14男の娘
桜間環は、身長一七五センチ、体重五五キロの、スタイルの良い美人さんだ。
いつも凛として、格好良くて。
センスがよくて、服装も化粧も素敵に洗練されていて。
一見そっけなく見えても、内実は情に厚くとても優しくて。
私みたいな変態のバカな話にもつきあってくれる、心の広い人で。
私の大好きな親友で。
それから。
紛うことなき、男性だった。
世間で言うところの、男の娘だ。
環は、見た目は完璧に女の子だった。背が高いというところ以外、引っかかる要素はない。それだって、モデルみたいだなと逆に惚れ惚れしてしまう人の方が多いだろう。
だけど声を出すと、どうしても男性だということが分かってしまう。男性にしては高い声だったけれども、それでも女性の声では絶対なかった。
だから。環は、どうしても周りからいろいろと言われてしまう。
授業中だって、校内にいたって、外に出たって。気付くと、人は好奇の眼差しで環を見た。
環はいつも、他人の目なんて全然気にしていないみたいに、すっと背筋を伸ばして毅然と佇んでいたけれど。
だけど本当は、いつだって環の目は悲しげに曇っていたことを、私は知っている。
だから。私だけは、そんなこと、環に思わせたらいけなかったのに。
私の友達が環しかいないことが、環のせいだなんて、ちょっとでも思わせたらいけなかったのに。
私のせいだ。
もっと早く、もっと沢山、環以外にも友達を作って、環を安心させてあげなくちゃいけなかったのに。
環はそれ以上、何も言わなかった。
私も、何も言うことができなかった。
普段はあんなにうるさく、環につきまとっているのに。
私は、こんな時に限って、ろくに言葉が出てこない。
全員が動揺する中。
一番最初に我に返ったのは、奥村くんだった。
「そうか。あんたが、桜間か」
納得したように、彼は静かに頷いた。
「なるほど、分かったよ。だからお前は俺たちのことを知ってるんだな」
「嫌という程にな。反吐がでるお前らの習性含めてね」
「そういうことか。
無駄だよシロ、そいつに言い訳は通用しない。どのみち今の会話を聞かれていたのなら完全にアウトだ」
環から目は逸らさず、奥村くんは私にそう告げた。
敵愾心に満ちた眼差しで、更に環は彼を睨む。
「気安く呼ぶな。白香は返してもらうぞ」
「待ってよ環」
金縛りが解けたように、私は慌てて環の袖をつかんだ。
「別に私は、二人に強要されてるわけじゃない。
たまたま事情を知っちゃって、それで協力してるだけなの。二人を責めないでよ」
何故かは知らないが、環は二人の正体に勘付いている。奥村くんの言うように、この状況で誤魔化せはしないだろう。
だけど二人に血を提供しているのは、私の意志だ。環の反応からして、きっと二人に私が無理強いされているとでも思っているのだろう。その辺りの誤解なら解けるはずだ。
環は黙って私のことを見下ろしてから。強く、私の手を握った。
「帰るぞ。……話をさせてくれ」
私の返事を待たずに、環は私の手を引いた。空いた方の手で、机に置いてあった私のバッグを回収し、有無言わさず出口に向かう。私はされるがままに、サークル部屋の外に押し出された。
「覚えとけよ」
環は自分もサークル部屋から出る間際、中の人物へ告げる。
「白香の優しさは。お前だけに向けられたものじゃない」
私は、若林くんたちのことを振り返ろうとしたが。
環に強く背中を押され、一瞬姿を見ることすらもできなかった。
*****
環に連れて行かれたのは、学校の近くにあるカラオケボックスだった。
いつもなら、環と話すのは学食やホールだ。だけど今回は、他の人に話を聞かれるわけにはいかない。
室内には賑やかなBGMが流れていたが、機械の音量をゼロにした。途端、妙に静まりかえったカラオケボックスの個室にて、私は右斜め前に座った環に、これまでの経緯を話した。
細かいことは話していない。若林くんが満月の夜に銀髪赤目に変わることや、二人の特殊な力については話さなかった。勝手においそれと秘密を話すわけにはいかない。
話したのは、若林くんが耐えきれず私の目の前で自分の血を飲んだことや、事情を知り私が血の提供を申し出た流れだ。二人が吸血鬼の末裔であると環に知られた以上、そこはもはや隠しても仕方がない。それに、状況が状況なのでそこは話しても構わないと、奥村くんから密かに許可の連絡が来ていたのだ。
黙ってうつむき加減に話を聞いていた環は、一通り私が話し終えると、思い切りため息を吐き出した。
