第6話 旧友カーティスと次期羊計画

 トールスを肩に担いだレイフが店を出た時、霧雨はすっかり止んでいた。

 空を見上げると闇色に塗りつぶされたぶ厚い雲が浮かび、その間から月が姿を覗かせている。白く輝く月灯りがレイフの行く先を照らしていた。

 今の彼はトールスに出会う前ほど重苦しい心境にさいなまれてはいなかった。それは、要塞フィグネリアを目指すという明確にして単純な目標ができたからだ。

 ひとまずは目の前の行動に集中することで悲嘆を忘れることができるだろう。

 しかし、本格的に深樹海を越えることを決めたならばさまざまなことを考えなければならない。その中でも一番大切なことは、どうやって要塞フィグネリアへ。西へと向かうかということだった。

 速さと楽さを重視するなら国土を横断する気動列車に乗るしかなかったが、今のレイフの手持ちでは二人分の旅費と深樹海へ入るための準備物をまかなうには心許ない。

 経費を工面する一番の近道は、レイフの立場を利用することだった。

 教皇庁の黒衣官として。その職務として深樹海へ向かうという方法である。もちろん、彼の上司が何の事情も聞かずに資金や手段を提供してくれるとは思わない。困難であるが、現状とれる手段としてはそれくらいしか思い浮かばなかった。

 とりあえずは官舎に戻ろうと、雨の香りが残る通りを歩いていると行く手をさえぎる人影があった。

 レイフはいぶかしげに目をこらし、やがてそれがよく知る人物であることに気がついた。


「カーティス。どうしてこんなところに?」


 レイフの神学院時代のもっとも親しい友人。

 カーティス・レイ・ホーディアルは癖っ毛の金髪を指先でもてあそびながら、金色の瞳が光る眼差しを鋭くレイフへ向けていた。

 教皇庁の神官である白衣官の外套に身を包む彼とは、最近では日常的に時間を共有することはほとんどなかった。しかしふと、こうして思わぬ場所で顔を合わす機会があった。


「どこへ行くつもりだ。レイフ・ブルーウィル」


 端正でありながら鋭利、冷淡と云った言葉が連想される容姿に、まったくもって合致する冷たい声色でカーティスが問う。しかし、その調子もレイフにとっては慣れ親しんだものであり、だからどうということはなかった。


「どこって。寝床に帰るんだよ。君こそ、こんな夜遅くにどうしたんだ」

「心を戯言で隠すな。お前が俺に隠し事をできたことがあるか?」

 カーティスの金色の瞳が、夜空に浮かぶ満月よりも強い輝きを放つ。それは彼の思考が鋭く冴えわたる時にでる癖のようなものだ、とレイフは解釈している。

「じゃあ聞くなよ。レジーナがいなくなった。フィグネリアで行方不明になったんだ。だから会いに行く」

「やめておけ、あそこは今―――」

「その話はさっき聞いたばかりだよ。でも関係ない」

 さえぎるレイフの言葉に、カーティスは不満げに眉根をゆがめる。

「今、クランツ・クラン要塞でキワ・イリス迎撃作戦の準備が始まっている。軍用区画は完全封鎖され、部外者は近づくこともできないだろう。当然、許可なく深樹海へ出ることもできない。そんな場所にあてどもなく行ってどうするつもりだ?」

「それは……」

「俺を失望させるな、レイフ・ブルーウィル。ただの一度でも、俺に肩を並べたというのなら自身の名声に責任を持て。無惨な行動で自分の価値を下げるな」

「神学院時代の成績なんて、今は関係ないだろう。それに、最後は君一人が首席だったんだ。そんなことはどうでもいい話じゃないか」

「情けない。そんな言葉を吐くことしかできないほど余裕がないか。あのレジーナという女がそれほど大切か? お前はなぜ、あの女一人にこだわり続ける。母親代わりのあの女からまだ独り立ちができないか。それとも、無知むち蒙昧もうまい恋慕れんぼによってあの女から脱却できないか。いや、お前はあの女からそう教育されたのだ。あの女を求めつづけるように。だから、こうして呪縛から解き放たれるべき機会を無視しつづける。他者への絶対的な依存性。俺は、お前のその点だけは、反吐へどが出るほど憎悪する」

「君が僕以上に僕に興味を持って、僕以上に僕を考察してくれるのは別にかまわないけれど、残念ながらそこまで深い真実が隠されていたりはしないよ。ただの家族愛とちょっとした知的好奇心。それだけだよ」

