第10話
ド派手な破砕音を伴って現れた百足モドキは、車体の上を掠めるようにして道路を粉砕した。
紙一重で躱したものの、道を塞がれては止まるしかない。ジープはまた急ブレーキを掛けて停止した。
百足は鎌首を擡げて耳障りの悪い音を鳴らしている。見せつける様に開閉を繰り返す牙は巨大な鋏そのものだ。
(退路断たれたかー。絶対コイツさっきのチェイス見てたろ)
『車外に身を乗り出したのは失敗じゃった……と言いたいが、他に方法も思いつかんかったし、仕方がないのう』
(後ろに逃げるわけにはいかんし、逃げたとしても百足の方が早いの確実だな)
とは言ったものの、ここまでくれば逃げることは選択肢にないんだが。
「くそっ、なんで引き籠りの古カビ共がこんなところに……!」
あ、やっぱ引き籠りなのは共通認識か。
つーか男、原因後ろにいるんだから気づけ。助手席の女は察してるみたいだから及第点か。こいつら見てると前世で教官やってたころ思い出すなー。下についていたら速攻で矯正してやっただろうが。
(に、しても。外では"陰陽術"は珍しいものではないが、カビてる認識か)
『そりゃ数百年と山奥に隠れ、その割には態度は大きいのだからそんな扱いにもなるじゃろうて』
そんなもんか、と思いながらドアを開ける。いまだ名前も知らぬ女の子が呆然としているが、頭を一撫でして外に出た。
「おい――!?」
『オイコラいい加減ちょっと待て』
さて一丁やるかと気合を入れようとしたところで二方向から待ったがかかった。
とりあえず男の方は無視して、子狐丸に反応を返す。
(どーしたいきなり。なんか怒ってる感じだがカルシウム足りてる?)
『刀にカルシウムもあるかボケェ! やる気なのはいいが、お前は何を手に持っとるのじゃ!』
(何って)
言われ、手に持ったものを見る。
(ショットガンだな。さっきも使った)
『ショットガンだな――じゃないわ! 先ほどは距離もあったからそれでも良かったが、今お主の目の前にいるのはなんじゃ!?』
言われ、目の前に鎮座しているモノを見る。一気に決める気はないのか、遅々とした速度でこちらとの距離を詰めてきている。
しかし術者が見当たらないが……まあ今は置いておこう。
(百足の化け物だな)
『そう、化け物じゃ。ならもっと相手に適した物があるじゃろう! ここに!』
ふむ、と熟考。
……そういえば、一説には世界が違えばカレーの味が180度違うと聞いたことがあるが、この世界のカレーは何味だろうか。
(さっきの連中からロケランをパクッときゃよかったな)
『ワザとだろうお主! 後何か凄まじくどうでもいいこと熟考しておらんかったか!?』
(HAHAHA、気のせい気のせい)
『泣くぞ? 我全力で泣くぞ?』
そろそろ本気で凹んでる雰囲気が伝わってきたので冗談はここまでにしておく。なんて子供っぽい妖刀なんだとは思ったが、言ったらマジ泣きしそうなのでそれも止めておいた。
ショットガンを車内に置き前に出る。
今度手に持つのは、
(相手は物の怪、対するは奇代の妖刀なり、と。期待していいんだな?)
『当然じゃ。伊達に陰陽師の家系に封じられておらんよ』
今日は本当、忙しいことこの上ないな。
だが足取りは軽く、どこか近くのコンビニにでも行く気軽さだ。単に疲れでハイになってるだけではあるが、重いよりかは遥かに良い。
ま、そろそろ日も昇る。さっさと幕引きと行こうじゃないか。こちらがやる気だと分かったのだろう、百足が顎を引いて身を構える。
一歩、二歩と前に出て。
(後ろに置いてった誘拐犯ズが追いつてくるまでに約5分。――速攻でケリを付けるぞ)
『――合点!』
三歩目で子狐丸を百足に叩き込んだ。
*****
夜明けの近い山の中。
鍔が鳴り、牙が唸る。
雷鳴が如く雄叫びが辺りを揺らす。
大木より太く鉄より固い怪異に、対するは儀式装束を纏いし幼子が一人。
百足の怪異は幼子を喰らい、轢き、押し潰さんと長大な体で地面ごと殴りつける。
土砂が捲れ、大地が揺れる。
幼子は――
*****
己より遥かに大きい獲物に相対するとき、何が重要か。
圧倒的な力?
強靭な防御?