「事情は分かった。大体、想像どおりだ」
「想像どおりって」
「ある程度の合意がされてるんだろうなとは思ったさ。お前がそこまで積極的に加担してるとまでは思わなかったけどな」
だったらどうして、と問いかけようとした矢先。
先んじて、環ははっきりと言う。
「白香。もう二度とあいつらと関わるな。サークルも辞めろ」
「なんで?」
「理由を言う必要があるか? 冷静に考えてみろよ」
腕組みした環は、険しい表情で顔を上げる。
「あいつらは、人の血を吸って生きる化物だぞ」
その言葉に。
私は、唇が震える。
「いくら相手が好みの野郎だからって。どうしてお前が身を削らなくちゃならねぇんだよ。あんな奴らのために、白香が血を流す必要はない」
「やめて」
「自覚しろ。お前が相手にしているのは、化物なんだ」
「やめて、環」
私は環の腕をつかんだ。
真一文字に結んだ口を、どうにかこじ開けて。
「いくら環だからって、その言葉は嫌だ。そんな風に二人のことを言われるのは、嫌だ」
言葉が震えそうになるのをどうにか堪えて、きっぱりと言い。
じっと、環を見つめる。
環は驚いたように私を見つめ返した。
しばらく、お互いに無言で視線を交わしてから。やがて環は、サークル部屋にいたときからずっと強ばっていた身体の力を抜く。
「悪い、そうだよな。お前はそういう奴だ。俺なんかを、親友だって言ってくるくらいなんだから」
「ねえ環、やめて」
私はより一層、環を掴む手に力を込めた。
「若林くんたちのことを悪く言うのもだけど。
環のことを悪く言うのも、私が許さない」
「……悪かったよ」
優しい口調で言って、ようやく環は柔らかい表情に戻ると。はあ、と一つ大きな声で息を吐き出し、がしがしと髪をかきむしる。
環は気を取り直すように頭を振ると。ソファーの背もたれに肘をかけ、足を組んだ。スカートの裾から、ちらりと細い足首が覗く。
「どうして俺が女の格好をしているのか。話したことなかったな」
思いもよらないところから話が始まり、思わず私は背筋を伸ばした。
「そういえば。ない、ね」
「つーかな。お前が聞いてこなかったんだよ。普通聞くだろ、普通」
言われて、首を傾げる。
だって男の恰好でも女の恰好でも、環は環だから。
「そういうところだよ、お前。他の連中は、ろくすっぽ話してもいないうちから、ずけずけ聞いてくるぞ。ま、本当のことは言ってねぇけどな」
綺麗な赤い唇を引き結び、穏やかに微笑んでから。
環は真顔になって、静かに話し始める。
「俺の妹はな。あいつらの仲間に……吸血鬼に、眷属にされたんだ」
「けんぞく……?」
けんぞく。という言葉で思い浮かぶ単語は、『眷属』しかない。
頭の中には、コウモリが思い浮かぶ。だけどきっと、そういうことじゃあないんだろう。
「眷属っていうのは。言葉を選ばなければ、あいつら専属のエサになった人間ってことだよ。
いや。奴隷って言った方が近いのかもしれない」
「奴隷」
強い言葉に、思わずたじろいだ。
感情を押し込めたような声で、淡々と環は続ける。
「白香は、自分の意志で若林たちに血をやってただろ。
だけど眷属は違う。ひとたび眷属にされたら、もう逃げられないんだ。
人間でありながら、少しだけ吸血鬼の血が混じった状態になった眷属は、定期的に自分を眷属にした吸血鬼の血を得ないと、正気を保てなくなる。
そうやって自分から離れられない依存状態にして、あいつらは安定して人間の血を得ることができるってすんぽうだ。
妹はあいつらの仲間に騙されて、眷属にされた。もう今まで通りには暮らせなくなって家を出て、今は行方不明扱いになっている」
腕組みした環の手が、白くなっている。力任せに腕を握りしめて、必死に感情を抑えているのだろう。
「吸血鬼が好んで狙うのは、女だ。だから俺は女の恰好をして、奴が罠に引っ掛かるのを待っていた。この街のどこかに。確実に、あいつらがいると分かっていたから」
話の重さにしては、簡潔すぎるくらい、簡単な説明だった。
だけどそうでもしないと。きっと、きちんと話せなかったのだろう。
環の話してくれた内容は、衝撃で私の言葉を奪うには充分すぎるものだった。
吸血鬼の末裔に、そんなことをする人がいたことにも。
環の妹が、そんな目にあっていたことにも。
環を苛んでいたその事実に、少しも気付けなかった自分にも。
怒りと、悲しみと、いろいろなものがない交ぜになった感情で、どうしても手の震えを止めることができなかった。
