第26話 ミレミラと祖母

 配給の列に並ぶ人がいなくなったのは、それから一時間ほどかかったころだった。


「やっと終わりか? 久しぶりの重労働はこたえるぜ……」

「トールスは元軍人のくせに情けないねー」


 額ににじんだ汗をぬぐいながらエクアがからかう。


「うるせ。慣れないことすると気疲れするんだよ。お前こそ、そんな細い身体で本当にちゃんと働けたのか?」

「私の身体は引き締まってるだけだからね。意外と筋肉あるよ? 触ってみる?」

「左耳ピアスの女の身体には興味ねぇよ……」

「だろーね」


 笑うエクアにため息をつきながらトールスはその場に重々しく腰をおろした。


「あらほんと、意外と硬いお腹ね」

「きゃっ!? ちょっと、リラさん。後ろから急にもまないでよ。びっくりするじゃん」

「でも、もっとたくさん食べなきゃだめよ? そうしなきゃ、丈夫な子供は産めないわよ」


 自身も中々豊かな身体つきを誇るヒンガル人の婦人リラは、そう云ってぴしゃりとエクアのお尻を叩く。再び上げたエクアの小動物のような悲鳴を聞きながら、トールスは腹を抱えて笑っている。


「あなたたち本当にお疲れさま。おかげで助かったわぁ。うちの男連中は、ほんと文句ばかりで全然働かないんだから。お腹すいたでしょ? ちゃんとあなたたちの分取っておいたから、よかったら食べてちょうだい」

「いいんですか?」

「もちろんよ。世の中、働いた分の対価をもらって罰をくだす神様なんていやしないんだから。それに、これからミレミラがずいぶんお世話になるみたいだしね」


 リラは、レイフの目を見ながら複雑な心境を表情ににじませる。


「あの、事情はどの程度ご存じなんですか?」

「なーんにも。あの子、全然私たちには話してくれないのよ。すごく賢い子だから、全部自分の中で考えて決めてしまうのね。だから、本当なら私たち大人がやるべきこととか、もっと手伝ってあげられることでも、いっつも気づくのに遅れちゃう。それで結局あの子に甘えてしまうの。悪いとはわかっているのだけれどね……」

「確かに、本当に凄い子だと思います。僕よりもいくつも年下なのに、ずっとしっかりしているようにすら思えます。どうしたらあんな子に育つんでしょうね」

「それはもう、小さい時から厳しくしつけられてきたのよ。何と云っても、あのクルクレア様のお孫様だからね」

「クルクレアというのは、彼女のおばあ様のことですか」

「そうよ。クルクレア・オーランド様。私たちヒンガル移民にとっては伝説にも等しい御方。これまでの歴史で、この帝国フィードレフの、帝家や教皇庁と唯一対等に立ち回ることができたヒンガル人ね。あの方がいなければ、もしかしたら今でもフィードレフとヒンガルは、宗主国と植民地の関係が続いていて、私たちは移民じゃなくて奴隷としてこの地に根付いていたかもしれないわね」

「それほどの方なんですか。あれ、でもちょっと待ってください。フィードレフとヒンガルの歴史で云えば、両国の関係が現在の形に落ち着き、形式上同盟国となったのはもう百年も前のことのはずですけど……。年代が合わなくないですか」

「そうなのよ。不思議よね。でも、私のそう祖父母そふぼからもそう教わったわ。失礼があってはだめだって、まるでしきたりみたいに繰り返してたからきっと本当のことなのよ。何十年たってもお姿が変わらないクルクレア様を見れば、誰でも信じてしまうわ」

「はぁ、想像以上に凄い方の血族なんですね。でも、僕のこれまで教わってきた知識の中では名前を聞いたことすらありませんでした」

「それはもう、教皇庁の人たちが禁忌としていることの第一人者だからじゃないかしらね。そんな人のことを凄いってふれ回る義理はないでしょ? 市井の人たちはほとんど知らない。でも、帝国の上の人たちは要注意人物としてよく知ってるんじゃないかしら」

