第13話
既に日も暮れている中、しかしまだ二人は机に向かっていた。
終わらないー、終わらないー、と呟きながら暗号と睨めっこしている椿は目が完全に死んでいる。
なら隆仁はと言うと、こっちはこっちで黙々と料理を作っていた。野菜を切る音がリズミカルに響き、手慣れているのが分かる。普通逆な気がしなくもないが、どうやらここではこれが普通のようだ。
ちなみに椿の料理の腕前は、大量に保管されているカップラーメンで察してほしい。
『この二人、昼は学校とやらに行っておるのじゃったか。学校でコレはできんのかのう』
(暗号書広げて解読作業? 目立ちすぎだろ。隆仁は隠してるみたいだし、椿も同じく周囲には話してないみたいだしな)
おかげで緊急の用件やデカい仕事が入った時は、抜け出したり休んだりする必要があるので苦労してそうだ。ただ資料を見る限りでは本人たちも実力不足は認識しており、普段は小さな依頼をこなして経験を積んでいっている様である。
『なんじゃその資料って』
(ほれ、今俺は書類整理任されてるだろ。その中に書いてあった)
内容そのものはざっくりとしか見ていないが、大雑把には理解できている。そこから読み取れたのは、やはり前の一件は椿たちにとってかなり偶発的なものであったということだ。
なんでも誘拐犯が逃げた先が複数考えられ、当たりだと思われるところを別の業者が担当。隆仁&椿はバックアップとして入り、一応確認しておこう程度のポイントだったとか。しかし行ってみると犯人連中とばったり遭遇、そのまま銃撃戦+カーチェイスになったらしい。
そんな事態も起こり得る為、本来であればこんな荒事家業は学生という身分と両立させることが難しいものではある。一番手っ取り早いのは学校そのものを止めてしまうことだが、
(悲しいかな、こういった仕事でも学歴が重要だったりするんだよなー)
『なん……じゃと』
(中退って言うと、その理由はどうであれ馬鹿と見なされる可能性大なんだよ。確かな実績があれば別なんだろうが、二人にゃ難しいしな)
『世知辛いのう』
(ま、二人ともこのまま危険しかない仕事を続けていくかは決め切れてねえみたいだから、学生の内はそれ中心でいいだろうさ)
『荒事ならば家族とも距離を取り事になるじゃろうしな』
隆仁は特に義妹と幼馴染とやらは巻き込みたくないだろうし、隆仁が止めるのであれば恐らく椿も断念すると踏んでいる。年若い女一人でやっていくには厳しい業界であるのは、椿本人も重々承知しているだろう。
『ところでお主はさっきから何を弄っておるのじゃ?』
(細工箱って奴。仕掛けを解くと鍵が解除されて開くって代物だ)
『……我の目には、蹴鞠並の大きな多面
(ルービックキューブとスライドパズルを足した感じだな。ちょいとコツが必要だから、あの二人には無理だろうってか無理だった)
この類はコツを知っていることも重要だが、当然根気やら何やらも無ければ結構キツい。特にこれは意地が悪く、一見は先に進んでいるのか戻っているのか分からない作りになっているので、終わりが見えないように感じてしまうタイプだ。
ついでに時間も掛かるので、他にも課題が多い二人はサクッと諦めていた。
『加えて中に何が入っているか分からんからのう。確かに意地が悪いのじゃ』
(かく言う俺も得意っつー訳じゃないけどな。暇してるだけで)
『その速さで得意でないと言うか……』
(妹はコレと似たようなヤツ、ものの数分で開けていたぞ? ああ、見事なまでに解体されていたな)
『……それは得意と言うのか?』
そうダベっている間に隆仁作の夕飯がテーブルに並んでいく。隆仁がいる日はそのまま夕飯を作っていき、味は中々に美味い。ない日は三分待つだけですな。
両親共働きだから家でも作っているのは分かるんだが、幼馴染みのとこにまで作りに行くってなんだ。だから逆だろ普通。
手を洗って椅子に座れば既に椿が箸を持ってスタンバッている。そこで行儀が悪い手を洗えと頭を叩かれるのもいつもの光景である。
「「いただきます」」
二人が手を合わせるに続いて俺も同じ動作をする。
さて、本日の日課の時間である。二人分の視線を受けながら、息を吸う。
「……ぃぁ……ぅ」
俺の口から呼気と共に擦れた音が僅かに鳴った。高い、壊れた笛のような音。
"いただきます"と言ったつもりだが、やはり弱り切っている声帯は正常に動作しなかった。
