第13話(過去) エクアの契約

「いいか。腕や足は落としてもかまわん。殺さず生かしておけ! 私に刃向かった報いを存分に味合わせてやらねばならんからなッ」


 目を覚ましたランクス家の当主を名乗る男は、娘に介抱されながら立ち上がる。

 エクアの周囲を取り囲む何人もの従者。何本もの鋭剣。

 すう、と息を整える。


「お母さん、ごめん。私、人を斬る」

「アンタ、何を……」

「やっぱり私はニナリアお姉ちゃんの妹だ。こんなつまらない事情で自分を曲げるなんて耐えられない。“ラナイーダ、ショートレンジ”」


《隔離域展開》


 神遺物ラナイーダの先端から、相手の鋭剣と同じくらいの長さで黒い影が現れる。

 予備動作はなかった。

 エクアはくるりと手首を返して神遺物ラナイーダを振るう。

 黒い影が鋭剣の刃を通り過ぎた。

 従者たちは一瞬身構えた。しかし、無音で無反動な黒い影をすぐにこけおどしだと判断したのか、一斉にエクアに斬りかかる。

 カツン、と、刃が石畳の地面を打った。

 刃の失われた鋭剣を全力で振るった従者たちは、感覚のズレからわずかにバランスを崩す。

 その時、エクアの横から人影が飛びだした。

 彼はパンを焼く時に使う鉄板を、従者のうちの一人めがけて叩きつけた。


「お父さん!?」


 それはエクアの父親だった。


「娘が戦うってのに、黙ってみてるわけにもいかんだろ」


 いつも口数の少ない父親は、相変わらずの仏頂面で振り向きもせず云った。


「もう、お転婆娘を二人も産んだ親の責任ってことかしら」


 どこから取りだしたのか、麺棒を両手に握りしめた母親も進みでる。


「ちょっと、二人ともだめだってば!」

「何云ってるの。もう、ここまで来ちゃったら、どうせ行く末は一族郎党皆殺しってヤツよ。なら、ここでちゃんと口封じをしておかなくちゃね」


 彼女はエクアが引き留めようにも聞く耳は持たない様子だった。


「そうだそうだ。貴族院が知ったことか。帝都の市民様を舐めるんじゃねぇ。エクア嬢ちゃん。手を貸すぜ」

「おじさん!」


 先ほどパンを買ってくれた客の男性が、どこかの店舗から拝借したのか、木の椅子を抱えて進みでる。


「フィースライトの奥さんに手を出すんじゃねぇ!」

「貴族院の横暴を許すな!」


 熱狂が、周囲の市民に伝播でんぱしていく。

 エクアもよく知る商工会の顔なじみから、偶然居合わせた客まで、十数名のランクス家の者たちを取り囲むようにして、何十人もの市民が声を上げはじめた。


「お、おと、お父様。これでは……」

「臆するなエリミラ。一人でも斬り捨てればすぐに逃げ散る。平民とはそういうものだ。いいか、奴の神遺物カタリストだけに注意を払え。何としてもあの売女ばいたを抑えるのだッ」


