第14話 五長官

 レイフがエクアの話に耳を傾けていた頃。

 彼らを取り巻く計画の首謀者たちに動きがあった。

 帝都エクスガム。

 その一等地、いや、特区と呼ぶべき広範囲において、教皇庁の中央庁舎を筆頭とした建造物が並ぶ区画があった。

 クリス・クロア聖区と呼ばれるその一帯は実質的な治外法権であり、帝家、帝国軍の介入を許さず、教皇庁の神官たちによってすべてが管理されている。

 区画の中に、周囲を木々と湖に囲まれた大きな公園がある。その静寂の中におごそかな空気をまとう建物がぽつりと立っていた。

 それほど大きくはない石造りの真っ白な平屋。その建物の名は五長院と呼ばれていた。

 名の通り、教皇庁を構成する五つの区。

 白衣区。緑衣区。青衣区。赤衣区。黒衣区。

 それらを束ねる五長官による会合に使用される建物であった。

 その周囲は特命をおびた神官によって厳重に警護され、関係者以外の立ち入りを一切拒絶している。

 五長院の中にある最も大きな会議室。その中で五角形に並べられたソファーに腰かけるのは五人の男女だ。


 白衣を身につけた四十代後半の男。

 一見すれば、穏和で慈悲深そうな表情を浮かべている。

 しかしその実、自身のもつ皇帝にすら比肩ひけんする帝国最高の権力に疑いを持たない厚顔ぶり。そして、それを隠そうともしない。


 緑衣を身につけた老爺。

 一見すれば、長い経験にもとづく深い知見を示すかのように思慮にふけっている。

 しかしその実、年下でありながら自分を差し置いて頂点に立った白衣区長官を心の底から妬んでおり、彼を蹴落とすことにのみ心血と頭脳、そして残り少なくなった寿命を駆使している。


 青衣を身につけたの四十前後の男。

 一見すれば、古傷すらも勲章にかえてしまう歴戦の偉丈夫いじょうふ。表情は自信と活力に満ち、鍛え上げられた肉体は未だ衰えを見せない。

 しかしその実、政治的能力の欠如けつじょから空回りを繰り返し、自分よりも老いた白衣と緑衣に対する劣等感や対抗意識からやや落ち着きのない弁舌べんぜつを展開してばかりいる。


 赤衣を身につけた熟年の女。

 一見すれば、冷徹で寡黙。女傑と呼ぶべき長身とあいまって、この中では誰よりも威厳を放っていると云ってよい姿。

 しかしその実、この会合にあまり意味を見いだしておらず、時間の浪費を忌避きひして一刻も早く職務に戻りたいと考えている。


 黒衣を身につけた三十代後半のこの場で最も若い男。

 一見すれば、にこやかな表情で場を取り持ちさりげなく会議の進行に寄与しており、この場で唯一の仲介者といった様子。

 しかしその実、先代の犯した罪により不当に地位をおとしめられた黒衣区の立場の低さから、あらゆる場面で悪戦苦闘を強いられている。


 この世に一枚岩である組織などあるはずもない。それでもこの教皇庁、そして五長官という者たちは背景にある巨大な権力構造とあいまって実に混沌きわまる立場を演じる者たちであった。

 彼らには各々一人ずつ、副官と呼べる立場の神官が付き従っている。部屋の中にいる者はそれで全てだった。


「―――以上のように、羊の投入によって、キワ・イリスの侵攻は一時的に停滞させることに成功した。次にこれが動きだせば、間違いなく第一外環要塞線中枢、クランツ・クラン要塞へと足を進めることとなる。それまでに、何としても連環砲ブースターリングの構築を終えなければならない」

「構築完了までの工数は?」


 青衣の説明に、緑衣が問う。


「現時点で、トラブルなく進めばちょうど二週間ほどかと。ただ、キワ・イリスが一度動き出せば、クランツ・クラン要塞までは一週間程度で到達してしまうことだろう」

「単純に考えれば一週間は時間が足りないということか。奴は今何をしているのだ?」

「青衣区で出している偵察からの報告では、まだ要塞フィグネリアの残骸に埋もれている」

「倒したわけではないのか?」

「橋脚が動いている様子は確認されている。それ以上の情報を得るために近づいた部隊は、ヤツの砲撃によって跡形もなく消し飛んだそうだ。ヤツは間違いなく生きており、再び動きだすだろう。猶予ゆうよはないと見るべきだろうな」

「なるほどな。肝いりと云われた例の羊も大して役に立たなかったということか」

「悪かったのは作戦と運用ではないのか」


 口を挟んだのは赤衣だ。


「先の報告書の内容では、今回送りだされたレジーナ・ブルーウィルという女性。彼女の神術は実に傑出けっしゅつしたものだと理解していたが? なぜ、彼女を正規の軍事作戦に組み込まず、羊などと称して単独行動で玉砕させたのかいまだに理解に苦しむ。それも、要塞フィグネリアの自爆に巻き込ませるなど愚行の極みだ」


