第6話

「────────── は?」



 間の抜けた声は周囲から。視界の端に見える連中の顔は、まさしくアホ面と呼ぶに相応しい。

 ついでに、俺が拳をリアルタイムでめり込ませている相手は、状況と現状を全く把握していないだろう。させる暇も与えるつもりはないけどな。


 まあとりあえず。


 時間が止まったかのような錯覚は一瞬。

 拳を振り抜くと、顔面を変形させていた当主馬鹿が弾かれたようにかっ飛んだ。

 よっしゃ綺麗な大の字縦回転!


 高速で飛んだ当主は、そのまま周りを囲んでいる一角に激突。ボーリングを連想させるような動きで、数人まとめて宙を舞った。

 おお、こんなコントみたいだが現実にはないような光景を見れるとは思わなかったな。


(うし、いい感じに入ったな! じゃ、ついでにもう二、三発ぶちこ)

『って待てえぇぇぇぇえええええええええい!』


 勢い追撃を掛けようとしたら、子狐丸から盛大な待ったがかかった。

 なんでい、現在進行形でテンション上がってきたところなのに。


『何じゃ今のは!? と言うか、今何をしおった!?』

(何って……身体強化による右ストレートだが)

『はぁ!?』

(あれ。もしかしてこの世界、術式か何かで身体能力の超向上って出来ねえの?)

『出来るかボケェェェェエエエエエエエエ!』

(魑魅魍魎の使役やら結界の構築とやらは出来るのに……)


 驚きの新事実である。寧ろそっちの方が普通は出来そうにないのは気のせいか?

 いや、出来ないからこそ、自身の物理スペックがあまり影響しない戦い方が発達したのかもしれんけど。


『ぬぬぬ……いや、多少の・・・筋力増加やら我のような無意識下の身体制限の解除ならあるにはある。だが、幼子が大の大人を殴り飛ばせるような代物はないはずじゃ』

(それ、日本にないだけというオチでは?)

『何度か大陸の道士や西洋の魔術師、退魔の……エクソシストじゃったか? は、見たことがあるが、お主のような術は初めてじゃな。本当に一体何をしたのじゃ』


 なるほど。

 身体強化をされると厄介だから先手必勝とばかりにぶん殴ったが、どうやら杞憂だったらしい。まー、余りにも隙だらけだったから、日頃の鬱憤も合わせて容赦なく叩き込んだが。


(とりあえず俺のコレを説明するとわりかし長くなるんだが──、と)

『む、ようやく起きてきたようじゃぞ』

(やっとか。下顎には入れてないから意識はあるはずだが……おお、まるで生まれたての子鹿のようだな。子鹿と違って可愛げの欠片もねえが)

『あの勢いは下顎とかの問題ではないとは思うのじゃが』


 ようやく持ち直した当主馬鹿は酷く歪んだ形相で俺を睨んでいる。いや、物理的にも確かに歪んでるけどな? そうではなく、こちらを呪い殺さんとする目の中に、醜い感情が隠しきれていない。

 さて飛びかかってでも来るかと予想を立てたのだが、


(…………………………………)

『…………………………………』

(なあ。なしてアレは俺に罵詈雑言を吐いてるんだ?)

『卑怯とか正々堂々戦えとか言っておるのう。貴様が言うなと以前に、こやつは我に喰われたのではなかったのかの』

(俺を誰だと思っているって台詞さ。ヒーローとか主役が言うと良いモンだが、身の丈に合ってないと小者感マジぱねぇな)


 もう何がなんだか。

 侮っていた相手に一撃入れられた事に対する言い訳なのかなんなのか、腫れた頬を冷やしながら暴言を投げ続けている。鼻血は拭かんのかね。あ、誰も指摘してないだけっすか。

 取り巻き共すらも何も言わないのは警戒しているからか、ターゲットが当主馬鹿に向いているからか。


 しかしなんとまあ、小狐丸のように”何をしたのか”という問いが来ることもないのは予想を超えて期待外れだ。向かって来たら、もう数発入れてやろうとも考えていたが、さっぱりと興が削がれてしまった。


(ま、これ以上は付き合うこともねえだろ。そろそろ行くか)

『……逃げるのか?』

(当然。誰がこんなとこで、こんな馬鹿どもに殺されてやらにゃあならんのだ)


