第17話 竜巻と第三皇太子の乱入

 その場にいた全員が、いや、存在感を消していたフィリスを除いた全員が窓から外を覗く。

 進行方向。地平線に向かって線路が続いている。

 その少し左手で、空に向かって濃い灰色の大気が渦を巻いていた。

 まだ遠い。しかし、その遠さでこれほど大きく見える。その事実は明らかな危険として皆に認識された。


「不味いな。なんだってあんなモノが。とにかく列車を止めるぞ。汽笛を鳴らせ!」


 白髭機関士の指示に合わせて、若い機関士が汽笛を鳴らす。

 短く五度。長く一度。しばらく間を置いてからもう一度繰り返す。

 その意味をはっきりとは知らなくとも、何事かが起きたのだと分かる甲高い音色が世界に響き渡った。


「弁解放。ブレーキかけるぞ。皆、ちゃんと手すりにつかまってろよ」


 レバーを操作すると、蒸気が勢いよく抜ける音が頭上から響いた。さらに別のレバーを操作すると今度は列車の速度が反動とともに下がる。甲高い金属の摩擦音が足元から鳴り響いた。

 列車はしばらく緩やかな減速を続け、やがて完全に停車した。


「車長。複合炉の火入れは終わっちまってる。このまま火が落ちるまで待とうにも、水の貯蔵が心許ない」

「どういうこと?」


 エクアがたずねる。


「複合炉で使ってる詐術は、深気を圧縮して混ぜ合わせることで熱を生み出す技術だ。コイツは安定して長時間、多くの熱量を生みだす便利な代物だが、反面一度混ぜ合わせるとしばらくの間熱を発し続ける。水を炊き続けるにはもってこいだが、炊く水が無くなっちまえば冷やす速度が追いつかずに炉が熱に負けて底が抜けちまう」

「便利だけど色々面倒があるわけね」

「次の駅まではあと一時間程度だ。そこにたどり着ける範囲で再出発できればいいんだが……」


 しかし彼らの思いに反して竜巻は徐々にこちらに向かってきているように見えた。列車に直撃しないにせよ、線路に被害があれば彼らの思惑からは大きく外れる結果となるだろう。

 まさに天に祈るしかない状況。

 そういう時に限って、さらなる面倒ごとが舞い込んでくるものだった。


「おいッ! 機関士、なぜ列車を止めた!」


 騒々しい足音ともに現れたのは、黄色を基調とした豪奢な軍服に身を包んだ集団だった。

 軍服の上から金色に輝く胸甲を身に着け、脇に同色の兜を抱えている。騎乗靴に腰に下げられた鋭剣は、まさに騎兵隊といった出で立ちである。

 ただでさえレイフたちの来訪で狭くなった機関室が、身動きを取りづらいほどにまで人の密集した空間になる。

 部外者であるレイフとエクアは、慌てて部屋の隅に移動して肩を寄せ合い小さくなった。


「我々は帝家直轄ちょっかつの第三近衛士団である。エーメリック皇太子殿下が予定に無い行動を心配なさっている。責任者には十分な説明を求める!」


 先頭に立つ茶褐色の立派な口ひげを生やした男が高らかに問う。対する白髭機関士は、わずかに緊張した様子ながら、堂々とした態度を崩さずに応じた。


「は、衛士様。私はこの列車の車長をしてるもんです。実は、進行方向に竜巻が発生しまして。安全のため停車をしとります」

「竜巻だと……?」

「嘘ではございません。そちらの窓からご覧いただけます」


 疑わしいという表情を崩さずに、その衛士は示された窓へと進み出た。


「こんな狭いところであんなにキビキビ歩いて、配管に頭ぶつけそう。見ててハラハラする」


 エクアがレイフに耳打ちする。


「むぅ……。確かに! しかし、我々は重要な任務のため、クランツ・クラン要塞に急がねばならぬ。これは、帝国の命運のかかった最優先事項だ。車長、どうにかならぬものか」

「お気持ちは重々承知しております。しかし我々も、乗客の皆さんや車両の安全を無視して走らせる訳にはいかんのです。皇太子殿下が乗車されているとなればなおのことです。今はただ、竜巻が何事もなく無事通り過ぎてくれることを祈って待つしか……」

「そんな消極的では困るな。余は一分一秒を争う立場にある。それが遅れるごとに、クランツ・クランを守る将兵の命が、ひいては帝国民の命が失われてしまうのだ」


 そんな言葉とともに現れたのは、見事な金髪に碧眼を有したレイフと同年代くらいの美しい少年だった。

 衛士達が一斉に敬礼をする様子を見るまでもなく、彼が皇太子本人であるとはっきりわかる。そんな風格や威厳を持った人物だった。


「でも、すごく背、低いね」

「こらっ、エクア。聞こえるよ」


 ささやき合う二人を、エーメリック皇太子は横目で一瞥いちべつした。二人は慌てて口をつぐむ。

 しかし、この皇太子。下手をするとエクアの頭ひとつ近くは背が低い。底の厚いブーツを履いているにも関わらず。

 例のやけに背筋の正しい衛士が隣に並ぶとそのことが一層際立つ。

 そして、当の二人はその事をもの凄く気にしながらも、気にしていない風を装うことに全力を注いでいる。

 ただ、どうも二人とも仮面をかぶれる役者なタイプではないようで、誰の目からも明らかなその努力がどこか喜劇的な雰囲気をただよわせていた。


「車長。今すぐ列車を発車しろ」

「そうは云われましても、風で横転や脱線なんてした日には大事故になっちまいます」

「ならば、余がクランツ・クランに間に合わないことによって出た甚大じんだいな被害に、お前は責任を持つことができるのか?」


 その言葉に、白髭機関士はわずかに顔を青くしてうなり声を漏らした。


「ちょっと、その云い方は卑怯じゃない?」

「なんだ貴様は……。その格好は教皇庁の神官か? ふん、部外者が口を挟むな」

「部外者はアンタも一緒でしょ。黙って聞いてれば好き勝手云っちゃってさ。ここは機関士の戦場なわけ。気動列車の気の字の意味もわからないアンタが偉そうに口を挟むことこそが分不相応ぶんふそうおうなのよ」

