第23話 少女が見た戦争
今から四日前。
アリオンが『大転移』によって名もなき異世界へ飛ばされた、翌日のことだ。
エステラたちアリオンの
エステラ曰く光芒騎士団とは、アリオンの防衛及び魔族討伐を専門とした軍事組織のことで、彼女はそこの正騎士なのだという。
光芒騎士こそは人類の守護者。
絶望
そんな栄光の騎士団に名を連ねるエステラは、戦闘が発生した当日、アリオン外縁南西部の砦に駐屯していた。
弱冠十六歳という若さで従騎士から正騎士に叙勲されたとはいえ、彼女もまだ若輩の身。
見張り塔に上っての周囲警戒、という地味ながらも重要な任務を粛々と全うしていた。
任務中、周囲を俯瞰する彼女の視線は時折、上空に吸い寄せられる。
少女の視界に広がるのは、世界の果てまで続く澄み切った青天。
天道を行く、
暗雲
少女は声もなく、独りごちる。
――空が青いなんて、知らなかったな。
突如発生した異変と、別物にすり替わってしまった外界。
原因はいまだ不明。
それこそ、この異変は魔族の仕業で、今にも大群で押し寄せてくるかもしれない。
――僕には、今なにが起きているのかは分からない。
――だけど。
エステラは異世界の空を仰ぎ、感嘆の吐息を吐く。
――この空は綺麗だ……とても。
暗黒の世界しか知らぬ少女が、新たな世界に対し淡い感動と一抹の希望を抱き始めた、その時だった。
エステラは前方の海――元の世界では陸地だった――にて、ある物体を発見する。
仔細に観察するため、遠眼鏡を取り出してのぞき込む。
距離はかなり離れており、遠眼鏡越しでもその姿はおぼろげにしか映らない。
だが、海上を進むその物体は、帆こそ張っていないものの、形状からして船であるようだった。
等間隔に並んで砦へ向けて接近する、数隻の船。
それこそが、この後に砲火を交わす相手――ファルデン海軍の調査艦隊であった。
「――総員迎撃用意! 配置につけッ!」
砦を預かる隊長の号令一下、光芒騎士たちは迅速に行動を開始する。
各々剣や槍、盾や鎧で武装し、『祝福』の触媒たる『楔』も身に着けて臨戦態勢をとる。
聖神アルの『祝福』を授かっていない従士たちは野戦砲を展開し、砲弾を込める。
従騎士たちは、砦の各所に配備された対魔族大型バリスタに
戦の主役たる正騎士たちは砦の前で、来る白兵戦に備えて陣形を組む。
エステラも自らが所属する隊の戦列に加わり、開戦の時を待つ。
騎士たちが戦闘準備に追われている間に、外敵と推定される艦隊はアリオン近海で進行を停止。
まだ距離はあれど、その概観を目視でも確認できる程度には接近していた。
黒を基調とし、エッジに緑のラインが刻まれた鋼鉄の船。
帆が無い代わりに煙突を生やしており、そこからは黒い煙が絶えず吹き出ている。
甲殻や粘液に包まれ、おどろおどろしい異形をみせる魔族とは似ても似つかない外見だ。
――人工物? そんな、まさか……。
初めて目にするファルデンの軍艦をエステラが睨むように観察していると、隣から声をかけられる。
「あれ、魔族っぽくない……ですよね?」
エステラはその声の主をちら、と一瞥する。
そこに立つのは二十代半ば、暗い金髪の青年――正騎士カーク・ソル・ラウリートだ。
誰に対しても腰が低く、常にヘラヘラとしている軟弱者な彼も、今ばかりは怪訝な顔つきだ。
「人工物っぽいというか、船っぽいというか……」
「ラウリート卿もそう思いますか」
「そもそもここにも魔族っているんですかね? 異世界だってもっぱらの噂ですけど」
「それは、僕にはなんとも」
彼は海上の艦船をやや眺めると、やがて声を潜めてこうささやいた。
「ひょっとして、乗ってるのは人間だったり――」
