第7話

(よし、なんとかなったな)

『なんでアレでなんとかなっとるんじゃろうな』


 遠く、川の上流に赤い色が見える。

 結構距離があるにも関わらず夜に映えるそれは、俺が燃やした屋敷の炎だ。消火活動が上手くいってないというか、俺を探すことを優先しているのだろう。


(さて、いい加減火ぃ消しにかかるだろうし、あの中で山ん中追ってくる根性ある奴は少ないだろ。ちとペース緩めるか)

『基本は後ろで踏ん反り返っている輩じゃ。立場の弱い分家なら多少は鍛えられておるかも知れんが、視界の効かん崖降りて足場の悪い川沿いを早々に追っては来んじゃろ』


 いくら身体強化はしていても、流石に体力の限界だ。むしろこの小さい体でよく保った方だ。

 意識すると睡魔が徐々に押し寄せてくるが、当然まだ寝るわけにはいかない。川に飛び込んだ為に服は濡れているし、安全な寝床の確保もしないとな。


(と、良いとこ見っけ)


 ちょうど近くに身を隠せそうな岩場を発見。少しここで休憩するか。


『獣に関しては気にする必要はないぞ。我の影響で野生動物は近寄って来んからの』

(なんて便利な)


 ともあれ、野犬やら熊やらの警戒がいらないのはありがたい。焚火でもしたかったが、火の灯りは目立つので出来ないのだ。


(そういや"前"のガキの時にもこんな風に川辺でキャンプして寝た事があったなあ。その時は火ぃ起こして鍋したんだったか)

『ほう、そうなのか。ちなみに何鍋だったのじゃ?』

(……妹が、な。気が付いたら熊狩ってた。──素手で)

『……幼き日の話じゃよな?』


 肌にまとわりつく服を脱ぎ、絞る。少なくない量の水が落ちて、これだけでも軽くなった。今は薄い内着だけを着て、あとは干すか。

 持っていた包みはその中身も濡れていた。ただ婆さんから貰った方はビニールのラップで梱包されていたので無事だった。いやもう至れり尽くせりだな。


 一つキャラメルみたいなのを取り出して口に放り込む。

 ……甘いような辛いような苦いような。おそらく漢方の類も混ぜられているらしい。とはいえグミもどき軍用レーションクラスの不味さで無いだけ十分だ。

 生姜やら鷹の爪まで入っているのか、徐々に体が芯から温まってくる。食べ終えた頃には、もはや眠気に逆らうのは無理だった。


(悪い、ちと寝るわ)

『うむ。連中の気配がすれば起こすから、今は体を休めるのじゃ』


 瞼が自然と落ちて行き、視界と意識が閉じられて行く。

 川のせせらぎと虫の声を何処か遠くに聞きながら、あっさりと俺は眠りについた。




***





 夢を見た。





 それはきっと、まだ幸だった頃の夢だった。





***




『……い。おい。起きるのじゃ』

(……ん?)


 誰か。いや、子狐丸が呼ぶ声で微睡みから覚めた。

 目を開けて、辺りを視線だけで探る。まだ闇が濃く、しかし星々の位置から見ると数時間は経っているようだ。


(連中か?)


 自身でも周囲に気を配るが何も──なるほど、虫の声がしない。確かに"何か"が近づいているのか。……あ、単に子狐丸の影響かもしれんけど。


『まだ距離はあるし、こちらにも気付いておらん。だが中には夜目の効く式もおるから、移動するなら今の内じゃな』

(りょーかい。かなり回復したし、さっさとズラかるか)


 手早く干していた服を着て荷物を担ぐ。

 完全回復とはいかず多少疲れは残っているものの、また屋敷みたいな戦闘が無ければ十分だ。節々に感じる筋肉痛は……後で湿布でも貼るしかない。


『ああ、先に行くなら一つ』

(お、なんかあったか?)

『少し距離があるのじゃが、このまま川を下った先で数度、何か光が走ることがあった。あの光は車で、そこに道路があるのではないのか?』

(マジでか)


 言われ、川の先に目を凝らす。

 僅かな星明かりのみが光源とはいえ完全な闇ではない。言われてみれば遠く川を横切る線のようなものが見えなくもなかった。


(よっし、あそこまで行けば第一段階はクリアだ)

『第一段階?』

(とりあえず人っつか文明の気配がある所にいければ、目処は経ってくる。舗装されているから、移動も楽になるしな)


 話しつつ、身を低くして歩き始める。川は直線ではなく諸所で右に左に曲がる為、同じ川沿いに進んでいるのであれば見つけ難いだろう。

 まあそれでも夜目の効くのがいるなら途中で見つかるか、とは思っていたのだが、


(何事もなく着いてしまった……)

『いい加減飽きたのう、この流れ』


 運が良かったのか追っ手がアレなのか。

 兎に角。俺は今、川を横切る道路の上に突っ立っていた。どうやら山中を走る道路であり、車の通りは全くない。


(おー、車道というかコンクリとか久しぶり。外灯もないという田舎っぷりがなんとも)

『さて、道は山を登るか逆に下るか。どちらに行くつもりじゃ? 方角的には垂直じゃから、対して変わりはないが』

(とりあえず下かね。状況に余裕もないしなー)