「それが勘違いだというのだ」

「うーん、話はいつまでたっても平行線だね。いつものことだけれど」


 レイフにとっては慣れた展開ではあるものの、夜遅くにトールスを肩に担いだ状態でこれ以上カーティスの説教を聞き続ける気持ちは失せていた。

 しかし、相手が安易な言葉で振り払えるような人物ではないことも熟知している。

 だから、レイフは強攻策にでようと考えた。

 そう考えたのは彼だけではなかった。

 静かだった周囲の街並みがざわついた。

 気がつけば、いつの間にかレイフの周りを人が大勢とり囲んでいた。

 さっきまで誰もいなかったはずであり、近づいてくる気配も一切なかった。

 しかし、彼らはそこにいた。まるで、初めからそこにいたかのように。

 全ての進路をふさぐように。全ての死角を抑えるように。何人もの白衣官が立っていた。

 手には物騒な鈍器、護身用の鎚矛メイスが握られている。彼らは頭からつま先までを隠す奇妙な薄布で全身を覆っていた。ご丁寧なことに顔すらも目元を除いて布で覆い隠している。レイフも目にしたことのない異様。盗賊、強盗、あるいは悪魔崇拝でもしていそうな異教の類いとしか思えない姿だった。

 そんな中、カーティスの背後に現れた一人だけは素顔を晒していた。

 レイフとカーティスの二人からすれば、わずかに年上といったくらいの女性。

 彼女は緊張した面持ちでレイフと、それを取り囲む白衣官を視界におさめていた。

 その立ち居振る舞いから察するに、カーティスに次いでこの中で高い立場にあるのだろう。


「カーティス。これは一体どういうつもりだ?」

「お前が考えなしにフィグネリアへ向かう行為は、今俺が取り仕切る計画のさまたげになりかねない。お前が愚行を改めないというのなら、それを阻止するまでのことだ」

「計画?」

「お前の依存する女が関わった羊の計画。その次期案件を俺が統括する」

「……また、レジーナと同じ犠牲者をだすつもりなのか」

「それは、奴らの努力次第だ。それとも、お前がそれを救ってみせるか? まぁ、どちらにせよ、この包囲を破ることすらできない凡人にはかなわぬ役目だろうが」

「つまり、ここを脱することができればその人達と一緒に深樹海へ出られるということだな。カーティス、約束しろよ」

「それは、お前が無能になっていないことを証明してからの話だ。―――あぁ、そういえば安心しろ。その“荷物”には興味がないからその辺りにでも転がしておけ」


 レイフは仕方なくトールスを地面へおろす。腰をおろさせるつもりだったが、自身を支える気のない身体はそのまま冷たい地面へと転がってしまった。

 そうしてレイフが体勢を元に戻した時、例の女白衣官から鋭い号令があがった。直後、前後左右から声なく白衣官たちが飛びだす。

 人を殺そうとしているとしか思えない鎚矛メイスの強打が一斉に襲う。レイフは四人のうちの一人。右手から襲ってきた者に向かって踏み込み、ほかの打撃から距離をとる。しかし、そのせいで右手からの打撃はレイフを完全にとらえた。

 頭上にかかげた右腕に、上段から振り下ろされた鎚矛が激突する。

 金属質で重たい打撃音が静寂に満ちた夜の街に響きわたる。

 本来であれば右腕の骨肉を粉砕し、その勢いのまま頭をかち割っていてもおかしくない衝撃。

 レイフはそれを、わずかな吐息とともに膝を少し曲げた程度で受け止める。

 攻撃者である白衣官から動揺のうめきが漏れた。

 その反応は誰の目から見ても隙だらけだった。

 レイフはそれを見逃さない。受け止めた右腕を渾身の力で頭上へと振り上げる。勢いよく鎚矛が宙に飛んだ。さらに、体勢の伸びきった白衣官を足払いで転ばし、間合いを詰めてきた残りの三人を迎え討つ。


「奴の神遺物カタリストは右腕だけだ! 左方から制圧しろッ!」


 静かに様子を見とどけているカーティスの背後。女白衣官から鋭く指示が飛ぶ。

 部下である白衣官たちは、減った人数を補充しながら指示通りに徹底された動きをとる。しかし、一方のレイフは相手にそう動かれることは百も承知だった。

 だからこそ、自分の強みをまったく出し惜しみしない。

 どんな打撃にも動じず、人一人を軽く投げ飛ばせる力を持った右腕を存分にふるい、文字通り力任せに相手を粉砕していく。

 床に転がる白衣官が五人を数えても、残った彼らの戦意にかげりはない。

 さすがはカーティスの部下だと、妙な関心を抱きながらもレイフは六人目の首根っこを右手でつかみ、相手が苦しまぎれに鎚矛を振り下ろす前に、周囲の白衣官目がけてその身体を投げつけた。