「ラウリート卿」
エステラは同僚の名誉を守るため、硬い声音で言葉を遮る。
彼の言わんとすることはエステラにも分かるが、しかしそれを口にすることは、アリオンでは
「アリオンは、聖神アルが与えたもうた人類唯一の御国。アリオン人こそが人類最後の子孫――子供だって知ってることですよ」
アリオンの外に、人の子無し――それが聖帝国アリオンの常識だ。
過酷な環境に身を置くアリオンでは、必然的に聖神アルとそれに基づく宗教への依存が強くなった。
アリオンの民たちが自らを「最後の人類」と称する、ある種の選民思想も、国民の団結を高めるため説かれたものだ。
もっとも彼らが元いた世界では、アリオンを除く共同体は魔族によって滅ぼされているため、単なる妄信とも言い切れないのだが。
年下の同僚にたしなめられたカークは頭をかき、「あ、ですよねぇ」と苦笑する。
先輩騎士がすごすごと引き下がる様子を見ながら、エステラはひそかに自問する。
――あの船に乗ってるのが人間、ということはまずないとしても。
――そもそも本当にあれは外敵なんだろうか?
先刻、エステラの報告を受けた隊長は、迷うことなくその艦隊を「外敵」と認定した。
それはアリオンの歴史上、外からくるものはすべからく人類の敵であったという経験によるものなのだが、彼女はこれに危惧を抱いていた。
今からでも隊長に進言するべきか――とエステラが逡巡していた、その時だった。
海上で沈黙していた艦隊から、なにかが破裂するような重低音が響いた矢先。
砦の前方、わずかに残る陸地を越えた先の海面が、巨大な水しぶきを上げて破裂したのだ。
それが三回立て続けに、一発ごとに遠のく形で繰り返される。
その光景、その衝撃は騎士たちの緊張と危機感を急激に高めていく。
「攻撃! 敵の攻撃だ!」
「敵は
――攻撃してきた! やはり敵なの!?
もはや戦闘回避の進言ができる状況ではなかった。
騎士たちは砲撃してきた艦隊を外敵と断定。
状況は次の段階へと移行していた。
「各員、戦闘準備! 『祝福』を宿せ!」
隊長の命令に従い、エステラたち光芒騎士は聖神アルより授かりし異能、『祝福』を発動させる。
契約の触媒たる『楔』に念じることで彼らはアルの加護を受け、超人的な身体能力を得るのだ。
「バリスタ隊、聖槍装填!」
砦からは、バリスタ隊を指揮する騎士の怒号が響く。
バリスタ隊は指示通り、弾として撃ちだす槍に『聖槍の祝福』と呼ばれる異能の力を付与する。
簡素な槍はたちまち光り輝く聖槍と化し、それらが槍弾としてバリスタに装填されていく。
「照準、構え!」
槍弾をつがえたバリスタは、海上のファルデン艦隊へ向けられ――。
「撃てぇッ!」
そして、ついに弦が弾かれる。
一斉に撃ちだされた槍弾は光の軌跡を描きながら曲射の軌道をとる。
それらは槍の雨となって一隻の軍艦に降り注ぎ、頑強な装甲を貫いて小破させる。
『祝福』によって強化された槍弾は、元の槍からは考えられないほどの威力を宿していた。
「第二射、用意!」
「水上部隊は次の発射と共に急襲! 白兵戦に――」
矢継ぎ早に下される指示はしかし、報復の砲撃によってかき消される。
攻撃を受けたファルデンの艦隊は砦へ向けて、主砲による一斉砲撃を敢行したのだ。
ファルデンが開発した徹甲弾は砦の岩壁を容易く貫通し、一撃で半壊させる。
砦内部のバリスタ隊をはじめ、アリオン側に多数の犠牲者が出る。
その壮絶な破壊力を目の当たりにしたエステラは迷いを拭い去り、戦意を強固にする。
――そうだ。ここが異世界だとしても変わらない。
――外から来るものは、すべて敵なんだ……!
