第21話 二人の夜とキワ・イリス再動

 その日の夜。気動列車は次の駅に停車し、臨時の整備を行っていた。

 乗客たちは駅舎の一部を貸し与えられ、発車までの間を待つことになっている。

 人数分のベッドなどは無いため、あり合わせの絨毯の上で毛布にくるまる。

 レイフは窓から差し込む月明かりがわずかに映し出す天井をぼんやりと眺めていた。

 すでに、隣からは眠りについたトールスの寝息が聞こえている。

 明日は朝早くから出発する予定となっている。それまでに少しでも疲れをとる必要があったが、色々ありすぎたせいでむしろ目は覚めてしまっていた。


「……ねぇ、レイフ。起きてる?」

「エクア? なんだ、まだ寝てなかったんだ」


 声のした方に寝返りをうつと、エクアのプラチナブロンドの髪が視界に映り込んだ。


「どうしたの。眠れない?」


 レイフの問いかけにエクアはすぐには応えず、もぞもぞと毛布の中で身じろぎをするばかりだった。

 遠くから、何かを金づちで打つ音が聞こえる。人々の話し声も。夜通しで働く気動列車の関係者たちの立てる音に耳を傾けているうちに、レイフはだんだんとまぶたが重たくなってくるのを感じた。


「―――その、ありがと」

「……ううん、こちらこそありがとう」

「へ? いや、まだ何も云ってないけど……」


 エクアは怪訝けげんな顔つきでこちらへ寝返りをうった。


「なんとなく。でも、僕が一方的にお礼を云われるようなことはしてないつもりだけど。今日の戦いだって、エクアがいなくちゃ僕たちは無事じゃすまなかったから」

「それ、私が云おうとしてたことなんだけどなぁ……」

「ごめんごめん。じゃあ、今の無しで」

「今日の深層の眷属。私だけじゃどうしようもなかった。レイフがいなくちゃ、レイフの力がなくちゃ、皆がこうして無事にいられなかったと思う」

「本当になかったことにしたね……」

 エクアは、目元で笑いながら続ける。

「私さ。こう見えても実は結構不安だったんだ。神遺物ラナイーダが使える。ただそれだけで深樹海まで連れて行かれることになったけど、本当は自分に何ができるかなんて想像もつかなかったから」

「そっか。ちょっと安心した」

「安心?」


 エクアは驚いたように目を見開いた。

 エメラルドグリーンの瞳が月明かりに照らされ、美しくきらめいた。


「エクアはさ、危険にためらわない勇気があって、どこか飄々ひょうひょうとしてる。なんだか、知らないうちにどんどんと走って行っちゃいそうだったから」


 レイフは言葉を口にした後、その台詞がエクアにレジーナを重ね合わせたせいで起こったものだと気がついた。

 自分の手の届かないところで取り返しのつかないことになる。無意識に、そういう事態への強い忌避感があったのだと。


「私、そんなに無鉄砲に見えてた?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」


 わずかな気まずさから、レイフは言葉をにごす。


「ねぇ、レイフはどうしてこの話に乗ったの」

「僕は、会いたい人がいるんだ。その人は、要塞フィグネリアで行方不明になった。探しに行くためには深樹海に入らないといけないから」

「……ごめん。軽い気持ちで聞きすぎた」


 どこか返しにくそうに云ったエクアの様子に、レイフは思わず笑い声をもらす。


「気にしなくていいよ。半分くらいは受け入れてるから。でも、やっぱりこの目で見ないと納得できないから」

「そりゃそうだ。その人は、レイフとはどういう関係?」

「んー、家族、というのが一番しっくりくるかな」

「はっきりしない云い方だね。まるで、家族じゃない人を家族って云ってるみたい」

「血は繋がってないからね。僕を育ててくれた人だよ。でも、母親というと違う気がするし、姉に近いのかなぁ」

「じゃあ、私とおんなじだね」

「エクアと?」

「私も、もう一度お姉ちゃんに会いたい。ううん、一度と云わず、ずっと会いたい」

「そっか。じゃあ同じだね。僕も会いたい。ずっと」


 二人は目を合わせ、そしてくすくすと笑いをもらした。


「エクア。一緒に行こう、深樹海へ。僕たちは一人じゃない。トールスもいるし、残り二人も仲間がいる。きっと、想像もしないことが待ち受けているけど、僕たちだって想像もしないことができるはずだ。皆でなら」