 一時は動揺が走った従者たちも、すぐに得物を取り替え構え直す。

 彼らは距離を測り、エクアの隙をうかがっている。

 エクアに剣術の心得はない。神遺物ラナイーダを近づく相手に向けて牽制するが、つたない動きを読まれて徐々に相手の包囲が狭まってくる。


《警告。チャンバー内、残量1%以下です》


「こんな時に!?」


 発されたメッセージの意味を相手が正しく理解したわけではなかった。

 しかし、一瞬見せたエクアの焦りが、相手につくべき隙を知らせてしまう。

 先頭の一人が、エクアに向かって上段から斬りつけた。

 エクアは神遺物ラナイーダを頭上にかかげ、それを何とか受け止める。

 視界に、そのかかげた腕を狙って横なぎにしようとする鋭剣の影が映った。

 間に合わない。エクアが心の中で叫んだ時、彼女の前に割り込むように白い人影が現れた。

 金属同士がぶつかり合う甲高い音が響く。


「両者そこまで!! 剣を納められよッ」


 エクアをかばった女性が、鋭くよく通る声をはりあげる。

 周囲の市民のざわつきが見事に一瞬でおさまった。


「なんだ貴様は。邪魔立てするのであれば一緒に叩き斬るぞ、小娘ッ!」

「それは、ランクス家からホーディアル家への宣戦布告ととって良いのか?」


 声とともに人だかりが割れる。

 金糸に彩られし純白の外套の一群を率いて一人の少年が現れた。


「ランクス公。これは何の騒ぎだ? 白昼堂々帝都で人斬りとは、責任ある者のするべきことではないな」

「ホーディアル家の小倅こせがれか。貴様には用はない。邪魔だ、下がっていろ」

「俺も貴公に用はない。だが、その娘には用がある。だから、手荒く扱われては困るな」

「えっ……、私?」


 エクアは驚きその少年を見返す。

 癖っ毛の金髪に、眩しいほどに輝く金色の瞳。

 ランクス公の知り合いらしく、恐らくは貴族の一人なのだろう。ただ、見た目の貴族らしさで云えばランクス公をはるかに圧倒していた。


「知ったことか。奴は私の獲物だ。用が済んだら貸してやる。それまで大人しく待っておれ」

「断る」

「ならば貴様も一緒に叩き斬るまでだ!」

「貴様一人でか?」

「何ぃ? 訳のわからないことを……」


 そうつぶやき金髪の彼から視線を外したランクス公は、周囲の状況を目にして口を大きく開けっ広げた。

 すでに、彼の従者のことごとくが地面に這いつくばっていた。白衣官たちによって取り押さえられた彼らの中には、哀れにもエリミラの姿もある。


「若様。鎮圧完了いたしました。フィースライト嬢も無事です」

「あぁ、よくやった。ファナ、そのままお前が警護していろ」

「ですが、ランクス公は……」

「あんな男、お前が手にかけるまでもない」


 そう云って、少年は腰にさげた鞘から鋭剣を抜き放つ。


「さぁ、ランクス公。先ほどの続きだ。俺を斬るのだろう?」


 金髪の少年は左手の手袋を取ると、それをランクス公の足元に投げ落とす。


「ぐ……ぐぅッ。覚えていろよ、貴様!」


 ランクス公は手袋には目もくれず、きびすを返す。


「エリミラ。帰るぞ! いつまでそうしているつもりだッ」

「お、お父様。お待ちくださいっ」


 拘束を解かれたエリミラは、服についた砂埃を払う余裕もなく、泣きじゃくりながら父の後を追う。


「騒乱の証拠として武具は没収させていただく。貴公らも戻られよ」


 ファナと呼ばれた女性がランクス家の従者たちに告げる。彼らは彼女をにらみつけた後、そそくさとその場を後にした。


「あの、ありがとうございます……。助けてくれて」


 エクアは地面に落ちた手袋を拾い、少年に手渡した。

 しかし、少年は黙ってそれを受けとるや、鋭い視線でエクアを見つめる。


「貴様。その神遺物カタリストはどこで手に入れた」

「えっ? っと、いつも朝に礼拝にいく教会で、その、神父さんにもらったんだけど……。手伝ったお礼にって」

「その神父とは、この男か?」


 彼の後ろから、両腕を拘束された状態で引き立てられた男が進みでる。


「コバックさん!」


 それは間違いなくエクアの顔なじみの神父だった。彼はすいぶんと憔悴しょうすいした様子で、エクアとは目も合わせようとはしなかった。


「神遺物とは、白衣区が管轄する最重要機密だ」

「でも、これ、教会の物置に布にくるまって転がっていたんだけど……。掃除を手伝っている時に見つけて」

「この男が、白衣区の保管庫から不正に持ちだしたのだ。大方、金づるにでもするつもりだったのだろうが」

「じゃあなんで私にくれたんだろう」

「我々が犯行に気づき、調査に入ることを知ったからだ。まぁ、この男もまさか隠し場所にしようとした娘が使徒であるとは思いもしなかったようだがな。お前がその神遺物を派手に使って回ったおかげで、我々も調査が早く済んだということだ。さて、ここからが本題だが。それは元々白衣区の管理物である。本来であれば、今ここで速やかに返してもらうところだ」

「それは……」


 エクアも理屈は理解していた。しかし、短い付き合いとはいえ愛着のある道具を手放す寂しさはあった。


「だが、持ち主が使徒であるならば話は別だ。白衣区は神遺物と共に神術も管理する。神遺物から神術を生みだすことのできる使徒を我々は厳重に監視する。貴様、首輪をつけられて教皇庁に飼われるか、神遺物と神術の研究のために実験動物となるか、どちらを選ぶ」

「えぇ……、どちらも嫌だなぁ」

「ならば、羊となって働いてもらう」

「羊?」

「俺の指揮下に入り、一働きしてもらう。もちろん命の保証はない。だが、役に立つことを証明するならば、貴様の望みを可能な範囲で叶えてやろう。これは取引だ。交わされた契約は、ホーディアル家の名の下に正しく履行りこうされる」

「んー、望みね。それは二つでも良いの?」

「内容による。云ってみろ」

「じゃあ、まずさっきの貴族から、私の家族と街の皆を守って欲しい。報復されないように」

「その程度は容易く叶えられるだろう」

「あと、私のお姉ちゃん。ニナリア・フィースライトの処刑を止めて欲しい。アウストファリア皇太子に手を出したって……」

「あぁ、貴様はあの女の血族か。まぁ、できなくはないだろうが。処刑を止めたところで問題が解決するわけではないぞ?」

「大丈夫。それでも不幸に転ぶなら、それはお姉ちゃん自身の責任だから」

「いいだろう。では、その内容で契約を結ぶということでよいか?」

「うん、大丈夫」

「ちょっと、エクア。そんないきなり。何をさせられるかもわからないのに」


 母親が慌てて云う。


「お母さん。こんな機会を逃す手はないんだよ。きっと、さっきの嫌な男は皆をしつこくつけ狙う。私は、そんなつまらないことで皆が傷ついたり、嫌な思いをするのはごめんなの。それに、ニナリアお姉ちゃんはどうしても助けたい。ホーディアル家って云ったっけ。ねぇ、さっきの男の人を抑えるくらいは容易いって云ったよね」

「あのような没落貴族とは格が違う。窮地において決闘を受ける誇りすらない者と比べられるだけでも虫唾むしずが走る」

「ね? そんな偉い人と、普通じゃ取引なんてできないんだよ」


 エクアは少年に向かって確かにうなずいてみせる。


「では契約成立だ。正式な通達は追って知らせる」


 用は済んだとばかりに、少年はきびすを返す。


「あの、ありがとうございました……」

「礼は、羊としての役目を生きて終えてから云うことだな」


 彼は背中越しにそう云い残した。

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