第9話 黎明国と魔導連合 その1


 会談場所として選ばれたのは、魔導学校の応接室だった。

 空間魔導を使えばアトールから首都ルーノンまで一瞬で転移できるが、それをすれば拉致・監禁の危険性など、ファルデンに無用な警戒心を抱かせてしまう恐れがある。

 そのため飛行船が係留されているアトール魔導学校、その応接室にて両国の会談を開く手はずとなった。


 両国の代表は革張りのソファーに腰掛け、テーブルを挟む形で向き合う。

 ヴィストニア陣営はアニラ、オーゲル、ニコールの三名が。

 ファルデン側はウォルターの他、男女二名が席に着く。

 その他壁際に立つメンバーが見守る中、最初の議題として上げられたのはアニラの対話魔導式についてだった。

 ウォルターは手のひらでアニラを示して確認する。


「――では、あなた方の言う対話魔導式……翻訳魔法とでもいうべきそれは、ミス・フルルータにしか扱えないのですね?」


 うなずいて応えたのはオーゲルだ。


「左様、識魔導の適正者はヴィストニアでもアニラだけ。当然対話魔導式を扱える人間も他にいない」

「ならばミス・フルルータ」


 ウォルターは手ぶりを交えてアニラに提案する。


「あなたの翻訳魔法を応用して、この場にいる人間全員に翻訳能力を与えることはできるだろうか?」


 アニラは腕を組んで思案しつつ、彼女の見解を述べる。


「結論から言うと不可能ではありません。だけど、今はできません」


 アニラは人差し指を振って説明する。


「今私が使っている対話魔導式は『私と誰か』の間でのみ効果を発揮する仕組みなんです。なので『誰かと誰か』の間で翻訳させるなら、それ専用の魔導式を組む必要があるんです」