 忍び足だったのと車道に登るのに時間掛かったのとで、追っ手との距離は近くなっている。術式を展開すると音が派手なので使えないが、瞬間的な強化であれば問題ない。


 馬鹿を殴り飛ばした時と同様に一瞬だけ術式を走らせて、横に滑空するように飛んだ。着地と同時に再度同じことを繰り返せば、跳ねるようにして距離を稼げる寸法である。

 地面が整地された場所でなければ着地が難しいので何気に使いどころがない方法だが、こういう時に色々と節約になるので有難い。


『つか、地味に速度でとらんか? いや確かに離れはしとるんじゃが』

(時速……50Kmぐらい? そんなもんだろ加減してるし)

『いやいやいや普通に車並の早さじゃろうが! 加減してこの速度なら、本気出したら何処までいくのじゃ?』

(あー……前はともかく、今の貧相な小娘じゃ大した速度はでねぇな。──時速200Kmぐらいじゃね?)

『…………エェー』


 前はギリ音速超えないぐらいまで行けたからなあ。

 あ、妹様は普通にワープしてきたから論外で。


(消耗や反動が厳しいから文字通りの全力はないな。体力もあんまり回復してないから、どっか休憩できそうな場所でもあれば良いんだが)

『人里には急がんのか?』

(おいおい、俺の恰好見てから言えよ。これで街に出たらソッコで取っ捕まる……のか? あれ、この世界てか国のファッションってどうなってるんだ?)


 陰陽道なんてのがあるぐらいだ、一般的な服とやらが和服なんて事もあり得るだろう。

 いやもしかすると小狐丸が言う"車"というのも人力車である可能性が、


『ある訳なかろうが馬鹿たれ』

(だよな)


 屋敷の中にはテレビやら洗濯機などの家電があり、文明レベルと方向性は"前"とほぼ同じというのは分かっている。この国の歴史も小狐丸からざっくりと聞いたが、変わりは無いようだった。


『街に住む者は洋服じゃから、和装では目立つじゃろうな。捕まるかどうかは知らぬが、警察はおるから問題ないことはなかろうて』

(だよなあ。流石にそこまで甘くはない、か)


 あいつらの影響力が何処まであるのかは不明だ。しかし今まで外で始末が行われていた事を考えるなら、警察やらマスコミに対して交渉力があるのは確かだろう。

 その警察も俺への目標が"保護"ではなく"生死問わず確保"であればかなり面倒なのだが──


(って、いかんいかん。気を付けてはいるんだが、所々で"前"基準になってしまうな)

『国のあり方、常識とやらも、時と場所が変われば異なるものじゃからな。しかしお主は前世とやらで外国にも行っておったのじゃなかったかの?』

(文化や人種まで違う場所と、同じ国なのにルールが違うのとではちと別だな。ついで、世界丸ごと違うってもう訳分からんっての)


 厄介なのは、見た目で分からず変に細かいところで違いがあった場合か。

 例えば、厄介なのは先に上げた警察だ。


 "前"のこの国の警察は、治安維持組織とはあったものの、実態としては国に雇われた傭兵と何ら変わりは無かった。犯罪者が抵抗しようものなら容赦なく蜂の巣になったし、政府の諜報機関と連携してくるから相手にするには割に合わない連中だったのだ。


 傭兵と言っても下っ端でさえ世間一般から見ればエリート扱いだったからか、どいつもこいつもプライドが高いのが欠点だったなー。

 まあ、そんな連中であれば、あんな実家連中の相手なぞはしないだろうから、そこは安心か。


(比較対象があの連中だったからなあ。婆さんとか多恵とかも、まともではあるけど外に出てないから世情に疎そうだったし)

『外に出る使用人はお主には近づけんかったからの。外の世界について憧れを持たれても困るし、その使用人が情を移さないとも限らないじゃろうからな』

(努力する方向が相変わらずズレすぎだろ)


 兎に角、街に着いたらまずは情報収集だ。可能な限り早く身の回りを整えたいところではあるが……。


(金やら服やら情報やら。必要なものは多いな。──ん?)

『おお、あれは車じゃな……ってなんでこんな山中に車が止まっておるのじゃ』


 視線の先にあるのはダークグレーのワゴン車だ。路肩にエンジンが切られた状態で停車している。まだ距離があるということもあるが、窓にはスモークが入っているので中の様子はわからない。

 それはそれとして、


(おお……マジで車だ。ただのワゴン見ただけで感動する日がくるとは思わんかった)

『阿呆かい、どこが"ただの"じゃ』


 もう一度状況を確認。ここは外灯すらない山道で、周囲に人の気配は当然のこと、何かしらの建造物すら見当たらない。加えて時間が時間だからか、俺自身は他に車を見ることはなかった。


『我らも大概じゃが、それに匹敵するのがおるとはのう……』

(ガソリン切れで止まった、って雰囲気じゃねえな。単に迷った挙句に疲れて寝てる可能性もあるにはあるが……)


 一度止まり、向こうからは死角になるであろう位置から観察する。やはり中は見えないが、その車からはどこか懐かしい・・・・雰囲気を感じた。

 デジャヴ、というのは正しくこれだ。"昔"に何度か、いや何度も遭遇した光景と被る。

 その懐かしさの正体は、


『──あの車、"悪意"が染み付いとるぞ』

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