09盛りすぎて感情が追いつかないそのテのアレ

 翌日の金曜日、私はまた奥村くんが動くのではないかと緊張して一日を過ごした。だがその日は彼と会うことすらなく、週末もあっけなく過ぎた。


 そして、何事もなく迎えた週明けの月曜日。

 カードリーダーに学生証を通してサークル部屋を解錠し、扉を開けた私は、入り口で立ち尽くしていた。


「どうしたの? 早く入りなよ」


 にこやかな声で迎えたのは、同期の奥村緋人。

 先週、私をエスカレーターから突き落とした人物である。


 突然の休講でぽかりと時間が空いてしまい、暇を持て余した私は、少し緊張しつつも誰か話し相手がいないかとサークル部屋に顔を出した。

 すると、そこに滞在していたのは、あろうことか奥村くん一人だったのだ。


 しまった。図書館にすればよかった。

 でも最近、図書館って鬼門なんだもん……。図書館行くたびになんかある……。


 サークル部屋に入ってすぐ近くの席で、彼は朗らかな笑顔を貼り付けていた。けれども私は、晴れやかな笑みの裏に隠された、真っ黒な一面を知ってしまっている。その笑顔は、もはや恐怖でしかない。

 部屋を見回し、後ろを振り返り、やはり彼の他に誰もサークル員がいないことを悟るが。


「失礼します……」


 そのまま逃げる方が怖い気がして。私は腹を括り、おずおずと中に入る。

 前回と違って真っ昼間だ。うちのサークル部屋にこそ他に人はいないが、両隣の部屋には人の気配があった。そんな人目に着きやすい場所で、滅多なことはしないだろう。

 きっとしないと信じている。

 信じてるよ!


 警戒して、彼の座る手前の席とは距離を置き、テーブルのちょうど対岸、部屋の奥の椅子に座る。だがバッグをおろして腰を落ち着けたはいいものの、史上最強に所在なくて、早く誰か来ないかと、そわそわとドアを見つめた。

 すると、それを見越したように奥村くんが頬杖をつく。


「この時間帯は基本、誰も来ないよ。

 時間割見なかった? ほとんどの人は、このコマに授業を入れてるんだ。コアタイムだもんね。

 ちょうど望月さんの授業が休講になってよかったよ。呼び出す手間が省けた」


 ……国際法研究会では、年度始めに自己紹介を兼ねた名簿を作成している。その名簿には、授業の情報交換がしやすいように、個々の時間割も掲載していた。

 つまり彼はサークル名簿を入念にチェックし、この時間帯は他に人が来る可能性が低いことを把握して。

 更に休講情報をチェックし、時間の空いた私がサークル部屋に来る可能性が高いことを見越した上で、ここで私を待ち受けていたのだ。



 やっぱり来るんじゃなかったー!



 さすがに逃げようと立ち上がったが、既に出口のドアを塞ぐように、そこには奥村くんが立ち塞がっていた。

 まさか。

 これも見越した上で、入り口付近の陣取っていたのか。

 怖!!!



 白香は、逃げられない!



 よもや十八にして生命の危機かと私は身構え、壁際に後ずさるが。奥村くんはドアの前に立ったまま、ジーンズのポケットに手を突っ込みスマートフォンを取り出した。しばらくそれを操作してから、彼は私にスマホが見えるくらいのぎりぎりの位置まで近付き、画面をこちらに向ける。


「これ。なんだか知ってる?」


 一体何事かと、奥村くんのスマホを遠目でのぞき込み。

 私は、固まる。



 待って。

 待て待て待て待て待って!?



 思わず体が動き、つい自分から奥村くんに近付いて、彼のスマートフォンにとりすがる。


 間違いない。

 これは、紛れもなく。



「知ってるよね。まあ、その反応だと誤魔化しようがないけど」



 にやりと不敵な笑みを浮かべて言う彼の言葉にも反応できず、私は固まったままだ。


 彼のスマホ画面に表示されていたのは、スクリーンショットの画像。

 Twitter、pixiv、カクヨムなど、各種SNSのユーザーページが表示されている。



 全部。私のアカウントだ。



 なんで!?

 ハンドルネームが違うやつもあるのに!?

 しかもアレだな!?

 鍵アカもバレてるな!?!?!?



 絶叫したい衝動に駆られるが、ダメージが大きすぎて、ヒュウと空気が漏れたような音がしただけだった。

 酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせながら、掠れた老婆のような声で、かろうじて音を紡ぐ。


「何故……これ……を……」

「お前に手の内を明かすわけないじゃん。馬鹿?」


 奥村くんは、にこりと笑った。

 その効果音、びっくりするくらい合ってない。


 全身から血の気が引いた私は、絶望的な表情で奥村くんを見上げる。まるで死刑宣告を受けた囚人のような顔つきとは、多分今の私の表情を言うのだろう。



 なんで、たかがアカウントがバレただけでここまで動揺してるかって?


 ばか! アカバレは万死に匹敵するんだよ!!!


