第15話
広大な敷地面積を持つ図書館の一室。
そこでマウスをクリックする音が、静かな部屋に響いていた。当然、鳴らしているのは俺である。平日だからか俺以外にこの部屋を利用しているヤツはいないので、気を使わなくて良いのが非常に楽だ。
(さて、と)
使用していたPCから目を離し、窓の外に視線を投げる。平日ということもあり、周囲の住宅街は緩やかな雰囲気だ。
何だかんだで、屋敷を脱出してからかれこれ二週間あまり。見て聞いて歩いてと、この世界の事を出来る範囲で調べてみていた。体力的なところやら身辺的なところもあり、正直そこまで詳しくは調査できていないのだが、しかしそれでも分かることはある。
その結論を単純明快に言ってしまえば、
(やっぱ平和だな、この世界)
子狐丸はそうなのか? と疑問系だが、どうしても比較すれば出てくる感想はそれになった。
まあ単に今の世界がヘタレなのか、それとも前の世界がアッパー入り過ぎなのか、非常に判別に苦しむところである。ただ、そこまでは気にしても仕方がない話だろう。
『例えば?』
(そうだな……。例えば、こちらなら第二次大戦の際、この国が核兵器二発落とされて無条件降伏したとなってるんだが)
『初っ端から嫌な予感がするのじゃが、何があったし』
(前の世界なら三発目落とされた時点で四発目を奪取し、敵基地もろとも特攻した)
『な、なんじゃそれは。よくもまあそこまで……』
(で、更にぶんどった五発目を交渉材料にして、漸く停戦となったんだったか。んなことやってる内に国の人口が戦前の三分の二まで落ち込んだけどなー)
『どう考えても頭おかしいじゃろう!?』
第二次世界大戦では各国がガチ容赦なく敵を殺しまくった為、戦後はどの国も国力が低下。その反動か、落ち着いてきた数年後には産めよ増やせよの大政策が世界規模で取られることになったが、人口が爆発的に増加した為に治安が一気に悪化したとかなんとか。
他にもこちらなら”ここで止めておこう”というような交渉、侵略、戦争を勢いのまま突っ切ったのが前の世界の特徴だ。
……とまあ今と前とでかなり歴史、特に近代史がずれている筈なのだが、不思議なことに大まかな流れ――日本なら時の首相や学生運動などの事件、世界規模ならソ連崩壊などは変わらない。
ただ、どれも負傷者・死傷者の数は圧倒的に前の方が多いし、幾つかの事件・事故がこちらでは起こってなかったりする。
それに前の世界にあった"術式"や、今の世界の"陰陽"などの違いもあるので、寧ろここまで似通っていた方が驚きだ。
『お主がいた世界、殺伐としすぎじゃろう……』
(そうか? そちらから見ればそうかもしれんが、俺からしてみればこっちが温いってイメージなんだがなー)
そこは培った価値観の違いか。
おかげで"仕事"にあぶれることはなく、探せばいくらでも飯の種は見つかったものだ。主に血生臭い方向なのは仕様である。
……まあ、そのせいで前は散々な目にあったし、今も"目的"が見当たらないのが問題か。
溜息を大きくつき、机に突っ伏す。冷んやりした天板に、体温と気力が吸い取られていっている気がする。
『なんじゃ、調べ物はおわったのか?』
(まーな。おかげでやることがなくなった)
二つの世界の差異を調べるのは、やはり楽しいと言える。しかし片方はもう記憶の中にしかないので、その辺りはどうしても限度はあるのだ。前はそれほど勉強していた訳ではないので尚更か。
それにここで調べられるのは本とネットなので、裏事情的なところが出てこないのは当然の事。故に一区切りついたところで終わろうとは思っていたのだが……。
(やっぱ人間目的持つのが大切だよなー……。これからどうすっかねえ)
『なんじゃ何も考えとらんかったんかい』
(屋敷出たのはその場の勢いだし、後は追っ手を撒きつつ安住できる場所を見つけて――ってのを考えていたんだがなあ。それがあっと言う間に解決してるし)
世の中何がどう転ぶか分からないのは知っていたが、今の状況は良いんだか悪いんだか。
『椿と隆仁会えたのは良いことじゃろうに』
(あのアホらしい実家連中から狙われる事を考えれば微妙なところだ。あの二人になんかあったら確実に後悔するのは目に見えてるしな)
既に共に暮らし始めて二週間、情が移るには十分な時間だ。もし椿と隆仁が害されでもすれば、キレて連中をあらゆる手で皆殺しにした後に自己嫌悪で引き籠りかけない。
自分で言うのもなんだが、俺はメンタルがそれ程強い訳ではないのだ。前世でも鋼の心臓を持つ同僚たちから何でこの仕事やってんの? ってよく聞かれてたしな……。
(妹様からの恐怖体験も全力で逃げ回ってたからなー。もうちっと精神力鍛えられればよかったんだが)
『…………常識の相違とは怖いものじゃのう』
(へ?)
