第8話 事件の裏側

 一連の出来事は、どうやらあの金髪金眼の少年、カーティス・レイ・ホーディアルの手のひらの上にあったらしい。

 トールスはレイフを地面に寝かせて自分も腰をおろし、周囲で動き回る白衣官たちの様子を眺めていた。

 幸運によるものか、はたまたそれすらも計算ずくだったのか。渦中かちゅうにあった白衣官含めて今のところ死者の報告があった様子はない。

 けが人となった白衣官たちは、現在医療班となった白衣官と、騒ぎを聞きつけて駆けつけた教皇庁の赤衣官たちの手によって慌ただしく治療が行われている。

 トールスたちを襲った者たちをはるかに超える人数の人員がどこかに控えていたらしく、現場は白衣官たちによって完全に封鎖され、関係者が聴衆にさらされるという事態を防いでいた。

 その実行力を見るだけでも、教皇庁という組織が如何いかに巨大で異様であるかがうかがえる。

 帝国軍の警らであっては、これほど手際よく大量の人員を配置することはできなかっただろう。特に、このような至極私的な目的においては。


「トールス・マグニム様ですね? 治療いたしますので、お側に失礼いたします」


 かけられた声に振り返ると、そこに立っていたのはカーティスの副官である例の女白衣官だった。

 こうして改めてみると中々の美人だな、とトールスは内心感想を抱く。

 レジーナの美しさを華やかさとするならば、こちらは森の奥深くに湧く泉のような静謐せいひつだろうか。

 今の彼女には戦いの際に見せた苛烈さはどこにもなく、神官らしいつつましさそのものだった。

 くすんだ金色の髪に褐色の瞳は、派手すぎる見た目のカーティスに対して、そばに控えるにはちょうどよい色合いに思われた。


「あぁ、すまない。そういえば、アンタの名前は?」

「ファナです。ファナ・レイ・インディール。若様、カーティス様の付き人を務めている者です」

「おっと、これは失礼。アンタも貴族様だったのか」

「ホーディアル家の傍系ぼうけいにあたります」

「すまんね。教養がないもんで。口が悪いのは許してくれ」

「私は気にしませんが、一族の者でその口ぶりに怒りだす方は大勢いるでしょうね」


 そう云ってファナは小さく笑いをもらすと、部下の白衣官とともに治療の準備を始めた。

 トールスはされるがままに上着を脱いで上半身を裸になる。

 衣服がこすれるだけで一々痛みが走ったが幸いそれほど重症ではないのか、悲鳴をあげるという情けない目に合うことはまぬがれた。


「しっかし、アンタらがやることは一々大げさだな。これだけの人数を動員して、やってることはレイフ一人を囲んで鎚矛メイスで殴りかかるだけなんだからな」

「表面だけを見ればそうでしょう。しかし、一連の出来事には帝国の命運を左右するほどの意味があったのです。少なくとも、若様はそう考えておいででした」

「ホントかねぇ。結局和解するっていうなら、初めっから話し合いですませればいいんじゃねぇか。こんだけ街と部下をメチャクチャにしてまで、この方法をとる必要があったのか」


 トールスは自分がずいぶんと意地悪く、そして愚痴ぐちっぽくなっていることを理解していた。しかし、それをやめようとは考えない。自分から巻き込まれにいったことではあるが、あのまま自分は無関係だと云って去ることなどできるはずもなかったという意味では、間違いなく自分は騒動に巻き込まれた被害者と云ってよいはずだ。

 彼女の部下の白衣官たちはトールスの物云いに苦々しい表情を浮かべていたが、一方でファナはというと、なぜか笑いをこらえている様子だった。


「ですよね。私もそう思います」

「そう云う割には、アンタは結構乗気のりきで指揮をとっていたじゃないか」

「それはもちろん職務であり、私の存在意義ですから。若様の意向を実現するために最大限の努力をするのは当然です」

「上司の命令が絶対というのは好かんがね」

「おやおや、トールス様はずいぶんと不良な軍人だったようですね。物事には戦術と戦略のように、異なる視点に基づく価値観というものがあります。政治、信仰、私的な欲望や感情などといったモノを混ぜ合わせていくと、物事の裏側は実に複雑怪奇になるということです。私は、そういったモノの本質によって選択をする立場にはありません。それは、主人である若様にのみ許された役割です」

