第5話 トールスの語りと二人のこれから

「トールス?」


 不自然に言葉を切った彼に対し、レイフ・ブルーウィルは首をかしげる。


「―――あ? あぁ、話としては、まぁ、こんなところか」


 トールス・マグニムはグラスに注がれたウィスキーを舐めながら云った。

 年代物らしいそれは馬鹿みたいに高価で、その価値をレイフが理解することは難しかった。しかし、トールスは惜しみながら少しずつ。本当に旨そうにそのウィスキーを味わっていた。

 帝都の歓楽街。その少し裏に入った通りにある落ち着いた雰囲気の酒場。二人は店の奥の方の席に腰かけている。店内はわずかに薄暗い照明の中、夜の娯楽を求めてやってきた帝都民であふれており、騒がしいとまでは云わないまでも賑やかな雰囲気につつまれていた。

 どこからか聞こえる弦楽器の音色が、場の雰囲気に慣れていないレイフにとってもどこか落ち着きを感じさせる空間を作り出している。


「こんなところって、だいぶ中途半端ですけど。そのあとどうなったんです。レジーナは?」

「いやぁ、実はな、俺も最後まで見届けたわけじゃねぇんだよ。結局その後砲撃戦が苛烈になって、俺は俺の持ち場もあるし、レジーナの邪魔するわけにもいかないってんで別れてな。その後、大した時間もたたずに要塞全体に退避命令がでた。俺は彼女に再会できず、退却する兵士達が詰め込まれた気動列車に乗った」

「そうですか」


 言葉とは裏腹に、レイフの顔には明らかに納得していないと書かれていた。しかし、トールスはそんなことは気にもとめず続ける。


「俺が乗った最後の列車が要塞フィグネリアを離れた時、激しい地鳴りが列車を襲った。車両の縁に捕まっていた奴らは振り落とされないように必死だったな。要塞フィグネリアが火山の噴火みてぇに吹っ飛びやがったんだ。自爆だよ」

「自爆?」

「そうだ。あれは、深層の眷属が何かしてなった爆発じゃねぇ。明らかに、要塞中に仕込まれた爆薬のせいだ。もしかしたら、上の連中は最初っから要塞を守るつもりはなかったのかもしれないな。あんなバケモノを相手にするとわかっていたのならその気持ちも多少は理解できる」


 トールスがグラスをテーブルに置く。カタカタと、グラスとテーブルがぶつかる音がした。手の震えからきたその物音を、レイフは気づかないふりをしながら視線をそれとなくそらした。


「爆発が巻き上げた粉塵が晴れた頃。燃え上がる炎の明かりに照らされた奴の姿がはっきりと見えたよ、ようやくな。要塞を襲ったその深層の眷属は、ヘビみたいな鋭い頭をして、両脚にデカいはさみを持っていた。背中には砦みてぇな殻を被ってたっけな。そこらの深層の眷属がかわいく見えるほどの異形。どっからどう見てもバケモノって感じだった。奴は爆発でえぐれた要塞に頭をもたれさせながら、喰い逃した俺たちを名残惜しそうに見てたんだ」

「キワ・イリス」

「なんだって?」

「その深層の眷属の名前です。由来は遠い昔、遠方の海洋国家で伝わる神話に登場する魔物だとか。ウツボの頭に海老の鋏脚きょうきゃく、蟹の脚を持ち、体表面を分厚い甲殻に覆われた甲殻類を統べる女王。その巨大な鋏脚は海を割り、島を掴んで海に引きずり込んだと云います」

「まさか、神話上の生物がこの世に現れたっていうのかよ」

「あくまで由来ですよ。そういう伝説上の生き物を想像させる見た目だったということです。この生物を初めに発見したのは深樹海で潜入調査をしていた黒衣官。命名したのは共同調査をしていた帝都の学者ですが。現時点での帝国における正式な呼称です」

