第16話
その日は珍しく二人の帰りが遅い日だった。
隆仁の幼馴染みやら義妹やらに付き合わされていた――と言うわけではないようで、どちらも気疲れしたように見える。椿なぞ着替えもせずにソファーにダイブするぐらいだ。飛び込んだ拍子に足が縁に痛い角度で当たったが、悶えている椿を二人で無視するのはいつもの事である。
朝に遅くなるとは聞いていたものの、どこに行くまでかは聞いていなかった。しかし学校が終わった後に着替えたらしい服装はフォーマルなもので、おそらく峰坂氏のところだったのだろう。
と、言うか隆仁。そんなに疲れててもやっぱり夕飯はここで食ってくつもりか。
もうお前ここに住めよ……。
『そうなれば間違いなくあの二人も来るじゃろうな』
(今はバレてない……はずだが、この状況が発覚すれば同じだろ。つーかむしろ凸られてないのが不思議だ)
いや、あれだけ一緒にいるのだからやはり認識済みだとか? でもそれなら幼馴染みはともかく義妹は包丁持って来そうなんだがなあ。うーん?
ま、いいかとトラウマ予備軍を考えるのは投げ捨てて、出来合いの総菜を温めていく。その間に炊飯器から白米を茶碗によそえば完了である。
「おお!? まさか今日はお嬢が米炊いたのか」
「……(こく)」
米を研いだ覚えがないので、俺がやったのだと気付いた隆仁が驚いている。
ああ、そういえば隆仁には初めてだったか。
椿は隆仁がいないと朝昼晩をカップラーメンしか食おうとしないので、せめて米を炊くようにしているのだ。隆仁がいない椿はパンすら焼かなくなる。そんな訳で俺が料理をし始めた訳だが、いくら元がひ弱でも強化すれば米を研ぐぐらい余裕だ。
ちなみに椿がやったという発想が欠片もないのは、当の本人がそれすらまともにできない料理音痴だからである。……いるんだな、ほんとに洗剤使おうとするバカって。
「おい椿。もうお嬢に負けてんぞ」
「ぬふぁ……! 私の、私の威厳が……」
「んなもん元からある訳ないだろ。料理どころか掃除洗濯もしねえのに」
椿が学校に行っている間、毎日ではないが掃除と洗濯は俺がやっている。掃除はともかく洗濯は、子狐丸から女性用下着の扱いに慣れておけとのことで渋々始めた訳だ。
俺がやる前は先代の頃から近くのコインランドリーで済ませていたとか言う話なので、親子揃って家事壊滅だったんかい。
「いいもん、仕事に疲れても家に帰れば仲居さん風のお嬢がご飯をよそってくれる。これどう考えても私勝ち組やね!」
「将来には立場逆転してそうだけどな。もしくは単なるヒモと化しているか」
「ひどっ!?」
いや、仕事覚えても立場はとる気はねえぞ? 面倒だしな! ケツ引っ叩いても仕事させてやるぜ。
そんなこんなで飯を食い始める。やはり買ってきたのより隆仁の作ったものの方が美味いと思うのは色々贅沢なんだろうなあ。
『屋敷での食事と比べるとどうなのじゃ? 向こうは味にうるさい――否、我儘な奴が多かったから、悪くはないと思うのじゃが』
(美味いことは間違いない。が、基本的に和食だから薄味だな。たまに洋食もあったらしいが、んなもんは残らんからその日はメシ抜きだった)
『ああ、そういえばそんなセコい嫌がらせもあったのう……』
お陰でカップラーメンやらのインスタントな味が”濃過ぎる”と感じてしまう健康仕様な体である。心情的には濃いものとか、久しぶりに酒とかも飲んでみたいと思わなくもないのだがなあ。ま、横に伸びるよかマシだろうし、こんな体ではアルコールに強い訳もなさそうだ。
と、いつも通りのやり取りの筈だが、妙に椿がそわそわしていた。いや、実は帰ってきたときからなのだが、何かを切り出そうとしては止めている。新手の遊びかなんかだろうか。
なんなんだろうかと思案していると、それを隆仁が見かねて助け舟を出した。
「ほら、んなことよりお嬢に話すことあるんだろうが。今のお前、普段の言動見てるとついにお嬢に手ェ出そうと画策してるようにしか見えんぞ」
「ちょ、それまた酷! 私どんな変態!?」
「身の回りの世話させて隙あらば体狙ってるロリコン」
「…………」
「……頼むから目ぇ逸らすなよ否定しろよ」
なんだろうなー、この話しかけられたと思ったら音速で蚊帳の外にされてる感は。あんまりイチャつくと幼馴染みとか義妹にチクるぞー?