「アニラよ、それを組むのにどの程度かかる?」


 オーゲルの問いにアニラは目をつむって「うーん」とうなり、


「一週間、かな?」


 と首をかしげて呟く。

 するとヴィストニア陣営からはため息がもれだす。

 ただしそれは失望や落胆によるものではなく、むしろ驚嘆や感嘆に由来するものであった。

 もっともアニラはそう受け取らなかったようで、無用の反論を始める。


「これより早くは無理ですよー! 『誰かと誰か』の間で翻訳するには私を中継する必要があって、魔導式の組成は別物になるんですから!」

「いいやアニラ、お前さんはよくやっておるよ」


 オーゲルは弟子の頭を撫でて、その才能に称賛を送る。

 通常一つの新型魔導式を組むのに早くても数か月、または年単位の時間がかかるのが魔導士の常識だ。

 それをわずか一週間で成し遂げるアニラという少女は、まさに驚異的であった。


 一方、ウォルターはわずかな苦笑を交えてこうこぼす。


「なるほど……しかしヴィストニアは不思議な国だ。魔法が実在し、言語の壁さえ超えてしまう……驚くほかない」

「あのあの、気になってたんですけど」


 通訳を忘れて、手を挙げながらアニラは尋ねる。


「『まほー』ってなんですか?」


 するとウォルターは年に似合わずきょとんとした顔を見せ、逆に問い返す。


「まさかとは思うが……魔法、という概念をご存知ない?」

「です」

「魔法使いなのに?」

「まほーつかい?」


 今度はアニラたちヴィストニア陣営がきょとんとする番だった。

 やや困惑しながら、ウォルターは補足する。


「我々の世界では、物理法則を無視した不思議な現象を、時に『魔法』と呼ぶのです。たとえばあなた方の空飛ぶ小舟や、翻訳魔法などがそうです」

「つまり……」


 アニラは首を傾げつつ、概念のすり合わせを図る。


「私たちの魔導がファルデンでいう『まほー』で、魔導士が『まほーつかい』――そういうことですか?」

「我々はそう認識しているが……これは文化と歴史の差によるものか?」


 意外なところで浮き彫りになった、見解の不一致。

 アニラ個人としては気になる問題であったが、ここでは他に優先すべき議題があるのだった。

 話を戻すべく、オーゲルが会談の舵を取る。


「興味深い謎だがその解明は後々、専門家に託そうではないか。ここで話すべき事柄はまだある」

「ごもっとも」


 そして、会談は本格的な始まりを迎える。

 ウォルターは懐から一枚の印刷物を取り出し、テーブルに置く。

 それにはどこかの街を背景にして、幼子の手を取る女性が描かれていた。


「この一枚の写真を見てください。ここにはなにが写っていますか?」


 アニラは写真をのぞき込み、「記録魔導具みたい……」と呟きつつ答える。


「どこかの街と、母親とその子供に見えます」

「では、その二人はどのように扱われるべきか、お答えください」


 不可解な問いかけにヴィストニア陣営は顔を見合わせる。

 口を開いたのは中央議員のニコールだ。


「個人および社会全体で庇護するべき対象では? 子を持つ母親も、そして子供も。もちろんそれに当てはまらない人々も」

「それが外国の人間であっても?」

「それは、その外国との関係によりますが」

「ならばこうしよう」


 ウォルターの瞳が、冷たく無機質に光る。


「この二人が、今まさにあなた方の国を窮地に追いやっている敵国の国民だとしたら?」

「その場合は、然るべき法に則って、一時拘束か強制送還か……」


 勘案しながら発言するニコールに、さらなる問いが浴びせられる。


「ところで、あなた方の国に奴隷はいますか?」

「は? いえ、ヴィストニアに奴隷制度はありません。奴隷など古き慣習です」


 ウォルターの質問は止まらない。


「次に、ヴィストニアではどのような肉類を食されますか?」

「えぇとファルデンにもいるかは測りかねますが、豚や牛、鶏……それから魚もですね」

「人肉食の風習はありますか?」


 ウォルターが放った言葉に、翻訳するアニラも思わずぎょっとしてしまう。

 淡々と彼は続ける。


「国家の伝統や宗教上の慣例、また過去の歴史も含めてです」

「そんなものあるわけ――いや……ちょっと失礼………」


 言葉の途中でなにかに気づいたのか、ニコールはしばし黙り込んでしまう。

 アニラには今、両者の間でなんの応酬が交わされているのか、そしてファルデンはなんの意図で一連の質問をするのかが分からなかった。


「師匠、いったい……?」


 ささやくアニラに、オーゲルは低い声で呟く。


「……どうやら、我々は試されているらしい」


 うつむいて口に手を当て考え込んでいたニコールは、ゆっくりと顔を上げる。


「そういうことですか……」


 彼は眼鏡越しにウォルターを見据える。


「ウォルター氏、ヴィストニアはそんな野蛮な国ではありません。理性と良心を持つ、真っ当な国です」


 対するウォルターは目を伏せ、わずかに頭を下げる。


「不快にさせたようなら謝ります。しかし、ここで確かめる必要があったことを、理解してほしい」


 そう言って彼はテーブルの写真を懐にしまう。


「え、え?」


 通訳しているのはアニラなのに、彼女は状況についていけなかった。


「あの、説明してもらっても?」

「ファルデンは見定めようとしたのですよ」


 ニコールは眼鏡の位置を直して続ける。


「……ヴィストニアがまともな倫理観を持つ国なのか。またファルデンと共有できる価値観や道徳を持っているか否かを」

「ほ、ほぉ……?」


 飲み込もうとするアニラだったが、ウォルターが語りだしたため通訳に追われる。


「ここが異世界である以上、先入観や固定観念に依存するのは危険です。相手が同じ人間の国家だったとしても、そこに共通の人間性があるかを、第一に確認したかった」

「なるほど合理的だ。しかし、そうか……」


 ゆっくりと頷くオーゲルは、こう言葉を結ぶ。


「ファルデンとは、そういう国なのだね?」


 三つ星魔導士に相応しい、泰然自若とした口調でオーゲルが尋ねる。

 迎え撃つは、ファルデン軍人の鋼鉄を思わせる不動にして怜悧な眼光。


「非常時ゆえの措置として、受け入れてもらいたい」

「『必要上の不備と支障は見逃す』という約束だからな、気負わんでくれたまえ。それより気になることを言っていた気がするの……なぁアニラよ?」


 視界の端で弟子が目を輝かせているのに気付いたオーゲルは、アニラにその役を譲ることにしたらしい。

 師に託されたアニラは、胸の前で両こぶしを握って問う。


「あのウォルターさん! 今『異世界』って言いましたかっ?」


 ウォルターは先ほどまでの冷徹な雰囲気を弛緩させて、少女に応える。


「ええ、私はここを『異世界』と表現しました」

「それじゃもしかして、ファルデンは元からここにいたんじゃなくて……?」

「その通り」


 そうして、アニラたちの前提は崩される。


 黎明国ファルデン――かの国が、この異世界にもとから存在する国家だという前提が。


「我々ファルデンはこの異世界に飛ばされてきたのです――つい、三日前に」


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