「俺たち兵隊からすればあんたら教皇庁の神官ってのは、街で布教や福祉活動してる奴ら以外は得体の知れない感じがしていたが……。そんな事もしてるんだな」

「僕たちだって帝国の一組織です。国家存亡をかけた戦いは、武器を振りかざすことだけではありません」

「じゃあ、レジーナと一緒にいた白衣官もそういう類か?」

「わかりません」


 レイフは首を横に振ったあと、グラスの中でぬるくなったレモンウォーターをほんの少しだけなめた。舌にまとわりつくような酸味と苦味に顔をしかめる。まるで、自分の心情からしぼりだしたような最悪の味だった。


「そう云えば、トールスはなぜ軍を出たんです? 今の話だと、貴方は別に命令に背くようなことはしていないように思いますけど。追い出されたって云ってましたよね」

「別に大したことじゃねぇよ。ただ馬鹿らしくなっただけさ」


 トールスは天井を見上げ、大仰にため息をついた。


「俺からしたらレジーナも、そのキワ・イリスとやらも、どっちも得体の知れない圧倒的な力だ。俺がこれまで積み上げてきた人生を軽く蹴飛ばすような。これでもがむしゃらに命を張って、帝国を守ってるんだって自負が多少なりともあったもんだが、それもあの光景を見てどこかに消し飛んじまった。そんな自負以外に残るものと云やぁ、この命くらいなもんだ。だったら、別にこれからのヤバい状況が明らかな軍に残る理由もない。そんな気分でやさぐれてたら、目に見えて態度にもでる。あれよあれよと悪い噂が流れておしまいだ」

「そんなもんですか」

「そんなもんって、お前なぁ……。もうちょっとそれらしい感想ってもんがあるだろ。仲間を見捨てたのか、とか、これからどうやって生きていくんだ、とかよ」

「気にしてるんですね」

「……あぁ、そうだよ。夜寝つけずに酒に逃げる程度にはな。おかげで、職も懐も空っぽだ」

「なるほど、それは大変です」


 レイフは外套のポケットから二枚の百フィード紙幣を取りだすとトールスの手を取り、握らせる。実に自然な所作しょさだった。その時向けられた笑顔を見て、トールスはなぜかレジーナを思い出してしまう。

 相手を無条件に包み込んでくれそうな慈悲深げな笑み。二人が共に過ごし、レジーナからレイフに受け継がれた性質なのだろうか。


「少しだけですが、これで食いつないでください」

「おいこら。これはお前の生活費だろうが」

「そう遠慮せず。僕は大丈夫ですから」

「手に紙幣を擦りつけるのはやめろって、本当に欲しくなっちまうだろうが!」


 トールスはレイフの鼻づらに紙幣を押し返す。


「ったく。お前みたいな子供に心配されなくても、自分の力でなんとかするっての」

「ふぅむ、そこまで云うなら仕方ありませんね。ところで、この店ってまるでフィグネリアの陥落が嘘のように賑わってますよね」

「いきなり何の話だ」

「知ってますか? こんな風に敗戦にもどこ吹く風って感じの帝都ですけど、実は西から避難民が押し寄せて来ている影響で、今は住む場所も職も無くて困っている人が街にあふれかえっているんです。教皇庁でも対応に苦慮しておりまして」

「まぁ、ついこの間まで現役の軍人だったんだ。身体はそこそこ動く。引く手くらいあるだろ」

「それに、食糧や生活必需品の需要が急増したせいで、どこの市場でも物価が二割くらい上がっているみたいです。これは一時的な反応による極端なものですが、今後の情勢次第では悪い方にどんどん傾いていくかもしれませんね。食いぶちを稼ぐだけでも苦労する日がくるかも」

「んぐ」

「ところで、僕にとってこのペンダントは本当に大切なものだったんです。それをわざわざ職を捨ててまで届けてくれた方には、酒をおごる程度では返しきれない恩があると思うんですよ。その方が、その縁のせいで職を失ったのだとしたらなおさらのこと」


 レイフは指先にはさんだ紙幣を二人の顔の前でひらひらと揺らめかせた。


「ぐっ……。いや、ダメだ。俺は金のためにそいつを届けた訳じゃねぇ」

「うーん、ずいぶん頑固な人ですね」

「お前には云われたくねぇよ」


 レイフは小さくため息をつき、ようやく諦めたように紙幣を外套に戻した。


「では、働き口に困ったら教えてください。教皇庁での職でよければ、多少の口ぞえはできると思います」

「まだ研修官みならいなんじゃなかったのかよ」

「こう見えて、けっこう真面目に勤めてますから。目をかけてくれる上司もいます。もちろんいきなり厚遇を、とはいきませんが。食う寝るに困らないくらいの待遇は保障できると思いますよ」

