第22話 白衣区と黒衣区

 レイフ達が駅舎で休息をとっている頃。帝都において、彼らに関わる勢力が動きを見せていた。

 その一つ、レイフを最前線へ送る原因をつくった少年、カーティス・レイ・ホーディアルは、帝都内にあるホーディアル家の邸宅にいた。

 帝国における貴族の筆頭としても名高いホーディアル家が、政務のために用意した帝都内の別邸。

 そこは今、カーティスと彼の父であり白衣区長官であるウィラーが利用している。

 カーティスはその中にある父の自室の前で、厳しい表情を浮かべて立っていた。

 部屋の中からかすかに聞こえるのは抑えた嬌声と水音。

 何度となくその場に居合わせたカーティスが、その音に動揺することは最早ない。中で行われている光景すら容易に想像できた。

 一切の逡巡しゅんじゅんを見せずに扉をノックする。


「父上。カーティスです」


 中からの返事を待つことなく、カーティスは扉を開いて中へと踏み込んだ。

 そこは寝室であったが、その部屋の用途から考えれば必要以上の広大さを有していた。

 その中央に鎮座する巨大な寝台には薄っすらとベールがかけられており、わずかに二人分の人影が写っている。

 中にいるのは彼の父、ウィラーと、その秘書官を務める“生き物”だった。

 カーティスは身体に染みついた距離、生々しい獣の香りと肉のぶつかり合う音が生理的に無視できるギリギリの距離まで進み、いつも通り一方的に話しはじめた。


「次期羊計画の件。全てが予定通りに進んでいます。明朝、私もクランツ・クランに向けて出発します」

「おぉ、流石は手際がよいな。それで、例の同期生はどうなった?」


 中から返ってくるウィラーの声には、ときおり微かなうめき声が混じった。

 ベールに写る影から、行為が激しいものから緩やかなものに変化はすれど、決して止んではいないことがうかがえる。もちろん、そんなことをカーティスは一々気にも留めない。


「ブルーウィルについても問題ありません。すでに、クランツ・クランへ輸送中です」

「お前は彼に随分とこだわっていたからな。そのピースが揃ったのであれば安心だ」

「別に、こだわっていたわけではありません。単に、能力として有用と考えたまでです」

「はは、そうか。しかし、気をつけるように。お前にとっては神学院以来、初めての深樹海だ。世継ぎであるお前がいなくなっては、由緒あるホーディアル家が途絶えてしまう」

「ならば、速やかに別の後継者候補を作ることを推奨します。そのようなマガイモノと戯れるのではなく」

「こらこら、彼らをそのように呼んではいかんぞ。幻想の眷属は人類の至宝だ。そして、彼は我がホーディアル家のまさに家宝でもある。大切にせねばな。いつか、お前も彼に触れればその素晴らしさが理解できよう」

「私は、血縁と夜伽の相手を共有していると世間に触れ回るほど露悪趣味ではありません」

「私も若い頃は、そういう多少の抵抗はあったものだがな、知れば変わるとはまさにこの事。あぁ、そう云えば、シャリオ・サーキットの件は聞いているか? 今回の件、すでに黒衣区がいろいろと嗅ぎ回っているようだ。私の方でも調べてはみたが、中々その尻尾をださなかった。まぁ、キワ・イリスと戦う上では特段考慮する必要もないが、羊のあつかいについては注意が必要かもしれぬな」

「わかりました。用心しておきます。それでは、時間が惜しいのでこれで失礼いたします」

「カーティス様。御武運をお祈りいたしております」


 不意に届いたその声は、発言者に対して最大限の憎悪を抱いているカーティスですら、天使の唄声と称せざるを得ないほど透きとおった声だった。同時に、全ての男女を脳髄と下腹部から激しく揺さぶるような艶めいた声でもある。

