第3話

 多恵を伴い、大浴場を目指す。

 この辺りの廊下は窓一つなく、湿った空気で満ちていた。


 ま、それも当然と言えば当然か。

 階段を上がれば、屋敷一階の・・・・・端に出る。要は、俺がいる部屋は地下にあるのだ。地下でも角に位置しているので小窓ぐらいはあるが、恐らく元々は座敷牢あたりが連なる区画なのだろう。


(座敷牢って、この手の屋敷にはデフォルトで付いてんのかねえ)

『それは流石に偏見じゃな……基本はない。それの必要性がある場合と、持ち主の嗜好次第と言ったところかの』

(ならここは?)

『無論、後者じゃろ』


 少し後ろを歩く多恵は、こちらの会話に気が付いた様子はない。この脳内音声オンリーの相手は俺のみであり、他の者には聞こえないという。


 ……いや、単にトチ狂った俺の一人芝居という可能性もあったのだが、何度か検証した結果、向こうが俺とは別の個人であることは証明されている。

 屋敷内であれば風呂やトイレ含めて所構わず話しかけてくる相手ではあるものの、俺がまだ落ち着いていられるのは間違いなく彼もしくは彼女のお陰だ。


 うん、俺一人ならとうの昔にブチ切れているのは違いない。

 素性や事情諸々は聞いておらず、前に本人が”近い内に分かるだろう”と言っていたのでそうなのだろう。


 と、そんなことを考えていれば既に大浴場は目の前だ。

 後方で、どこかホッとしたような雰囲気が伝わってくる。


『おお、今宵は連中とは会わなかったのう』

(すれ違うだけでも面倒だからなあ。しかも今日は多恵しかいないから助かった)

『普段なら度が過ぎれば、あの鬼婆の一睨みで逃げていくからの。もしかすると、それの切り抜け方も教育中なのかも知れぬが』


 確かに、今まで俺の世話役として付いていた鬼婆もとい使用人の婆さんは、かなり連中の対処に手慣れていた。例え相手が仕える一族の当主だとしても言いくるめ、また鋭い眼光で退散させていく姿は非常に頼もしい存在だったのだ。


 しかし、その孫である多恵は、逆にとても気弱である。年齢を考えれば当然なのだが、連中相手になると蛇に睨まれた蛙のよう。

 いや……なるほど、だからこそだろうか。俺の傍にいれば、連中の性格や傾向は一目瞭然だ。その上で後で"復習"を行い、次への"予習"をするつもりなのかもしれない。


(どっちも良い性格してんな。ベクトルが真逆だが)

『もはや連中が彼女ら使用人の支えなしにはやっていけんのは前からじゃよ。もっとも、連中はそのことに欠片も気付いとらんがの』

(本格的に救いようがないなー)


 安物の着物故か、着脱は容易だ。中に誰もいない事を確認しつつ、さっさと脱いで浴場に入る。

 これで婆さんが居れば女性としての嗜みを〜と、小言を貰うのだが、今日はゆっくり羽根を伸ばせそうだ。


『我がいるがの』

(風呂ぐらい勘弁してくれ……)


 多恵が慌てて付いてくるが気にせず、まずは身体を洗っていく。

 うわ、今日も痣が酷いな。しかも髪が泥だらけ。お湯をかければ傷にしみるが、この程度も慣れたものだ。


 高価そうなシャンプーを拝借して、髪についた泥や汗をそっと洗い流す。髪は女の命だと言われ、またこの場でしか手入れできないので、丁寧にするようにしていた。

 口煩いのに言われて前髪以外は伸ばしているので、長さは腰にまで届いている。どのみちこれ以上伸びるとケアしきれずに痛むから、切り揃えて整えるんだけどな。


(…………ん?)


 ふと、視線を感じて注意を向ける。いやまあ状況を考えれば、俺を見てるのは一人しかいないのだが、


(あっれ。なんで俺、多恵にガン見されてんの?)

『ふむ』


 何事かと隣に座る多恵を見れば、その瞬間に目と目が合った。多恵自身、俺と目が合うのは予測出来ていなかったのだろうか、完全に硬直する。

 しかし直前までの視線から、多恵が見ていた理由は恐らく、


(まさか……恋!?)

