第18話 深層の眷属 “深葉竜 《L.D.D.》”①

「ねぇ、レイフ。どうするつもりなの」

「実はエクアにお願いがあるんだ。ラナイーダを起こしてくれない?」

「うん? いいけど……。“起きて、ラナイーダ”」


《おはようございます。エクア》


「おはよう、ラナイーダ。君に聞きたいことがあるんだ。いつも、例の黒い影を出す時、エクアは範囲を指定してるよね。あれは、最大でどのくらいまで伸ばせるの?」


《仕様上の限界はありません》


「なるほど。つまり、私とラナであの竜巻をぶった切ればいいわけね」


《ただし、現在の環境では制限があります。本装置の動力供給源とのPoQ接続が切断状態です。現在、大気中より必要物質を取り込むことで動力を維持しておりますが、供給量が少なく定期的な休止が必要な状態です。また、高出力動作時の稼働可能時間は仕様を大きく下回ります》


「うーん? ラナ。わかりにくい。“わかった気になれる話し方”でお願い」


《お腹が減って力が出せませんが、ご飯は周りにほとんどありません》


「ちなみに、あの竜巻に届かせるくらいの出力なら、どれくらいもつかな」


《推定距離約20km。中心部へ隔離域を展開させることができるのは、約3秒間となります》


「短っ!」

「一発展開した後、次に展開できるまでは?」


《現在の粒子濃度では、約30分の休止時間が必要と推測されます》


「あの竜巻がその場にとどまったとしても、一度きりのチャンスってことか……」

「んー、でもやるしかないね。何でも斬れるんだし、きっといけるよ。それにしても、どこから狙うの? こう、窓越しじゃやりづらいというか……。機関室は人でいっぱいだし」

「実は、ちょっと心当たりがあるんだ」


 レイフの先導に従い、エクアとフィリスは移動する。やってきたのは動力車の後部にあった休憩室だった。


「ここにある金梯子かなばしご。これで上に登れば前方が見渡せるんじゃないかなって」

「へぇー、こんなとこあったんだね。最初通った時は気づかなかった。それじゃ、さっそく」


 そう云って、エクアは迷うことなくハシゴに手をかけ登りはじめる。

 天井をふさいでいた金属製のフタを押し上げると、動力車のカーゴ上にでる。


「風が強くなってきた。エクア、落ちないように気をつけて」


 一応人が立てるような足場はあるもの、端の壁は手すりにもならない足首ほどの高さくらいしかなく、立ち上がればあっという間に振動と風で振り落とされてしまいそうだった。

 列車後方には石炭が積まれたフタ付きのケースがあり、隙間から黒い塊が覗いている。前方には貯水タンクがある。


「こっちの入れ物は何ですかね?」


 二人の後をついてきたフィリスが、貯水タンクの脇に据え付けられた設備を眺めながらつぶやいた。

 バルブ式の大きな蓋がついた、貯水タンクと比べてもずいぶんと重厚な外見をした容器だ。人一人分くらいの大きさの物が、いくつも並んで固定されている。その容器の口から繋がった配管は、どうやら動力室の方へと伸びているようだった。

 このような状況で気動列車の設備に興味を示すほど落ち着いていられるフィリスには内心驚いたが、レイフにとっては今はそれどころではなかった。


「エクア、どう。狙えそう?」

「うーん、けほっ、ちょっと、煙突の煙が邪魔かも……」


 竜巻による風が横に吹いているため、もろに浴びるわけではないものの、やはり進行方向にある煙突からの煙は容赦ようしゃなくレイフたちをいぶす。

 とてもじゃないが、しっかり目を開けて狙いすませるような状況ではなかった。

 その時、突然聞き慣れない音が耳に届いた。


「何?」

「しっ、静かに」


 静かにとは云ったところで、聞こえるのは風の音ばかりだ。

 しかし、その中に混じって猛禽類もうきんるいの鳴き声のような、笛のごとき高らかな音色が空を突き抜けた。

 それは、竜巻の方角から届いてくる。


「あれって、もしかして……」

「やっぱりいるんだ。あの中に」


 L.D.D.