「そうかい。そりゃ安心だ。もし仮に、その時がやってきたらな。……そういや、お前はなんで神官なんかやってるんだ?」

「レジーナが僕を助けてくれたからです」

「それ、答えになってるか?」


 えぇ、と短くつぶやき、レイフは右手を見せるようにテーブルの上に載せた。

 分厚い皮手袋に覆われた手。その手袋をゆっくりと外す。周囲の視線をわずかに気にかけながら。


「おい、なんだぁそりゃあ……」


 トールスはそれ以上の言葉を上手く続けることができなかった。

 手袋の中から現れたのは、深い紺色の殻に覆われた人の手に似た異形の何かだった。


「義手、いや、義腕か……?」

「えぇ、まぁそんなところです」

「って、待て待て。お前、その腕、普通に動いてただろう。そんな事ってあるか? こんな小ささで蒸気機関を仕込んでるわけでもあるまいし。しかも、こんなサイズでめちゃくちゃ精巧だ。指先までこんな細かく作られたものなんて見たことねぇよ」

「この腕は、レジーナが僕に与えてくれた神遺物カタリスト、奇跡なんです。彼女と初めて会った日に。深層の眷属。その侵攻から逃げのびた野盗に襲われて燃え上がった村の中で。遺体になった母の腕に抱かれていた僕は、母の命を奪った凶器によって右肩から先を失っていました。彼女はそんな僕を救い、この腕を与えてくれたんです」

「そんなこと、可能なのか……? アイツは、レジーナは一体」

「わかりません。結局、彼女がいなくなってしまった今まで、僕は彼女の秘めた真実を何一つ知ることができませんでした。まぁ、彼女にいくらたずねても答えてくれませんでしたからね。だから、自分で調べることにしたんです。それで黒衣官になりました。この帝国に存在する二大組織。帝家と教皇庁。帝家配下の帝国軍はその名の通り軍務を主とする組織ですが、教皇庁は五つある区画によって大きく異なります。白衣区は祭事と布教と福祉。緑衣区は組織の総務。青衣区は治安と軍事。赤衣区は医療と衛生。そして、最後の黒衣区は情報。帝国の内情から隣国の情勢、深樹海の深層に至るまで、彼らの守備範囲は広い」

「その情報網を駆使すれば、レジーナの真実にもたどり着けるかもしれないと思ったわけか」

「えぇ、今のところはほとんど上手くいっていませんが……」


 わだかまる想いを押し流すように、レイフはグラスの中に残ったレモンウォーターを一気に飲み干した。完全に人肌にまでぬるまったそれはまずいことこの上なかったが、気分を切り替えるには十分すぎる刺激があった。


