第10話 左耳ピアスの少女

「おっ、ようやく起きたか」

「……トールス?」


 レイフが目を覚ますと、そこは見慣れない狭い空間の中だった。

 身体が不規則的にゆれている。めまいかと思ったが、落ち着いてみると床がゆれているのだとわかった。

 木の床にわらが敷かれ、弧を描いた布の屋根が頭上をおおっている。視線の先には小さく切り取られた外の景色、濃い霧で覆われた真っ白な景色が目に入った。


「荷馬車……? 僕たちは、どうしてこんなところに。この馬車、どこへ向かってるんです?」

「いや、それが全然わからんのだな」


 トールスは小さくあくびをしながら応え、自分のおぼえている限りの経緯けいいを説明してくれた。

 どうやら二人の治療が終わった後、ひと眠りしたところで記憶はすっぱりと途切れているらしい。

 レイフは起き抜けの冷え切った身体を身震いさせた。

 荷馬車の中にも霧の香りがたちこめていた。

 湿気をたっぷりと含んだ冷気は身体の体温をことごとく奪っていく。


「平然としているので全部承知の上なのかと思いましたよ」

「昨日はずいぶん酷い目にあったからな。もう、これくらいじゃ驚かんぞ」

「こうして誘拐されたとしてもですか」

「どうせ白衣官の連中だろう。なら、向かう先はひとつしかない」

「西……ですか」

「残念ながら、東にのぼっているであろう朝日は見えないがな」


 霧でおおわれた世界は闇に閉ざされているわけではない。白く、光の存在する世界であった。つまり、すでに日が昇りはじめているのは間違いない。


「しかし、長い時間眠っていたみたいですね、二人とも。酒場を出たときでもまだ日付は変わってなかったはずですよ」


 レイフは黒衣の中から懐中時計をとりだしながらつぶやいた。時計の針は七時少し前を示している。


「塗られた薬に何か盛られたんじゃないだろうな。この身体の妙なだるさもそのせいじゃねーか?」

「まぁ、痛み止めに使われる麻酔のたぐいも、使いようによっては眠り薬になりますし」


 互いに座りこんだまま、どうにも動き回るような元気はなかった。

 もちろん逃げたからといって事態が何か好転する保証もないし、当てもない。であれば今のところは、何か変化が訪れるまで身体を休めることが得策のように思われた。


「それにしてもレイフ。もう大丈夫なのか?」

「なにがです?」

「なにがってお前、神術使った途端にぶっ倒れやがって。運ぶの大変だったんだぞ」

「そうなんですか? ありがとうございます。べつにそんなに大げさな話じゃないんですが、その、ものすごく疲れるんですよ、アレ」

「なんだ、それだけか」

「今回は久しぶりなこともあって特にひどかったんです。なんていうか、空腹だとふらふらになるじゃないですか。そこから一晩徹夜して、さらに眠たい頭で長距離走を走りきった後くらいのしんどさです」

「いや、俺そんな苦行くぎょう試したことねぇし、わかんねぇよ」

「あれ? トールスは軍人だったんですよね……」

「いやいや! なんで不思議そうな顔してんだよ。お前の中の軍人像ってどうなってんだ……。まぁとにかく、それなら今も腹がへってるんじゃないか。あれから結局、俺たちは何も食べてねぇからな」


 トールスの問いに、レイフの腹からくぅ、と狙い澄ましたような音が鳴った。


「お前、器用だな」

「わざとじゃないですよ。でも、思い出したら空腹感がひどいことになってきました。吐き気がするくらいお腹減ってます」

「それはわかるわ。腹減りが一周するとそうなるやつな」

「うーん、僕はもうダメです。ご飯ができたら起こしてください……」

「俺はお前の母親かよ」


 レイフは糸が切れたかのように藁の敷かれた床に勢いよく倒れた。荷台に敷かれた藁が舞い散り、二人の顔に降りかかる。


「ぶへっ、馬鹿、お前、気をつけろよ……。って、何やってんだ?」


 倒れたレイフは何かを口にくわえ、草食動物のごとく咀嚼そしゃくしていた。


「藁じゃねぇか! こら、やめとけ。馬じゃねぇんだから」


 驚きながらその藁を引っこ抜く。しっかりと噛み跡がついたそれを、トールスはあきれた目で見ながら馬車の後方へと放り捨てた。


「それにしてもホント、どこに向かっているんですかねぇ。仮に、西に向かって走り続けているとすれば、目指す場所はチェニスター辺りですかね」

「チェニスター? なんでわざわざそんなところまで。あそこは農作物の運び入れをするくらいしか用のない街だぞ。そりゃあ、このまま馬車で行くにはクランツ・クランは遠すぎるが。気動列車の駅なら帝都エクスガムにあるだろう」