 問いの意味は、正確には”逃げられるのか”というものだろう。が、どちらにしろ返答の内容は変わりない。


 育ちのせいか未だに転生したという認識は薄く、現実感があまりない。それに姿形が妹だったものの影響で、悪夢を見ることは多々ある。

 だが。だからと言って死にたいか、と聞かれれば無論NOだ。考えるのは無駄かもしれんが、しかしあの前世を経て”俺”がもう一度、それもこの姿で生きているのには、何か意味を探してしまう。妖怪妖刀がいるなら分かりやすく神様だのなんだのがいてくれれば簡単だったのに、世の中そんなに甘くはないらしい。


(理不尽蔓延るのが常ではあるがね。いちいちこの程度で諦めるなら、前世じゃ何百と死んだか分かんねえよ)

『理不尽仕事し過ぎじゃろう』

(俺もそう思う)


 前口上だか御託だかを並べている腰の引けた馬鹿を無視して、両手両足に意識を集中させる。さっきは慣らしも含めて一瞬だったが、今度は染み渡るように術式を植え付けていく。


 イメージは”毒”。


 血管を通って隅々にまで行き渡り、細胞を侵食してそれを作り変えるように。

 今生ではここまでしか行ったことはない。しかし、それでも前世では飽きるほど、それこそ魂に刻まれるほど・・・・・・・・慣れ親しんだ行為だ。



 さあ──ド派手に行こうじゃねえか。



 右腕、左腕、右脚、左脚。

 視覚化された術式が四肢に展開。幾つもの円環状に浮かぶそれは、ブレスレットやアンクレットをイメージしたもの──ではなく発電機等のタービンが元である。

 浮かぶ円弧はそれぞれの手脚を中心に回転を開始。その速度は徐々に高速となり、攻撃的な異音を発し始めた。


「…………!?」


 想定もしていなかったのか、俺の行動に今更馬鹿どもが慌て始める。さっき馬鹿がぶん殴られたところを見ても、多少警戒する程度だったのだ。危機感とやらがまるで無い。

 もう止められないし、止まるつもりはない。


 激音と緊張感は最高潮。

 いいね。ちっと物足りない気もするが、悪くない。

 す、と大きく息を吸い込み、肺に酸素を込める。

 軸足に力を、姿勢は前傾姿勢に。

 タイミングを図ることはない。何時だって、心で決めた瞬間がスタートだ。

 そう考えた次の一拍で、地面を蹴った。



 地面が爆ぜ、視界がブレる。

 視覚も同様に強化しているものの、脳がそれに追いついていない。鍛えていない慣れていないで当然だが、しかしそこは経験をもってカバーする。

 だから俺は躊躇なく、一歩目から全力だ。



 全力で、真横に飛んだ・・・・・・



「何っ!?」


 驚く声は斜め前方下から。

 分かりやすく言うと、俺は人垣を飛び越えた。

 俺の狙いは馬鹿でも取り巻きでもない。連中の肉壁を越えた先。

 わりかし長いこと居たのに、結局愛着の欠片も湧かなかった、


「屋敷だと!?」


 真正面から蹴りを叩き込んだ。



※※※※※※



 派手な破砕音を鳴らし、雨戸と薄い……たぶん結界だろう何かをぶち破った。


 着地で体制を整えるだのは考慮にない。勢いそのままに、速度を追加して身を前に。ついで、両腕の術式にプラスアルファで炎を纏わせる。と言っても炎には力がなく、効果時間が僅かということもあり実戦での攻撃力は皆無だ。


 だから、基本は撹乱用。

 走りながら腕は壁に。

 木造の壁が炎に焼け、広がっていく。攻撃力としては使えなくとも、火種としては最高だ。


「き、貴様……!」


 泡を食って追いかけて来た連中が見たのは、徐々に炎の海と化していく廊下。

 既に術式の効果は消えているが、手始めとしてはこんなものだろう。やりすぎて、中に居る使用人達の逃げ場までは無くせない。


「行け! あの小娘を殺せぇ!」


 火事を置いては行けないし、焼けている廊下を越えることも難しいと判断したのだろう。使役している鬼が熱さを気にせず追って来た。


(火、消さねえんだな。陰陽には五行として”水”がなかったか? 着けて消しての追いかけっこになるのも考慮してたんだがな)

『下位の奴らでは水鉄砲がせいぜいじゃな。式に水気を纏わせはしておるようじゃよ』


 半ば予想はしていた通り、鬼は見た目通り──約二メートルのガチムキ──の膂力で突進してくる。当たればタダでは済まないだろうが、


『闘うのか!?』

(んなわきゃない)


