第24話 第一外環要塞線クランツ・クラン

 未明に整備を終えた気動列車に乗り込んでからずっと列車にゆられ続け、すでに日は高く昇り終えていた。


「ねぇ、エクア。起きて。見えてきたよ。クランツ・クラン要塞だ」


 そう云って肩をゆすると、エクアは三度ゆっくりと瞬きをしたあとに小さくあくびをし、そしてまた目を閉じてしまう。


「うぅん、今朝早く起こされたからまだ眠いよ……」

「エクア、クランツ・クランは初めででしょ? せっかくなんだから名物のミアゲは見ておかないと」

土産みやげ?」

「違うよ。ミアゲだよ」


 エクアは大きく伸びをしながらようやく目を覚ました。


「ほら、窓の外」


 レイフが窓を開けると外の冷たい風が中へと吹きこみ、エクアの眠気を一気に洗い流した。

 地平線の彼方に巨大な構造物の頭が見えている。それは、時を追うごとに空へと伸びていく。

 帝国フィードレフの西方最終防衛線。

 帝国史上最大の建造物にして、最も堅牢な要塞。

 第一外環要塞線クランツ・クラン。

 南北に連なる山岳地帯。その間に存在する広大な平原区画を全て埋め尽くすようにして構築された長大な壁。

 その圧倒的長さは全長で数十キロにも及ぶという。

 そして、その高さは―――。


「うわぁ、確かに大きい……」


 窓から顔をだしたエクアは、ただひたすらに驚き、その巨大な構造物を眺める。


「ねぇ、レイフ」

「どうしたの」

「なんか、縮尺おかしくない? 街が全然見えてこないんだけど……」

「まぁ、クランツ・クランの街までは、あと一時間以上かかるからね」

「え、でも、要塞はもうそこに見えてるけど……」


 二人の会話を聞いていたトールスが、くつくつと笑いをもらす。


「何がおかしいの」

「いや、お前は悪くねぇよ。俺も、初めてはそうだったからな。しっかし、人間ってのは面白いよな。先入観っつうか、錯覚っつうのか。皆同じ反応をしやがる」

「云ってる意味がわかんないんだけど」

「もうしばらく見てるとわかるよ」


 レイフの言葉に、微妙に納得していない様子でエクアは再び視線を要塞へ戻した。

 それからしばらく、エクアは外を眺め続ける。何やらそわそわと落ち着かない様子で。


「ねぇ、レイフ。私、目がおかしくなっちゃったかも」

「どうして?」

「だって、あの要塞は大きすぎる」


 エクアの視線は、すでにその角度が水平から45度を超えていた。空高くを見上げ、しかし、それでもまだクランツ・クラン要塞は大きくなっていく。


「ミアゲの意味。ようやくわかった」

「そう。誰もが一度は見上げてしまう。あの巨大な要塞を前にして」

「あんなもの、どうやって造ったの。だって、高さだけじゃない。長さだってずっと続いてる」

「帝国が何百年も前から造り続け、改修と増築が繰り返されてるとは聞くが、俺は千年かけてもあれを人間が造れるとは思わんね。ある学者があれは神が遺し、元からあそこにあったのだと云って笑われたそうだが、あながち間違っちゃいないと思うぜ。これと比べちゃフィグネリアは実に常識的な大きさだ。ま、どちらも人間が造るには大きすぎる代物には違いないが。もしかしたら、あれを模して造ろうとした人間の限界が要塞フィグネリアなのかもしれねぇな」


 要塞クランツ・クラン。

 その高さはフィグネリアの五倍は優に超える。

 長さの記録にはこれまでの実験ではかなりのブレがあるものの、大まかに1kmから1.5kmの間くらいだと云われていた。


「ほんと、頭おかしくなりそう。首も痛いし」


 クランツ・クラン要塞に隣接する要塞都市クランツ・クランの駅へと到着し、ホームに降りたエクアがその要塞をまだ見上げながら云った。


「ていうか、あそこから何か落ちてきたりしない? 怖くてソワソワする」

「まだ結構離れてるから大丈夫だと思うけど」

「でも、この要塞の東に街があってよかったね」

「どうして?」

「だって、朝日が見れないじゃん。洗濯物も乾かなくなっちゃうし」

「確かに」


 太陽はまだ要塞のこちら側にある。陽光に照らされた灰色の壁が白く輝き、街並みを明るく照らしていた。


「あぁでも、疲れた。列車の長旅がこんなに辛いとは思わなかった」


 駅のホームを歩きながらエクアはぼやいた。


「人数に余裕のある客室に乗れてただけまだマシだぜ。俺がフィグネリアから撤退する時なんか、荷袋に詰められているみたいな酷さだったからな。しかも男ばかりで。それにしても、これからどうするんだ? 案内役の白衣官はどうしたよ」


