第12話(過去) エクアと姉の事情

「まぁ、少し話が長くなりそうだから、食べながらでどうぞ」


 エクアの勧めに、二人は勢いよくベーグルサンドにかぶりつく。

 口の中に広がるほどよい塩気。小麦の香り。そして、噛むたびにやってくる香ばしいベーコンの肉汁と卵のコク。

 普段食べるときにはまったく意識しない複雑な味覚が、五感すべてを通して感じられた気がした。

 二人で分けているということもあり、ベーグルサンドはあっという間に胃の中へと消えてしまった。

 空腹が満たされたわけではないものの、ようやくひと心地ついた気分で二人は大きく息をついた。


「……よっぽどお腹が減ってたんだね」


 エクアは笑いながらリラックスするように足を組む。


「私のうちもパン屋なんだ。たぶん、今食べたそれに負けないくらい美味しいよ。帝都に帰ったら食べさせてあげる」


 そう切り出して、エクアは語りはじめた。


 それは、今から三週間ほど前。

 要塞フィグネリアが陥落した直後、帝都の市民にはそのことがまだ伝わっていない頃のことだった。

 その日、帝都のとある広場は朝から人でにぎわっていた。

 周辺の商工会が共同して開催する市場祭マーケットフェスが開催されようとしていたからだ。

 フィースライト家も、参加者として焼きたてのパンを持ち寄っており、エクアも早朝からその準備を手伝っていた。

 エクアの両親が経営するパン工房は、近隣では中々評判の高い店だった。

 その理由の一つは、代々看板娘を務めてきたフィースライト家の女性に少なからぬファンがついていたこと。

 もう一つの理由は、店主を務めるパン職人の父親がひたむきにパンに向き合った結果に身についたパン作りの腕前。

 そして、最近さらに人気を増す要因となったのが、エクアの魅せるパフォーマンスにあった。


「エクア嬢ちゃん、うちは星形にしてくれ」

「はいはい、ちょっと待ってねー。“ラナ、ベリーショートレンジすっごい近め”で」


《隔離域展開》


 エクアは神遺物ラナイーダを使い、マフィンの端を器用に落としていく。

 あっという間に三つ重ねたマフィンが全て星形になった。

 エクアはそれらを丁寧に紙袋に包む。


「はいどーぞ。端っこも入れといたからちゃんと食べてね? 美味しいからさ」

「当たり前だよ。親父さんのマフィンはここいらではピカイチだからな。うちの娘も、嬢ちゃんの作ってくれる面白い形のパンをいつも楽しみにしてんだ」

「それはどーも。またよろしくねー」


 エクアのほどこすカッティングは、変わった形にくり抜いたり、様々な食材のサンドを美しい断面で魅せたりと、味で勝負する父の商品を一層引き立てる。

 気がつけば、今日の市場祭でもブースの前に人だかりができ、次から次へと注文が飛び交っていた。


《チャンバー内、残量10%以下です》


「ごめん、いったん休憩ね」


 エクアは額ににじんだ汗を手の甲でぬぐいながら、ブースの奥に引っ込むと椅子に腰をおろした。


「お疲れ、エクア。アンタも少しくらい遊びに行っていいのよ?」

「いーよ、別に。私は楽しんでるからさ。それに、今はお姉ちゃんたちもいないし、その分私が働かなくっちゃ」


 エクアの言葉に、母親はわずかに顔色をくもらせる。


「ホントに、ニナリアったらどこで何してるんだか……」


 エクアは四人姉妹の末っ子だった。

 次女と三女の姉は、すでに嫁いでおり家にはいない。

 残る長女のニナリアか、四女のエクアが婿養子むこようしをもらい、店の跡継ぎを迎えたいというのが両親の最近の願いらしかった。

 しかし、残念ながらその願いはすぐには叶いそうになかった。