 強化しているとはいえ、所詮生身かつ子供なのだ。先のような殴り飛ばしたり飛び越えたりと瞬間的なのは、そう乱発は出来ない。それに追手はまだ一体。どんどん増えるのは目に見えている。

 ならばここは相手にしないのが正解だ。


 ステップを連続させて方向転換。回し蹴りで手近な戸を砕きつつ、開けた部屋に飛び込んで行く。迫っていた鬼は間に合わず、つんのめった挙句、盛大に床に激突した。


(うひょーい。床ブチ抜いたぞ筋肉ダルマ)

『以前に、追ってくる時点で踏み抜いてないのが不思議じゃよ』

(もっと不思議なのが、下位の奴にしては上質っぽい鬼を扱ってることなんだが)

『それは勿論、先祖代々の』

(……なんつーか、捻りがなさ過ぎて面白みがねえなあ)


 踏み込んだ先、突然の事態に唖然としている使用人をすり抜け、襖を蹴飛ばして爆走する。

 次の部屋は──よし、人がいない。


 人が周りにいない部屋や廊下では四方に火を撒き、破壊し、騒ぎを拡大させていく。すれ違う使用人が悲鳴を挙げているが、パニックは混乱拡大の元になる。悪いとは思うが、使えるものはきっちり使わせてもらおう。


 真正面からの一対多では、数による暴力が強いのは当然の事。単なるかくれんぼでも同様だ。

 それなら。

 五感に著しく制限がかかり、連携も取れない。そんなゲリラ的な状況では?


 俺が屋敷に突入してから、まだ四半刻30分も経っていない。しかし、屋敷の至る所で火の手が上がり、煙と怒号に包まれていた。


「いたぞ!」


 おっと見つかったか。

 相手は一人と一体。中年のおっさんと蜘蛛のような式神。

 他にいないところを見るに、屋敷が広すぎる分、この状況では俺を補足できていないのだろう。

 であえであえー、と声を張り上げるも、周囲の悲鳴やら怒鳴り声やらにかき消されて誰も来ることはない。


 そんな相手は蜘蛛を盾にしているが隙だらけ。

 瞬時に間合いを詰めて鳩尾に一撃。意思が落ち、蜘蛛が露と消える。

 くの字で折れた相手は、そのまま引っつかんで窓から外に投げ捨てた。窓際なら外に、でなければ火から遠ざけているものの、それでも死んだら運が悪かったということで。


『えらく偽善的じゃの。殺しが怖いという訳でもあるまいに』

(あー……。この姿でなければ、躊躇いはなかったんだろうがなー)

『本気で重症じゃな、お主のシスコンは』

(そしてお前はえらく俗っぽいなマジで)


 あれから屋敷の中を走り回り、火をつけ周り、ついでに片っ端から破壊できるものを壊して廻った。やり過ぎた感が無くもないが、そこは八年越しの怨みということで。


(さて、そろそろ潮時だな)

『ぬ? 各個撃破をするのではないのか?』


 それもやって出来なくはないが、


(逃げる余裕がなくなる、ってのが一番の理由だな。人里離れた山ん中だ。体力気力は残しておきたい)

『ふむ一番と言うと、二番はなんじゃ?』

(一番の理由と繋がる話ではあるんだがな。外の──いや、この世界・・・・のことが全く分からんのが厳しい)


 走り、背中から下げた包みから金属が擦れる音が鳴る。中には途中でかっぱらった懐中電灯や医薬品の他に、貴金属や宝石が入っていた。本来であれば売って幾ばくかの金に出来るのだが……。


(ガキでしかも身元不明だとしても、質さえ良ければ買い取ってくれる、なんてのは"前"での話だ。陰陽なんてものがある世界が、同じとは考えにくい)

『路銀のアテがない、と言うことか。ならばお主の身体能力を活かして盗みでも……って、ああ。お主、シスコンじゃったな』

(ハハハ、すげえ嫌な理解のされ方だ)


 シスコンはともかく、その辺は街に出てから考えるしかない。いざとなれば罪悪感云々は飲み込むしかなくとも、だ。

 財布とか貯金箱とか分かりやすいのがあれば良かったのだがなあ。用心深いのか単にケチ臭いのか、暴れた範囲には現金が見当たらなかったからなー。


『で、いい塩梅なのは分かったが、何処から逃げるつもりじゃ? 今じゃと表も裏も、門は封鎖されておるじゃろう』

(あれ、わかんねえか? 立地条件から考えれば一発だと思うんだが)

『……ぬ? この方向は……ってまさか、お主』

(そりゃ勿論────お?)


