていたのは、私だって一緒なのだ。

 すぐに若林くんが来ることを織り込み済みだったのかもしれないし、でなければ普通の手段で血を止めてくれようとしてくれたかもしれない。

 実際のところ、どう考えていたかは分からないけど。

 少なくとも、さっきまでのやり取りで、奥村くんに害意があるようには思えないんだ。


 二人の間に、私なんかのせいで波風を立ててはいけない。



「思ったんだけど。

 今度から、奥村くんも一緒に血を飲めばよいのでは?」



 咄嗟に出た言葉だった。

 だけど口に出した後で、これはなかなかの名案なんじゃないかと思う。


「は?」


 予想外の言葉だったのか、間の抜けた声を上げて奥村くんは立ち止まった。

 若林くんも、きょとんとして振り返る。


「望月さん、なんでまた緋人まで」

「奥村くんもいてもらった方が、今後は色々と都合がいいんじゃないかなと思ってさ。

 今は流血してても、来たのが若林くんだったから大丈夫だけど。これが他の人だったら大騒ぎだよ。気をつけてても、いつか誰かとエンカウントしちゃう可能性はある。

 だけど三人なら、片方が飲んでる時、片方が外を注意してれば、バレる危険性は減るでしょ」

「まあ。そう、だけど」


 困惑したようすの若林くんをよそに、私は喋り続ける。


「あと、一番のポイントはね。さっきみたいに、奥村くんが傷を作って、若林くんが治してくれれば、私には何の問題もなくなるんだよ。

 今のところ、私の唯一のデメリットは『傷を作る時に痛い』ってことだけど。

 奥村くんがいるなら、私は全然痛くなくなるから、もはやデメリットはなにもなくなるじゃん!」



 それに。

 毎回、若林くんと私が二人で血をやりとりすることは。

 奥村くんは口にこそ出してはいないが、あまりいい気分は、しないはずだ。


 二人がどんな事情を抱えているのか、どんな関係性かは分からないけど。最初は私を強制的に排除しようとしたくらいだ。単なる友人、単なる協力者にとどまらない、一定以上の深い絆があるんだろう。


 そこへ突然やって来た異分子に、その場所を取られるのは。

 多分。当事者の一人である若林くんが想像しているより、しんどい。



「血は確実にこれまでの倍減ってるだろ。馬鹿じゃないの」


 呆れたように奥村くんはそう言ってから。

 しかし、口元に指を当てて小さく頷く。


「なるほどね。シロにしちゃいい考えだ」


 お褒めに預かり光栄です。


「俺は、紅太ほどは血を必要としない。けど確かに、たまに人間の血を入れるのは、俺にとっても悪くない話だ」

「緋人」

「シロは退かないぞ、紅太」


 色っぽい流し目で若林くんにそう告げてから、奥村くんは私に向き直る。


「分かった。ただ俺は数週間に一度でいい。だけど毎回それには立ち会おう。

 お前は痛みがなくなる。

 俺はお前らを見張れる。

 そして誰かに見つかる危険も減る。

 そういうことだろ、シロ」


 そういうことです。

 まとめてくださって、大変助かります。


 っていうか、あれだな。

 ……読まれてたな。

 本当、この人は油断ならないな……。






 そんなわけで。


「倒れられても困るから。俺が飲むのはほどほどにしておくよ」


 奥村くんは、ふに、と私のおでこに人差し指を押し当てる。


「だけど。いざって時に非常食として活躍できるよう、覚悟しておいてよ。

 改めてこれからよろしくね、シロ」

「わん」


 間違えた。









 こうして、私は。

 笑顔の貴公子(偽)、奥村緋人の非常食になった。

 わん。

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