「だって、ご飯が安くて美味しいじゃないですか」

「お前の願望かよ……」

「でも案外、人目を避けるためという意味であれば、手頃な位置関係だと思いますよ。彼らが僕たちを羊だとして扱うのであれば、深樹海へ出るまではいろいろと気をつかうでしょうから」

「なぁ、そういえばちょっとした疑問なんだが。俺は羊なのか?」

「えっ」


 トールスの問いかけに、レイフはうなりながら考え込む。


「どうなんでしょう。そもそも、何がどうしたら羊だって定義は存在しないでしょうし……、今回の計画の参加者は羊なんじゃないんですか?」

「もっとこう、教皇庁特有の価値観みたいなのはねぇのか? 生贄にわざわざ隠語を使うくらいなんだからよ」

「僕は下っ端なので、その辺りの話はなんとも……。まぁでも、確かにトールスは羊というよりは同行者って感じですから、羊じゃなさそうですね。山羊ヤギくらいでどうでしょう」

「違いがわからんし、なんも嬉しくねぇな……」


 トールスはため息をつく。二人はそれからしばらく、黙りこんで暇を持てあましていた。

 半刻ほどすぎた頃、馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて旋回をはじめた。

 後方の景色にちらりと門のようなモノが映った。どこかの敷地に入っていくようだ。

 外から小さな声で会話が聞こえたが、内容までは聞き取ることはできない。


「二人とも外へ出ろ」


 現れた白衣官は、夜通し行軍の疲れを顔ににじませていた。この馬車の御者か、あるいは馬にでも乗って見張り番として同行していた者だろうか。

 眠りこけながら運ばれてきた自分たちに比べればずいぶんな苦労だと、レイフは内心同情した。

 ひさしぶりに腰をあげたせいでふらつきながらも二人は馬車を降りる。

 周囲を見渡すと、いつの間にか霧は薄まりつつあった。はるか遠くまでは見通せないまでも、近場の建物などの景色を確認することができる。

 そこはレイフの予想通り、地方都市チェニスターに存在する気動列車の駅だった。

 ただ、駅とは云っても駅舎のようなものはほとんど無く、ホームは野ざらしにされている。敷地内に建てられた穀物集積用の赤レンガ倉庫の方がよほど立派なくらいだ。

 早朝の駅には客車七両編成の気動列車が西に向いた状態で停車している。

 その列車はレイフたちを待っているかのように、周囲に人々の往来はなかった。


「すぐに発車する。さっさと中に入れ」


 白衣官は列車をアゴで指す。


「なぁ、その前に朝食にしないか? アンタも腹減ってるだろう」


 トールスの軽口に、白衣官は充血した目でにらみ返すだけだった。

 どうやらこの面倒な仕事をさっさと終えて休みたいということらしい。

 苛立つ白衣官に追い立てられ、空腹に腹をおさえながらレイフたちは渋々ホームへとあがった。

 先頭の動力車を除くと、前の五両は一般的な長距離移動用の客車だ。一方で、最後尾の二両は見るからに豪華な外見をした特別仕様である。

 さっきにらまれたことでこりたのか、うらやましそうに特別車両を眺めるトールスが何かわがままを口にすることはなかった。

 レイフたちは当然のことながら普通の客車、前から三両目に通された。

 客車の中は進行方向に向かって左側、ホーム寄りの側が通路になっている。その反対側にずらりと客室が並んでいる形だ。

 通路を歩きながら扉の開いた客室を覗いてみるが、ほとんどが空室だった。今の情勢で西へと向かう人はほとんどいないということだろうか。

 車両の前後の出入り口には各二名ずつ白衣官が立っており、明らかにレイフたちを監視している。あまり好き勝手に動き回れる雰囲気ではなかった。


「まぁ、特上とは云わねぇが、荷馬車にくらべりゃ天国だな。よく眠れそうだぜ」

「まだ寝るつもりなんですか」

「どうせそれくらいしかすることがねぇだろう」


 そう云われてしまうとレイフも返す言葉がない。

 客室は長椅子が向かい合わせになっているだけの単純なものだが座面と背もたれはソファ地になっており、確かに藁を敷いた馬車の荷台よりは居心地が良さそうだった。


