第19話 深層の眷属 “深葉竜 《L.D.D.》”②

「何!?」


 エクアが首をあげて後ろへ振り返る。その時、レイフの視界の端に銀色の影が飛び込んだ。


「危ない!」


 レイフはとっさにエクアの頭を右腕で抱き寄せる。

 目の前を、銀色の影が横切った。右頬に鋭い痛みが走る。燃えるように熱く、何かがじわりと流れ出す感触があった。


「レイフ? どうしたの……。―――ッ!? 血が、血が出てる!」


 顔をあげたエクアが驚いてレイフの右頬を見る。

 ぱっくりと横一文字に裂けた傷口から血があふれ出しはじめた。


「そんなことよりもエクア。頭をあげちゃだめだ。危ない」

「そんなことって。止血しないと!」

「ちょっと、動かないでくださいね」


 いつもながら気配を殺していたフィリスが間に入り、いきなりレイフの右頬に布地を押しつけた。表面に何かが塗布とふされたそれをぐりぐりと遠慮なしにこすりつける。


「痛ッ、痛たたたっ!」

「はい。もう大丈夫ですよ」

「あたた……。いきなりびっくりするじゃないですか。なんです、これは」

「あ、手を触れないで。ただの傷薬ですよ。止血も兼ねる便利な物です」

「はあ、何でそんな物持ってるんですか」

「生傷が絶えない職場ですから」

「準備いいですね。……でも、ありがとうございます」

「いえ。それじゃあ、気を取り直していきましょう。ブルーウィルさん、さっきのは?」

「一瞬しか見えませんでしたが、おそらく歯飛魚ヒネタウアです」


 話している間に、再び視界に銀色の影が飛び込む。

 それはレイフに向かって一直線に突き進んできた。とっさに挙げた右手に引っかかったソレが気動列車の天板に落下する。

 30cmにも満たない体長の歯飛魚ヒネタウアが、ヒレを激しく動かして飛び跳ねている。やがて、すぐ側の獲物の存在に気がついたのか、狙いを定めてレイフに飛びかかってきた。