「あの子はもう二十もとっくに過ぎたっていうのに、出戻った途端に別の人のところに居着いちゃうんだから。ご近所さんに、帝都一の悪女だなんて噂されてるのよ」

「この前は、帝国軍の偉い人と一緒に馬車に乗ってるところ見た人がいるんだって噂になってたねー」

「いい人をちゃんと捕まえてくるなら別にかまわないのよ。でも、相手を振り回して自分も振り回されて、いつまで続けてるつもりなのかしら」


 母親のため息にエクアは苦笑する。

 彼女にとっては優しくて大好きな姉である。確かに昔から、ちょっと悪戯っ気の強いところはあったが、それすらもエクアの中に親しみとして根づいている。

 エクアのファッションなどの趣味趣向にしても、ニナリアからの影響が色濃い。

 そんな姉が帝都中をさまざまな異なる男と飛び交っているという噂を聞いている間は、エクア自身が色事に積極的になる気が起きなかった。

 いつかもし、ニナリアが再び家に出戻った時に自分が嫁いでしまっていては姉を迎えることもできないだろう。

 あるいは、自分が婿養子をもらってなんかいたら、帰ってきた姉の居場所が家になくなってしまうだろう。

 次女と三女の姉は、長女のニナリアのことを何となく嫌っているようで、自分の代わりを任せることもできなかった。

 今頃姉はどうしているのだろうか。

 エクアがぼんやりと物思いにふけっていると、店先が妙に騒がしいことに気がついた。

 待たせている客がしびれを切らしたのかと思ったら、どうも違うようだ。

 近づいてみると、見慣れない高そうな衣服に身を包んだ壮年の男性と、ニナリアとエクアの間くらいの年頃の女性が一人。そして、二人の従者たちとおぼしき大量の付き人が背後に控えている。

 市場祭に集まっていた市民たちは、彼らから一歩引いた位置で不安と興味の入り交じる視線を向けている。


「だから、ニナリア・フィースライトという売女ばいたの家はここかと聞いている!」

「知りませんよ。うちにはニナリアという娘はおりますが、少なくとも売女ばいたとして育てた覚えはありません」


 エクアの母親が、男に対して毅然きぜんとした態度で云い返す。


「貴様。我がランクス家を前にして、小賢しい口を聞くか!」

「ふんっ、落ち目の大貴族なんて怖かありませんよ。それとも、ここであたしらを斬り捨てますか? そうなりゃ、アンタらは今すぐ終わりですよ」

「ぐぅッ……。娘に続き、母親すらも我がランクス家を愚弄ぐろうするか。よほど死に絶えたいらしいな!」

「何をいきなり。うちの娘が何をしたって云うんです」

「知らぬと云うなら教えてやろう。貴様の娘は、我が娘エリミラと第一皇太子アウストファリア殿下との婚約を奸計かんけいにより妨害したのだ。事もあろうに、あのニナリアという売女ばいたは、アウストファリア殿下を汚い手管で籠絡ろうらくしたのだ!」

「あの子ったら、ついにそんなところにまで……」


 エクアの母親はあきれ果てたようにうなだれる。

 しかし、エクアにはその声にどこか満足げというか、娘を誇る母親の気持ちが現れているように思えた。

 いくら男遊びにだらしない娘でも、次世代の皇帝候補を射落としたとなれば、その努力と成果は素直に認めざるを得ないということだろう。


「それで、あの子はどうなるんです? まさか、本当に皇太子こうたいしになれるとは思っちゃおりませんが……」

「当たり前だ! 高貴なる血筋に、そんな下賤げせんの者を交わらせる訳にはいかぬ。ニナリアという女は、我がランクス家を筆頭に貴族院が処刑の判断を下した。罪状は帝国の秩序を大いに乱し、世に騒乱を巻き起こした罪。そして、帝家に対して奸計をくわだて品位をいちじるしくおとしめようとした罪だ。しかし、捕らえようとしたところアウストファリア殿下を人質に城の塔へと逃げこもったのだ」