否、速度だ。
それも
身は低く足は前に、例え横を刃の塊が通り過ぎようと止まることはない。視界を広く持ち、耳は微かな音も聞き逃さず、肌で風の流れを読む。
それを持って獲物を仕留める為の最短ルートをひた走る。
既に足と腕に術式の円陣は展開済で、回転数を際限なく上げていた。進む一歩は獣より早く、振るう一刀は技と合わせて鋼すら両断する。
しかし体は未熟であるが故に勝手が違う。一つ間違えれば手足がもげるだろうが――要は間違えなければいいだけの話。一歩一刀毎に再計算を繰り返し、今の己の最適解を算出する。
体と思考はギアを上げ、ただし心はフラットに。
また刃だらけの胴が振るわれるが紙一重でそれを避ける。
「――っ!」
すれ違いざまに手にした刀で百足に切りつけた。
幾度も同じ動作を繰り返したが、流石妖刀。刃毀れひとつしていない。
対して相手は凶悪な外見とは裏腹に、その意外な脆さが露呈していた。
一見は全身刃のチェーンソーを連想させるのだが、この手の相手にありがちな関節――甲と甲の間は柔らかい。そこを狙えば面白いように足が切り飛ばせるのである。
(さてもう3割は切った気がするんだが)
『まだまだ元気じゃのう。と言うよりこ奴痛覚がないな』
(めんどくせえな、ったく!)
こちらもかなりの速度を出しているが、百足も特性上勢いがあった。――だが技術はない。
見ている限りこの百足モドキは人間によって操作されている。が、想像してほしい。百足の歩き方、捕食行動など、人間が再現をできるかという事を。
これがロボットで、レバーひとつで前進後退右左と移動できるならいいだろう。だがこれは術者と感覚を共有させて操る類の式神らしい。練習をして移動ぐらいはできるようになったのだろうが、百足の"技"なんてものは覚えようがなかった様だ。だからこそカウンターで切りまくるなんてことが出来る。
しかし腐っても相手は百足。しかも式神と言う常識の範囲外。足の多さが半端ない。
兎に角、さっさとその術者さえ倒してしまえばこの百足も消えるのだが、
『おそらく百足の中じゃろ』
(中ぁ?)
『ある意味一番安全ということじゃな』
(そのまま消化されてしまえ)
飛んで避けて走って避けて潜って避ける。
避ける度に服が裂け肌に傷が増えるが気にしてはいられない。既にタイムリミットの半分以上が過ぎていた。これ以上同じ事を繰り返しても意味はないと確信する。
本来なら焦るところではあるのだろうが……しかし全くもって問題ないとしか言いようがない。
(ま、こっちじゃなく向こうが焦ってんのはよく分かるんだがね。やれやれ芸のない)
『これだけ押されいればのう』
今駆けている場所は当初の位置より数百メートル離れた場所だ。身を回し、転がり、跳ね飛ばして
押してるように見えて押されている。それに気づかず俺を殺そうと破壊活動を健気に行う百足に涙が出そうです。
遠く、荒れた道路を一定の距離を保ちながらジープが追い掛けてきているのを確認しながら体を回す。
『先ほどから気になっておったのだが……それは"舞"か?』
(それってどれだ)
『今のお主の動きじゃよ。そう、その足さばきじゃ』
(ああ、これか)
トン、トン、トン、
轟音にかき消される足音は、よくよく聞けば一定のリズムを刻む。速さが上がろうとも、泥にまみれても、傷つき血が出ても。
腕を上げ、腰を曲げ、踵を鳴らしてステップを踏む。
一歩、二歩、三歩、
(確かこれは剣舞の一種とか先生が言ってたな。使い勝手悪すぎて寂れたらしいが)
『ふむ? 扱い辛そうには見えんがの』
(どこぞの土地神を奉っていた巫女に伝わっていたものとかなんとか。そこの巫女の条件は背丈が低くて身が軽いことだそうだ)
くるり、くるり、くるり、
眼前で咢が勢いよく閉じたが、あくまでも目の前だ。届いていない。
余程苛立っているのだろう。どんどんペースが上がるが、それでもテンポは崩れない。
『軽さを武器として身のこなしを重視した舞踊か。今のお主には合っておる。……今のお主にはな。なんで前世でんなもの習得しとるのじゃ。また妹御か?』
(それはない。あいつは確かに才能の塊みたいな奴だったが、音楽とかダンスとか芸術関連は壊滅的だったからな)
『妹御にも苦手なものとかあったのじゃなあ』
(その辺りは追々話すが……俺もたまさか今更コイツを使うとは思わんかったさ)
もう時間的な余裕はない。あの優秀な3人組ならこの状況でも自身の仕事をこなす為に突っ込んでくるだろう。
だが。
これ以上コイツに付き合うつもりはない。
(――あそこだな)
狙っていたのは術者。
子狐丸曰く、この百足は足を切ろうが胴を切ろうが頭を切ろうが術者がいるなら何度でも復活する類だ。消耗が激しいだろうから直ぐに再生はしていないが、足も半分以上なくなれば再生してくると思われる。
なので探した。
百足の"中央"を。
『これだけ派手に暴れまわっておったのなら中の揺れは相当じゃろう。そこ以外はな』
だから一番揺れの少ないところを探して。
そして見つけた。
だから――
(――――――――)
一閃。
ちりぃぃ…………ん、と鈴の音に似た音が響く。
納刀と同時に抜き放たれた刃は音の壁すら切り裂き、正確に百足の中に隠れた術者を斬った。
百足が大きく痙攣して身を伸ばす。
そしてゆっくりと傾き――ガードレールの向こう。深い森の崖下へ落ちていった。
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