「ふぅ、ずいぶん話しました。酔いもだいぶ回ってきたんじゃないですか?」

「そうでもねぇよ。このくらい屁でもねぇ」

「顔、真っ赤ですよ。身体には気をつけてくださいね。月に二度も葬儀に参列するなんて御免です」

「まったくお人好しな奴だ。一度顔を合わしたくらいで、そんな義理感じる必要はねぇよ」

「それ、レジーナの縁でここまで来た人が云えます?」

「ぐっ……。とにかく、俺のことをこれ以上気にする必要はねぇよ。それほどの仲じゃあるまいし」

「一度さかずきを交わした仲じゃないですか。冷たいこと云わないでくださいよ」

「バーカ、酒も呑めねぇのに生意気だ。出直してこい」

「はは、たしかに。じゃあ、そうさせてもらいます。貴重なお話をありがとございました。これを届けていただいた事も……」


 外套のポケットからペンダントを覗かせる。エメラルドが灯りの下で微かに輝く。

 それを名残惜しそうに戻した後、レイフはゆっくりと席を立った。


「最後に一つ、聞いてもいいか?」


 トールスは立ち去りかけたレイフの背中へ問う。


「なんでしょう」

「お前、これからどうするつもりだ」

「……? どういう意味です」


 トールスは大きなため息をつく。レイフの鼻先に酒臭い吐息が届くほどの勢いで。


「お前が誤魔化せているつもりのようだからはっきり云う。レジーナに会いに行くつもりならやめておけ。あそこは今、人間が近づける場所じゃねぇ」

「……そんなことしませんよ」

「今、言葉に詰まっただろうが」


 レイフは諦め、トールスへと振り返る。


「もう会えないと云われて、あきらめ切れるわけ、ないじゃないですか。会いに行きますよ。地の果てでも、深樹海でも」

「だろうな。ホント、罪な女だよ」

「トールス?」


 彼はグラスに残った酒を一気に干すと立ち上がる。


「さっき話しただろ? 俺も、レジーナにつけてる貸しがあるんだ。ついでだ、道案内してやるよ」

「何を云ってるんですか。ダメですよ。危険です」

「なら、お前も行くなよ。それともあれか。俺がいたら足手まといで危険だって云うのか」

「そんなことは……。でも、せっかく生きて帰ってきたんじゃないですか。軍まで辞めたのに、どうして危険を犯そうっていうんです」

「ばっかやろう、おまえ。それこそ人に云えたことかよ」

「……トールス。貴方、相当酔ってますね」

「酔ってねぇよ」

「目が座ってますよ」

「こんな状況で酔えるかよ。いまさら自分の馬鹿さに戦慄せんりつしてんだ。その場の雰囲気と感傷に流され、惚れた女に対する義理と執着で仕事を捨ててこんなとこまで来ちまった。ここでお前を見送ったら、俺は馬鹿な選択肢を選び続けた果ての、みじめな現実に向き合わなきゃならないんだ。ちくしょう、手が震えてきやがった。あぁもう、ホント。俺は何をやってんだ」


 額に手をあてたトールスの顔が、どんどんとうつむいてゆく。レイフよりも頭一つは大きな身体が、今は驚くほど小さく、寂しそうに見えた。


「ちょっと、だいじょうぶですか。トールス」

「大丈夫じゃねぇよ……。俺は絶対ついていくからな……」

「わかりました。わかりましたから。一緒に行きましょう。それで危なかったら帰ってきましょう。その時は次の仕事も紹介してあげますから」

「うん? あ、あぁ、そうだな。そうしよう。それなら安心だ。……レイフ、お前、いい奴だな……?」


 トールスは完全に泥酔しきった様子で何度も深くうなずく。その勢いからか、ぐらりと身体が前へ崩れ落ちた。レイフは慌てて受け止める。

 カウンターで話している時はそれほどでもなさそうだったのだが。どうやら、最後の一杯を一気にあおったのが余計だったらしい。


「レイフ……」

「どうしました? 水でももらいましょうか」


 レイフの問いかけに、トールスは反応することなく独り言のように続けた。


「俺は、レジーナの死ぬ瞬間は見てないんだ。確かにあんな爆発に巻き込まれたら、人なんか木っ端微塵だ。生きてるはずがねぇ。でも、あんだけ強い奴が、そう簡単に死ぬわけねぇよ。爆発の最後。一瞬だけ、俺は見たんだ。レジーナが操る神術の盾の輝きを。あれがなけりゃ、俺も他の兵たちも、天まで舞い上がるほどの勢いで押し寄せた爆炎と瓦礫の濁流に、気動列車ごと呑み込まれて死んでいたんだ。アイツは、レジーナは、言葉通り俺を、俺たちを護ってくれたんだ……」

「えぇ、その通りです。二人で探しに行きましょう」

「そうだなぁ。見つかるといいよなぁ……」


 その言葉を最後に、トールスは事切れたように動かなくなった。レイフが慌てて耳を澄ますと小さな寝息が聞こえていた。


「まったく。気の毒になるほどお人好しな人ですね」


 酒場の床で寝かせるわけにも行かず、レイフは体格通りに重たいトールスの身体を肩でなんとか支え、ゆっくりと出口に向かって歩きだした。

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