第9話(過去) 義腕にされた少年

 夢を見ていた。

 それは昔の懐かしい記憶。ただし、どちらかと云えば少し辛くて苦い記憶だった。

 まだ片手で数えられるかくらいのよわい、幼い少年が街道をおぼつかない足どりで歩いている。

 街道とは云っても、獣道よりはわずかにマシという程度の荒れた道だ。

 その子供の右腕は、濃紺のかくで覆われた義腕だった。

 幼い姿には不釣り合いな物々しい義腕を、重たい荷物を抱えるように左手で支えている。


「ねぇ、まってよぉ……」


 彼は前を歩く人物に向かってつぶやく。

 相手は声に気づいていないのか振り返ることはない。

 金色の長い髪をふわふわとゆらめかせながらまるで散歩でもしているかのようにリズムを刻み、ゆるやかなペースで歩き続けている。

 その毛先が、ゆらめきに合わせるかのように赤く輝いていた。

 彼の母親が大切にしていた、小さくくすんだ宝石とはくらべものにならないほど鮮やかなきらめき。

 この世のモノとは思えない不思議な光景に、少年は今の自分の境遇とあいまって現実感のない時間をただよっていた。

 相手のペースは遅くとも、絶対的な足の長さからどんどんと距離が離れてしまう。

 それでも少年はあきらめずに足を前へと踏みだす。

 しかし、右腕を抱えた不自然な体勢のせいでただでさえ歩きにくいのに加え、ごろごろと石のちらばる道の悪さが彼の行く手をはばんだ。

 すでに二人の距離はちょっとの声では届かないほど広がっている。

 少年は心細さに耐えられなくなりとっさに駆けだす。

 二歩、三歩と進み、すぐに転んだ。右腕のヒジから盛大に地面にぶつかる。

 わずかの間地面にうずくまり、慌てて飛び起きる。

 まず初めに自分の右腕のつけ根を、左手で念入りに確かめた。腕が確かについていることがわかると、心底といった様子で安堵の息をつく。


「もう、何やってるの。早くしないと日が暮れちゃうよ。また野宿するのは嫌でしょ?」


 いつの間にか、少年の目の前に人が立っていた。

 毛先を赤く輝かせた金髪の女性。彼女の瞳は虹色に輝き少年を見下ろしている。

 少年は思わず視線をそらした。彼女の瞳が怖かったからだ。

 見たこともない色に輝く瞳は単純には美しかった。しかし、ただびとならざる者であるという真実が、幼い彼にも直感的に理解できるものでもあった。


「ほら、深気が満ちてきた。ぐずぐずしてると、またあのこわーい怪物に襲われちゃうよ」


 少年の拒絶を気にした様子もなく、女性は足元を眺めながらいった。

 彼女の膝の丈ほどの高さ。

 目をこらすとうっすらとだが、青白い輝きを視界の中に見つけることができた。

 それは、明け方の晴れる直前の霧のように不確かなものだったが、それが恐ろしいモノの元凶であると記憶に深く刻まれていた少年は驚き慌てて立ち上がる。


「お、元気じゃん。その調子で、じゃあひとっ走りしよっか」

「……できないよ。だって、また腕がとれちゃうもん。いたいのはやだよ。血がすっごくでたんだよ。ドバドバって……」


 少年は目尻に涙を浮かべながら訴える。


「ごめんごめん、確かに最初は融着ゆうちゃくが甘かったからね。でも、もうちゃんとくっつけ直したから。今度は全身の骨格まで根を張らせたし、思いっきりぶん回しても大丈夫だよ。ほらほら」

「わぁっ、やめて!」


 少年の叫びを無視して、彼女は彼の右腕をつかんで引きよせる。その勢いのまま、小さな身体をぐるぐると振り回しはじめた。

 少年の悲痛な絶叫が辺りにこだまする。それに、彼女の楽しそうな笑い声が重なる。

 ひとしきり楽しんだあと、彼女は自分の目の前で少年をおろした。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、少年はひくつきながら左手でぬぐった。