 レイフの脳裏にその名が浮かんだ。

 まだ見たこともない深層の眷属。

 しかし、その声を聞いただけで巨大な存在を目の当たりにしたような衝撃が走った。


「とにかくエクア。これ以上は近づくほど風が強くなって危険だ。チャンスは今しかないと思う」

「わかった。やってみる」


 エクアは神遺物ラナイーダを構えようとその場に膝立ちする。

 しかし、手を床から離した途端に風にあおられてよろけてしまう。

 彼女の身体をレイフが慌てて支える。


「こっわぁ。落ちるかと思った」

「風のせいか揺れも激しくなってきた。エクア、僕が支えるから何とかできないかな」

「レイフ。腰はくすぐったい」

「今はそんなこと云ってる場合じゃ……」

「あ、ちょっと良いこと思いついたかも。こっち来て。こっち向いて。ここに座って。で、背中抱えて……」


 レイフはエクアに云われるがままに動く。


「あっ、頭は下げてね。見つめ合うと恥ずかしいし」

「エクア。この体勢、ちょっとキツいんだけど……」

「今はそんなこと云ってる場合じゃないでしょ。ほら、じっとして」


 レイフとエクアの体勢は中々複雑な形になってしまった。

 まずレイフがエクアと対面であぐらを組む。エクアはその正面で正座になる。

 レイフが腕を伸ばした状態で彼女の背中に手を回し、エクアはその手にもたれて安定を図る。

 さらに、神遺物ラナイーダの銃身はレイフの左肩に載せて砲架のような役割をはたす。


「どう、いけそう?」


 視界にエクアのひざと気動列車の天板しか見えないレイフがたずねる。


「んー、ちょっと待って。そういえば、あの竜巻のどこを狙えばいいんだっけ」

「ごめん、そこまではわからないよ。三秒の間で、中心を縦に斬ればいいんじゃないかな」

「なるほどね。それでいこう」

「ねぇ、縦に振るなら僕の肩に載せる必要はないんじゃ……」

「振り上げると風にもってかれちゃうから、レイフはそのままで」

「そう……」


 レイフのつぶやきを最後に、二人は押し黙る。

 風の音がうるさい。その中に、気動列車の動力音が混ざる。


「レイフ。髪がくすぐったいよ」

「どうしようもないね」

「じゃあ、やるよ」

「任せた」

「ん……」


 エクアの息をのむ音が聞こえた気がした。

 高鳴る心臓の鼓動は、きっと自分のものの音だろうとレイフは考えた。


「ラナイーダ。任せる。アイツに届かせて」


《了解しました。特殊条件のため、カウントダウンを行います。隔離域展開までファイブカウント。4、3―――》


 エクアが吐く細い息がレイフの左耳に降りかかる。


《2、1―――》


 ぎゅっと、レイフの両手にエクアの体重がかかる。それを、レイフは力を込めて支えた。


《展開》


 神遺物ラナイーダの先端から黒い影が形成される。

 それは時間差無しに、空の果てまで突き抜ける。


《停止まで2秒、1―――》


 左肩にかかる力が強くなる。エクアが神遺物ラナイーダの角度を高くした。

 黒影が空高く斬り上げられる。


《隔離域解除》


「どうなった!?」


 レイフは急いで顔を起こして振り返る。

 竜巻の姿は一変していた。

 中心よりやや右側。明らかに、縦一文字で雲の乱れがわかる。

 気流の乱れが風の流れを相殺そうさいし、わずかに竜巻の壁がほどける。


「ごめん、ちょっとズレちゃった」

「いや、でも捉えたはずだ」


 雲間くもまが覗いた。

 その奥に一瞬、まばゆいみどりの輝きが映った。

 先ほど耳にした、空を突き抜ける鳴き声がいっそう強く聞こえた。


「竜巻がほどけていく……」


 そして、巨大な深層の眷属がその全貌ぜんぼうをあらわにした。

 ライムグリーンの縦に長い流線型の肉体。そこから三対の主翼と呼ぶべき海草うみくさかたどった翼が天空に揺らめく。

 主翼から枝分かれした草の端はオーシャンブルーとエメラルドグリーンの間でゆらぎながら輝いている。

 主翼と似た副翼がいくつも存在し、全ては連動してまるで海底で海流にゆられる海藻のようなゆったりとした動きを描いていた。


「綺麗……」


 思わずエクアが漏らした言葉を、レイフ自身も否定することができなかった。

 深気の青白い輝きが後光のごとく差していた。その全貌は神々しさすら感じさせる。

 しかし、それは同時に、レイフたちが相手を仕留め損なった証左しょうさに他ならない。


「もしかして、効かなかった?」

「いや、よく見て。左翼の枝葉が欠けてる」


 レイフがその姿に魅入られ過ぎずに済んだのは、エクアの刻んだ傷痕が一つの汚れとしてはっきりと確認できたからだ。

 名画に垂らされた一滴の黒インクのように、それは全体の精彩を大きく損なわせている。

 もう一度強く、その深層の眷属、L.D.D.は鳴いた。


「もしかして、あれ、怒ってる……?」

「そうかも……」

「まずい。竜巻を修復し始めた」


 レイフたちを猛烈な横風が襲った。気動列車が傾く。明らかに、片輪が浮いているであろう角度で。

 悲鳴を上げるエクアを抱え込みながら、レイフは気動列車の天板にしがみつく。

 そんな中、後方の客車からガラスの割れるけたたましい音とともに誰かの悲鳴が届いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る