壱の章 旅立ちと出会いと

第1話

 乾いた空に、頬を打つ音が鳴った。



 衝撃に二歩、三歩と後ろに下がる。

 打たれたのは俺で、打ったのは眼前の初老の男だ。


「この屑が……! こんな簡単なこともできんのかっ!」


 見るからに激昂している男は更に二度三度、四度五度と手を振るう。おいおい、途中から平手じゃなくなってね?

 頬に頭に痛みが走る。しかし、いささか殴られ過ぎで痛覚がマヒしており感覚的にしたるダメージはない。そんな俺の様子に男は業を煮やしたのか、未だ小柄な俺の胸ぐらを掴み、地面に引きずり倒してきた。


「…………っ!」


 とっさに受け身をとったのだが、どうやらそれすら奴さんは気に食わなかったらしい。

 浴びせられるのは、方言強くてもはや何言ってるかわからない多分罵詈雑言の類。その意味のない言葉を聞き流し──背中に蹴りつけられる衝撃を覚えながら──俺はさっくり現実逃避を行っていた。


 こんな時に何故かって? いや、まともに相手してられないだろ、コレ。

 元より力の差は歴然。がっしりとした体格の男が、特に鍛えてもない子供を本気で蹴りつけてくるのである。あと数分もしないうちに気を失うだろう。

 いや、毎度のことではあるのだが。


 ……つーか、えらいことなったなー。


 体を丸めて地面に転がりながら、こそっと周囲を伺う。

 目に映るのは土の地面と深い緑の山々、そしてこちらの周囲を取り囲むように突っ立ている和装の連中だ。いや、実は俺も和装なんだが、明らかに俺が着ているものと質が違う。


 顔に侮蔑と嘲笑を貼り付け、何事かをグダグダと抜かしている。ま、どうせ一族の恥さらしだのなんだのと変わり映えのしないセリフだろう。


 とりあえず、そんな連中はどうでもいい。

 それより注目すべきは、その阿呆どもの横に控えるそれ・・


 赤銅色の肌。

 大人の二倍はありそうな背丈と、頑強な肉体。

 そして、額から突き出た二本角。


 どう見ても、鬼だ。


 他にも手足が異様に長い猿や、三本足の鳥──鴉じゃなくて鳩かよ──など、妖怪と呼ばれるような魑魅魍魎がうじゃうじゃしている。

 電灯という人工の光で浮かび上がるそれらは、どこか非常にアンバランスな存在に見えた。


 ……ここ、地獄じゃねえの? 状況はいろんな意味で地獄だが。


 いや、違うのは解ってるのだけどな。

 なにせ、本来は・・・俺も子鬼の一匹ぐらいは使役できるらしいからなあ。だが、実際はそれ以前の問題で、


「この……、出来損ないが!」

「っか!? はぁっ……!」


 思い切り背中を蹴られ、咳き込む。


「五月蠅い! 塵が口を開くな!」


 いや、単に咽てるだけなんですがー。

 また助走付きの蹴りを入れられ、だんだん視界が暗くなっていく。どうやら痛みと酸欠で、体が限界を迎えたらしい。

 やれやれ、やっと終わりか。よく飽きないね、こいつらも。


 に、しても。

 陰陽の名門だかなんだか知らないが……そもそも呪文やら祝詞やらの一つも教えてもらった覚えがないんだがなあ。


 いやいや、それより根本的な問題として、喋らずに呪文は唱えられないと思うのだが……そこんとこどうよ。

 いつも見よう見まねで何かをしようとしても、さっきみたく怒鳴られて物理で止めてくるからなー。


 ちなみに今回はよく解らない札を即興で作って呪術? を行使してみろとのことだった。いや、しらねえし。教わった覚えもねえんだが。


 あ、単なる八つ当たり?

 ですよねー。


 …………マジでやってらんねーな。







 目を覚ますと、俺の部屋でぶっ倒れていた。

 殴り蹴られた箇所もそのままに、文字通り部屋に捨て置かれたようだ。


 ……ったく、人生ハードモードすぎるね、これは。


 痛む体に鞭を打ち、部屋の隅に一応常備されている薬箱までたどり着く。

 箱の中には軟膏と包帯が幾つか。以上。

 最初この箱を開けた時は詰んだなこりゃと世を儚んだのは鮮明に思い出せる。しかし、今ではなくてはならない逸品だ。


 ……意外と効果高いよな、この軟膏。


 打ち身に切り傷、風邪の時には喉に塗ればあら不思議、数日と経たずに完治する。おかげで怪我→完治→怪我→完治と馬鹿みたいに繰り返しているが、まあ有難いことには変わりない。