 小さな身体で口を大きく開き、四本の鋭い牙がレイフの右手、その人差し指に噛みついた。


「この通り、小さいですが非常に凶暴で危険です。普通であれば、簡単に指を喰い千切られてしまいます」

「しまいますって、レイフ、それ大丈夫なの!? すっごい食い込んでるけど!」

「あぁ、そう云えばエクアには教えてなかったっけ」


 レイフはそのまま、歯飛魚ヒネタウアが喰いついたままの革手袋を外す。


「この通り、義腕なんだ」

「そんな驚きの事実。こんな状況で突然さらりと告白されてもなぁ……」


 エクアはいろいろと消化し切れていない様子で首を横に振った。


「さすがに気動列車を破壊するほどの力はありませんが、ガラスを突き破るくらいの無鉄砲さはあります。このまま手をこまねいていたら、乗客に被害が―――」


 その時、一層強い風が吹いた。レイフたちはとっさに気動列車の天板につかまる。

 車両が金切り音を立てて傾きはじめた。


「ちょ、ちょっとこれヤバくない!?」


 エクアが叫ぶ。

 自分たちの身体の下に高速で流れる地面が見えた。

 さらに背後で、車体に硬い物が次々と打ちつけられる音が響いた。その音はまるで突然の土砂降りの如く激しく連打する。

 歯飛魚ヒネタウアの大群が、レイフたちの頭上を通り過ぎる。

 気動列車の車体は何とか線路に復元する。

 しかし、魚群とまさに呼ぶべき銀色の集団。その群れは気動列車の客車を上回る大きさとなり、一号客車目がけて殺到した。

 何かが壊れる音。叩き潰される音。割れる音。突き刺さる音。

 あらゆる破壊のオーケストラが音の世界を支配する。

 魚群は勢いのままに反対側へと突き抜けてゆく。飛びすさる歯飛魚ヒネタウアたちの中で、傷つき力尽きた個体が地面に落下し、次々と後方へと流されてゆく。


「レイフ! 客車がっ!」


 一号客車は一瞬で見るも無惨な姿となっていた。

 横っ腹に大穴が空き、支えのほとんどを失った屋根が風で激しくガタついている。まだ無事に走り続けていること自体が奇跡に近かった。

 歯飛魚ヒネタウアが喰い破った客車のガラスや木片がぼろぼろとこぼれ、次々と後方へ流れてゆく。その中に人の姿はないように思われた。


「トールスが上手く誘導してくれていれば、あそこに人はいないはずだけど……」


 しかし、次に同じ形で三号客車が襲われれば。いくらかき集めた物で籠城ろうじょうしようにも、あの大群を防ぎきれるとは到底思えなかった。


L.D.D.を一刻も早くなんとかしないといけなさそうですね」


 フィリスが普段よりも真剣味のある口調で云う。


「何とかって云っても、もうラナは使えないし……」

「ラナイーダ。次に撃てるまで、あと何分必要?」


《残り約15分ほどでチャンバー内の充填が完了します》


「あれ、ちょっと待って。計算合わなく無い? さっき30分で一発って云ってたのに、まだそんなに時間経ってないけど」


《それは、大気中の粒子濃度が上昇したことに起因します》


「風が強くなったせい……?」


 レイフは考え込む。


「つまり、君は深気が濃くなれば、使える頻度が上がると云うことでいいのかな」


《“深気”というキーワードは、本装置のライブラリ内に存在しませんでした。本装置は試作品のため、言語機能に著しく制限が存在します》


「彼女はこう云ってますが、間違いなさそうですね」


 フィリスがうなずく。


「でも、深気を濃くすると云っても、これ以上近づくのを待つわけには……」

「いえ、ありますよ。ちょうど良い物が」


 フィリスはそう云って、カーゴの設備を指さした。気動列車の貯水タンク。その隣に据え付けられたバルブ付きの容器である。


「機関士の方々が、この気動列車は蒸気と深気で動くとおっしゃっていました。水はそこに、石炭はそちらに。つまり、残りの設備で蓄えておかなければならない物と云えば……」

「なるほど。深気しかないということね。なら、善は急げでしょ」


 エクアは四つんばいでその容器に近づくと、バルブに手を伸ばした。力を込める……が、それはびくともしなかった。


「んんっ、硬すぎぃ……!」

「エクア。貸して。僕がやるよ」


 レイフが右腕でバルブをしっかりとつかみ力を少しずつ込める。バルブが動く気配はない。さらに力を込める。

 突然、バルブが錆びついた摩擦音を立てて動きだした。

 一度緩むと、それはスルスルと軽快に回り始める。

 ある程度緩んだところで手前に引っ張ると、空気の抜ける音とともにフタが開き、中から青白い輝きが一気にあふれ出した。


「エクア、早く! ラナイーダをッ」


 容器の中へ、エクアは自分の腕ごと神遺物ラナイーダを突っ込んだ。


「……ねぇ、レイフ。すっごい今更なんだけど。濃い深気って、人の身体に悪影響とかないよね」

「うーん、空気とは違う気流のせいで酔ったりとか、重苦しい雰囲気の環境下に長時間いたせいで精神を病んだりって話は聞くけど、毒物的な影響の話は聞かないかな。ただ、建物なんかの人工物は長い時間をかけて深化と云う変質が発生するんだけど」

「私ってさ、やった後に考えてしまう癖が結構あってさ。今もそうなんだけど。手を突っ込んでから、あれ、これって大丈夫かなーって」

「確かにそんな感じはするよ……。大丈夫だから安心して。でも、どれくらいの時間おけばいいのかな」

「ラナ。どう?」


《粒子濃度の上昇を確認しました。充填まで約五分》


「これでもまだかかるんだ……」


 エクアは焦りを見せながらつぶやく。


「エクア。さっきほどじゃなくていい。とにかくL.D.D.に竜巻を止めさせたい。倒せなくていいから」

「倒せなくても……? じゃあ、一秒撃つまでは?」


《現時点で可能です》


「よっし、ラナ、やっちゃって!」


《隔離域展開》


 エクアは容器から神遺物ラナイーダを引き抜き、素早く狙いを定める。

 初弾よりも細い黒影が、一瞬、空の彼方へと届いた。竜巻の中腹を切り裂くそれは、気流を乱すほどの力はない。しかし、わずかに遅れてL.D.D.の小さな悲鳴のような鳴き声が聞こえた。