 もつれ合いながら倒れて行く。その先で聞き覚えのある妙なうめき声が聞こえた。


「いってぇ……、なんだなんだ。おい、お前ら、なんで俺の上に覆いかぶさってんだよッ。どけッ!」


 トールスが大声で叫びながら、自分の上に倒れてきた白衣官を押しのける。そのあたりの力強さは、酔っているとはいえさすがは元軍人といったところだ。


「おい、レイフ。こいつは一体なんだ? 俺が酔っている間になんかしでかしたか?」


 起き上がってきたトールスが、辺りの様子を怪訝けげんそうに見回しながらレイフの元へとやってくる。


「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと、友人と喧嘩してるだけですから」

「は? お前がか。なんつうか、人の交友関係ってのは見た目によらねぇんだな……。俺が云うのもなんだが、友達選びはもうちょい慎重にした方がいいと思うぞ」


 レイフたちを取り囲む白衣官の群れを見回しながら、トールスはあきれた様子で云った。


「腐れ縁なので、まぁ今さらのことです。あと、すみません。トールスのことを忘れてさっきの人を投げつけたのは僕です」

「あぁ、いいよ、別に。おかげでだいぶ酔いが覚めた。変なものが少しだけ口から漏れたがな」


 口元を手の甲でぬぐい、口の中に残った胃液と酒を地面に吐きだしながら、トールスはまるで喧嘩を始めるかのように肩を回し始めた。


「で、どうすんだ? どうすればこっちの勝ちだ」

「一応、この包囲を突破できればってことらしいですけど」

「なんだそりゃ、わかりにくいな。相手が追いかけてきたらどこまで続けるつもりなんだよ。戦術ってのはシンプルじゃねーとなぁ。あの金髪のガキが大将か? アイツを殴ればさっさと終わるんじゃないのか」

「貴方がそんなことしたら、帝都にいられなくなるくらいの禍根かこんを残しますよ」


 トールスの登場に、周囲を取り囲む白衣官たちはわずかに動揺をみせる。しかし、彼らの上官であるカーティスがいまだ黙って見ている。それを続行の合図と判断したらしく、レイフとトールスに向かって同時に襲いかかった。

 レイフの対処方法は変わらない。そんな彼の死角となりやすい左方側面から背面にかけてをトールスが立ち回る。彼はいつのまにか拾い上げていた白衣官の鎚矛を片手に、時には相手と打ち合い、隙を見ては空いた片手と足を使って器用に白衣官たちを退けた。

 その様子は、力任せの要素が強いレイフと比べようもないほど洗練されていると云える。


「あの金髪のガキはそんなに偉いのか?」

「帝都最大の教会、ハルパルス大聖堂の司祭長に今年就任しました。ついでに、父親は白衣区長官ウィラー・レイ・ホーディアルです」

「大貴族様のボンボンかよ!」

「それと、僕の神学院時代の同級で友人です」

「お前、そんなヤツを怒らせたのか? アイツはなんで襲ってくるんだ」

「僕らが勝手にフィグネリアに向かうのが気に入らないらしいです。どうしても行きたいのなら、俺に腕っ節を見せろと」

「なるほど。意味がわからん。なんでそれで喧嘩になるんだよ。つーか、あの金髪のボンボン、あんなお坊ちゃまって身なりでそんな血気盛んなタイプなのか? 見えねぇなぁ……」

「昔から、意外と熱血漢で武闘派ですよ」

「……見えねぇな」


 二人は会話を交わしながらも大立ち回りに余念はない。

 参戦人数が増えたことで地面に転がる白衣官の数は増える速度を増してゆく。しかし、多勢に無勢であるせいで一人一人へ確実にトドメをさせるわけではない。倒れた彼らのうちのほとんどが、すぐに起きあがって再び襲ってくる。

 どれだけ二人がその場その場を優位に戦えたとしても、体力の限界とともに敗北が訪れるのは明らかだった。

 そのことをレイフも、そしてカーティスも理解していた。

 だからカーティスはその場を微動だにしない。

 不機嫌そうに、実につまらなさそうに、口元と眉根をゆがめるばかりだ。

 そして、その状況に変化を示したのはレイフでもカーティスでもなかった。

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