 彼女はあくまで冷静であり淡々と言葉を発していたが、矢面に立たされた青衣はそれでも迫力に気圧されたように身をこわばらせた。

 そんな青衣の心情を知ってか知らずか、赤衣をなだめるように白衣が言葉を挟む。


「彼女の有した特異な神術。あれは、一個人の手には余る代物でした。ですから、我々教皇庁で管理させていただこうと提案したのです。しかし、その提案は受け入れられず、度重ねて交渉におもむいた神官は、ついには暴力行為によって拒絶されてしまった。一個人の私利私欲により神術が用いられることは、国家の治安、世の平穏のために許されてはなりません。彼女はその報いとして贖罪しょくざいに至ったのです」


 白衣の口調は、一定して穏やかなものだった。しかし、話の内容は誰が聞いても強権的なものである。そのことが鼻につくとでも云うように、赤衣は鋭い視線を向けた。


「私の立場は以前から一貫している。神遺物より神術を顕現けんげんさせた使徒を教皇庁が管理することに依存はない。しかし、教皇庁の意のままにならない者を全て罪人として斬り捨てるのは誤りだ。羊などと呼び、大して物事も考えず死に至らしめる行為は、希少な才能を持った人間を浪費することに他ならない。そう云った理に反した行為の積み重ねが今の窮地につながっているのではないか?」

「確かに、貴方のおっしゃることにも多分に理がありましょう。そこで私は、次期計画に一定の修正を加えることを提案いたします」


 白衣はそう云うと、そばに控えていた副官に命じて資料を配らせた。


「これは、以前検討していると云っていた三人の新たな羊に関する話か」

「えぇ、彼らは神の御許により神術オーセンティケートを開く道を許された使徒、あるいは禁忌たる詐術クラックで道をこじ開けた者。その中で、曰くありて贖罪しょくざいに尽くす者たちです」


 資料には三人の名前が記載されている。

 帝国軍の弓兵、ファウス・クロウ。

 ヒンガル人居住区出身の詐術士クラッカー、ミレミラ・オーランド。

 帝都の市民、エクア・フィースライト。


「彼らには、帝国軍が現在進行中である連環砲ブースターリングの構築に必要な時間を稼いでいただく。しかし、これまでのように無闇に渦中へ放り込むのではなく、我々でその行動を最大限支援します。そのために、私は白衣区司祭長である我が息子、カーティスをその任にあたらせるつもりです」

「ほう、一人息子を戦場に送りこむのはいささか軽率なのではないかね」


 言葉とは裏腹に、緑衣が隠しきれない嬉しさをにじませながらたずねる。


「いえ、これもこれまで天へ召された信徒たちへの気持ちを思うがゆえです。私は全ての人が、自他の区別なく、国家、そして神に奉仕すべきだと考えておりますから」

「それで、お前さんの息子に何をさせるつもりかね」

「大枠については資料の通りです。細かい話については、息子に一任しております。何せ、父である私の云うことにほとんど耳を貸さないものですから」


 そう云って白衣は笑ってみせる。しかし、それに合わせる者はこの場には誰一人としていなかった。


「身内とはいえ、部下の統率がとれんというのは笑える話ではないが……、彼の噂は色々と耳にしている。父に似ない優秀な神官であると。それにしても、先ほどから黒衣区長官殿はずいぶんと静かだな? 何やら、副官殿の出入りが激しいが、お困りごとか」


 赤衣がこれまで議題に口をはさんでいない黒衣へと話を振る。話を振られた方はというと、気恥ずかしげに皆に頭をさげた。


「申し訳ない。どうやら昨晩にうちの研修官が一人、消息を絶ったようでして。今朝方報告を受けて、その対応が続いております」

「ほう、何か任務にでもあたっていてのことかな」


 赤衣が、ずいぶんととぼけた調子でたずねる。それに唯一気づいた黒衣は、内心笑いをこらえながら続ける。


「いえ、どうやら帝都内でのことのようです。ちょうど、神術暴走の事件があって白衣区で封鎖にあたっていた地区にいたようなのですが……」

「ふむ、一晩のうちに大きな事件が二つも立て続けに起きるとは。情勢不安に乗じての治安悪化ですかな。もう少し、治安維持活動を活発化させるべきでしょう」


 白衣がわざとらしく神妙な調子で提案する。


「黒衣区の仕事はキツそうだからな。気弱い新人に逃げられでもしたのではないか?」


 話の矛先を向けられる相手を見つけた青衣が、嬉々としてつづく。


「いえいえ、先代の事件あって以降は、我々も組織運営や人材育成には最大限に配慮しておりますのでそのようなことは……」


 黒衣はただ恐縮しながら笑い返すのみだ。


「何はともあれ、帝都内での失踪ということであれば、十分な調査が必要だろう。我々赤衣区も昨晩は現場に出ている者がいた。何か知っている者がいないか聞いてみることにしよう」