環は、私の肩を掴んだ。
「今はまだ、白香は無事みたいだけど。いずれきっと、お前も眷属にされちまう。だからもう、あいつらとは関わるな」
しかし。環のその言葉に、私はまた我に返る。
「待って。それとこれとは話が別だよ。若林くんたちが、そんなことするはずない」
「どうしてあいつのことを信じられる? 俺の方が、ずっと白香と一緒にいたはずだ。どうして俺の言葉を信じてくれないんだよ」
「環のことは信じてる。いつだって信じてるよ。でも今の話は、環の想像でしょう。
悪い吸血鬼はいても、あの二人は悪い人じゃない」
必死に言い募る私の言葉に、環は哀しげな顔をすると。
「ねぇ、白香。
俺は。お前が想像してるより、ずっとずっと、白香のことが大切だよ」
耳を澄まさなければ聞き取れないような、細い細い声でそう言い。
私の額に、こつんと自分の額を合わせた。
ふんわりと、環のつける化粧品の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
「俺はね。大学生活に、何一つ期待なんてしていなかったんだ。
いや。大学どころか、これからの人生に期待なんかしていなかった。自分のことは捨てて、全部を全部、あいつの復讐に費やすつもりだったんだ。
でもね。そんな俺の前に、お前が来てくれたんだ。白香が俺に、また価値を与えてくれた。
だけど。今度はその白香が、吸血鬼の毒牙にかかろうとしている。それを見過ごすことなんて、できない」
顔を離して、環は無理矢理に口だけ笑ってみせる。
「俺はね。あの時のことを、物凄く後悔しているんだ」
「あの時?」
「一ヶ月前。学食で若林を見た時に、あいつが好みかどうかなんて、聞かなければよかったって」
「だけど。環が言おうと言うまいと、どのみち若林くんとはこうなってたよ。別に私が無理矢理、二人きりになろうとした訳じゃないもん」
そもそもあの時、図書館に着いてきたのは若林くんの方なのだ。
あの日のことは、単なる偶然だ。
だけど環は、ゆるゆると首を横に振った。
「あるさ。俺が余計なことを言わなければ、白香は若林に注目することはなかった。吸血鬼の本性を見せた時にも、ただ怖くて逃げ帰ってきただけで済んだかもしれない。
俺だって、余計な期待を抱かずに済んだんだ」
環は、にわかにロングのウィッグを取った。その下から、黒の短い頭髪が出てくる。
初めて見る、環の本当の髪だった。だけどその艶やかな黒髪は、やっぱり環に似つかわしい、綺麗な髪だった。
「俺はね。あいつとほとんど背丈や体格は変わらない。肌の色も、顔の系統だって、俺がこんな格好をして化粧をしていなければ、ほとんど似たようなものなんだ。
あの時に俺が聞いたのは。若林がどうって話じゃないんだ、白香。
俺はお前が思ってるより、ずっと臆病で、ずっと弱虫な人間だ」
知ってるよ、環。
凛として、綺麗で、誰よりもかっこいい環は。
とても傷つきやすくて、人の痛みに敏感で、繊細な人なんだってことも。
そして、それでも前を向いて強くあろうとしている環が。
たまらなく、かっこいいってことも。
だけど、そう言い募ろうとした言葉は。環の胸に口が塞がれて、告げることができなかった。
環に抱きすくめられ。腕の中で、私は否応なしに自覚する。
この固い感触は、女の子のものじゃない。
男の人の、身体だ。
「全部。全部、吸血鬼のせいだ。
あいつらがいなければ、俺はもっとちゃんとした形でお前と会えていたかもしれないし。
白香の好みの人間に、お前の言う性癖になれたのは、俺だったかもしれないのに」
違う、と叫びたかった。
性癖どうこうじゃない。
私は、今の環が好きなんだ。
だけどより一層強く環に抱きしめられて、言葉を告げるどころか、私は身動きすら取れない。
「なあ白香。俺じゃ、駄目なのかよ」
環は、私の身体を解放してから。
もう一度、額をくっつけた。
「頼む。俺を、選んでくれ」
泣きそうな、環の声に。
情けないことに私は。咄嗟になんと返事をしたらよいか、分からなかった。
「今すぐに結論を出して欲しいとは言わない。
いや、正直に言うよ。
今すぐじゃ、俺が耐えられない。
だから、少し考えてみてくれないか。俺は、いつまででも待ってるから」
環の言葉に。
ただ、私は黙って頷いた。
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