第2話

 ほっそりとした手足に撫でるようにして軟膏を塗りつけていく。


 自分の身体ではあるが、しかし一つ間違えれば自壊してしまうような錯覚に陥るのが面倒くさい。必要最低限しかない栄養と、まともに運動すらできぬ環境のせいで、同年代の子供よりも遥かに弱々しいのだ。


『せめてもの救いは、見える所には後に残る傷が少ない事と清めのおかげで髪質は保たれていることじゃな』

(平手はよく喰らうが……誰に見せる訳でもないのに、体裁が気になんのかねえ)

『もしくは後で何かしらの御披露目が待ち受けているのやもしれんの』

(嫌な想像しかできんなー、それ)


 服着てれば見えない箇所は確かに内出血やら切り傷やらでボロボロ。逆に、露出している顔や手足は少し赤くなっている程度だ。

 基本はこう監禁状態にあり、屋敷の外の人間には会わないとは思うのだが……やはりなんかあるのだろうか。


 ともあれ、じくじくと全身が痛むので毎度塗り終えるまでに時間がかかる。最近では、背中にまで手を伸ばせるようにと柔軟運動も欠かせていない。

 そんな俺の姿が見えているのか、酷く残念そうなニュアンスの声で、


『しかし……やはり環境が劣悪だからか、全然成長せんのお』

(成長? あー、まあ他の子供みてる限り、背は伸びてねえなあ。今日は見なかったが、あの双子は同年のハズなんだが結構差がついてるしな)


 思い浮かべるのは当主の跡取りらしい兄妹。既に英才教育・・・・を受けているのか、俺を見る目が周囲の大人と同じである。なかなか将来が残念そうな二人だ。

 確かにあの二人と並んで立ったことはないが、目視で確認する限り、良いもん食ってんなお前らとしか感想はない。


『阿呆。そうではなく、女としての肉付きの話じゃ。その歳ぐらいなら丸みや膨らみが出てきてもいいのじゃが』

(ってとそっちかい。イキナリ心臓に悪いこと言わんでくれ)


 まだ俺はこの体──いや、正確に言えば、今生の容姿には未だ慣れることができていない。それどころか、年々自分の姿を見ることが出来なくなってきている。


『難儀なものじゃな、運命とやらも。お主の意外と繊細な精神も』

(一言多いっつの)


 なるほど。地獄が罰を受けるところであるのであれば、ここは地獄以外になんでもない。

 ったく、閻魔様は仕事しすぎだぜ。


 白く細く指で、己の顔の輪郭をなぞる。

 それだけで、胸の奥、遠い遠い昔の記憶が痛みと共に這い上がってくる。ぎりぎりと締め付けられるような、悪夢の続きを見ているような感覚だ。


 ……初めて自身の容姿を認識した時は、三度悲鳴を上げそうになった。

 一度目は、それが鏡と解らずに彼女がそこにいると誤認したから。

 二度目は、それが鏡と認識して、俺がそれだと理解したから。

 三度目は、ここがあの地獄前世の延長だと思い知らされたから。




(はあ……なんであの妹様と同じ容姿・・・・・・・になっているんだろうね、俺は)




 女として生まれてきたことよりも、そっちのほうが衝撃が大きかったのは言うまでもない。あと、思わず天に向かって中指立てたのも当然の流れだった。 


『なんにせよ、輪廻転生だか何だか知らぬが、少なくとも此度の人生ではその体とは一生付き合っていくことになるのじゃ。いい加減うじうじ鬱陶しいぞ』

(……いや、そうなんだろうけどな。つか、お前は何でそう俺に女らしくさせようとするんだ?)


 ふと気になったので、流れで質問。この性別年齢不詳の相手は、事あるごとに口うるさく注意をしてくるのだ。

 やれ、話し方が悪い。

 やれ、座り方が悪い。

 食べ方が、歩き方が、着付けが、肌と髪の保全が──


 ……オカンか!


 思わず関西風のノリで突っ込んでしまった。その時はしばらく落ち込んだような雰囲気が壁越しに伝わってきたのだが、全力でスルーしたのは記憶に新しい。

 そのときは聞けなかったのだがその理由は、


『ああ──単に我の趣味だ』

(無視していいな?)