「それで、どうしてこちらに? あの子は親を人質にされたって、自分を曲げるような子じゃありませんよ。もう、二年も顔を見てないですからね」

「ふん、甘いな。親はそうでも、あの売女ばいたに弱点があることははっきりしている。そこの娘。貴様がエクアという名か」

「えっ。そうだけ―――、そうですけど……」

「なるほどな。確かに姉によく似た、売女ばいたの家系にふさわしい容姿だ」


 男はエクアに顔を近づける。

 男の粘つき生臭い息に、エクアは鼻をつまみたい思いを必死に耐えた。


「貴様を私のめかけにする。そして、泣き叫ぶ様を塔の前で見せつけてやるのだ。貴様の姉は、末の妹にずいぶんと執心しゅうしんしていたようだからな」

「誰がそんなこと―――」

「えっ、普通に無理」


 エクアの母親が抗弁こうべんしようとした瞬間、エクアは思わず本音が口から漏れたことに気がついた。

 周囲の空気が完全に凍る。

 ランクス家の当主の顔が、徐々に怒りで赤く染め上げられる。

 しかし、それでもエクアは自分の口にした本音をくつがえすつもりにはならなかった。


「そんなことしたらお姉ちゃんが悲しむし、お姉ちゃんが悲しむようなことは私はやらない。ましてや、私の身体はおじさんみたいな欠片もときめかない人には簡単にあげるつもりもないし」

「……貴様ぁッ! 姉妹揃って死にたいらしいなッ!」


 逆上した男は、とっさにエクアの首へとつかみかかった。

 さすがに予想外な乱れようにエクアは逃げ遅れる。

 男の両手がその細い首に触れようとした時だった。


《敵性行動確認。緊急隔離》


 エクアの手にしていた神遺物ラナイーダが声を発した直後、男の身体が一瞬跳ねた。

 つかみかかる勢いがぴたりと止まり、やがて力を失ったようにその場に崩れ落ちる。地面に転がったその身体は細かく痙攣けいれんしていた。

 エクアは慌ててわずかに距離をとる。

 直後に悲鳴があがった。


「お父様!」


 今まで父親の影にずっと隠れて一言も喋らなかったランクス家の娘。

 彼女は父親を抱き起こしながら、エクアを鋭くにらみつけた。


「よくも、お父様に手をだしたわね。この売女ばいた!」

「……うっさいなー。自分の男を寝取られたくせに、親の威を借りっぱなしだったヤツがいまさら何?」


 エクアが鋭くにらみ返すと、彼女は悲鳴をあげて身をこわばらせた。

 そんな彼女の姿を見ながらエクアは内心で、これなら自分の姉の圧倒的勝利だな、と第一皇太子の慧眼けいがんを大いにたたえた。

 見た目も中身も、自分の大好きな姉が目の前のえない貴族令嬢に負けているとは欠片も思えない。まぁ、年齢だけは例外だろうが。

 そんな愉悦にひたりながらも、自分がしでかした失敗の重大さは理解していた。

 ランクス家の従者たちが、腰に下げた武器に手をかけエクアを取り囲むようににじり寄ってきていたからだ。

 ここで暴れれば両親も、そして街の皆も巻き込まれてしまうだろう。

 それはエクアの本意ではなかった。


「はぁ、もうついてないな。抵抗しないから、別の場所で穏便にすましてくれない? せっかくの祭の日なんだからさ」


 しかし、相手はエクアの言葉に耳を貸すつもりはないようだ。

 同時に、ランクス家の娘が何か意味不明なことをがなり立てているが、それについても従者たちは反応する気はないらしい。

 先頭に立つ者たちが鋭剣をさやから抜き放った。

 その鋭い切っ先がエクアへと向けられる。

 エクアは迷っていた。

 本能は抵抗を求めている。しかし、理性がこれ以上の抵抗は周りの人へより悪い結果をもたらすと告げている。

 どちらに向かっても悪くなる。

 しかし、どちらか決断するしかないように思われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る