『お主がたまにボケるのは天然か? まだ子供とかそれ以前に女同士じゃろうが』

(実の妹にヤンデられた経験ありまするが)

『女運悪いだけではないかの』


 かもしれぬ。

 いや、それ兎も角。


(何度もっつか毎日こうだと思うのだが……そんなに痣が珍しいかね?)

『いや、普段は婆の目もある故、そこまでじっくりと見とらんかったの。後、お主がそこに座ったのもあるじゃろうが』

(……ああ、今日はこっちのシャワー使ってるから、多恵がやることないのか)


 今、多恵とは確かに風呂にいるが、しかし多恵の格好は裸ではなく白の浴衣。そして本来であれば俺が座るのは、”誰かに洗ってもらうことを前提として”設計されているシャワーの前だ。


 いやだってあそこ、シャワーまで手が遠いし。あと趣味合わんから出来る限り使いたくないし。

 どー見てもエロい意味での風俗的な椅子の形状とシチュエーションってか、そも女風呂だぞここ。頭は大丈夫か。


『お主……。毎度の嫌がらせで付きの者がいない時はいいが、今日は多恵がいるじゃろうに。見ろ、どうすれば良いか分からずオロオロとしとるではないか』

(そーいうことか。ま、もう終わってるし、諦めてもらおう)

『…….不憫な』


 まだ混乱してるっぽい多恵は放置して、湯船に浸かる。

 ああ、やっぱり源泉引いてるだけあって、気持ちがいい。


(これで日本酒があれば完璧なんだがなー)

『唐突にじじ臭くなったの。ゆっくりするのは構わんが、多恵の事は気にしてやるのじゃぞ』

(多恵も俺が部屋に戻らんと仕事が終わらんだろうしな。次は飯だな)


 身体が小柄なので、芯まで温まるのは早い。

 ちなみに、婆さん曰く塗っていた軟膏は湯で溶けて肌から浸透するようで、温泉の効能と併せると効果が倍増するとかなんとか。単なる民間療法な気もするが、確かに治癒が早いので助かっているのは違いない。


 前世の感覚で浸かっていると逆上のぼせるので、程々で切り上げて上がることにする

 さー、次は飯だ。




 二十畳ほどの広さの部屋で、飯を食う。

 正座して座る俺の目の前には、旅館などで見かける膳が一つ。多恵は斜め後ろで同じように正座して待機中だ。


 今晩の献立は玄米と焼き鮭、味噌汁という典型的な日本食──の余り物。と言っても玄米はカリカリのお焦げが入ってるし、焼き鮭は切れ端だが骨は無いので食べやすい。味噌汁に至っては鍋の底に溜まっていたであろう具材が入っており、何気にお得感がある。

 余り物故に量が少なめであれど、無いよりはマシ。不満があるとすれば、


(マジで肉食いてぇー)

『……なんじゃ突然?』


 そう、肉。肉である。

 こっちの世界に生まれてこの方、一度も肉類を食った覚えがない。初めは精進料理のような肉が全く入っていない類しか出ないのかと思っていたが、実際はそうではないらしいのだ。何度か焼肉やら焼き鳥の残り香があったから間違いない!

 俺の飯は基本的に残り物。要は、肉は一欠けらも残らないのである。ちくしょーめ。


(はあ。……ステーキとまでは言わんから、せめてコロッケのようなものでも出てこればなあ)

『気分の落差が激しいのう。長いこと食うてないのは分かったが、そこまで拘るほどかの?』

(いや坊さんでもないんだから、当然だろ。お前は違うのか?)