「……ハッ、寒気が!? は、話がそれちまったな、ほらお嬢が待ってるだろ」
「うう、わかったわよ……」
ようやく始まった椿の話はやはり峰坂氏が関係している話。
ありていに言えば"仕事の依頼"であり、今回の件は俺が関係しているようであった。
その内容とは、
(いつぞやの子、かなめ嬢の護衛ときたか)
『そういえばあの
(失敗した連中がすぐもう一回来るとは思わないけどな。……まあ、あの手の連中を雇えるぐらいの相手と考えるなら、警戒は当然か)
『で、依頼の中身は見事に再び来そうなものじゃなあ』
(明らか嫌がらせだろコレ)
仕事は峰坂氏の娘、かなめ嬢の護衛。
峰坂氏が娘と参加するパーティが対象であり、期間と場所は非常に限定的。時間も数時間で、範囲も会場となる高級ホテル内でのみ。
ただし。
厄介事が起こる確率は激高。
なんでも今度行われるパーティは上位の金持ちや著名人が集まるのだが、その主催が非常に厄介な人物らしい。
高齢なジジイだが各所に影響力を持つかなりの大物で、かつ
今回の催しも例に漏れず、集められたのは本来なら和やかに会話なんぞ出来るはずもないメンツ。政敵だったり宿敵だったり怨敵だったり水面下で殴り合いどころか刺し合っているような関係の人間達が、一堂に会することになっていた。
なお、そのパーティにはかなめ嬢の誘拐を指示したと思しき人物も参加しているそうだ。
そしてトドメには主催者から『家族全員参加だけど何かあっても自己責任だからヨロシク。あ、でも不参加はなしな?』と、有難いお言葉が招待状に書かれていたとか何とか。
……ははは、逆にこれで何も起こらなかったら奇跡だろ。
「そんなわけで峰坂さんも周囲も優秀で信頼できる護衛で固めるんだけど、問題はその家族――かなめちゃんなの。前みたいなことがあったばかりだから余計に頭痛めているんだ」
「前のは護衛が半端野郎だったからなあ……」
敵味方の判別ができて上っ面を取り繕える大人とは違い、そんな経験が足りていない子供の護衛は難易度が高い。単なる物理的な障害以外にも、嘘を教えられたり逆に情報を出してしまったりしてしまわないように見張る必要があるからだ。
家族は情が深いほどアキレス腱になり、当然敵は当人よりそれを狙ってくるのだから始末が悪い。以前の誘拐は護衛が相手の罠に引っ掛かり、かなめ嬢から目を離してしまったのが原因だったらしい。
だから優秀な人材が欲しいのだが、そんなもの粗方取り尽されているのは当たり前。しかも下手を打つと敵と内通していたり、それ以前に外見が強面だとかなめ嬢が怖がってしまうのだとか。……ちなみに隆仁も怖がられている一人である。
(で、訳アリだが物理的な戦闘力はあり、事情が事情だから敵と内通してそうにない俺に白羽の矢が立ったと。かなり切羽詰ってそうな感あるねえ)
『怖がられている隆仁は放っておいても、椿では実力が足りとらんしのう』
(しかも週末ってすぐじゃねえか。招待状が来たのがそもそもつい先日だったらしいから、じっくり選んだりしてる暇はなかったと。主催のジジイが良い性格してんのはよくわかったぜ)
聞いた限りの人物だと、どうせ峰坂氏や同じような事情の奴がどんな護衛を連れてくるか楽しみにしているのだろう。おそらく先の一件も知った上での話のはずだ。
……なんつーか、そのジジイ一発殴るのは駄目か? 駄目か。
「ごめん、お嬢にあまり無理させたくないんだけど……峰坂さんがせめて聞いてみるだけでもって言ってて」
「どうも、かなめちゃん自身からも『あの狐のお姉ちゃんがいい!』って言われたらしいしなあ……」
それもう拒否権ない気がするのだが。
とは思うものの、心の中ではとうに結論は出ている。
(デメリットよりメリットの方がデカいしな。――丁度暇してたし)
『本音と建前は一緒に話すものではないぞー』
(いいじゃねえか。本音建前は兎も角、お前も似たようなもんだろ?)
『我の本質は"刀"じゃからのう。どうせ一波乱あるじゃろ』
(だろうな。なんかあったら遠慮なく使わせてもらうさ)
隆仁と椿は何だかんだで俺を子供と見ており、それが故にあまり仕事に関わらせたくないようだ。
だが残念なことに話を聞いた俺は"面白い"なんて感想を抱いてしまったし、悪いと思うが与えられた平和を謳歌できるような人間でもない。それに俺自身アホみたいな身の上であることは確かなので、"普通"に生活していくのは難しいだろう。
なら。この程度を出来ないのであれば、そもそも人生諦めた方が楽だ。……まあ、子狐丸にこの世界は温いと言い切った手前、と言うのもあるのだが。
(これから何しようか悩んでいるような状況ではあるがね。――それなら何でもやってみるまでだ)
こうして、俺の初仕事が決定した。
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