第11話 神遺物《ラナイーダ》

 その左耳ピアスの少女は、エクア・フィースライトと名乗った。

 レイフには悪女というものが上手く想像できなかった。

 しかし、少し危険な香りのする華をもった女性という意味なら、目の前のエクアを見てなんとなく理解できる気がした。

 彼女の容姿は誰もが賛美するような、よく云えばバランスが良く、悪く云えば面白みに欠けるようなものとは一線を画す。

 首はつかめば折れそうなほど細く、不健康といった印象はないが全体的に肉が薄く華奢きゃしゃである。

 肌は雪のように白く、血管が透けて見えそうなほどだった。

 長いまつ毛の下でエメラルドグリーンの瞳が力強く輝き、鋭い眼差しと合わさって見ていると少し緊張してしまう。

 強さとはかなさが同居した彼女は、そんなアンバランスさを自分のものにしている風格があった。

 派手な装飾品もその一助となっているのだろうか。

 誰もが振り向くわけではないが、突き刺さったマイノリティは、それこそ狂ったように彼女へ熱情を抱くのだろう。

 さまざまな想像をふくらませながら、レイフはいつの間にか彼女に見入っている自分に気がついた。

 そんなレイフを、対するエクアは含みのある笑みで楽しそうに見ている。


「危ない危ない、さすが悪女の家系。さっそく甘い罠にはまりこむところだった……」

「ちょっと、私は悪女じゃないっての」


 エクアは気にした風もなくけらけらと笑う。


「それにしても、トールスだっけ? ずいぶんと見事に失神してるねー。大丈夫なの、それ」

「っと、すっかり忘れてた。ほら、トールス起きてください。ごめんなさい、貴方がそんな深刻なトラウマをかかえているとは思わなかったんです」


 レイフはトールスの肩を両手でつかんで揺り起こす。


「……レ、レイフ? ここは一体。ニナリアはどこだ」

「ここにはいませんよ。大丈夫ですから落ち着いてください」

「そ、そうか。ふぅ、焦った。もうだいぶ克服していたと思っていたんだが」

「おじさん。そんなに怖いなら、これ、とろうか?」

「いや、大丈夫だ。大丈夫。大丈夫……」


 ピアスを指さすエクアに、トールスは自分に云い聞かせるように何度もつぶやきながらうなずく。


「腹が減ってたから、とっさの衝撃に耐えられなかっただけだ。気にしないでくれ」

「ふぅん。お腹減ってるんだ。じゃあ、これ食べる?」


 彼女はかたわらに置かれていた紙包みを差しだした。


「朝食だって、さっき見張りの人が持ってきたヤツだよ。私、べつにお腹減ってないから欲しかったらどうぞ」


 トールスはその包みを戸惑いながらも受けとり、中を覗き見た。

 入っていたのは大ぶりのベーグルサンドだ。薄く大きなカリッカリに焼いたベーコンに、炒った卵といった具材が挟まれている。大雑把な出来栄えではあるが、それがむしろ大いに食欲をそそった。


