第25話 ヒンガル人の少女ミレミラ

 レイフたちはミレミラ・オーランドの姿を探して追いかける。

 しかし、進めば進むほど人混みの密度は増し、ついには前に進むことすら困難になっていた。


「エクア、大丈夫?」

「うん、何とか……」

「どうするよ、これ」

「一応は流れてるみたいなので、このまま着いて行きましょうか」


 どうやら配給を受け取るための人の波にまぎれ込んでしまったらしい。

 遠くから香辛料らしき香りが漂ってきている。食欲を刺激するその香りに、三人は思わず腹をおさえた。

 自分たちは食事を受けとりに来たわけではなかったが、食事係らしきあの少女に会うためならばこのまま大人しく流れに身を任せるのが妥当だろう。

 周囲では、我先と前に進もうとしている人々が次から次へと現れる。彼らがそういった行動を取るたびに、周囲からは怒号が飛び交い、ひどい場合には乱闘騒ぎにまで発展するといった緊迫した雰囲気があった。

 そういった光景を見ていると、やはりうかつに先を急ぎ、列を追い抜かそうなどと勘違いされれば余計な面倒ごとを招きかねないことは明らかだった。

 結局半刻程度の時間を潰しながらレイフは列が進むのを待った。

 見えてきたのは屋外の仮設厨房といった設備。十列もの群衆を手際よく処理するヒンガル人の婦人たち。その中に、レイフたちが探していた少女の姿もあった。ちょうど、レイフが並んでいる列の処理を手伝っている。

 一歩、また一歩と彼女に近づく。そして、いよいよレイフの番になった。


「今日は、野菜たっぷり香辛料のスープとナンだよー。はいどーぞ」

「あ、いや。僕は配給をもらいに来たのではなくて」

「ん? どーいうこと?」

「おい! 何ぐずぐずしてんだ。さっさとしやがれ!」


 ほんの一瞬の会話にも関わらず背後から怒号が飛び始める。

 しかしその瞬間、ミレミラはどこからか取りだした空の鉄鍋とお玉を打ち鳴らした。


「みんな静かにっ! 騒いだらご飯あげないよ! とりあえず、これ食べたらお話聞いてあげるから。ね?」

「おいなんだ。避難民じゃねーくせに飯をもらおうってかぁ? 俺達の飯を奪うんじゃねぇよ!」

「キミたちが用意したわけじゃないでしょぉ! ただ飯喰らいのくせに文句ばかり! 本当にご飯あげないよ!?」


 ミレミラの叫びに群衆が苛立つ雰囲気を湧かせるが、一方で配給を処理する婦人たちはあきれた様子で苦笑を浮かべるだけだった。おそらくは、これまで何度となく見てきた光景なのだろう。


「とにかく! 僕は手伝いに来たんだ。貴方たちを。ご飯は大丈夫だから」

「ふうん? まぁ、とりあえずこっち回ってきて?」


 ひとまずは話をする機会を得たことに胸をなで下ろしつつ、レイフは大きく迂回うかいをしてミレミラの側に回る。エクアとトールスもそのあとについてきた。


「あれ、トールス。その手に持っているのは何です」

「何って。ナンだが……。あと、野菜たっぷりの香辛料スープだそうだ」

「そうじゃなくって! 不味いですよ。避難民でもないのに配給を受け取ったりなんかしちゃ。こういうのは大抵、ぎりぎりの分量でやりくりしてるんですから。大体、教皇庁の関係者がヒンガル人キャンプに立ち入ること自体が危ういのに」