「そういうもんかね。しっかし、自分がやっている事の意味がわからないってのは、なんだか気味悪くないか? 俺は、努力して意味があるのかと疑いだすとやる気もそがれるし集中もできなくなるが」

「今回のことであれば、私にとってはそれほど意味がわからない、といった訳でもありませんよ」


 ファナはそう語りながらも手は休めない。

 トールスの腹にうっすらと浮かんだあざに薬剤を塗っていく。

 彼女の指先に触れられた瞬間、痛みが腹の芯を刺すような刺激で走る。トールスは危うく情けない声をもらしそうになった。

 そんな彼の悪戦苦闘を知ってか知らずか、ファナは布を当て、そのうえから包帯を巻いていった。その手際は実に見事で、応急処置という点だけで見れば本職である赤衣官や帝国軍の医務官にも劣らないだろう。

 その腕の上達が、彼女の上司が日常的にこのような騒ぎを起こしているからかは不明であるが。


「じゃあ、なぜ初めっから話し合いを選ばなかったんだ」

「それは、お二人が互いの腹のうちがわかるほど深い仲にあり、同時に病的なほど意地っ張りだからです」

「……聞いた俺が馬鹿みたいじゃねぇか。あいつらは子供か」

「どう見ても子供ですよ。可愛いですよね、お二人とも。レイフ様と直接お目にかかるのは今日が初めてですが、若様のお話から想像した通りの御方でした。もっとも、若様ご本人がこの事を聞けば、三日は口を聞いてくださらなくなりそうですが」


 密談を楽しむようなファナの様子は、初めに感じた静謐せいひつの美人といったイメージからずいぶんとかけ離れ始めていた。トールスはふとレジーナのことを思い出す。初対面とは異なる二面性。女性というのは、得てしてこういった生き物なのかもしれない。いい歳をして、改めてそんなことに思いをはせてしまう。


「しかし、だからといって本気で殺そうとするか? それともあれが演技だったって云うのかよ」

「トールス様の乱入をのぞいたとしても、我々に神遺物カタリストを有するレイフ様相手に手加減をする余裕なんて初めからありません。そういった意味では、運が悪ければあっけなくどちらかが死んでいたでしょう。しかし、そうはならないと若様は踏んだのです。いえ、そうならない未来にだけ、価値を見いだしていたのです」

「つまり、その場であっけなくレイフが死んでいたなら、無駄死にでもそれでよかったっていうのか」

「よくはありませんが、そういうものとして受け入れなさったでしょう。その程度であれば、元々想定した役割にははまらなかったのだと」

「本当に病的だな。理解ができん」


 トールスの隣では、意識を失ったままのレイフが上半身を裸に剥かれ、四人がかりでの治療が行われていた。彼女たちは右肩から先が異形になっている姿に一瞬驚きながらも、慈悲に満ちた手つきと眼差しで事に当たっている。

 トールスに対するそれとは異なり、彼女たちの瞳がわずかなりとも熱を帯びているのは、レイフが見せた圧倒的な力ゆえか、はたまた彼女らの上官であるカーティスと深い仲にある要人であるためか。それなりに整った容姿の少年の半裸に色めきだっている訳ではないとは思うが、トールスにはそれを見定めることはできなかった。


「二人の関係がどうであれ、それに巻き込まれた帝都の市民はいい迷惑だろうな」

「えぇ、市民の避難が済んでいたとはいえ、街を損壊したことについては返す言葉もありません。修復作業については、当然のことながら白衣区が責任を持って行います」

「ちょっと待て、避難だって?」

「はい。実はこの周囲一帯には、少し前にとある通達がだされていたのです。目覚めたばかりの使徒が、神遺物カタリストを持って逃走中であり、神術暴走の危険があると。住人は全て、我々が近隣の教会へ避難させています」