遠距離での砲撃戦は不利と見た騎士たちは、直ちに得意の白兵戦に臨む。
『不沈の祝福』により水上戦闘を可能とする彼らは続々と海上に躍り出て、艦隊への接近を試みる。
超人的な膂力によって水上を弾かれるように高速移動する騎士たちに、しかし銃弾の雨が降り注ぐ。
ファルデンの軍艦が迎撃すべく機銃を掃射したのだ。
『聖護の祝福』によって常人よりはるかに頑強になってるとはいえ、機銃掃射を受ければひとたまりもない。
穴だらけになって沈んでいく同胞の骸を背に、銃弾を掻い潜ってエステラは軍艦に急速接近。ついに肉薄する。
「はぁ――!」
少女は聖槍化させた剣槍を振りかぶり、軍艦へ斬りかかる。
聖光を帯びた斬撃は装甲を切り裂き、深い断裂を刻む。
だが軍艦を沈めるまでには到底至らない。
――やっぱり、この船自体は乗り物に過ぎないみたいだ。
――なら直接乗り込んで、操縦者を切り伏せるまで!
エステラは腰に下げたポーチから紐つきの爆破玉を三個取り出し、それを上方、甲板に向けてスリングの要領で放り投げる。
爆破音を耳にしながら、軍艦の半ばほどまで跳躍。
空中で剣槍を軍艦に突き立て、それを足場にしてさらに跳躍し、エステラは甲板に躍り出る。
事前に爆破玉を投げ込んだのが幸いしたか、乗り込んだ直後の隙を狙われることはなかった。
爆破によって生じた煙が立ち込める中、彼女は腰からショートソードを抜き払い、それに聖剣の力を付与する。
そして目を凝らし、煙の中、中腰で動く影を発見する。
――まず、一体目!
アリオンを守護するため、仲間の仇を討つため、少女はその影へ剣を振りかざす。
異能によって強化された剣は、目標を容易く両断。
煙の中、敵はあっけなく倒れ伏す――人間によく似た断末魔を上げて。
「え――?」
剣を振り下ろした姿勢のまま、少女は硬直する。
自分は今、なにを斬ったのか。
この剣を濡らす赤い血は、いったい誰のものなのか。
少女の疑念はついに、答えを得る。
海風によって煙が払われ、「敵」の正体が白日の下にさらされる。
斬撃によって胴体が二分され、甲板に血だまりを作るそれは――人間であった。
即死できず、今なお苦しみに喘ぎながら痙攣する、男性だった。
「嘘……」
エステラたち光芒騎士に、人間と戦うという発想は存在しない。
なぜなら彼らは迫りくる魔族から人々を守るための軍隊だからだ。
光芒騎士こそ、人類のため身命を賭すと誓った殉国の騎士。
ゆえに、彼らにとっての殺人は最大の禁忌であり、その根幹を揺るがす大罪となる。
――人間だった。
――僕らが戦っていた敵も。
――僕の仲間を殺した敵も。
――そして、僕が殺した敵も……人間だった。
エステラの心を、罪の意識が蹂躙する。
同族殺しの罪が、動悸と耳鳴りを伴って少女を苛む。
自らが殺めた相手。その骸から目を離せず立ち尽くす彼女はやがて、「タタタンッ」という乾いた破裂音を耳にする。
それと同時、身体が複数の衝撃によって弾かれる。
攻撃を受けた。そう認識した時には身体は軸を失い、ゆっくりと背後へ倒れようとしていた。
地に伏す直前視界に入るのは、骸の向こうで奇妙な形の筒――小銃を構え、険しい表情で少女を睨む兵士の姿だった。
そうして少女は戦場で倒れ、天に広がる青い虚空の下、意識を失った。
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