『何故じゃ!?』

(なんで即ギレしてるんだお前は。趣味ってなんだ趣味って)


 何か知らんが、予想の斜め上の回答が返ってきた。


『さてはお主、己の素材の良さをまだ理解しとらんのか!? いや、前の妹と似ていると言うからには解っておるはずじゃ! その体は磨けば磨くほど光る逸材。それを腐らせるなどと、神が許しても我が許すかぁ!』


 いかん、妙なスイッチが入ったらしい。


『栄養や手入れが行き届いていないはずなのに、珠のようなお肌とさらさらの絹髪! 細く白い手足や体付きは、月明かりに照らされた雪のような儚さ! そして黒真珠のような瞳と艶のある唇、合わせてどこか憂鬱気な無表情はまるで精巧な日本人形のよう! どこのロリコンホイホイじゃ貴様は!』

(まて、最後に凄まじく酷い評価が混ざったぞ! 何処でんな言葉を知った)

『よく使用人達が噂しておるぞ? 何処其処の分家の誰某達が、お主を見る目がケダモノのようだ、と』

(すっげえ聞きたくなかった、聞きたくなかったそれ!)


 暫く、ここに変態が多い事実に戦々恐々とした後、向こうは最後にこう締め括った。


『先程も言うたが、お主とその体は当然一蓮托生。なに、可愛らしい美しいとで悪いことは…………無きにしも非ずじゃが、まあ良いことの方が多いはずじゃな』

(ロリコンは良いことなのか?)

『だから無きにしも非ずと断ったじゃろうに。あれは悪い最たる例だな』


 それはともかく、と言葉を続け、


『方向性はどうであれ、お主を強く想っていた妹の御姿。それを穢したい、壊したいと思うておるわけでは無いのじゃろう? この言い方は意地が悪いかも知れぬがね』

(………………悪いどころか最悪だよ、畜生め)


 最終的には納得しなければならないことは分かっている。それでも”じゃあそういうことで”とは飲み込み難いのは確かだ。


『今すぐ受け入れろとは言わん。が、後に嫌と言うほど思い知るから覚悟はしておけよ? ……さて、近いうちに赤飯の用意が必要じゃな』

(ガチで現実的に重いとこ来たな!)


 思わず頭を抱え、しかし確かに回避不能な未来でもある。

 一番単純なのは、もう一度死ぬことではあるが──そんなものは選択肢にすら入っていない。

 では、あるのだが、いやでもなあ、


『要は早よ覚悟を決めろということじゃ、このへたれめ』

(勘弁してくれ……)



 俺が治療を完遂したのは、月が完全に見えなくなり、部屋が闇に包まれて暫くしてからだった。

 駄弁りながらなので、少し時間がかかり過ぎたか。タイミング的にはギリギリだったらしい。


『ふむ、そろそろかの、と。お出迎えが来た様じゃな』

(……お? 今日は多恵がひとりか。珍しいな)


 夜遅く、連中が寝静まる頃に俺は風呂に入る。それも、一族の人間が使う大浴場を、だ。

 これだけボコボコにしておいて扱いも底辺ではあるが、しかし一応は家の人間ということらしい。何を今更とは思うものの、それでも一族に連なっている以上、使用人と同じ位置にいるのは気に食わないそうだ。

 相も変わらずなんとも面倒な連中である。


 そして多恵とは俺と同年ぐらいの使用人。まだ来てから日が浅く、立場も低いし経験もない。

 今までは多恵の教育係らしい老婆と行動を共にしていることが多かったのだが、どうやら今日は一人で俺の世話──ぶっちゃけると一応監視と言うべきか──をしに来たようだ。


 ま、俺は他の連中とは違って我儘とかは言わんからねー。

 立ち位置もかなり特殊だし、使用人から見ても扱いやすい部類に入るのだろう。


「し、失礼します」


 一言、断りの声が聞こえると、外から金属が擦れる音が聞こえてくる。鋼鉄製の錠前が開く音が一つ、二つと続き、七まで数えたところでようやく止まった。毎度思うがね、鍵かけ過ぎじゃね?


 頑丈な木戸が開き、おずおずと入ってきたのはおかっぱ頭の少女だ。

 俺と同年だけあって小柄で、まだまだ子供。それでも他人に仕える仕事をしているためか、精神的にはそれなりに成長しているよう見える。ああ、どこぞのアホ兄妹にも爪の垢を煎じて飲ませたいね。


「お休みのところを申し訳ございません、湯あみと夕餉の準備が整いました」


 部屋の中が僅かな明かりで照らされる。どうやら多恵がLED式のランプを持ってきていたようだ。ランプは電池式だがデザインは古風で、一見はLED、というより現代科学の産物だとはわからないだろう。


(なんなんだろうな、この無駄な雰囲気重視)

『いい加減、廊下にも照明器具をつければいいと思うのは気のせいかの。馬鹿なのか?』


 昔は陰陽に何か関係して、明るくするのが駄目なのではとか勘繰ったものだ。だが、単に外面を気にしているだけと気がついてからは、連中の行動は額面通り受け取るようにしている。


 まあ、それは置いといて。

 節々が痛む体に鞭を打ち、ゆっくり立ち上がった。行き先は、まずは大浴場だ

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