第16話 気動列車見学とセンセイの講義
外に広がるのは視界一面の耕作地帯。
秋の収穫を終えて殺風景になった大地の上を、ときおり枯れ草が風に舞って飛ばされてゆく。
レイフとエクアは、フィリスを引き連れ先頭の動力車を目指す。
一号客車に入ると、動力車の騒音がはっきりと分かる形で伝わってきた。
エクアはそれに刺激されたのか、小走りで一号客車を駆け抜ける。
幸い、動力車への連結部は鍵などで封鎖されてはいないようだ。特に遠慮することもなく彼女はその扉を開けた。
後を追うレイフの全身に熱気が押し寄せる。
蒸気機関を回すための炉を炊く熱。音。振動。そして
わずかに吸い込むだけでレイフは鼻奥にむずがゆさを感じたが、一方のエクアは気にする様子もなく中へと入った。
入ってすぐの場所には小さな脇部屋があった。機関士の休憩場所だろうか。大人でも小さくなれば寝そべることができそうな簡易の寝台があった。
その側の壁には天井へと続く金属製のハシゴがある。上へ登って何が見えるのか、レイフはふと興味にかられた。
「頭、危ないですよ」
注意がそれたレイフにフィリスが声をかける。
機関室への道は背が低く暗い通路になっていた。妙に頑丈そうな作りのトンネル。おそらくは、この上に石炭や水といった気動列車の動力源が積まれているのだろう。
レイフがトンネルをくぐり抜けるとさらに扉が一つある。
その扉は先に通ったエクアがすでに開けており、向こう側に機関室が見えた。
「お、なんだなんだ。お前たちは。ここは関係者以外、立ち入り禁止だぞ」
中には二人の機関士が立っていた。炉がある程度安定しているのか、今は忙しそうな様子ではない。
「ごめんなさい。どうしても、気動列車の機関室が見たくて」
「ほぅ、女の子にしては珍しいな。ま、ちょうど今は巡航路に入ったところだ。少しくらいなら見ていってもかまわんよ。綺麗な客人は歓迎だ。ただし、辺りのものには勝手に手を触れないように」
隣に立つもう一人の若い機関士は、エクアへ落ち着かない視線を向けながら
「へぇ、思っていたよりもずっと綺麗かも。蒸気機関の機関室って、もっと石炭で真っ黒になってるイメージがあったんだけど……」
「あぁ、コイツは複合炉だからな。普通の機関車とはずいぶん違うぞ、なんたって最新型だからな。嬢ちゃん、気動列車の”気”は、何を指してるか知っているかい?」
「え、それは蒸気でしょ?」
「間違いじゃないが、正解でもない。つまり、五十点ってことだな」
「どういうこと?」
「この気動列車はなんと、蒸気と深気の力で動いているんだよ。ほら、そこの辺りをよく見てごらん」
見るからに熱そうで人がいて大丈夫なのかと心配になるが、灰色のローブを頭から被った人がそこにいた。
顔はローブに隠れて見えないが、手の様子から褐色の肌をした男性であることがわかる。
彼は、近づこうものなら熱気で顔をしかめざるをえないような場所にいながら、ぶ厚いローブをかぶって平然としているように見えた。
何かに集中するように自身の前に両手をかざし、静かにそこにいた。彼の周囲は淡く青色に輝いていた。
「
「ん? あぁ、あんたらよく見たら、教皇庁の神官さんかい。ずいぶん若いから気がつかなかったよ。まぁ、似たようなもんだと思うんだが、センセイに云わせりゃ、少し違うらしいんだがね」
「センセイ?」
エクアが首をかしげると同時に、ローブを被った男が立ち上がった。
「これは、あんたらが云うところの
フードの中から現れたのは、トールスと同年代くらいの男だった。
濃い褐色の肌に、少しばかりひねたような表情を浮かべており、髪は全て綺麗に剃られた坊主頭だった。
遠く東の国からの移民にある特徴。帝国では彼らのことをヒンガル人と呼んでいた。
「ふうん、
「お嬢さん。全ては同じだ。全て、深気を使って奇跡を起こすという一点においてはな。ま、アンタが聞きたいのはそんな本質論ではなかろうな。教皇庁流の定義で云えば、次の通りになる。神術は、神遺物を起点として引き起こされる事象。そして、神遺物と神術は、必ず使徒と呼ばれる人とセットになる。神遺物から神術を引き起こせる人が使徒。逆に云えば、神遺物を使徒ではない人が使おうとも神術は引き起こせない。ここまではわかるか?」