 三人は辺りを見回すがフィリスの姿はなく、見張り役の白衣官が数名遠巻きに控えているだけだった。彼らは特にこちらを案内するつもりはないらしい。というよりは、はっきりとした指示を受けておらず彼ら自身も戸惑っている様子だった。


「それにしてもクランツ・クランか。帝都ほどじゃないが、あいかわらず大都会だな」

「まぁ、要塞だけでも相当な人数の軍人や関係者が勤めてますからね。それに、元々は西方の地方都市と帝都を結ぶ物流の中継地でもありますし、物資の行き来が盛んということは、それだけ豊かだってことなんでしょう。今、その物流がどうなっているかまでは知りませんが」


 駅のそばにある大通りは人や馬車の行き来が絶えることがなく、深層の眷属との戦いが迫っているとは思えないほど活気づいていた。

 道は石畳で綺麗に舗装され、道の広さ一つとっても帝都と遜色そんしょくがない。

 往来する市民がクランツ・クラン要塞を心底信頼しているのか、あるいは、ここから先は逃げる場所がないと腹をくくっているのかは定かではないが。


「なぁ、ちょっとくらい辺りを見に行くくらいなら構わないんじゃないか。俺も、クランツ・クランの街に降りるのは久しぶりなんだ」

「んー、どうでしょう。とりあえず聞いてみましょうか」


 二人がそんな会話をしていると、遠くから聞き慣れない足音が近づいてきた。

 それは、人のモノとも馬のモノとも違う。

 もっと大きく重いモノが動く物音。


「うわ、何? でっかぁ」


 エクアが大きく口を開けて音のした方を見上げる。

 それは、人に近い形をしていた。しかし、その全高は三メートルに届くかというほど巨大だ。

 全身をおおう金属質の装甲は白に飾られ、白衣区らしい金糸を模した紋様が随処に描かれている。

 殻騎兵ハサー

 帝国軍事における兵科の最高峰。現在発見されている神遺物の中で、最も有用性が証明されており、活用されている物の一つ。

 そのためこの神遺物を扱うことのできる使徒は、特別に殻士シェルランナーという称号が与えられている。

 殻士は主に帝国軍と青衣区に属し、例え平民出身者であっても中流貴族にも比肩する待遇が与えられる。

 その白い殻騎兵は、その場でひざを折りたたんで着座する。


「なんか、変な座り方だね」


 エクアがおかしそうに指摘する。

 殻騎兵の足は、第一印象では鳥に似た形状をしていた。

 太もも、ひざ、すねまでは人間と同じだが、足首から先が長く、一見すればひざ関節が逆さになっているように見える。

 ただし、鳥類とも明確に異なるのは、彼らがつま先立ちのような姿勢で活動しているのとは違い、殻騎兵は一つ関節が多い。

 つまり、つま先の先端に、人間の足に似た機構がついているのだ。

 そんな脚一つとっても複雑な構造は、全身多岐にわたる。

 いまだ構造も仕組みも完全に判明していないその神秘の産物は、まさに動く神術と云えた。


「こんなに近くでじっくり見たのは初めてかも。帝都の式典なんかじゃ、たしかに遠目には見かけたことあるけど」


 エクアは停止した殻騎兵の装甲をぺたぺたと遠慮なく触る。


「エクア。危ないよ」


 その時、空気の抜ける音を立てて殻騎兵の胸甲が開いた。


「フィリス?」


 胸甲の中から顔を覗かせたのは灰色の髪をした白衣官の青年、フィリス・クリミアだった。


「すみません。お待たせしました。先行して搬送していたコレを受領しに行ってたんです」

「まさか、貴方が殻士だったとは……」

「人は見かけによりませんか? まぁ、自分でもそう思います。私は深樹海へはこれで同行しますが、一度準備のために要塞の中まで運ばないといけないんです。動かすのは殻士にしかできないので、面倒ですが……」

「僕たちはどうしたらいいんです?」

「別の者に案内させますので、この街にいる同行者の一人、ミレミラ・オーランドと合流してください」

「ミレミラ……。確かヒンガル人の少女でしたね。その子はどこにいるんです」

「さぁ。たぶん、あの辺りじゃないですかね」

「さぁって……」


 レイフはフィリスが指さした方角へ目を向ける。

 建物の並びが途切れ、開けた広場のような場所があった。

 その中には、大小さまざまなテントがところ狭しと並べられ、人の密度も異様に高い。


「何かの催し物か?」

「うーん、そんな楽しそうな雰囲気には見えないけど」


 トールスが首をかしげ、エクアも興味深そうに眺める。


「あれは、避難民キャンプですよ。今は、このクランツ・クラン以西の全ての居住区が避難対象になっていますから。避難行動は大方終わりましたので、これ以上増えることはあまりないと思いますけど、当初は人のあまりの多さに大混乱で相当大変だったようですよ」