「お、おぉぉっ、ホントにいいのか?」

「一つしかないから、二人で仲良くね。あ、ちょっと待って。半分に切ってあげる」


 そう云って、エクアはかたわらに置いていた布包みを手に取った。

 棒状の包みの中身をとりだす。


「……なんだそれ?」

「うーん、包丁かナイフにしては刃が丸いですけど……。銃にしては、銃口がないですね」


 二人は首をかしげる。

 それは光沢のない銀色で仕上げられた道具だった。

 持ち手は旋条銃ライフルの物を片手持ち用に小さく洗練したような形。

 その先にあたる銃身の部分は、普通の旋条銃ライフルを切り詰めた騎兵銃よりもさらに短い。

 エクアのような少女でも、軽く片手で扱えそうな形状。

 先端には銃剣のように尖ったデザインが施されていたが、末端は丸みのある仕上げがされたおり、そのまま相手を突き刺したり何かを切ったりはできそうもない。

 至るところに施された彫刻のようなデザインが、どこか高級感のある雰囲気をかもしだしていた。


「まぁ、見てて。びっくり驚きの便利グッズだから。“起きて、ラナイーダ”」


 エクアが、その道具に向かって話しかけた。

 すると、持ち手のつけ根辺りにある円状の飾りが翠色に輝いた。


《おはようございます。エクア》


 突然、聞き慣れぬ女性の声が客室に響く。

 レイフとトールスが慌てて周囲を見回すが、三人以外の姿はない。


「もしかして、またあの消える神遺物カタリストか?」

「まさか。僕らを驚かすためだけに、そんなものを使うとは思えませんけど」

「ちょっと、二人とも。この子がしゃべってるんだってば」


 エクアの指摘に、改めて二人はその道具を見つめる。


「……いやぁ、いくら何でも、それはねぇだろ」

「……ですよね。あとは、腹話術とか?」

「もー、意地でも信じないつもりだね。それじゃあ、腹話術かどうか、試してみればいいよ」

「え、どうやって……」


 エクアはレイフの左手を取ってぶ厚い革手袋を引っこ抜くと、そのまま自分の首へと導いた。


「えっ、ちょっと、エクア?」

「ほら、ちゃんとつかまないと。私がしゃべってるなら、喉がふるえるんだからわかるでしょ。ラナ、ちょっと適当な話をしてみて」


 レイフが戸惑いをどうにかする前に話が進んでしまう。

 仕方なく、レイフはエクアの細い首に指を回す。

 革手袋を外した素手の左手が、片手でもつかめそうな気がするほど細い首と密着する。

 涼しげな表情を浮かべるエクアの印象とは異なる熱い体温が、首を通る血管を通してレイフの手へと伝わる。

 時間が経つにつれて、レイフはその熱さが彼女の首によるものか、自分の体温の高まりによるものかがわからなくなっていった。


《本装置は、国軍将校級以上を対象とした護身用として開発された試作型・隔離域形成装置です。ワタシは、装置使用をサポートする秘書機能セクレタリシステムです》


「おー、またしゃべったぞ。何云ってるのかほとんど意味がわからんが。レイフ、そっちはどうだ?」

「熱いです。それと、すごくどきどきしてます」

「そりゃ、血管いっぱい通ってるからなー」

「いえ、僕の心臓が」

「お前かよ! おい、エクア。こいつこう見えても純真なんだから、変な趣味に目覚めさせないでくれよな」

「ちょっと、私が悪いわけー? ま、とにかくこれで、腹話術なんかじゃないってことがわかったでしょ」

「はい……」


 レイフは心ここにあらずといった様子でエクアの首から左手を話した。


「それじゃ、さっそく続きを。ラナ、“ベリーショートレンジすっごい近め”で」


《隔離域展開》


 先ほど翠色だった飾りが橙色に変わる。

 同時に、道具の先端部分に黒く半透明の影が刃のごとく生まれた。


「お、なんだこれ……」

「あ、触っちゃダメ! 危ないよ。ホント、何でも切れるから」


 指を伸ばそうとしたトールスをエクアが慌てて止める。


「熱はねぇなぁ。むしろ、涼しいような……」


 おくすることなくその影の周囲で手をかざすトールスが、興味深そうに見入っている。


「私もよくどころか何にも知らないんだけどね」


 そう云いながら、エクアは紙包みに包まれたままのベーグルサンドを座席に置き、その黒い影を包丁でも使うように当てた。

 ほとんど無音に近かった。わずかに、空気の吸い込まれるような音がした気がする程度だ。

 そして、あっという間に真っ二つになったベーグルサンドが完成していた。


「うぉっ、すげぇ……」

「こんな綺麗な切り口初めて見た。パンも具材もまったくゆがんでないし、何よりパンくずが一粒も落ちてない」

「どー? すごいでしょ。ま、ちょっと切れすぎるのが玉にきずなんでけどね」


 そう云ってエクアが指さした座席を見ると、ベーグルサンドを切った時に行き過ぎたのか、浅くだがソファ地にすっぱりと鮮やかな切り傷が刻まれていた。


「まぁでも、使った後に洗う必要もないし、重宝してるんだよね」


《推奨される使い方とは異なりますが、お役に立てたのなら幸いです》


「ありがとね。“おやすみ、ラナ”」


《おやすみなさい。エクア》


 その言葉を合図に黒い影は消え、円状の飾りの輝きも消えた。


「いやぁ、びっくりした。これも神遺物カタリストたぐいなのかね?」

「神遺物? あれ、ちょっと待って。エクア、君のその格好……」


 今更ながら、レイフは気がついた。

 彼女は私服とおぼしい衣服の上に、白衣区の外套を羽織っていたのだ。

 前を全開きにしているせいで、ずいぶんとラフな、神官にあるまじき格好である。しかし不思議と、彼女の雰囲気に馴染んでいたため今まで気がつかなかったのだろう。


「君はもしかして、カーティス・レイ・ホーディアルの仕切る、羊計画の関係者なんじゃ」

「あれ? どうしてそのことを知ってるの。あ、もしかして、あの金ピカ男子が云ってた男の子って……」

「金ピカ男子……」


 あんまりな呼び名に脱力しながらも、レイフたちはエクアがここに来るまでの経緯について耳を傾けた。

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