「うん、大丈夫」
「ある特定の神遺物、神術の使徒だからと云って、別の神遺物から神術を引き起こせるわけではない。神遺物、神術、使徒は常にセットだ。しかし、中には複数の使徒が生まれる神遺物もある。逆も
興が乗ってきたというように、そのセンセイと呼ばれたヒンガル人技師は声に熱をこめる。
「
「えっ、そんなこと本当にできるの? なんかムチャクチャじゃない」
「それができるんだな。さて、お嬢さん。最初に云ったことを覚えているかな?」
「うーん? えっと、全部、深気を使って奇跡を起こすってこと?」
「おぉ、君は実に優秀だ。オーランド門下に通じる逸材やもしれん。その通り。大事なのは神遺物でも使徒でもない。深気だ。深気があれば、ぶっちゃけ何でもできる。誤解を招かないように繰り返すと、何でもできる可能性がある、と云ったところかな」
「つまり、その道を探る行為が瞑想とか修行ってことね」
「まったくその通り。そして、何もなくとも、誰であっても瞑想や修行は行える。深気なんざ、薄いか濃いかの違いだけで、どこにでも存在する。そんな条件で奇跡が起こせるなら、神秘もクソもあったもんじゃない。だから、教皇庁は神を
「なるほどねー。ヒンガル人のお兄さん、教えるの上手だね。センセイって云われてたけど、教師なの?」
「我々の業界では師範と呼ぶんだが、残念ながら私はその下、師範代になる芽すらなかった落ちこぼれでね。仕方なくこんなところで技師をやっている」
「おいおい、俺たちの職場をこんなところ呼ばわりは酷いじゃねぇか、センセイ。給料も良いし、悪かない職だと思うがね」
「待遇はそうだ。しかし、ここは暑すぎる」
「あ、やっぱ暑いんだね……」
「そりゃそうだ。私だってただの人間だからな。炉の側で瞑想し続けるなんざ、正気の沙汰ではないよ。ま、その分給料はいいんだがね」
「センセイのおかげで、俺たちは気動列車が走っている間中、ずっと石炭運びに汗水垂らし続ける必要がないってわけだ。ほら、ただの機関車なら炭水車と云って、石炭と水を大量に積んだ大きな車両が動力車と客車の間にあるもんだが、こいつは動力車のカーゴにある程度積んでおくだけで事足りる。その分車重も軽く済んで効率的ってことだな。嬢ちゃんが動力室を見に来ることができたのも、こいつが普通の機関車じゃなくて気動列車だったからだ」
「まぁ、ここまで大層な話をしてきたが、やってることは深気を使って水を温めてるだけなんだがね。詐術としちゃあ、初歩の初歩だよ」
「でも、それをこんな過酷な環境で、動力源として安定して持続的に引き起こせるっていうのは、やっぱり熟練が必要ですよね」
「お、兄さん、中々わかってるじゃないか。教皇庁の神官なのに、詐術に理解があるとは嬉しいかぎりだね」
「詐術とも神術ともとれない奇跡の経験をたくさんしてきましたから」
「見た目によらず経験豊富なんだな。いいことだ。若い頃から経験を積めば、それだけ奥深くまで潜ることができる。例えばミレミラ様のように、十もいかぬうちに師範代を任されるようにな」
「ミレミラ?」
レイフとエクアは聞き知った名前に思わず口をそろえる。
「あぁ、ミレミラ様は、私が師事していた師範の孫娘様だ。ミレミラ・オーランド様。偉大なる詐術士のお一人だよ」
その時だった。
列車が突然、振動とともに激しい横揺れに襲われた。
バランスを崩したエクアが炉の方に倒れそうになったところを、レイフは慌てて彼女の腕をつかんで引き寄せる。
「ごめん、ありがと」
「お前たち、ちゃんと手すりを持ってないと危ないぞ。それにしても、今日は風が強えぇなぁ。嵐でも来るってか?」
白髭機関士が
「こんな季節に? もうすぐ冬入りで北風が強くなるってのはあるが、この季節で嵐ってのは聞いたことないな」
センセイが小さく肩をすくめる。
「しゃ、車長。大変です!」
「なんだ、どうした」
突然の悲鳴のような声に、皆が振り向く。
「た、た、竜巻が!」
機関室脇の窓から前方を見ていた若い機関士が、血相を変えて叫んだ。
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