第20話 戦いの傷痕

 気動列車は再び緊急停車した。

 その頃には竜巻はすっかり解けていた。晴れ渡った空の下に、強風によって多くの傷痕きずあとを残した大地が広がる。

 身体の力がまだ戻らないレイフはフィリスの手を借りて、なんとか動力車の上から降りた。

 下に降りた三人を出迎えたのは白髭機関士とヒンガル人技師のセンセイだった。彼らは緊張した面持ちでレイフたちに視線を送っている。


「もしかして、あんたらがあのバケモノを退治してくれたのか?」


 白髭機関士がためらいながらたずねる。

 レイフにエクア、そしてフィリスは互いに顔を見合わせ、そして笑った。


「えぇ、そんな感じです」


 レイフの一言に、彼らの表情が緊張から驚愕きょうがく、そして歓喜へと移り変わった。


「お、おぉぉっ! ようやってくれた! あんたらは俺たちの命の恩人だ」


 彼は大きく武骨な機関士の手でレイフの肩を叩き、そして三人まとめて抱擁ほうようした。


「いえ、僕たちにとっても命がかかってましたから。でも、なんとかなってよかったです。ただ、一号客車は……」

「客車の方は、今若いのに見に行かせてる」


 そう話していると、ちょうど駆け足で若い機関士が戻ってきた。


「どうだった?」

「車長。一号客車はメチャクチャです。ただ、どうやらお客は皆、三号客車に避難していたみたいで……。車掌と一緒に乗客リストを確認しましたけど、少なくとも普通客車は全員無事です」

「おぉ、それはよかった。しかし、何でまた三号客車に……?」

「どうも、気の利いた白衣官と軍人の方が呼びかけたみたいですね。詳しいことまでは聞く暇がなかったんですが……」


 レイフはその報告を聞いて内心胸をなでおろした。どうやらトールスは上手くやってくれていたようだ。


「あれ、機関士のお兄さん。傷だらけじゃん。大丈夫?」


 若い機関士は鼻先に大きな切り傷を作っていた。吹きでた血を無理矢理拭ったせいで、顔中に赤みをおびた汚れが広がっている。その他にも、着ている作業着がところどころけ、まだ傷口の開いた皮膚があらわになっていた。


「あー、これはその。機関室にも深層の眷属が飛び込んできたもので……」

「俺たち二人が気動列車の制御にかかりっきりだったからな。その間、コイツが戦ってくれてたんだ。おかげで、気動列車も俺たちも無事でいられたって訳だ」

「へぇ、格好いいじゃん。こんなところにも英雄が一人ってヤツだね」

「いや、あんな化物倒した人らに比べちゃ全然大したことないっすよ……」

謙遜けんそんする必要ないって。ほら、ちょっと見せて。治療してあげる。ねぇ、フィリス。さっきの貸してくれない?」


 そう云って、エクアはフィリスから傷薬と布地を借りると、その若い機関士の傷の手当てをはじめた。


「あた、あたたた……っ。お嬢さん、痛いっす」

「ほら、動かないで」

「エクア。もうちょっと優しくしてあげて。その薬、けっこう染みるからさ」

「そうなの?」

「いや、ありがとうございます。なんか、光栄です」


 そう云って、若い機関士は頬を赤らめた。


「あぁ、そう云えば、もう一人治療が必要な人がいたっけな。どうです殿下。一緒にやってもらいますかな」

「結構だ。医薬品くらい、こちらにも用意がある。まったく、深層の眷属どもめ……」


 白髭機関士の問いに応えたのはエーメリック皇太子だ。彼は衛士を引き連れて機関室の方から現れた。

 彼の美しい顔立ちも傷だらけになっている。それを見られまいと、彼は腕で顔を隠しつつそっぽを向いていた。


「ぷぷ、色男が台無し……」


 エクアが声を潜めて笑い出す。


「女白衣官。深層の眷属討伐の功績がなければ、貴様は不敬罪で断罪しているところだ。まったく忌々しい。機関士、ともかくこれでクランツ・クランまではたどり着くことができるな?」