「マジかよ……。じゃあ、レイフの葛藤かっとうも、アンタたち、いや、あのカーティスってボンボンの手のひらの上で踊らされていただけだってのか」

「いえ、市民の人身に被害がないとは云え、結果として街は破壊されました。その過程で物であれ心であれ、失われた大切なモノは多くあるでしょう。そういった可能性含めてレイフ様がなされた葛藤に、我々は深く敬意を表します。同時に、そういった事に思い至らず、破壊行為に躊躇ちゅうちょしないのであれば、若様は計画への同行を許されなかったでしょう。そのような者に、羊を救うことは不可能だという理由で」

「アンタたちは、この一夜で一体何本の綱をレイフに渡らせるつもりだったんだ。そんなことしなくても、頭一つでも下げりゃあ、頼みを無下むげにしたりはしねぇよ、コイツなら」

「その頭を下げて、というのが、お二人にとっては何よりも難しいことなのでしょうね」

「面倒くさすぎだろ。あきれて言葉がでねぇよ……。それにしても、今まで教皇庁って組織に特別な興味を持ったことはなかったが、まさか、これほど陰謀渦巻く組織だったとは思わなかったよ」

「権力を有する組織とは、ひとえにそういったものです。何事も、すみやかに事を運びたいなら秘密裏行うことが一番ですから。今回の事ですら、真実を秘匿ひとくすることで白衣区はさらなる恩恵を授かります。市民の命を神術の暴走という危険から救い、出た被害の一切を補償してくれる慈悲深さを喧伝けんでんできるという点において」

「全部やらせじゃねぇか。なぁ、そんなことをペラペラ話していいのか? 俺が、周囲にバラすとは思わないのか」

「残念ながら、トールス様の言葉に耳を貸される方はほとんどいらっしゃらないでしょう。白衣区が築き上げた社会的地位とはそういったものです。また、真実がどうであれレイフ様が神術を行使されたことは事実です。あとは、その理由をどう伝えるかだけですから、元から存在しない物をねつ造するよりははるかに容易でしょう」

「わかった、わかった。お手上げだよ。考えてるだけでも疲れちまった。俺はそういうタイプじゃねぇんだ。策略でアンタらには勝てねぇ。負けを認めるよ」

「意地悪い話し方をしてしまい申し訳ございません。ですが、トールス様なら真実を伝えることの真意をご理解くださると思ってのことですから」

「なんだかなぁ。まぁ、俺だって、無駄に白衣区を敵に回そうなんて思っちゃいないがね。それより、この後のことは大丈夫なんだろうな?」

「ご心配なさらずとも、若様はお二人をこれ以上悪いようにはされません。レイフ様との間で交わされた約束の通り、深樹海への道は我々がつつがなくご用意いたします」

「それは結構なこった。是非そうしてくれ。頼むから、これ以上このお人好しな子供を組織で寄ってたかっていじめないでやってくれ。これでも喪中もちゅうで傷心の身なんだからよ」


 トールスはかたわらで眠ったままのレイフを見ながらため息をつく。


「トールス様は本当にお優しいのですね」

「あんな無茶苦茶な上司に振り回されながら、これだけよく働くアンタたちほどじゃねぇよ」

「すべては修行の道です。レイフ様やトールス様と戦い傷ついた者たちも、この先教皇庁に反旗をひるがえす使徒と対したとき、負った傷の経験を生かすことができるでしょう」


 ファナは深く頭をさげると、部下を引き連れて次の負傷者の元へと向かっていった。


「これだけの無茶苦茶を修行の一言で片づける信仰ってのは、ほんと狂気と紙一重だな……。それにしても、一晩でどうしてここまでややっこしい事態に巻き込まれたもんかね」


 トールスは心の底からあふれだした愚痴ぐちをもらしながら地面に横になった。

 レイフが目覚めるまでは、どうせ何をすることもできないだろう。

 めまぐるしく訪れる変化に張り詰めていた緊張がほぐれていくのを感じると、有無をいわせぬ眠気がトールスを一気に引き込んだ。

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