それを見た椿がチャーハンをかき込みながら苦笑する。
「やっぱりまだまだ時間かかりそうだねー」
「食いながら喋るな取り上げるぞ。……お嬢の声はそう一朝一夕でどうにかなるもんでもないだろ。ま、喉がつぶれてる訳でもねえみたいだし、根気よくやればいいさ」
頷き、箸を持って食事を開始する。朝食に始まり、昼に発声練習、夜にこうして進捗確認といった具合でリハビリが行われていた。
あの病院でそのまま受けた診断結果はひどく単純で、要は今まで使っていなかったからだけのことらしい。普通は赤子の頃に泣いたり笑ったりで喉を鍛えて成長させるが、残念ながら俺は人生テイク2だ。そうそう夜泣きだので泣くことはなかったし、大きくなってからは喋る事すら許されなかったので、そりゃ鍛えられませんよな。
仕方がないので地道に頑張るかね、とか思っていると、
『……お主は喋れるようにならん方が良いと思うのじゃが』
(水差しなんでぞ)
『いやお主、声を出せてもその口調で話すつもりじゃろう。……男の粗雑な話し言葉の無表情幼女。くっ、残念すぎるのじゃ……!』
(お前に残念とか言われたかねえよ!? ……しかしそうか、話せるなら口調は絶対なんか言われるよな)
隆仁も椿もその辺りは煩そうな雰囲気である。
誰か参考にできるのはと考え、前世の相方や妹様が思い浮かんだが投げ捨てて――参考にできそうなのを、一人思いついた。
(そうか、多恵だ)
あの屋敷で使用人として側にいた多恵は、常日頃から敬語・丁寧語を使っていた。あれなら男だろうと女だろうと関係ないので、文句は言われない筈だ。
『それはいいが、お主敬語使えるのか?』
(すげえ疑ってやがるなちくしょう! これでも前は軍属だったこともあるんだぞ)
軍隊というのは映画やドラマであるような、実は中ではフランクみたいなノリは存在しない。訓練、実務中は勿論のこと、非番に外で上官に会えば敬礼だ。その分フリーになってからは荒れたがな。
(軍隊とまではやる気ないが、似非敬語使ってりゃ問題ないだろ)
『で、キレたりすると豹変するキャラじゃな?』
(……だからお前は俺をなんだと思っている)
飯を食い終わった後は隆仁が皿を洗ってそのまま帰っていく。椿に皿洗いをさせるな、というのは来た初日に学んだことである。
また明日な、と振り返らずに片手だけ振って去ってく隆仁。少年よ、渋い大人の真似事は若い頃にやると黒歴史にしかならんぞ――とは思うが、教えないことも優しさだ。椿が生暖かい目で見ている辺り、良い性格はしていると思う。
「お嬢ー、お風呂湧いたけど一人で入れる? なんなら私が一緒に入っても――って、あ、早っ!?」
さっとタオルと着替えを用意して風呂場に急ぐ。
あのまま遅くなると椿が風呂まで付いてきてしまうので、ゆっくり浸かりたい俺としては逃げるが勝ちだ。
『別に一緒に入ってやってもいいじゃろうに』
(いや、ああまでガッカリされると偶にはとは思うが、そう毎日入りたいとは思わんぞ)
風呂場は居住スペースの一部にあり、先代のこだわりなのか意外と広い。小さい俺はともかく大人でも十分に足を伸ばせる浴槽は檜で、変なところに金がかけられている。
着ていた服をパパッと脱いで浴室へ入れば、そこには素材独特の木の香りが満ちていた。
『ここは屋敷と似ておるが、それでも小さいはずのこちらの方が品性を感じるのが面白いのう』
(設計したのと普段使っている人間の違いがここまで出るとは。あっちは完全に成金趣味だからしゃーないが)
あちらは無駄に広いだけで実用性・利便性より見た目を重視していた。あとエロ目的。
使用人がいるからそれも加味してのことだろうが、何にしても一般的な感性の人は使いたいと思わない仕様であったのだ。ネタにしかならん。
対してこちらは、限られたスペースを最大限に活用して広くしている実用重視の設計である。デザインも落ち着いた雰囲気で、置かれたインテリアもそれに合う様になっていた。いいねー、センスが光る。
『二人で入っても十分余裕があるのじゃがな』
(まだ言うか。三日に一回は向こうから突撃してくるからいいじゃねえか)
三日目ぐらいには我慢の限界DA! と言わんばかりに無理やり小脇に抱えられ、風呂場に直行されるのだ。ちなみに明日がその"三日目"である。
今日は素直に諦めたらしいが……さっき妙な視線を感じたは気のせいだったか?