「十三号室に入れ。いいか、変な気を起こさぬよう大人しくしておけよ」


 くたびれた様子の白衣官が険の強い口調でつげる。

 小さく肩をすくめたトールスが部屋の中に入ろうとした瞬間。彼はその入り口で凍りついたように立ち止まった。


「……おい、レイフ。お前、先に行け」

「なんです? 一体」


 脇から中を覗きこむと、どうやら先客がいるらしかった。

 ひとりの少女だ。年齢はレイフと同じくらいか、少し低いか。おそらく十代半ばくらいだろう。

 まず目に入るのは長いプラチナブロンドの髪。そして、その合間から覗く耳につけられたピアスやカフスなど装飾品の数々。

 ぱっと見える範囲でも、すいぶんと数が多い印象だった。

 こちらに気がついた彼女と視線が合う。切れ長の目におさまるエメラルドグリーンの瞳が、まるで獲物を狙う猛禽類のように鋭くこちらを見て止まった。


「おい。左耳ピアスの女だ」

「は?」

「だから、左耳ピアスの女がいるって云ってるんだよッ」


 トールスの言葉の意味がわからずレイフは困惑する。

 しかし、トールスは真剣そのものと云った表情でレイフに非常事態を訴えていた。声こそ小さく抑えているものの、その声色は鬼気迫っている。


「見ればわかりますよ。確かに、結構攻めてるオシャレですけど……」

「俺、左耳ピアスの女はダメなんだ。特に、三個以上付けてる人間に近づくと発作が……」

「馬鹿云ってないで早く入ってくださいよ。後ろで白衣官がにらんでるんですから」


 レイフが右腕に力を込めてトールスの背中を押す。抵抗もむなしくトールスの身体はバランスを崩し、そのまま少女の向かい側の席に突っ伏した。

 慌てて身を起こした彼は明らかな挙動不審で、一層少女の注目を集めてしまうという悪循環におちいっている。


「何? この人……」

「ごめんね。ちょっと人見知りがあるみたいなんだ。気にしないであげて」


 少女の問いに、レイフは頭をさげて謝りながらトールスの隣に腰かける。


「ほら、トールス。いつまでもふざけてないで。いくらなんでも失礼ですよ」

「馬鹿! お前! これがふざけているように見えるかよ! やべぇよ。どうしてこんなところで左耳ピアスの女が」


 確かに、改めてトールスの顔を見ると額には脂汗あぶらあせが浮いており、顔色も気持ち青白くなっている気がした。

 まぁ、寒い馬車の中で一晩を過ごしたのだから、少しくらい体調が悪くなっているのも仕方がないだろう。


「左耳にピアスをつけている人なんて帝都にいくらでもいるじゃないですか」 

「いくらでもはいねぇよ! おまけにエメラルドグリーンの目に、プラチナブロンドの長髪。切れ長の眼差し。華奢きゃしゃな身体つき。全部揃ってるなんて、ロイヤルストレートフラッシュかよ!」

「そういう子が好みなんですか? レジーナとはちょっとタイプが違いますけど。トールスは気が多いですね……」

「ちげぇよ! やばいんだよこの組み合わせはッ」


 騒ぎ続けるトールスに、レイフはどうしてものかと困り果てていた。そんな二人を、少女はじっと観察している。


「ねぇ、おじさん」

「おじっ……。な、なんだ?」

「おじさんが騒いでいる人って、もしかしてニナリア・フィースライトって名前じゃない?」


 その名前を聞いた途端、きゅぅーんという何とも間抜けな音がした。

 レイフが音の方へ振り返ると、トールスが白目を向いて失神している。


「一体、なにがどうなって。その、ニナリアさんっていうのは……」

「私のお姉ちゃんの名前。姉妹で一番上だからずいぶん歳は離れてるけど」

「じゃあ、もしかして君はトールス、この人と知り合い?」

「んーん、知らない。でも、このおじさんがどんな目に合ったかはだいたい想像つくよ。ごめんね。私のお姉ちゃん、帝都では有名な悪女だからさ。その人を責めないであげて」

「むむ、つまり、トールスの騒いでいたことは全部本当のことだった……?」

「たぶんねー」


 そう云って、少女はくすりと笑いを漏らした。

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