「ご協力いただきありがとうございます」

「それと、白衣区の神官も現場には大勢いた。彼らにも調査にご協力いただきたいところだが長官殿はいかがかな?」

「もちろんです。全面的に協力するように伝えましょう」

「快諾痛み入る。話は変わるが、最近はずいぶんと神術暴走の事件が頻発しているようだな。赤衣区としては、現場対応に引っ張り回されて頭が痛いところだ。白衣区との管轄かんかつ争いについても色々と報告があがっているようだしな。その点、白衣区長官としてはどのようにお考えか? 各区の領分りょうぶんを超えての独断専行が、最近の白衣区には顕著けんちょであるように思われるが」

「現場の神官は皆熱心ですからな。職務管轄を侵害したということであれば、それは誠に申し訳ない。部下に注意をうながすようにいたしましょう」

「そうしていただけると非常に助かるな」


 #


「中々の役者ぶりだな。シャリオ」


 会合を終えた後、廊下を歩く黒衣区の長、シャリオ・サーキットに声をかけたのは、赤衣区の長、エリアス・コードだった。

 色素の薄いブロンドの長髪に、並大抵の男性をも凌駕する長身は、赤い衣装とあいまって歳を重ねた今でも他を圧倒する迫力があった。

 そんなエリアスは普段の冷徹な表情に、ほんのわずかに親愛の情をにじませている。


「いえいえ、先代の腹芸に比べればまだまだです。なにせ、十五年に渡って自身の不正を諜報の主幹である黒衣区の中にありながら隠し通してきた男ですから。それよりも先ほどの会議、話を合わせていただきありがとうございました。私が正面から白衣区へ乗り込んだところで、疑義ある黒衣が白衣を疑うのかと一蹴されていたことでしょう」

「何、奴らの最近のやり方は実際目に余る。例の研修官の件も十中八九、白衣区の仕業によるものだろうしな。そう思えるほどに、使徒暴走の鎮圧と呼ぶには昨晩の動員は大げさにすぎた」


 エリアスの言葉に、シャリオは指先で眼鏡の位置をなおしながら、諜報を取り仕切る組織の長に似合わぬ人の良い笑みを浮かべた。


「しかし、白衣区長官殿は、どうやら真相そのものはご存じないようでしたね」

「そうなのか?」

「えぇ、恐らくは彼の息子、カーティスが独断専行してのことでしょう。失踪した研修官、レイフ・ブルーウィルと彼は、神学院時代から浅からぬ関係にあったと聞いています。カーティスが本計画を実際に着手し始めたとみられるここ一ヶ月の間で、白衣区の関わる大小さまざまな騒乱事件が頻発ひんぱつしています。例のランクス家当主の人斬り騒ぎ。あれも記憶に新しい一例です」

「ふうむ。さしずめ人員選抜と云ったところか? しかし、奴らの計画と、その研修官はどのような関係があるのだ。話が上手くつながらないが……」

「彼、レイフ・ブルーウィルは使徒でした。しかし、そのことが判明したのは本当につい最近のことです。一度、彼は神学院で事件を起こしました。確か一年ほど前ですね」

「大きな事件だったのか? 私の記憶には、それらしきものはないが」

隠蔽いんぺいされたのです。それも、カーティスの手によって。彼がなぜそんなことをしたかは分かりません。普通に考えれば、白衣区の利に反する行為です。全ての使徒を管理しようとする彼らの方針とは真逆の行動ですからね。遅い反抗期と呼ぶには手が込んでいる。我々黒衣区がようやくその事実にたどり着いたのは、ブルーウィルが研修官として就任する直前、彼の身辺を調査している時でした」

「カーティスはブルーウィルの神術を自身で利用したいが為に、他者の目から隠蔽していた。そんなところかな」

「恐らくは。それほどまでに執着する何かがブルーウィル研修官にあるのかは、我々もまだわかってはいませんが。今のところ、我々の彼に対する評価は、前評判通りの真面目な新人、その程度でしたから」

「ブルーウィルと云えば、先の羊として選ばれた女性。彼女もブルーウィルだったな」

「えぇ、親族ですよ。血縁ではありませんが。ブルーウィルは彼らが身を寄せていた孤児院の名です。そこから独り立ちした者へ、ブルーウィルの名を与える習わしのようです」

「なるほど。しかし、二人揃って羊計画に関わるとは。これも偶然ではないということかな」

「今はわかりません。とにかく私は、ブルーウィル失踪について白衣区へ斬り込みつつ、羊の後を部下に追わせることにします」

「健闘を祈っているよ。手伝ってやりたいところだが、残念ながら昨晩の事件の後始末に今度はクランツ・クランへの救援部隊派遣と、人手が全く足りていないのでな」

「お心遣い痛み入ります。大丈夫です。自分たちの組織の始末は、ちゃんとつけますよ」

「あの小さかったシャリオ坊やもずいぶんと頼もしい顔をするようになったものだな」

「先生……、恥ずかしいので昔の話はやめてください」


 本気で照れたように頭をかくシャリオに、エリアスと二人の後ろに控えていた彼らの副官は笑いをもらした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る