 ベールの裏側から虹色の瞳に見つめられた気がして、カーティスの背筋を悪寒が走り抜けた。


「貴様の汚い口で俺の名を呼ぶな。舌を斬り捨てられたいか」

「申し訳ございません……」

「やれやれ、云ってるそばから困った息子だ。まぁ、私の子とは思えないほど優秀なお前の事だ。必ず上手くやると信じておるよ」

「それでは行ってまいります」


 カーティスはそのまま素早くきびすを返し、寝室を後にする。

 彼が扉を開くその時まで背後からは不快な水音が響き続けていた。

 部屋をでたカーティスは、数歩歩いた後で深呼吸をする。まだ、体内に不快な空気が残っている気がして苛立ちがつのった。


「若様」

「ファナ。この部屋には近づくなと、何度も云っているだろう。その身が汚れる」

「インディール家の者として、若様のお側に常にあるのが私の役目ですので」


 カーティスは、聞き分けの悪い子供に呆れる父親のような目でファナを見た。


「出立の準備は?」

「万事整っております」

「黒衣区の動きの方は」

「前回のご報告通り、人の気配はあれども直接的な行動は確認されておりません。おそらくは、内偵を通しているのではないかと」

「いいだろう。大人しくしているうちは放っておけ。こちらも一々構っているほど暇ではない。ただし、邪魔立てするようであれば、実力でねじ伏せろ」

殻騎兵ハサーを四騎用意させています」

「大げさすぎる気もするが……」

「若様が深樹海へ入られるとあれば、これでも過少です。ただ、どうしても動く状態のものがこれだけしか揃いませんでした。先行させている部隊の分が引かれておりますので」

「あぁ、クリミアをブルーウィルに付けていたのだったな。……さて、それでは出発まで少し休む」

「控えておりますので、何かございましたらすぐにでもお呼びください」

「必要ない。お前も休め、これから長旅になる」

「お心遣い、感謝いたします」


 ファナが深々と頭をさげるのを横目で見たあと、カーティスは自身の私室へと向かった。


 #


 教皇庁黒衣区。

 その長官であるシャリオ・サーキットは、執務室で部下の報告を受けていた。


「レイフ・ブルーウィルは、やはりカーティス・レイ・ホーディアルの指揮下の元でクランツ・クランへ向かっているようです。白衣区入りしている内偵が、昨晩の事件当時に救護班として立ち会った白衣官から証言を引き出しました。彼女はブルーウィルと特徴の一致する少年の治療を行い、眠らせて馬車に積み込んだと。通常の輸送ルートとは異なる経路でチェニスターから帝都フィードレフへ戻ってくる途中の白衣区の馬車も確認しています。中身は空でしたが、証言にて引き出した治療薬の匂いと共に、数名の人間を乗せた跡が残っていたとのことです」

「では、ブルーウィルは今頃気動列車か。まずは無事を祈るほかないな。クランツ・クランの地域担当者には?」

「すでに監視命令を伝達済みです。また、エーメリック第三皇太子殿下へ付けていた者が、ちょうど同じ列車に乗っているはずです。その者からの情報も近々得ることができるかと」

「よし。では次だ。白衣区の動向だな。羊計画がらみの」

「主担当者であるカーティス・レイ・ホーディアルはいまだここフィードレフにおります。明日の便の気動列車をおさえているようですので、これでクランツ・クラン入りするものかと。子飼いの部隊を招集しておりますが、それほど大所帯ではないですね。小隊相当。ただし、殻騎兵ハサーを四騎、積み込み準備を行っています」

「さすがの大貴族だな。単独行動でそれだけの殻騎兵を揃えるとは。まぁ、次期白衣区長官の護衛としては控えめともとれるが。羊計画と云えば、カーティスの前任者がいただろう。レジーナ・ブルーウィルの監督をしていた者だ。奴はどうしている」

「タング・フィー・ランクスですね。要塞フィグネリアからクランツ・クランへの帰還は確認されておりますが、その後の消息が途絶えています。監視網に引っかかっていないことからクランツ・クランから出ていないことはほぼ間違いありません。今回の作戦指揮を外されたことで、相当中央と揉めていた、という関係者からの証言は得ています。捜索をさせますか?」

「そうだな。プロファイルからは、かなり執念と嫉妬の深い性質に見える。それに、ヤツはブルーウィル、そしてカーティスと神学院時代からの同期だ。それに、父親がつい最近、カーティス本人と騒ぎを起こしている。降り積もる個人的な因縁もあるだろう。であれば、羊計画に介入し、邪魔立てしようと考える可能性は十分ある。最悪キワ・イリス迎撃にも支障がでかねない」

「その話であれば、青衣区にも怪しい動きがあります」

「青衣区? あの筋肉一辺倒の長官にそんな裏工作を働く知恵があったのか」

「いえ、どうやら参謀レベルで長官の意向を深く汲みとった結果の独断のようですが。クランツ・クランの避難民や浮浪者から札付きを集めて組織しているようです。不法イリーガルな行動ですので、口の軽い長官への報告は省略したものかと。いくつかの軽犯罪事件を起こしている以外は目立った動きは今のところありませんが、現場の所見では何かを待っているようだと」

「まぁ、我々と赤衣区を除けば、皆が皆白衣区長官の失脚を望む者ばかりだ。白衣区の内部抗争と青衣区の妨害が連携する可能性はあるか……。よし、そちらも含めてクランツ・クランでの監視体制を強化させろ。要員については必要に応じてその他の任務の一時中断、増援の派遣も許可する」

「調整いたします。介入のレベルは如何しましょうか」

「残念ながら、直接的な行動に出られると武力をほとんど取り上げられている我々では対抗のしようがない。警告、誘導を中心とした情報支援に留めておけ。最悪の場合は、欺瞞を用いて帝国軍の介入を誘発させろ」

「繰り返しは使えない手段ですので、現場の判断を厳重にさせます」


 その後も部下からの報告は続く。

 帝国の全土、深樹海、異国。あらゆる場所に張り巡らせた情報網から集められ、選別された情報を最終的に判断する長官の仕事量は膨大である。

 それでもシャリオは、ようやく自分に馴染み、機能し始めた組織に対して一定の達成感をおぼえていた。

 前任者が腐らせた木の根を絶ち、新しく張り直した根が正しく情報を吸い上げ始めている。このまま順調に成長すれば、やがては大きな木に育つだろう。

 黒衣区の長として、時にはその圧倒的情報力と工作力に全能感をおぼえそうになることもあるが、そのたびにシャリオは自らを戒める。

 黒衣区の目指すべきは国家の安寧。

 その障害となるあらゆるモノを事前に察知し、危害を及ぼす前に芽を摘む組織の構築。

 しかし、今回のレイフの事件を見逃したこと一つとっても、現状はそんな理想とはほど遠い。

 そしてシャリオはこの数時間あとに届く、気動列車線路上に出現した深層の眷属、L.D.D.の報告を聞き、自らの組織の至らなさをさらに思い知るハメになるのだった。

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