「いいじゃん。どんどん行くよ!」


 エクアは、二度、三度と、容器の中に神遺物をつけ込んでは射撃するということを繰り返した。

 はたから見ればかなり滑稽こっけいなやりとりではあったが、実際、それは大きな効果を示した。


「風、弱まってきたんじゃないかな……?」

「見てください。竜巻が解けていきます」


 フィリスが指さす。

 雲の切れ間が生まれ、中から再びL.D.D.が姿を現した。


「うわぁ……」


 L.D.D.の姿を見たレイフは、思わず声を漏らした。

 哀れみから生まれた声で。


「はは、ぼろぼろじゃん。ざまーみろ」


 エクアがしたり顔で笑う。

 翼の本数は初めに見た時から変わってはいなかった。しかし、枝葉に当たる部分はいたるところが欠け、穴が開き、折れと、まるで虫に喰われた挙げ句に嵐でぼろぼろになった樹木といった哀れな姿になっていた。

 本体にも、いたるところにあざのようなシミが見える。穴が開いた箇所から体液が漏れでているのかもしれない。

 魅入るほどの神々しさはすでに影も形もなくなっていた。

 L.D.D.は、明らかにこちらへと視線を定めていた。

 ボロボロになった枝葉をゆらめかせて宙に浮いている。

 三度、大きく鳴いた。

 本来であれば身がすくむほどの咆哮ほうこう

 しかし今のレイフには、満身創痍まんしんそういになった草食動物が最後の力を振り絞って捕食者を威嚇いかくしているようにしか見えなかった。

 そんなL.D.D.に対して、エクアが追い撃ちの一発を放つ。

 深気の貯蓄量が少なかったせいか、かろうじてL.D.D.に届く程度の弱々しい黒影。しかし、それは相手の鼻先に命中した。

 今までで最も大きい咆哮が世界を揺らす。

 直後、L.D.D.はくるりと身体を旋回させて飛翔した。気動列車、こちらへ目がけて。


「ちょ、こっちに来た! まずくない!? 次の射撃が間に合わない!」

「向かってきました。ブルーウィルさん、お任せしても?」

「はい。エクア、大丈夫だ。それよりも衝撃にそなえて」

「……レイフ?」


 レイフは大きく深呼吸をする。

 最後の仕上げだ。これをしくじればいくらぼろぼろになっているとはいえ、L.D.D.の巨体を使った突撃によって気動列車は粉微塵に吹き飛ぶだろう。

 レイフの右腕、義腕が淡く輝き出す。血管の如き輝きの脈が走る。

 隣でエクアが息をのむ気配を感じた。

 間合いを計り、集中する。

 L.D.D.は巨大だ。すでに気動列車よりも大きな姿であるはずなのにまだ遠い。


「“近衛ガーズ”!!」


 レイフは叫び、右腕を突きだす。

 気動列車と併走するように、天空に機械仕掛けの巨腕が姿を現す。

 巨大な拳がL.D.D.の顔面と激突する。


「ブルーウィルさん! 左に振り抜いて!」


 フィリスの声に反応し、レイフはとっさに右腕の軌道を修正する。

 L字を描くようなレイフの動きに巨腕が追随ついずいする。L.D.D.の肉体をそのまま引きずり、線路の左手側に広がる耕作地帯にその巨体を叩きつけた。


「伏せて!」


 誰ともなく、いや、全員が一斉に叫んだ。

 土埃が天高く舞い上がり、濁流となって気動列車を襲う。

 神術の行使で朦朧もうろうとした意識の中、レイフは自分の身体が押し流されるのを感じた。

 そんなレイフの両手を誰かがつかんだ。

 ぼやける視界で焦点を合わせると、エクアとフィリスが今までで一番必死な表情でレイフを引き上げようとしていた。


「ちょっと、もう。レイフ、しっかりしてよ! せっかく勝ったと思って、こんな情けない死に方したら台無しじゃん!?」

「ごめん、神術使うと、いつも力が抜けるんだ」

「そういう大事なことは最初に云って!」


 エクアはそう叫び、今にも泣きそうな顔つきでレイフの身体を勢いよく抱き寄せた。

 かたわらにいるフィリスは、どこか力が抜けた様子で頬をゆるめていた。相変わらず覇気のない表情だったが、今のレイフにはそれが冷静で有能な白衣官の落ち着きとして目に映っていた。

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