『性格は難だが、女としての見本にはなるからのう。それにお主を女らしくしようと”色々”と世話を焼いてくれるのじゃ』
(というか単に狐耳が見たいだけな気がしなくもないがな)
『我を持って風呂に入ろうとした時は焦ったのう……』
その時は思わず肘を鳩尾に入れてしまったが、全く懲りた様子がないという恐るべきなりケモ耳信奉者。
そんなどうでもいい情報は置いといて。
椿は年齢の割にスタイルが良く、服装もファッション誌に出てくるような組み合わせだ。化粧も大人しめで、それが活発そうな仕草や表情と合わさって高嶺の花という雰囲気はない。
中身が残念なのがあるが、それがまた魅力になっているというか、ぶっちゃければ『誘えばいけるんじゃね?』的なノリでナンパが絶えないようだ。
故に椿を参考にさせれば俺も女らしくなる、と子狐丸は考えているらしい。
『生活環境は比べるまでもなく改善されたのじゃから、身体は勝手に出来てくるじゃろうて。なら後は根っこの部分じゃ』
(そんなに急がなくてもいいじゃねえかよー)
『たわけ! 思考が男のままじゃと身体と齟齬が出るじゃろうが。まったく、中身おっさんの分際で子供かお主は』
いかん、久しぶりにオカンが降臨しやがった……!
長く生きている分なのか、年寄りは話が長いを地で行く妖刀だ。こうなってしまったら暫くは落ち着かない。……放っとこう。
小言を右から左に流しつつ、長い髪を丹念に洗ってから色々薄い体も汚れを落としていく。
だいぶ痣が消えてきたのはいいんだが、大半を地下で過ごしていたからなのか元々なのか、肌は真っ白だな。鏡に映る今の自分の姿はなんとも頼りない。
髪の艶はいいが顔は無表情、更に全体的に細く白いので、病人に見えなくもなかった。まあ唯一の利点は、顔の造形が似ていた妹様は逆に健康的だったので、ここまで差があるとトラウマをあまり刺激されなくて済む。……うん、妹様はある意味病気だったのは違いないが。
頭洗って、身体洗って、湯船には浸かって芯まで温まって。よし、さくっと上がろう。
『あ、こら! まだ話は途中じゃぞ!?』
まだ子狐丸が何か言っているがスルーして脱衣所へ。タオルで水気を拭いて着替えれば――
(…………ぬう)
『なんじゃ何かあったのか、ってパンツなんぞ眺めてどうしたのじゃ』
(そのセリフだけ聞いたら変態だな、俺)
両手で摘んでいるのは女児用の、少しだけフリルのあしらわれた下着だ。椿がいつの間にか買ってきていた物なのだが、
(いや……二週間経ってもこれだけは慣れんなあ、と思って)
『ああそうか。お主、向こうでは"穿いてなかった"のう。未だに和服だったからなのか嫌がらせの一環なのか連中の趣味なのか、判別が付かん』
(言いたいことは分かるがなんで最後のを選択肢に入れた! ……ともあれ、おかげで実はパンツ穿くのも先週で生まれて初めてだったという衝撃の事実)
そのせいか、股下にある布の感触に強く違和感がある。単に元男だから女物の下着に慣れない可能性もあるんだが、そこは深く考えない。
兎に角、痴女になるつもりは無いので昼は我慢して穿いているが、寝るときぐらいは着けたくないのである。
(まあ後は寝るだけだし椿にばれなければ――うん?)
『なんじゃ今度は、ぬ……!?』
とりあえず服は着るかと思い、これまた椿が買ってきた浴衣を手に取ろうとして気が付いた。
そこには浴衣ではなく――
『なんじゃろうな。我の目には狐の付け耳と尻尾と、巫女服を元したようなふりっふりの衣装があるのじゃが』
(もはや寝間着ではないっつーか、コレでナニするつもりだあのアホ娘……!)
『……着るのか?』
(誰 が 着 る か)
「あれお嬢、そんな裸のまま勢いよくまるで跳び蹴りするような体勢はどうしたの――っておみ足ぃぃいいいいい!!!」
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