「なるほど……」


 レイフは、ミレミラが自身の祖母が詐術の第一人者であると云っていたことを思い出す。

 教皇庁が詐術クラックと呼び、異端とするヒンガル人の修行法。そこから生みだされるさまざまな事象。

 しかし、その行使に必ず神遺物カタリストが必要な神術と異なり、無から有を生みだす詐術は教皇庁の管理下に置くことが非常に難しく、それ故に過剰なまでに危険視されている。

 気動列車の技師であったセンセイのように、社会において決められた場で決められた術を行使する場合を除き、詐術の街中での使用は基本的に重罪として罰される。

 そんな文化をもった民族の管理方法の一つが修行者の隔離。居住区の制限だ。

 教皇庁としては、本来であれば根本から排除したい存在であるのだろうが、両国の外交関係や利害関係者の思惑といった様々な事情を経て現在の形に落ち着いているのだろう。


「ちなみに、おばあさまの年齢の話がありましたが、ミレミラの方は……」

「あぁ、あの子は見た目通りよ。十といくつくらいだったかしら。御母様も早くに亡くなられはしたけれど普通に歳を重ねてらしたから、きっとクルクレア様だけが特別なのね」


 あの見た目で実は年上などという事実があると今後の接し方に非常に苦労しそうだったが、どうやらその心配はないようだった。


「レイフー。ごはん、持ってきてあげたよ」


 リラとの話が一段落したのをまるで見計らったかのように、ミレミラがトレイを両手に抱えてやってきた。


「お、ありがとう。じゃあ、一緒に食べようか」

「うん」

「それにしても、ミレミラ。ずいぶんとこのお兄さんのこと気に入ったのねぇ。人見知りはしないけど人にくっつかないアンタにしては珍しい」

「んー、そう? そうでもないと思うけど……。なんていうかさー、レイフは似てるんだよね。ボクのじーちゃんに」

「ミレミラのおじいさん?」


 意外な答えにレイフは思わず問い返す。


「そ。髪と目の色がねー。珍しいよね。黒混じりの銀髪に、赤い眼って。レイフのおとーさんやおかーさんもそうだったの?」

「さぁ、どうだろ。覚えてないんだ。小さい頃に二人とも亡くなっちゃったから」

「ありゃ、やぶ蛇……」

「気にしてないから大丈夫だよ。そのあと、ちゃんと育ててくれる人に出会えたからね。ミレミラのおばあちゃんに負けないくらい、しつけの厳しい人だったけど」

「えっ、どんな人? 聞かせてよ」


 二人が和やかに会話する様子を、リラは半分安心したように、半分は寂しそうに見守っていた。それは、もうすぐ訪れるミレミラとの別れを前にして、彼女なりに心の整理を行っているのだろうか。

 クルクレアの失踪後、まがりなりにもミレミラの保護者役を引き受けてきたリラが、教皇庁の計画にまつわる何もかもを知らされていないということはなかった。事前に白衣官により、機密に触れない範囲で事情を知らされ、無用に騒ぎたてず事が穏便に進むように配慮がなされていた。

 彼女が知っているのは、ミレミラが命をかけて戦場におもむくと云うこと。その恩恵により、このキャンプにいる全ての避難者が十分な支援を受けられること。

 ミレミラの才能を知るリラが、戦場なんて無理だと止めることはできない。現に、戦場を一番理解し、深層の眷属を一番理解し、一人の死者も出さずにこのキャンプにいる人々を逃がしきったのはミレミラ本人だからだ。

 そして、そんな彼女の使命感によって与えられる未来の恩恵を振り払ったとして、今後どうしていけば皆が食いつないでいけるかという知恵を彼女は持ち合わせていなかった。

 結局、今回もミレミラの賢さに甘え、強さに甘え、見て見ぬふりをしてしまうことになるのだ。

 もし、ミレミラが彼女の本当に血の繋がった娘であれば、理性と感情のバランスが違っていたかもしれない。

 しかし現実はそうではなかった。だから、リラはミレミラを送りだすための気持ちの整理にだけ努力を費やしていた。

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