 それに、私の普段の言動を鑑みて!

 中身はお察しだよ!!

 お察ししろください!!!

 


「……何がお望みなんですか」

「話が早いね。でもお前がいい子にしてるなら、俺は何もする気はないよ」



 いやぁー! ゾクゾクする!

 いろんな意味でゾクゾクする!!

 しぬかもしれない!!! 社会的な意味で!!!!!



 奥村くんは、スマホをまたポケットにしまうと。

 のこのこと近付いて呆然としている私の両腕をとらえ、自分と壁との間に私を挟み込み、逃げられないように捕獲した。

 動揺して、すっかり警戒することを忘れていた。

 まずった。


 今の格好は、いわゆる『壁ドン』と呼ばれる体勢だ。

 両腕が壁に固定され、身動きがとれない。


 だけど、こんなに一ミリもドキドキしない壁ドンは想定外だよ!

 アッでも身の危険を感じるって意味では超ドキドキする!



 奥村くんは優しげな目をすっと細め、顔を近付けた。息がかかるくらいの距離で、私の目をじっと見据える。

 その視線から、逃げられない。

 少しでも目を反らしたら、その瞬間に食い破られてしまうんじゃないか――そんな恐怖感があった。



 ……に、しても。



 だから!

 近い!

 近い近い近い!


 なんだ!?

 君たち吸血鬼の末裔は、デフォルトで距離感が近いのか!?!?

 そういう生態なのか!?!?!?



「紅太から話を聞いた。とりあえずお前が、害のないただの変態だってことは分かったよ」



 ご理解いただけたようでなによりです。

 ですが何でしょう、この体勢は?


 不意に私の左手は解放されたが、それと同時に自由になった彼の手は、今度は私の喉元に伸びた。


 首を、掴まれる。


 今はまだ、彼の厚い手が私の首にそっと添えられているだけだ。

 けれども少しでも力を込めれば、途端に気道は絞まり、息ができなくなってしまうだろう。

 命を、握られていた。


 ……絞殺?



「別に、今すぐどうこうする気はない。ただの牽制だよ。残念だけど、紅太にあれこれ言われたからね。お前に絡む方が面倒くさそうだ。

 けど、せめて変なことをしないように首輪を付けとこうと思って」



 そう言って奥村くんは、右手で私の首を押さえたまま。

 左手で私の顎を、くいと引き上げた。



「もし、紅太や俺たちの秘密をバラしたり、誰かに情報を売ったり、紅太の不利益になるようなことをしたら、ただじゃおかない。

 社会的にも精神的にも、お前が前を向いて外を歩けなくなるよう、緩やかに俺が殺してあげる」



 ぎゃああああああああー!

 ひえええええええーーー!!!

 なんだこの人ーーーーー!!!!!


 攻めだ!

 とりあえずこの人はスーパー攻め様だーーー!!!



「それから」



 奥村くんは、私の喉に、軽く爪を食い込ませた。

 ちくりと、首の表皮に微かな痛みがはしる。


 ただの爪だ。

 刃物のように尖っているわけではなく、むしろ丁寧に切られていて短い。


 けれども、私はそのまま一思いに喉笛を引き裂かれてしまうような気がして。

 ぴくりとも、身動きが取れない。



「紅太の主食は俺だ。お前はデザートに過ぎないってことを、よくよく肝に命じておいてよ」



 そう、愉悦混じりの眼差しで言う彼の真意は。

 到底、推し量ることができなかった。


 けれども。

 この場において、一つだけ確かなのは。


「返事は?」

「はいぃっ!」


 私がこの人には逆らえないと、本能で徹底的に自覚してしまっていることだった。


 なんだろうな!

 もう分からんな!!

 何もかも分からんな!!!

 あと頼むからそろそろ離していろいろ怖い!!!!!




 その返事を聞き、ようやく私を解放すると。

 奥村緋人は、多くの女子を魅了するあの笑顔を浮かべてみせる。


「これからよろしくね。望月さん。

 ああ、名前は確か『白香』だっけ。じゃあ、お前はシロでいいよね」

「シロ」

「お手」

「わん……」


 しまった。

 つい反射的にやってしまった。


 だって無理なんだもん!

 逆らえる気がしないんだもん!

 やらなかったらヤバイことになる気がするんだもん!!!


「そう。そうやっていい子にしてれば、俺は何もしないよ?」


 穏やかな口調で言って、奥村くんは優しく私の頭を撫でる。

 だけど、そこにあるのは親愛の情でも、まして愛情でもない。

 主従関係だ。


 無意識に、私は首元に手を伸ばした。

 彼の手が外されたそこには、当然、何もない。ただ自分の首が、皮膚が、何の変哲もなく存在しているだけだ。


 けれども。

 奥村くんの言うように、そこには既にがっちりと、見えない首輪がはめられてしまったような気がしていた。






 あれですかね?

 私はこの人のことをご主人様とでもお呼びすればよろしいんでしょうかね?




 やぶさかではないですけれども!

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