何か子狐丸と認識に溝がある気がする。
いや、それより今は次の目的が無いのが問題なのだが、
『無くていいじゃろう、そんなもの』
(なんですと)
悩むより先にバッサリ斬られてしまった。……刀だけに? 違うか。
『相変わらず現実逃避気味なのか前世の頃からそうなのかは知らぬが、今のお主はまだ八歳じゃ。目的なんぞそこまで明確にせんでもいいじゃろうが』
(そ、そうか?)
『それにまだ屋敷を出てから一月も経っておらん。そう生き急ぐな馬鹿者』
うーむ、まさか子狐丸から説教入るとは思わなかった。
言われてみれば確かに、傍から見れば子供がなに偉そうなこと言ってんだ、って状態なのは確かだ。
(……ま、厄介事は目先にあるが、妹様に比べりゃ遥かにマシか。まったく、何で前世の記憶なんぞ持って生まれたんだか)
『無かったら我に喰われるか、実の父親にいい感じに殺されるがのう』
(ははは、マジやってらんねぇ)
兎にも角にも足りないものが多すぎて、考えるだけ無駄か。
なまじ精神年齢だけ高めだから余計な思考ばかりするが、今は一先ず足場を固める事に専念しよう。
今日のところはとりあえず、
(帰るか。外うろついてばっかだと二人に心配かけそうだしな)
『お主の運の悪さからすると、要らんものにぶち当たりそうじゃしのう』
(フラグ立てやめい)
図書館を出て家に真っ直ぐ帰――らずに、ランニングがてら街を見て回る。
少し走って、休憩して、また少し走って休憩してを繰り返しながら近場だけでも地理を把握しておく。嫌な話だが、いつ襲われるか分からない身の上なのでせめて地の利は付けておく必要があるのだ。
そんな感じで毎日ふらふらっとしており、今日はとある建物の前で立ち止まっていた。
(へえ、結構でかい高校だな。もしかして椿や隆仁が通っているところか?)
『同じ制服を着ておるし、そうじゃろう。もう学業は終わった様じゃな』
見れば校門からは生徒たちがまばらに出てくるところだった。備え付けの時計は確かにもうそんな時間であることを差している。
グラウンドに視線をやれば陸上部や野球部が走り込みをやっていたり、水泳部(男)が海パンで腕立て伏せをやっているのが確認できた。屋上では天文部だかオカ研と思しき集団がペンライト片手に謎の儀式を執り行っていたりもする。
なんかおかしい気がしなくもないが、気にしたら負けだろうか。
(椿たちは部活に……入ってる訳がないな。あの二人にそんな余裕があるとは思えん)
『それはそうじゃろう。もしかするともう家に帰っているのではないかの?』
ならそろそろ家に向かうかと思って踵を返そうとしたところで、
「お嬢?」
おや? と声のかかった方を見ると、そこには薄っぺらい鞄を持った隆仁が立っていた。
毎日見ている姿ではあるが、やはり同年代と比べると雰囲気が違うな。ってそりゃ多少でも修羅場を潜ったら違いもするか。
「なんでこんなところに……って事務所からそんなに離れてねえな、ここ。散歩か?」
「……(こく)」
隆仁らは俺が街を歩き回っている事は知っているものの、外が珍しい故の行動と思っているらしい。あながち間違いではないので頷いておく。
しかし椿は一緒じゃないんだろうかと辺りを見回していると、いくら俺が無口無表情でも気が付いたようだ。椿の現状を教えてくれる。
「ああ、椿は補習……居残りだな。課題を忘れるわ授業全部寝るわ、自業自得だ」
……なるほど。分かってはいたが椿はやはりアホの子か。
それで仕事は大丈夫なのか、と半目になっていると隆仁も苦笑する。頭に手が伸びたと思うと、そのままぐしぐしと撫でられた。
「お嬢の顔にすら出るくらい呆れられるあいつも哀れだな……。ま、アホは放っておいて一緒に事務所行くか?」
「……(こく)」
察するに余程成績が残念なのか、時間が掛かるようだ。椿には悪いが先に帰らせてもら――
「隆仁?」
「お兄ちゃん?」
瞬間、隆仁が凍りついた。
ついで、俺もトラウマが刺激されて静止した。
どこか頭の隅で『フラグ回収……!』という声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。
経験上、この状況はどう考えても危険である。
隆仁と声のした方に振り向くと、そこには二人の女子生徒が連れ立っていた。
一人は背筋が伸び、真面目という印象が強い凛とした少女。これがうちの生徒会長ですと紹介されれば納得するだろう、そんな雰囲気を持っている。少々目付きが鋭く堅物そうではあり、しかしむしろ他人から信頼されていそうな感じだ。……今はその鋭さが五割増しだが。
そしてもう一人は小柄・おかっぱ・気弱そうと三拍子揃った、庇護欲をそそられる少女だ。生徒会長っぽいのと比べると真逆の性質で、ともすれば苛めの対象になりそうだが……うん、そのハイライトが消えている目は勘弁してくれませんかね?