「貴様ッ! 不敬であるぞ!」


 衛士が声を張り上げるが、エクアはまったく引こうとはしない。

 そんな彼女の腕に衛士がつかみかかろうとした瞬間、その手をレイフがさえぎった。


「貴様も抵抗するか!」

「いえ、そんなつもりは。ここは大人しく引きますので、彼女に乱暴するのはやめてもらえますか」

「ちょっと、レイフ!」


 食い下がろうとするエクアに、レイフは目配せをしながら彼女の背を押して強引に機関室の外へと向かう。


「ふん、れ者め。初めから黙ってそうしておけばよいものを」


 皇太子が吐き捨てた台詞で、レイフが支えているエクアの背中に緊張が走った。

 レイフは慌てて彼女を急がせる。

 二人とその後に着いてきたフィリスは一号客車まで戻ってくる。

 ここまで来れば、すでに機関室の声は何も聞こえない。


「ねぇ、レイフ。私、納得いかないんだけど」

「うん、わかるよ。そのおでこを見れば」


 怒りがつのってしわの寄った彼女のおでこを見ながらレイフは笑う。


「ちょっと、笑い事じゃないでしょ。このまま列車が走り出して事故を起こしたりなんてことになれば、大惨事だよ」


 彼女がそう云った矢先、甲高い音色で汽笛が鳴った。

 停止前とは違うリズムの汽笛。ほどなくして、わずかな振動とともに列車が再び走り出した。


「エクアの云うことはもっともなんだけど。ただ、僕には別の考えというか危惧きぐがあるんだ」


 レイフは自分たちの客室がある三号客車に向かって歩きだしながら話す。


「さっき冗談めかして話したこと、覚えてる?」

「もしかして、深樹海を飛びだしてくる深層の眷属がいるって話?」

「そう。まさにそのことなんだ。機関士の人たちも云ってたじゃないか。こんな季節の嵐、竜巻なんて聞いたこともないって」

「確かにそう云ってたけど、そういうこともあるんじゃない? たまには」

「そう、そんなこともあるかもしれない。ただ、そんな偶然で起きた竜巻が、深気の光を発するはずはないんだ」


 レイフの言葉にエクアは窓へと顔をよせる。


「……ホントだ。ねぇ、レイフ。マジのマジ?」

「そうじゃない可能性もあるかもしれない。でも、今はそうである可能性に賭けて動くべきだと思う。相手がほとんど観測事例のない深層の眷属というのなら、考える時間がいくらあっても足りないかもしれないから。つまり、僕たちはあんなちっこく威張った皇太子の相手をしてる暇はないんだ」


 話をしている間に三号客車に到着する。相変わらず廊下で見張りをしていた白衣官たちが、わずかに安心した様子でレイフたちの方を見た。監視対象が正直に戻ってきたことにほっとしているのだろう。


「安心しているところ申し訳ないですが、残念なことに見回りの成果がでてしまいました」

「何のことだ?」


 レイフが経緯を説明する。深層の眷属の可能性について触れた途端、彼らの表情には鋭い緊張が走った。


「深層の眷属本体については、とりあえず僕とエクアで対策を考えます」

「まさか、撃退が可能なのか?」

「わかりません。でも、とにかくやってみるほかありません。少なくとも、今この列車に積んでいるであろう少数の火器では相手の気を引くことすらできないでしょう。であれば、僕とエクア。神術を扱える者が当たるしかありません」

「わかった。こんなことを云うのは筋違いかもしれないが、よろしく頼む」


 監視役の白衣官はそう云って頭を下げた。

 思いもよらない態度にレイフとエクアは顔を見合わせる。


「もしあれが、本当にL.D.D.であれば、あの竜巻の中には大量の取り巻き、歯飛魚ヒネタウアの群れがくっついているはずです。皆さんは、客車内の窓なんかへのシールドやバリケードの構築、後は脱線や横転で少しでも怪我人が減るように布類なんかをかき集めてください」

「わかった。すぐに当たらせよう」


 レイフの言葉に、彼らはすぐさま動きだした。

 次にレイフは自分たちの客室、十三号室へと戻る。


「トールス! ほら、暢気のんきに寝てないで。敵襲です! これから忙しくなるんですから早く起きてください!」


 手を叩く音に、客席で横になって目を閉じていたトールスは驚いてとび起きる。


「なんだ。どうしたんだ、一体」

「なんでもどうでもいいんです。とにかく、身を守るために布とか木板とかそういうものを集めてきてください。白衣官の方々と協力して。客室を補強するんです。乗客を集めて守るんです。あぁ、それから大事なことを。窓ガラスは必ず何かでふさいでください。相手はおそらく歯飛魚ヒネタウアです。専門分野ですよね?」

「レイフ。頼むからちゃんと説明してくれ。何一つわからん」

「もうすぐ敵襲だ! 少しでも硬く陣地を固めろ! です。トールスは現場指揮官ですから。後は頼みましたよ、軍曹殿」

「あ、ちょ、おい! お前はどこに行くつもりだよ」

「もちろん、深層の眷属退治ですよ。エクアと本命を叩いてきます」


 レイフはふたたび動力車に向けて歩きだす。

 その背中を、トールスは困惑したままの表情で見送った。

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