「あの地域だけでも数百人規模か? 下手したらもっといるかもな」

「元は帝国軍の物資集積場だった場所です。一等地ですよ。各地に点在するキャンプの中でも特に大きいコミュニティの一つですね」


 テントのそばで過ごす人々は、ちらほらと立ち話をする人がいる他は皆座りこんで時間を持て余している様子に見える。街の活気とは対極にある雰囲気は異様に浮き上がって見えた。また、もう一つ特徴的なのは彼らの肌の色が街を行き交う人の多くと異なる点。褐色や暗褐色をした人が多く見られる。つまり、ヒンガル系移民とその子孫ということなのだろう。

 レイフたちがキャンプの様子を観察している間に、フィリスは別の白衣官を呼び寄せ、案内に関する指示をだしていた。そのやりとりを聞きながら、レイフはふと違和感を覚える。


「そういえばフィリス。貴方に指示を出していた白衣官はどうしたんですか? 駅に降りた時にはすでにいなかったようですけど」

「あぁ、彼らは私とは所轄が違うので。今頃、白衣区の出張所で帰り支度でもしてるんじゃないですかね。彼らの仕事はクランツ・クランまであなた方を送り届けることのみですから」

「つまり、あなたの上司ではないと」

「私の直属の上司は貴方のご友人、カーティス・レイ・ホーディアル司祭長ですよ。まぁ、帝都赴任組の彼らと、外回りの私たちでは、例え職位が同じだとしても彼らの方がエリートであるという意識は持っているかもしれませんが」

「何というか、ややこしい話ですね……」

「白衣区は特にそうですよ。大きな力を持つ組織ほどそういった組織内政治とは無縁でいられませんから。でも、そんなことも深樹海に出てしまえば忘れられます。生きるために、余計なことを考える暇はありませんから。私は、そういう意味で深樹海は好きですよ」


 声は相変わらず覇気のこもらないのんびりとしたものだったが、言葉の中身には強固な意志があるようだった。

 見た目よりは、二枚も三枚も上手な人物なのかもしれない、と、レイフは自分の中のフィリス像をさらに改める必要を感じた。

 レイフたちはフィリスと別れ、目の前にある避難民キャンプを目指す。

 キャンプに近づくと、その混沌具合がはっきりとわかる。目に見えない威圧感のようなものがピリピリと感じられるのだ。


「しっかし、この中から人ひとりを見つけるなんて、相当大変だぞ。なぁ、そのミレミラって奴はどんな見た目なんだ」


 トールスの質問に、案内役の白衣官は手持ちの資料を取り出しながら説明する。


「ヒンガル系とフィードレフ系の混血。十代前半の少女です。亜麻色の髪に、青色の瞳」

「じゃあ、肌の色がちょっと明るいちびっ子を探せばいいってことか? それにしてもなぁ……」


 すでにやる気を失いかけているトールスの前を、一人の小さな人影が通り過ぎる。

 フードを目深にかぶり、自分の身体よりも二回りは大きな外套を着たその背丈はトールスの半分程度。

 手に空の鉄鍋とお玉を持ち、それを打ち鳴らしながらてくてくと歩いて行く。


「みんなー、ごはんの時間だよー」


 キャンプの鬱屈うっくつとした空気とは一転する明るく元気な声が周囲に響き渡る。

 その声を聞くや、うつむいて座りこんでいた人々が顔をあげ、ゆっくりと彼女の歩いて行く方角へと流れ始めた。


「つまり、さっきの子くらいの大きさってことね」


 エクアは周囲の流れる人々に視線を向けながら云う。


「そういえば、肌の色も少し淡かったかな。混血ってことはあんな感じか」


 レイフも一緒に探しながら云う。


「なぁ、亜麻色ってどんな色だ。さっきのちびっ子の色は金と銀と茶の間みたいな微妙なのだったが」

「大体そんな感じじゃないですかね。上手くは云えないですけど」

「あのー……」


 案内役の白衣官が、申し訳なさそうに手を上げる。


「さっき通った子供が、ミレミラ・オーランドではないでしょうか」

「えっ」


 レイフたちは顔を見合わせ、そしてすでに人混みにまぎれて見えなくなってしまった少女の背中を視線で追う。


「ちょっと! どうしてすぐに云ってくれなかったの」

「いえ、何というか、わざと気づいていないふりをされているのかと……」

「そんなわけないじゃないですか。すぐに追いかけましょう」

「ちなみに、さっきの子供の目は青だったか?」

「そこまでは見えませんでしたが」

「くそ、なんでフードなんてかぶってたんだよ」


 慌てて駆けだすレイフたちの背を眺めながら、その白衣官は複雑な表情を隠せずにいた。

 その顔には、厄介な連中のお守りを押しつけた上司への恨みと、帝国の命運の一端をこんな人たちに担わせて本当に大丈夫だろうかという心配がはっきり描かれていた。

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