「いいじゃねぇか。ま、お前らは確かに神官って感じの格好だが、俺はこの通り庶民同然。しかも、食も住処もないって点じゃ、避難民と云っても間違いねぇ立場だしな」

「はぁ、もう。とにかく周りとトラブルにならないようにだけは気をつけてくださいよ」

「ちょっとくらいのトラブルなら俺一人でも何とかなるって」

「この群衆数百人規模の暴動になってもですか?」

「そりゃ、ちょっとキツいな。ははっ……」


 トールスは悪びれもせずナンをくわえながら、いまだに長蛇の列を作る避難民の列を眺める。

 そんな話をしながら、レイフたちは仮設厨房の中へと入る。


「ごめん、急な話で迷惑をかけて」

「んーん、だいじょーぶ。でも、変わってるね? 神官さんがボクたちの手伝いだなんて。そんなの初めてかも。とりあえず、色々お願いしていい? ご飯作るの手伝ったことはある?」

「食事当番とかは一通りやってたよ」

「私も、家のパン屋をいつも手伝ってるから」

「俺はまぁ、見ての通りだ」

「じゃ、銀色のおにーちゃんはボクのところで食事をよそうの手伝って。おねーちゃんは、そっちでリラおばちゃんの手伝いを。おじさんは鍋の入れ替え係ね」

「おじっ……」


 トールスはショックを受けた顔をしながら、手に持ったスープを一気に飲み干し、大きなため息をつきながら持ち場へと歩いていった。


「エクアって云いますー。よろしくお願いしますね」

「あらぁ、綺麗なお嬢ちゃんだね。結構大変だけど、しんどかったらすぐに云うんだよ?」

「大丈夫です。毎日早朝からの仕込みで鍛えてますから」


 エクアは力こぶを作るふりをしながら婦人たちの笑いをとっている。手渡された布巾でさっと髪を上げると、あっという間に彼女たちに溶け込み手伝いを始めた。

 レイフも自分の任された仕事に集中する。

 どちらにせよ、この仕事が片づかないことにはミレミラを連れ出すという訳にもいかなそうだった。とっさに出た口実とはいえ、手伝うと申しでたのは結果的には正解だったのかもしれない。

 レイフは大きな鍋から木製の器にスープをついでゆく。

 ミレミラが云うには、具材の量、スープの量ともに、多すぎても少なすぎてもいけないのだという。

 全員に行き渡らせる量を調整するという意味もあるが、それよりももっと重要なのは、受けとる避難民たちに不公平感を抱かせないということらしい。その一事をとっても、彼らがいかに日々の生活に神経をすり減らし、疲弊ひへいしているかということがうかがえる。

 この全体から見てほんの一部である避難民キャンプの光景は、今、帝国が置かれている立場の縮図に他ならない。

 戦況が悪くなれば、いずれは帝都もこういった光景であふれかえるのだろう。あるいは、もっとひどい状況なることも。

 無心で身体を動かそうとしても、レイフは様々なことを考えてしまう。

 例えば、自分よりも年下のミレミラとこうして食事当番をしていると、ブルーウィル孤児院に身を置いていた時代のことを思い出す。その頃には常にそばにレジーナの姿があった。思い出したせいで無性に彼女に会いたい気持ちが湧き上がり、胸のうちを焦がした。


「それにしても偉いね。こんなにみんなのために働いて」

「んー? まぁ、あの人たちが帰る場所がなくなっちゃったのには、ボクにも責任があるからねー」

「えっ。それはどういう……?」


 ミレミラは手の動きは止めず、云いにくそうに表情をくもらせる。


「ここからだいぶ西にいったところに、そこそこおっきなヒンガル人居住区があったの。ボクも、小さい頃からばーちゃんとそこに住んでたんだけどね。ただ、こないだフィグネリアがやられちゃったせいで、そこにも深層の眷属が押し寄せてきたわけ」