先に前に出たのは生徒会長っぽい少女だ。わざと大きく靴を鳴らして近づいてくる。
見た目通り、口から出る言葉も簡潔だ。
「――隆仁。その子、誰?」
明らかに"逃げるなよ?"と言外に示してくる少女に隆仁の目が泳いでいる。
……因みに。
なんとも間が悪い事に、隆仁の手が俺の頭の上に乗ったままであった。
『おお、修羅場じゃな!』
帰ったらマジで糠漬けの中に叩き込んでやる……!
いやまて。
正確に俺の素性を話すわけにはいかないが、少なくとも"椿の家で居候している"もしくは"バイト先で知り合った"子供、ということなら問題はないはずだ。
客観的に見れば、ちょっと知り合いの子に偶然会っただけのシチュエーション。特にやましいことはないので大丈夫なはず――
「おい、見ろよ。また
「またかよ!? くっそぉぉぉおお、何でアイツばっかに出会いが訪れるんだ!」
「今度はリアルロリっ子だと……! ロリ枠は妹ちゃんだけでは物足りないとでも言うつもりか……!?」
「世話焼き幼馴染に守ってあげたい義妹、仲の良いクラスメイトと元いた部活の後輩に頼りになる保健室の女医。ライバルだった他校の生徒、ストリートミュージシャンのお姉さんに加えて更に無表情ロリ。……あいつはどこを目指しているんだ」
たぁかひとぉぉぉおおおおおお!?
いやおかしいだろ、俺は除外しても七人て!
お前どんだけフラグ立ててんだよ!? そりゃあの二人も"また増えたのかよ"ってなるよな!
「……お兄ちゃん。その子、だあれ?」
怖い、だから怖いって妹さん! なんで俺の周りの妹は目のハイライトが消せるんだ!?
隆仁に"どうにかしろ"とアイコンタクトを送るが、なんか絶望的な表情をしてしまっていて気付かない。やべえ、なんか鏡見てる気分。
いや大丈夫、まだ大丈夫だ!
何故ならまだ包丁とか鉈とかSAN値直葬な触手とかはまだ出ていない……!
『お主の正気度がゴリッと減っているのは分かったから落ち着くのじゃ』
(落ち着いただけでこの状況がどうにかなるとでも!?)
『じゃから落ち着け阿呆。……あの義妹を見ただけでこうも錯乱するとはのう。どんだけ妹様に恐怖を刻まれておるのじゃ』
(ははっ、仕事の同僚どころか食堂のおばちゃんと話しただけで地獄を見た俺にそれを聞くか? ……ヤンデレは腱を切られそうになったり脳を破壊するような薬が出てきてからが本番だぜ?)