「各車両の安全点検とこの先の線路の状況を見ながらにはなりますが。次の駅まではなんとかします。しかし、一号客車の損壊も酷いんで、途中で多少なりともちゃんとした点検と整備が必要でしょうな」

「ふん、この際は仕方ない。それでは職務にはげんでくれ、余は客車に戻る」

「あの、皇太子殿下。ひとつよろしいですか?」

「なんだ」


 レイフの言葉にエーメリックは振り返る。


「あの深層の眷属、L.D.D.はどうしましょう。今は動かなくなっていますが、死んだのか、ただ気絶しているだけなのかは判別がつきません。最悪、すぐに起き上がって再び暴れだすかもしれません」


 その説明に、エーメリックはしばらく考え込む。


「いや、下手にとどめを刺そうとして藪から蛇がでることは避けたい。非情ではあるが、今はクランツ・クランを目指すことが最優先だ。それが、より多くの帝国民を救うことにつながると、余は確信している。それに、貴様たちのその様子では、とどめを確実にさすだけの余力もなかろう」

「はい。それはご推察の通りです。それに、アレが遺体であった場合。本来は調査や処理のために解体、輸送が必要ですが、今の我々にはそのような人手も時間もないでしょう」

「ならばやはり、放置するほかあるまい。この地に住まう者たちには申し訳が立たぬが、神の加護を祈るしかないな」

「ありがとうございます。お引き留めしてしまい失礼いたしました」

「よい。あぁ、そうだ。貴様たち、名は何というのだ。気に食わぬが、今回の件。貴様たちが英雄であることには変わりない。余生で武勇伝を語る時のために覚えておこうと思ってな」