「ほら、何ともなかったでしょ。これで大丈夫。ね?」


 そう云って、女性は少年の青みをおびた黒髪を力強くくしゃくしゃとなでまわす。

 少年はそれを拒むことなく小さく一度うなずいた。

 それを見て女性は満面の笑みを浮かべ、満足げにうなずき返す。

 二人はそのまま並んで歩きだす。

 少年は始めはおそるおそるといった様子で右腕をぶら下げていたが、やがてなんともないことに確信を持つと、ゆっくりとだが自然な形で腕を振って歩き始めた。


「やっぱり小さい子供はいいね。順応が早い。良い拾いものしたなぁ。私は運が良い。……ま、君にとっては不幸なことだっただろうけど」


 女性の言葉に少年は首を左右に振る。


「うん? 違うの?」


 女性は首をかしげてたずねるが、少年はすぐには応えない。

 うつむいたまま黙りこんでいる。

 いや、小さな声で何かを口にしていた。


「んー? なーに? 聞こえないよ」

「……ありがと。たすけてくれて」

「……あらら、健気だなぁ。やっぱり私は運がいい」


 満足げな彼女の様子を、少年はなんとも複雑な表情で見上げていた。

 二人がそのまましばらく進むと、やがて道が開いた土地へと行き着いた。


「さぁ、ようやく目指してた村に着いたよ。これで少しは休めるかな? って、あぁー……、これはまた……」


 そこは、家屋が十軒と少し建ち並ぶ程度の小さな集落だった。

 しかし、その集落に人気はなく、少年から見ても明らかな異変に支配されていた。

 家屋の全てが、色鮮やかな石のようなものに覆われていた。

 赤。緑。橙。青。その他種々様々で明るく鮮やかな色たちが、まるで勢力争いでもしているかのように複雑に絡み合い、奇妙な立体模様を描きだしている。

 それらが家屋の壁面や屋根を土台にした形状をしていることから、辛うじてそれが家だったのだとわかる状態だった。


深化しんかがずいぶん進んでるね。これはもう、半年くらい経ってるかな……」


 女性は色とりどりの石に覆われた壁面に手を触れる。

 ぽろぽろと簡単にその石は崩れ、地面に落ちていく。


「ほら、ちょっとお勉強の時間。触ってごらん」


 彼女に云われ、少年はおそるおそる近づく。素手で触ることはためらわれたのか、義腕の右腕をその石壁へと伸ばした。

 おっかなびっくりに軽く触れてすぐ手を離す。もう一度、今度は慎重に、ぐいと指先を押し込んだ。

 右腕の力が少年の想像以上に強かったのか、腕は簡単に石壁を貫き、そのまま向こう側まで突き抜けてしまった。

 少年は慌てて腕を引き抜く。ぽっかりと空いた穴が残される。彼はその中をおそるおそるのぞき込んだ。

 穴の内側は全てが色鮮やかな石で覆われ、この辺りの村でよく使われる石積みの壁はわずかな痕跡も見当たらない。そして、中に覗く室内もまた、全てが色鮮やかに染め上げられていた。


「このカラフルな石もね、実は君たちの云う深層の眷属の一種なんだよ。小さな小さな生き物が無数に寄り集まってこんな姿になるの。彼らは長い年月をかけて、人が築き上げた物の全てを喰らい尽くす。そして、最後には自分たちも崩れ去って別の場所へと移っていく。この村も、もうこうなってしまったらあと数ヶ月もすれば何もない更地になるだろうね。それから草が生い茂り、木々が生えて森になる。人がいた痕跡なんて一切見つからない深淵しんえんの森になっちゃうんだ」


 少年は彼女の云っていることの意味が半分もわかっていなかった。

 ただ、今目にしている光景が見た目の通り鮮やかで美しいだけなのではなく、何かが失われていく途中の、少し悲しいものであるということを直感的には理解していた。


「残念だけど今日も野宿だね。コイツらは別に、少しくらい触れたところで人体に悪影響はないけれど、寝ている間に服に穴を開けられちゃったりしたら嫌だし」

「……運がいいんじゃなかったの?」

「うぐ……。まぁ、こんな時もあるよ。浅瀬とは云え、ここは深樹海の中なんだから」


 女性は苦笑いを浮かべる。

 二人はその色鮮やかな村の跡を通り過ぎ、再び次の街道へと進んでいった。

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