「それで逃げることになったとしても、それは君のせいじゃないと思うけど」

「いやぁ、実はさ。その時ほとんどの人が逃げようとしなかったんだよね。ここを離れたら東に居場所なんかないって云ってさ」

「そんなこと云っても、深層の眷属に喰われてしまうだけじゃないか」

「そーなんだよね。だから、ボクがあの人たちを街から叩きだしたんだ。力尽くで」

「君が、力尽くで?」

「ボクこう見えても、ばーちゃんの一番弟子なんだよ。ばーちゃんは、世界で一番詐術クラックがすごい人」


 そう云って、ミレミラは真っ白な歯をみせて自慢げに笑った。


「深層の眷属とボクと、どっちが敵なんだっていうくらい憎まれたよ。まぁ、ボクもちょっと派手にやりすぎたかなって反省してるけど。結果的に街をふっ飛ばしちゃったからね……。まーでもボクも、ばーちゃんに命令されると口答えできないからなー。すごいガンコなの。しつけだ、修行だ、罰だって、すぐに力を振り回すしねー。そういう意味じゃ、ここはばーちゃんがいないだけ平和だよ」

「その、君のおばあちゃんは今どこに?」

「知らない。ここの人たちにうるさく云われて嫌気がさしたとか云って、どっか行っちゃった。元々修行の虫だからね。自分のやりたくないことは何にもやらない人だし。きいてよ。ボク、ばーちゃんと三つの頃からいっしょに暮らしてたんだけど、五つになった頃には家事全部やらされてたんだよ。信じられる?」

「何というか。君がすごい頑張り屋だということはわかるよ。本当に偉いよ」


 レイフはそう云いながら、昔の孤児院時代に年下の仲間へそうしていたように、無意識にミレミラの頭を優しくなでていた。

 ふと気がつくと、ミレミラがじっとレイフの顔を見上げている。表情は希薄だったが、どこか驚いている様子にも見えた。

 気安すぎたかと思い、レイフは慌てて手を離す。


「あっ……」


 ミレミラが小さく声をあげた。どこか名残惜しそうな表情で。しばらく考えてから、レイフが離した手を彼女の頭に戻すと、彼女はささやかだが満足そうに目を細めた。


「まぁ、そういうわけでボクがここの人たちの面倒を見てるわけ。ただ、最近はコレがきびしくってさぁー」


 ミレミラは人差し指と親指で輪っかを作ってみせる。


「お金、か」

「そ。これだけの人たちが働きもせずに毎日ご飯たべてるからね。当たり前の話だけど。元々は、ばーちゃんが昔から貯めてた財産がいくらかあったんだけど、それももうなくなっちゃったし」

「もしかして、君が教皇庁の計画に参加するのはそれが理由なのかな」

「えっ。おにーちゃん、なんでそんなこと知ってるの」

「あぁ、ごめん。実は僕は、君の同行者の一人なんだ。レイフ・ブルーウィル。僕も、カーティスという白衣官の立てた計画に参加する一人だよ」

「おぉー! そーだったんだね。それは気づかなかった。なるほどー。だから、ボクとお話したがってたのか」

「そういうこと。話すのに夢中ですっかり本題を忘れていたよ」


 そう云って互いに声をあげて笑う。


「そーなの。カーティスって人がさー。ボクがその計画を手伝うんだったら、教皇庁からたんまり支援をだすって云ってねー。ボクもねー。自分がやりたいこともあるし、さすがにいつまでもここで皆の面倒見てるつもりもなかったから、悪いけどチャンスかなって」

「悪くなんてないよ。ミレミラ。君は、その歳で、その小さな身体で、本当にたくさんの責任を背負って、それをちゃんとはたしてきたんだから。あんな文句ばかり云う大人の面倒を、手間もお金もかけて……」

「えっ、ちょっと。レイフ。なんで泣いてるの」

「いや、ごめん。なんか改めて口にすると、健気が極まっちゃって」

 そう云ってレイフは目尻を手でぬぐって鼻をすする。

「なにそれ。もー、そんなことくらいで泣かないでよ。これからもっと大変になるんだから。しっかりしてよね」

「そうだね。頑張るよ、ミレミラ」

「ほんとたのむよー」


 ミレミラはけらけらと笑いながら云った。

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