 なくなれば補充してはくれるので、向こうもまだ・・俺に死なれては困るのだろう。


 それはともかく、さっさと治療して寝てしまおう。この部屋には照明などの光源は全くなく、月明かりのみが頼りだ。

 今は丁度月光が差し込んでいる。が、時間が経てば光が差さなくなり少々面倒なことになる。


 結びを解き、服を脱ぐ。

 軽い音と共に白の布が床に滑る。


 さて、さっさと済ませようかと軟膏を手に取り、


『やれやれ、今日も手酷くやられた様じゃな』


 頭に直接響いたウィスパーボイスに、一瞬だけ手を止めた。

 その声の主の気配は薄壁一枚挟んだ向こうから。どうやら、今日は起きているらしい。 


(いつものことだろ。いい加減気にもならないさ)

『お主は本当に気にしとらんから性質が悪いのう……』


 どこか呆れたような声色を聞きながら、軟膏を痛む箇所に塗りつけていく。

 ほとんど日を浴びていない真白の肌なのに、打たれたところは赤黒くなっており痛々しい。

 

 ……まったく、これが前世の・・・俺ならここまでボロボロにならなくても済んだのだがね。


 悔やんでも仕方のないことなのだが、そう思わずにはいられない。

 前の俺であれば、あのような爺相手なら拳一つで軽くぶっ飛ばせただろうが、今は流石に無理だ。

 なぜなら今は、


『しかしまあ、お主から諸事情・・・は聞いているとはいえ、傍から見れば凄い絵面じゃ。なんせ、大の大人達が揃いも揃って、斯様な小さき童・・・・に理不尽な力を振るっているのじゃから』

(ま、無駄にプライドは高そうな連中だからな。こんな山中で僕ちゃん達はすごいんだぞーって引き籠ってるだけはあるだろ)

『容赦ないの、お主』


 オブラートに包む意味もなく。

 ふと、今まで差し込んでいた月光が少し陰る。窓と言うより単なる通気口から見える空は、薄い雲に覆われていた。


(つっても実際、まだ八歳……だったか? そんな子供、しかもマトモに教育すらしてない相手に俺TUEEEEとか。正味哀れにも程がある)

『なんで己の歳で疑問系になるのじゃ。というか一番哀れなのは、そんな連中に付き合わされてるお主のはずなのだが』


 そこは認識の違いというものか。

 ある意味どちらも同情を誘うのは違いないので、あとは個人の価値観だろう。

 そんなことを考えていると、何故か深い溜息が返ってきた。


『……お主自身も問題ありすぎじゃろうて』


 なして?


『これだけ好き勝手されてなお、泣きも喚きも逃げもせん。かと言って閉じも開きもなく、まして下手に出る訳でもなく平然としとる』

(自分じゃよくわからんけど……。それほど余裕ないぞ? 一生ここで引きこもって生きてくつもりもねぇし)

『それは我も知ってるがの。むしろそれは単に表情筋死んどるんじゃないかお主は』


 そういえば生まれて此の方、まともに笑いも泣きもしてない気がする。


『媚びへつらわれる事が当然と思うとる奴らには、それが舐められているとでも感じるのだろうよ。もう少し可愛げがあれば変わったのかもしれんが、の』


 ……可愛げ、ねえ。


(手遅れじゃね?)

『十にも満たぬ童が何を言うとるのだ。その辺り、前世の記憶とやらで如何にかならぬのか……』


 今度は、深く長い溜息が返ってきた。

 いやいや、可愛げのかの字もなかった俺にんなこと期待されましても。


『まったく。お主は”前”のことは微塵も語らぬが、それでも参考になるような女子・・は一人や二人、いたじゃろうに』




 ……………………………………………………あー。




(参考にはしても、実際反映するかは別だと思うわー)

『はん。なんじゃ、結局はそこをまだ割り切れておらぬだけか。意外とヘタレじゃな』


 ちくしょー、他人事だからって好き放題言いやがって。


 前世があるというか、転生に関してはまだいい。地獄からも叩き出されたと納得したからな。


 しかし。

 いやしかし!




『お主が前がどんな人間だったかは知らぬが。今は立派な愛らしい幼女・・じゃよ』

(幼女言うなや)



 今度は、俺が深い溜息を漏らす番だった。

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