『あー……。我には縁のない話でな。全く共感できぬ』


 なんと、この相手は肉を食ったことがないのか。なんというベジタリアン。

 とはいえ、なぜ肉に拘るかといえば、


(そりゃ前世の時から、肉は俺たちにとって"御馳走"だっからな)

『……肉が御馳走? 前の世界は恐らく今生と大して変わらんと言ってなかったかの? よっぽど貧しかったか』

(世界の比較に関しては、ここから出たことないから憶測レベルだがね。ま、実際今の飯も前に比べりゃ十分御馳走なんだ。……軍用レーションに比べれば)

『また厳つい代物が出てきたのう……。それほど不味かったのか』

(不味いってもんじゃねえ。あれは一種の凶器だ)


 軍用レーション。

 その名の通り、軍人またはそれに属するものが作戦中に食す携帯食料だ。

 他はどうか知らないが、俺がいたところは親指大のグミもどきだった。


 少しそれを思い出してしまい、味噌汁を飲んで緩和する。


『グミ……もどきとな?』

(カロリーと栄養バランスのみ・・を考えた、いや寧ろそれ以外を完全に除外した人体用補給燃料だ。あれは食料とは言わん。ただのタブレットの類だ)


 なんせ見た目は紫色の妙な光沢を放つ物体A。異臭を放ち、手に持った感触もぐにゃりとしていて気持ち悪い。

 当然、味は最悪だ。なんせ辛いとか苦いとかならまだ・・救いはある。本当の不味さというものは、そこを超越していると理解させられるのだ。


(なんせ、気付けとしても活用していたからな)

『もはや食品じゃのうて、薬扱いか』

(基本、そこらの雑草を灰汁抜きして食った方が確実に美味い。山の中なら、野生動物を捕まえられたら大金星だな。銃は使うと音と弾薬が問題になるから、よくナイフ一本で狩りに出たぜ)

『時代が逆行しとらんか? しかし、なるほど。肉が御馳走とはそのような意味か……』


 理解して頂けたようでなにより。

 そうこうしている間に食い終わったので、箸を置いて席を立つ。それに合わせて多恵が素早く動き、膳を片付けていく。すぐ近くに台所があるので、戻ってくるのは早い。

 後は部屋に戻り、少しストレッチをすれば一日は終わりだ。少し遠回りして、地下への階段へ向かう。

 そして、また朝になれば外に連れ出され、教育の名のもとに何かしらの嫌がらせを受けるのだろう。



 これで今日も一日は終わり。









 ──そのはずだった。




「待て」



 一瞬、俺自身が話しかけられたと気づかなかった。

 目の前にいる人影。

 後ろの多恵が、硬直したことが見なくともわかる。


 俺も、多恵と同じ──とまではいかないが、それでもかなり驚いていた。


『……なんじゃと? 何故、こやつがここにいる』


 それは俺が聞きたい。

 こんな場所に、ましてや俺の目の前に。


 なんせ俺に向かって言葉を発した相手は、この屋敷でも一番俺を嫌っている人間なのだから。

 この私刑とも言うべきお遊びを指示し、そして今生の俺を生んだ片割れ。



 この一族の当主。・・・・・・・・



「明日。貴様には役目を果たしてもらう」



 男は嗤う。



「朝より体を清め、準備を整えろ」



 下卑た笑みを浮かべ、溢れるドス黒い感情を隠しもしない。



「役目を果たすのは、夜」



 余程興奮しているのだろう濁ったまなこを見開き、その歪んだ口から言葉を──否、呪詛・・を吐く。



「──それで、貴様は終わり・・・だ」













『……さて、予想より随分と早かったの』

(まあなー。まさかお父上殿が直々に出向いてくるとは思わんかったが)

『死刑宣告食らっとるのに、随分余裕じゃのう』

(ま、俺もいい加減飽きてきたから、そろそろ潮時だとは思ってたしな。それより、明日の"お役目"とやらの心当たりがあるようだが?)

『……なに、明日になれば全部わかるさ。お主が詮索もせんかった我の事も、な』

(へえ、そりゃよかった。ま、明日は忙しそうだし、さっさと寝てしまうかね)

『本気で動じんのー。狂うとるのか馬鹿なのか。……後者じゃな』

(〆の結論がそれかよ!)








 狭い格子の先、山奥故に満天の星空が見えている。すぐ近くを流れているらしい川から聞こえる水のせせらぎをBGMにして眺めるのは嫌いでなかったが、どうやらそれも今夜限りのようだ。


(さーて、明日はいっちょ一暴れすっかね?)

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