「そうだね。不謹慎かもしれないけど、ちょっとワクワクする」

「それぐらいがちょうどいいよ。困難に歯を向いて笑ってやるくらいがさ」


 言葉のあとに、レイフは口からあくびが漏れた。


「そろそろ寝よう。明日は早いから」

「うん、おやすみレイフ。また明日」

「おやすみ……」


 言葉を口にしきるや、レイフは深い眠りの中へ真っ逆さまに落ちていった。


 #


 要塞フィグネリア。その残骸に、いまだキワ・イリスは埋もれている。

 だが、その橋脚きょうきゃくせわしなく動きつづけていた。まるで、海底の砂の中から餌でも探すかのように、フィグネリアの残骸をつまみ上げては別の場所へとよけてゆく。

 その脚元に一つの人影があった。傍目には十代半ばを過ぎたくらいの少女の姿。

 年齢もさることながら、長い黒髪を頭の後ろで束ね、タキシードのような黒色の背広とパンツ、そして白手袋というスタイルは、戦場の跡地においてはまったくそぐわない格好であった。

 そんな特異な存在である彼女が只人ではないことを証明するように、彼女の瞳は虹色に輝いている。


「ほんともう、どこに行っちゃったのよ。要塞と一緒に自爆するなんて、メチャクチャだわ。嫌んなる」


 ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、黒い衣装が瓦礫で白く汚れるのもいとわず、彼女は手で持てる瓦礫を一つ一つ持ち上げ、横によけては何かを探し続けていた。

 彼女がこれまでどれほどの時間と手間をかけて作業をしてきたのかを示すかのように、彼女から少し離れた場所に瓦礫を積み上げた場所がある。

 それは家屋を十件以上は建てられそうなほどの分量にのぼっていた。

 しかし、要塞フィグネリアの途方もない大きさと比べれば、そんな分量もほんの些細な量である。

 彼女の作業は巨大な深層の眷属の手を借りてすら、終わりないもののように思われた。

 それでも彼女は、諦める素振りも疲れた様子も見せない。口から延々と漏れだす愚痴だけは止まらなかったが。


「あっ!」


 そんな彼女の諦めない心意気に神が応えたのか、彼女は何かを見つけて声をあげる。

 それは、金色に輝く人の髪の毛だった。

 瓦礫がれきに埋もれた髪の毛という時点で、それは間違いなく轢死れきしした遺体に付随ふずいするものであり、普通の人であれば嫌でも緊張をともなう対面であるはずだった。

 しかし、彼女はとても無邪気に、歓喜に沸いてその髪の毛に飛びついた。

 周囲の瓦礫を手際よく取り除いていく。

 中から現れたのは、一人の女性の頭。上半身。どれほどの幸運か、損傷は驚くほど少ない。生来の美しい造形が保たれていた。その代償か、胴から下の部位は完全に欠落していたが。

 白衣官の外套らしきぼろ布を身につけたその女性の上半身を、少女は天にかかげ、そして愛おしそうに抱きしめる。


「ようやく、ようやく見つけた! 会いたかったよ、β-3(ベイスリー)」


 もちろん、その遺体は少女の声には応えない。しかし、彼女はその事をまったく気にする様子はなかった。

 彼女は遺体を大事そうに抱えたまま、キワ・イリスに向かって歩きだした。

 まるで彼女のために差しだされたと云うべき橋脚を登り、やがてその巨大な深層の眷属の背中にそびえる殻でできた構造物の中へと消えていく。

 程なくして、キワ・イリスは重低音のうなりを響かせてゆっくりと立ち上がり始めた。

 その日、その時。

 遠隔地からキワ・イリスを監視していた帝国各所属の偵察部隊員全員に緊張が走った。

 キワ・イリス再動。

 その報はあらゆるモノに優先して、クランツ・クランへと届けることが求められた。

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