『……お主、寧ろよく心中まで持って行けたのう』
俺もそう思う。
ってんな事言ってる場合ではなく。
生徒会長もとい幼馴染は隆仁を睨んでいるが、義妹は確実に俺をロックオンしている。右手が鞄の中に隠れており、そのおかげで頭の中に危険信号が鳴りっぱなしだ。逃げたら刺されるな、こりゃ。
とりあえずまだ頭の上に乗っている手をつつくと、それに気が付いた隆仁がはっとして手を引っ込めた。それだけで義妹の雰囲気が少しだけ落ち着いたのは……そうか、頭撫でられるのは貴方の特権すか。気を付けよう。
『兎に角、じゃ。あの義妹はともかく、目の前の女子は良識人じゃろう。ならここは一つ、お主の特徴を利用すればいいじゃろう』
(――そうか、その手があるか)
子狐丸の言いたいことが分かったので、ちょいちょいと隆仁の服の裾を引っ張った。?とこちらを見た隆仁に対し、俺は自身の喉を叩く。
「……そうか!」
何とかうまく伝わったようだ。直ぐにどう話すかまとめたらしく、なんとか立ち直った隆仁が幼馴染と義妹に説明を始める。
言い方は悪いが、こういう場合は相手の良心に付け込んでしまうのが一番なのだ。
要するに、
「そう……その子、言葉が話せないのね」
「名前も無いなんてかわいそう……」
少々特殊な環境で育ったので話せない上に感情も希薄、しかも名無し。そんな子供を椿がリハビリの為に預かっており、バイト先が一緒の関係で知り合ったのだと話せば効果は劇的だった。
さっきまで攻撃的だった二人も今では同情的な視線に変わっている。隆仁などはほっと一安心といった風である。……あちこちから生き残りやがったと舌打ちが聞こえるが、無視してやがるな。
俺としては義妹の目に光が戻ったのが救いです。
「あ、ああ。だから俺も気にかけるようにしてるんだ。話すだけでも刺激になるらしいからな」
「成程、そういうことなの」
ようやく空気も落ち着いたし、このまま隆仁はバイトで俺も一緒にフェードアウトすれば完璧だ。
そう、思っていたのだが。
「それじゃあこの後バイトだから、俺はお嬢をそのまま送って――」
「なら丁度良かったわ」
幼馴染みは隆仁の言葉を遮り、ガシッと肩を掴んだ。
……俺の。
「実はこれから二人で、駅前へ買物に行くところだったの。そんな事情なら私達も手伝わさせてもらうわ。ぜひ、"お話"してみたいと思ったところだったから」
幼馴染み からは 逃げられない!
「うん、そうだね。お兄ちゃんはこれからお仕事だから大変だと思うし。――わたしも”OHANASHI”したいから」
義妹 からも 逃げられない!
って何ぃ!?
待て、待つんだ。俺は会話ができないのに"お話"って明らかにヤバさ絶好調だ。そんな死亡フラグ満載な買物()に誰が行くか――って強化しているのに動けないだと……!?
つーか8歳相手になんでここまで本気になってんですかよ! もしかして立ってないだけで、埋まってるフラグがまだあるのか!?
ちょ、そこの元凶もとい隆仁たすけ
「そ、そうか、なら俺はバイトの時間が押してるからもう行くな――じゃあ!」
言うが早いかダッシュで走り去られてしまった。しかも全速力なのであっという間である。
……あの野郎本気で見捨てやがった。
「隆仁ってあんなに足早かったのね……。まあいいわ、それじゃあ行こうかしら」
「うん、行こっか」
両脇を固められて連行される中の脳内再生BGMはドナドナだ。
都合よく補習が終わった椿が来ないかと学校の方を見るも、なんでこちらを見ていた連中は全員合掌してるんだね? まさか実はこれが日常茶飯事とか言わんよな?
残念ながら椿の補修はそう簡単に終わるものではないようで、幼馴染みと義妹は俺を掴んだまま駅前に向かって歩き出す。ただし、何故か明らかに裏路地を通るルートを使おうとしているが。
どうやら世界が変わろうがなんだろうが、恋する女が怖いという事が普遍の事であるらしい。
この日、俺が無事に帰れたのは既に日が落ちてからの事だった。
結果としては助かったと言うべきか、想像していたよりはマイルドで、買物というのは嘘ではなかったのが救いである。
駅前では学生らしく文房具を購入し、後は服や小物を見て回るといった程度。二人が話す内容も"大半は"とりとめのないものであった。
……そう、大半は。
残りは、要約すると"隆仁には手ぇ出すなよ?"というのを遠回しかつ直接的にした内容で、こちらが気を抜いた瞬間に飛んでくるので気が休まる暇がなかった。いやだから妹さんよ、気付くと光の無い目で凝視するのは止めてくれ。
一体この二人は何故そこまで警戒しているのか、というか隆仁の野郎は何をやらかしたのかが非常に気になるところである。
(これ、残りのメンツってこの"洗礼"を抜けたのってことか?)
『一癖二癖どころではなさそうじゃな』
やべえ、あの二人と同クラスなんて全員揃ったらどうなるんだよ。
気になるのは、当の本人は椿と行動を共にしている事が多いのだが……ってもしかして、それが原因か?
(ひょっとするとあの二人、"仕事"のこと知ってんじゃね?)
『可能性が高いのう……案外、乗り込んでくるのは近いかも知れぬの』
そうなったら隆仁を生贄に全力で逃げだしてくれる!
『残念、巻き込まれるのは確実じゃろうて』
(ハハハ、あの妹さんに勝てる気がしねえんだけど)
――ちなみにオチとして。
事務所に帰り、気まずそうにする隆仁を見た瞬間、問答無用で蹴りをぶち込んだのは言うまでもない事である。
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