 レイフとエクアは驚きながら顔を見合わせる。


「レイフ・ブルーウィルです」

「ブルーウィル? どこかで聞いたことがあるような……。まぁよい、そこの女白衣官。貴様は」


 エクアはしばらく名乗ることをためらった挙げ句、諦めたように口を開いた。


「……エクアです」

「それだけか? 姓はなんと云う」

「―――フィースライト」


 突然ガタリと物音がした。エーメリックが後ずさろうとしてつまづき、激しく転んだせいで。


「ど、どこかで見た面影だとは思ったが……。まさか、貴様、ニナリア・フィースライトの血縁か!?」

「そーです。その節は、うちのお姉ちゃんがお世話になりました」


 エクアは開き直った様子で応える。

 その返事に、エーメリックの目尻と頬が激しく痙攣けいれんする。


「まったくなんて日だ。頭が痛くなってきた。余は客室に戻る……」


 力が抜けた様子のエーメリックは、衛士に支えられながらその場を後にした。

 あれほどの動揺を引き起こさせるエクアの姉とは一体どんな存在だったのか。レイフは好奇心がわき上がるのを感じながらその背中を見送った。


「何にせよ、あんたたちは本当によくやってくれた。あとは客車でゆっくり休んでくれ。ここからは俺たちの仕事だ」


 白髭機関士の言葉に、レイフたちはうなずく。


「そう云えば、実は深気の入った容器、一つ開けてしまいました。どうしても必要だったので」

「あぁ、あれはアンタたちの仕業か。計器で気づいていたよ。まぁ、一本くらいなんてことはない。ちょっとばかり、こっちの人たちに汗水垂らして石炭を運んでもらうだけさ」

「ま、命あってのなんとやら。その程度で済むことだ。気にせんでくれ。ここからは俺たちの腕の見せ所だ」


 白髭機関士の言葉に、若い機関士も拳を握りしめてうなずく。


「今はこんな物しかないが、よかったら食べてくれ。ちゃんとした礼は、今度改めてするつもりだがね」


 センセイは控え室から引っ張り出してきたバスケットをエクアに手渡した。

 中を覗くと、燻製肉の塊と瓶詰めのワイン。大ぶりに切られたバケットが入っている。


「ありがとう。動いてお腹が減ったし、遠慮せずいただくね」


 礼を云い、レイフたちも三号客車へと戻る。

 途中、一号客車の様子は改めて見ても酷いものだった。

 客車の枠組みと土台以外はほとんど原型を留めていない。乗客は無事だと聞いたあとでもぞっとする光景だった。

 三号客車にたどり着くと、一号車とはこれまた違った驚くべき光景が広がっていた。

 その原因となった人物を見つける。


「トールス。これはまた、ずいぶんと立派な要塞ですね」

「あぁ、要塞フィグネリア出張所だ。ちゃんと役目は果たしたよ。片付けの事までは考えてなかったがな」


 護身用なのか、モップを握りしめたトールスが応じる。

 二つの客室を中心とした防御陣地。

 他の客室から引き剥がしてきたであろう客席やクッションが積み上げられ、隙間や窓を何重にもしたカーテンやどこからか引っぺがしてきた木の板などでふさいでいる。その内側では、各客車の乗客であろう人々が、堅牢な陣地の解体にいそしんでいた。

 小さな子供のいる家族連れ。出稼ぎ風の若者。老夫婦。軍人風の男たち。そして、レイフたちの見張り役である白衣官たち。老若男女問わず、皆が自分のできることにはげんでいる様子だった。

 彼らは皆元気そうだったが、激しい戦いの後を示すように足元には何体か歯飛魚ヒネタウアの死骸も転がっている。


「嵐が止んだって事は、ちゃんと敵を片づけたってことだな?」

「えぇ、死んだのか気絶したのか。今のところは大人しくしてます。このままさっさと逃げる算段ですよ」

「そりゃ結構。こっちも、幸い怪我人はでてねぇよ」

「見事な指揮官ぶりですね。さすがは軍曹殿。ご褒美にこれをあげましょう」


 レイフはバスケットからワインの瓶を取りだし、トールスへと手渡す。


「うぉっ、何じゃこりゃあ」

「あれ? 好みに合いませんでしたか」

「ちげぇよ。チェニスター・ミランダ酒造の三十年物じゃねぇか。お前、こんな物どこからくすねてきたんだよ」

「盗んでませんよ。化物退治の報酬です。高い物なんですか?」

「高いなんてもんじゃねぇよ。俺やお前の給金じゃ、まる一年かけても買えやしねぇ代物だぜ」

「へぇー、そうなんですか。どうやら、気動列車技師の給料は本当に高いみたいですね……。ま、それなら大事に味わってください」

「……お前って、本当に欲がないのな。それともこれの価値がわかってねぇのか?」

「お酒に興味がないだけですよ。あ、エクアとフィリスは」

「私もべつにー」

「私も職務中ですので」

「お前ら、ほんともったいねぇなぁ。まぁいい。それならありがたくいただくとするか。おーい!」


 トールスは片づけにいそしむ乗客たちを呼び集め、何やら酒盛りの算段を立て始めた。

 いったん彼らは散り散りになったかと思うと、皆がそれぞれに持ち込んでいた食べ物や飲み物を持ち寄り、防御陣地の中心であれよという間に酒盛りが開催され始める。


「それじゃあ、深層の眷属を退治した英雄たちに。そして、勇気を持って立ち向かった只人の俺たちに、―――乾杯ッ!!」


 トールスの音頭に合わせて、彼らは祝杯を挙げる。

 レイフたちもその輪に加わり、戸惑いながらもざっくばらんな食べ物と飲み物で疲れきった身体を癒やした。

 それにしても、トールスはいつの間にこれほど乗客たちと意気投合したのか。

 戦いという共通の試練が互いをそうさせたのか、あるいはトールスの人柄か。

 自分が彼と一緒にいる経緯を考えれば、後者である可能性は十分に高いような気がした。

 そんなことを考えながら、レイフは極上の酒に酔いしれるトールスの姿を眺めていた。

 ささやかな祝宴が参加者大半の泥酔により終わりを告げた頃。動力車から汽笛が響きわたり、気動列車は本日三度目となる出発を告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る