 駆け抜けた先、裏庭に出た俺の前に立っていたのは当主馬鹿や取り巻き連中ではなかった。

 屋敷の炎に照らされている影は二人分。


(……挨拶ができるか微妙だったんだが。やっぱり地味に嬉しいね)


 使用人の婆さんと多恵だ。

 多恵は目を真ん丸にして、口は半開き。いかにも驚いていますという表情をしているおり、婆さんはというと……あ、なんかやれやれって顔してるな。


 騒ぎの詳細は分からずとも、今日行われている事を鑑みれば、俺が原因である事はすぐ分かる。

 どうやら偶然ではなく、しっかりと待っていた結果らしい。


「…………………………………………」


 お互い、言葉はない。

 婆さんは俺を止めようとかそんな考えではなく、ただ本当に"待っていた"だけなのだろう。多恵は状況を把握しているかは微妙だが、しかしここでお別れとは感づいているのか大人しい。

 生まれてから8年ほどか、婆さんには気苦労を掛けたと思う。

 本当なら、俺は婆さんにこそ恨まれ、殺されてもおかしくはなかったのだ。



 俺の母親であり──婆さんの娘でもある人を死なせたのは、俺が生まれたのが原因だと。



 実際、子狐丸に聞いた限りでは、当主馬鹿は婆さんに対し、"お前の娘が死んだのは、あれが生まれたからだ"と言っていたらしい。

 しかし婆さんはまだ幼児の俺の世話を日々行い、馬鹿共にボコられた俺に手当までしてくれた。心の内まで全て読めるわけでは無いが……そこに悪意はなかったと信じたい。


 それに、今から脱出するルート。

 この裏庭を越えた先の"道"は、この婆さんが教えてくれたものだ。時折、婆さんは物語でも聞かせるように、今の時期は何処其処が通り易い越え易いと話してくれた。今回のは、そのうちの一つである。


 そんな婆さんに俺がすることは一つしかない。


「────────────」


 深く。

 深く頭を下げ、一礼。


 俺がここまで生きているのは偏に婆さんがいたからこそ、だ。そして、おそらくこれが今生の別れになる。ここまでやったならば、どうあってもここに戻ることはないだろうしな。


 だから、ありがとう、と。

 そう伝えたかったから。


「行っておいで」


 かけられた言葉は、どこまでも優しかった。





 さて、いつまでも浸っている場合ではない。

 このまま此処にいれば面倒になるどころか、婆さん達に要らぬ迷惑をかけるのは間違いない。さっさと撤退することが吉だろう。


 と、そんな事を考えていたら、婆さんが何か包を投げてよこしてきた。


「持ってお行き」


 ふむ、中身は……おお! あの軟膏、包帯、そしてカロリー高そうなキャラメルもどきか。その辺りはどこにあるかが分からなかったので、非常に助かった。

 しかし婆さん、此処で待ってたことと言い、この包のことと言い、


『実は派手にやらんでも助かったのじゃなかろ?』

(みたいだなあ。ま、こっちとしてはやり返さねえと気が済まんかったから、さっさと動いて正解だったか)


 最悪、庇われて婆さんの命と引き換えに、という可能性もあった。それがなくとも婆さん達に迷惑はかかっただろうから、これで良かったとしておこう。


(さーて、もう一丁派手に行くか)


 抑えていた術式を再活性。またタービンの快音が鳴り響き、夜の帳を激しく揺らす。

 それを見た婆さんが、少し目を見開いて道を開けた。なんらかの方法でやらかしたのは分かったが、これは想像の範囲外だったらしい。

 あ、多恵がさっきとは違う表情で驚いてる。俺の従姉妹ながら、なかなか表情豊かで面白いな。


(さよなら)


 限界点まで到達と同時、また跳躍した。

 婆さんと多恵を飛び越え、その後ろの木々も過ぎて行く。

 先にあるのは夜の闇に閉ざされた、


『溺れるではないぞ!』

(安心しろ、前世はカナヅチだったが今生は大丈夫だ! 根拠はないが)

『え、ちょ、アホかあああぁぁぁぁあああ!』


 直前に入るのは流水の音。

 真夜中の深い木々の奥、大自然の川で盛大な水飛沫が舞い上がった。

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